新宿の医者 file.1
一般人とは画する能力を持つ宿主と呼ばれる人間だけが登録できるSNSのジーノームで密かに噂にはなっていること。この新宿という地球上の小さなカオスにある闇医者の存在は、話題に上がる度に話半分で読み流していた。そんな、安っぽい漫画に出てきそうな闇医師なんて現実にいるわけが無い。
このご時世の警察にすぐに見つかってしまうだろうし。
そう思っていた私だが、今右腕はその闇医者の手によって点滴に繋がれている。左隣にはスマホをいじっている、随分と若そうに見える闇医者がいる。この世の全て自分には関係がない、何が起こっても動じない、そんな人間味のない冷たい雰囲気を纏うどころか着込んでいる闇医者の小折先生は、先程はっきりと己が新宿の噂の1つである事を認めた。最初は無視されたが、少し声のボリュームを上げもう一度聞くと、ギロりと横目で睨まれた。
「あ……なんか良くなってきた、かも」
「アンタら能力者の中にたまにいるんだよ。肝機能腎機能心機能に関連する物の血中濃度が高くなってるのが。 普通の人間診てる医者じゃ気づきにくいんだろうけどな」
「私何かの病気なんですか?」
「さあな。 ここじゃ血液検査もCTも撮ることできないから精査したければ普通の病院に行くことだ。 その点滴はただの補液だよ」
スマホを操作しながらそう言う横顔は、純粋な意味で綺麗だった。こんな光も届かない地下の中で暮らしているのだから、もっと清潔感に欠けた無精髭を生やした浮浪者の様な医者かと思っていたが、これは虚をつかれた。
「何でここに来たんだ」
「え? さっきも言いましたけど、どこの病院行っても原因不明で、ホスト専門に診てる先生のとこに藁にもすがる思いで来たんです」
「ホスト専門医なんか他のとこにも探せば居るだろう。アンタみたいな何も知らなさそうな若い女がわざわざ来るようなとこでもないし」
何だか今プサりと針で心をつつかれた気がした。
少々毒のある言い方だったが、小折先生からはあまり悪意があるとは言いがたかった。
「なんと言うか……噂って本当なのかなあと。最初は絶対闇医者とか、ホスト同士の殺し合いとか、死体が消えてるとか、そう言うのは無いだろうって思ってたんですけど」
「あまり褒められない好奇心だな。でも、その噂は全部本当だからな」
「そ、そうなんですか!?この日本で!?海外の話じゃなくて!?」
「頻繁に起こってる訳では無いけど、掻き回すのが好きな頭のおかしい奴がいるんだよ」
スっと立ち上がった先生は、思っていた以上に背が高くドキリとした。
点滴の速度を調節しながら「あと数分ってとこだな」と言う。日本の裏側の話をこの人は沢山知っている。確信した私は、このまま砂時計のように規則正しく下に落ちていく点滴が終わったら帰るのが惜しくなり、どうにか小折先生との会話を繋ぎ止めようとした時だった。
「昼間から珍しくここが明るいと思ってたらお客さん来てたんだ〜」
部屋の隅にある扉が開き、変声期くらいのなんとも言い難い少し高い声が聞こえた。
振り向くと、ここに似つかわしくない年頃の少年がいた。小折先生はまるでそこには何も居ないかのように、少年の言葉は無視をして席に着く。もしかすると、彼は私にしか見えていないのか。
「小折先生ってお子さんいるんですか……?」
「ぶっ!もしかして俺のこと?俺、小折センセより年上だよ?あと、小折センセは童貞だから隠し子もいないヨ〜」
少年がニヤニヤと少し気味の悪い笑みを浮かべながらこちらへ近づく。小折先生は手元にあった重厚感のある本を少年へと投げつけたが、彼はするりと呆気なくかわした。
それよりも、
「僕、どこから来たの?それに、年上って」
「ヤダな〜俺はここに住んでるんだよ。知らない?アビリティの副作用でずっと子供のままなの」
「え、そんな副作用とかあるの!?私なんか謎の体調不良起こすだけなのに!すごいじゃん!不老とか!」
「……そいつはここに住み着いてるだけの疫病神だよ。俺は一言もここに住むことを許したとは言ってない」
小折先生は心底迷惑そうに顔を歪めた。
謎の少年はずっとニヤニヤとした顔のままだ。仮面のようにも思える少年の表情は、彼の見た目年齢と反して不気味さを帯びている。本当の年齢を聞けば「うーん、アラフィフダヨ」と答えられ思わず「うそ!?」と声を出した。
「ウソだけどネ」
「……見た目からは予想のしようがないから本当か分からないよ」
「そんなに大きな声が出るならもう治ったな。さ、支払い済ませてとっとと帰った」
「うっ……」
点滴は既に終わっていた。針を抜いた先生は、手際よくアルコール綿で刺入部を押さえてテープを貼る。言い渡された金額は、なんと健康保険が適応されていて、普通の病院で処置してもらったのと何ら変わりのない金額である。
「ここは基本的には健康保険にも入ってないならず者が来るところだけど、表向きは診療所だからな。保険だって効くさ」
「わりとふんわりした闇医者なんですね……」
「小折センセはホスト関連の研究の第一人者みたいなもんだからね。違法で悪い事してても目を瞑って貰えることも多いんだよ」
「違法で悪い事って?」
少年は一瞬目を逸らしたが、再び口角を上げ「さっきまで生きてたホストの死体集めて研究してたり」と口にした。ゾワッと背筋が凍り、少年の底知れない不気味さの正体の片鱗が分かった気がした。