また明日
暗い闇に月が輝く。
星達は楽しげに笑い、月の周りを取り囲みながら地上を見下ろしていた。
その夜、ナターシャは娘エステルの寝室にいた。湯浴みを済ませたエステルはお気に入りの寝着を着てベッドの中に入り、ナターシャはその隣に腰をかけている。そして、二人は少しの時間たわいも無い話をした。それは、普段と何も変わらない母と娘の風景だった。
「まあ、では、お母様がお父様一目惚れなさったのね! なんて、素敵な出会いなのっ!」
「お父様には内緒よ。ふふ。」
口に指を当てて、しっーとナターシャはお茶目に笑う。二人の話は、ナターシャとエルアルドの馴れ初め話へと移っていた。
「私も、いつかお父様みたいな方に出会えるかしら…」
自分の未来に想いを馳せ、エステルは夢見がちに遠くを見る。
「エステルは、どんな方が理想?」
年の離れた娘相手ではあるが、女性として恋愛話は気になるところ!と、ナターシャは愛娘に尋ねた。
「私は、お父様みたいな方?でしょうか…
大事にされているお母様が私の目標です!」
「…。」
これはとんだ小悪魔になるな、とナターシャは頭を痛めた。こんなセリフを、あの父親が聞いたら嬉しさのあまりお祭り騒ぎになるに違いない。想像は、簡単についた。
「顔立ちや、性格はまだ、これといっては…なくて、
ただ、私を…私だけを大事にしてくださる殿方がいいの…」
だからお父様みたいな方なのです、とエステルは少し顔を赤くしながら微笑む。ナターシャは「いつか貴方にも素敵な貴方だけの王子様が現れるわ」とエステルの頭を撫でた。エステルはそんな暖かい母の手を、一回り小さな白い両手で握り返す。
「お母様の手も暖かい…」
そして、その手の平を自分の頰に当ててうっとりとエステルは目を閉じた。ナターシャもエステルの存在を確認するかのように頬をなぞり、お互いに体温を感じあう。
どのくらい静かな時間が流れただろう。目を閉じたままエステルが言葉をこぼした。もう眠たいわ…お母様、と。そして、かわいい小さな欠伸を彼女はした。
太陽は沈み、時はくるー
ナターシャは、動揺を心の奥底に封じ込めることに成功した。彼女が作り出したのはとても穏やかな声で、「おやすみなさい、エステル。また、明日ね。」と、言葉を紡いだ。
少女が目を瞑り、寝息を立てはじめる。
赤みのある頬、規則正しい呼吸ー
明日の朝も今までと変わらずに目を覚まし、おはよう、と言いそうな気がした。
ナターシャは、エルアルドがその部屋を訪れるまで変わらずベッドに腰掛けていた。
「ナターシャ…」
「…ッ!あなたっ!」
愛する人に肩を叩かれ、ナターシャは思わずその胸に飛び込んだ。エルアルドは彼女を受け止め、しっかりと抱きしめ返す。
「…よく、頑張ったな。」
「あなた…っ、あなた…」
背中をさすられて、ナターシャの瞳から涙が、喉からは嗚咽が溢れた。
「ナターシャ、すまない…魔女は、留守だったんだ…」
エルアルドは自分の腕の中で泣き崩れるナターシャに告げた。ナターシャは一瞬、ハッ!とした顔をしたがそのあと泣き声を少し抑えた。
エルアルドは今日最後の望みを胸に、始まりの場所、西の魔女の森に足を運んだ。だが、そこにあの魔女はいなかった。いや、実際彼はその森に入ることすら叶わなかった。森は、常に魔女の結界により隠されていたからだ。
今まで悲しみにくれていたナターシャであったが、自分は無力だと底に沈む愛する人の姿をみて少し理性を取り戻し始めた。エステルが憧れだと、そうなりたいと思った母親と父親の姿はこんな悲嘆にくれる姿だろうか。
「あなた、きっとまだ望みはありますわ…だから。」
急にしっかりとした言葉を発した妻の顔を見てエルアルド も何かに気づかされたようだった。
あの魔女が自分に渡した手紙。
書かれた内容は今は分からないが、呪いを解く方法がある。その事実だけは、はっきりしているはずだから。
ーコンコン。
と、ふいに部屋をノックする音がした。
「入れ。」
まだ泣いた痕が残る妻を自分の胸の中に大事に隠しながら、皇帝エルアルドは入室を許可する。
「失礼いたします。」
「どうした?」
「はっ!たった今、ナフル国軍南軍のゲオルグ中将が到着いたしました。夜も更けましたので報告まで、とのことで参った次第であります。」
南軍の中将ー
その姿をエルアルドは思い起こしていた。熊のような姿がやはり一番最初に頭に浮かんだ。だが、性格は真面目で誠実な男だったな、と仕事の上では高評価をつける。
「わかった。また、明日時間を設けて挨拶を…
いや、待て。」
エルアルドは一度言葉を止め、すやすやと穏やかに眠るエステルの姿に視線を移した。
そして、
「すまぬが、すぐに私の執務室に来るように伝えてくれ。」
と、何かを決心した顔をしながら告げた。
亀更新ですみません!
次話から主人公たちがメインに展開いたしますので、足を運んでいただけたら嬉しいです(*´ω`*)