8 家庭教師
山の商人ランディと分かれて半年が経過した。
モンスター体は西の国ゴビとの国境沿いの国内側を進んでいる。
4人で1人のおれだから寂しくは無いが、あれから何事もなく静かに旅が進んでいく。
現在はリステムの街を迂回したところだ。リステムの街は遠目に見ても立派な外壁を備えた都市だが、かつて見たリザードマンたちを防ぐ砦に比べると兵士の数が少なく平和そうに見える。
(ヤタノが成長したら、もう一度この街に来て、街の中まで見たいものだな)
せっかくの旅であるのに、どこの街にも入れないというのは良く考えると寂しいものだと思う。
こんな感傷に浸れるのも、ヒューマ体の食糧事情に改善の兆しが見えるからだ。
もともと餓死を恐れての強行軍だったが、戦争が一段落したようでヤタノの村に男達が帰ってくれば、最低限の食糧も配られるようになってきた。
だから、少しばかり他の体に配慮してゆっくりした移動速度に変更している。
ヒューマ体の兄姉たちは食糧が改善したことを喜んだが、お祭り騒ぎとはいかなかった。ヤタノの父を含め数名が帰ってきていないのだ。
母親のユノによれば、まだお勤めがあるから、ということだった。
「お父さんが帰って来られなくて残念だけど、お兄ちゃんたちは男の子なんだから、そんな情けない顔をしては駄目よ」
そう付け加えるユノは立派な母親の顔だ。
前世込みでいけば年上の自分から見て、それが嘘かどうかといえば、本当なんだろうと思う。
少なくともユノは嘘を言っている感じではない。実際に生きているかどうかは別として。
(早く大きくならないと、な)
いつかここを出て行くつもりだが、家族のことを思うと不安になる。
(家族は3つあるけどなぁ。それぞれ親孝行する必要があるんだろうか)
久しぶりに余裕のある状態になって、そんな先のことまで考えてしまった。
エルフ体はこのところ単語のお勉強に勤しんでいる。
3種族の言語の中で一番難しいのはエルフの言葉だ。本当に規則性がつかめなくて苦戦している。
そんなおれに対して、お爺ちゃん、お婆ちゃんと年の離れた兄が根気強く単語を覚えるためのゲームの相手をしてくれる。
(この家族はこの家族で面倒見がいいな)
年の離れた兄はピピンといい、口数は少ないがおよそ面白くないかるたゲームに一対一で付き合ってくれる。その代わりに、意識を飛ばしていると容赦なくデコピンしてくるので注意が必要だ。
(このかるたの最中に他の体がおろそかになるのが玉にキズだ)
しかもこの兄はおれが何をしてもバカにしない、いいやつだ。
3歳の女の子が筋トレをしているところも見られたが、
「体を鍛えるには木登りの方が良い」
と一言ありがたいご指導だけして見ないふりをしてくれた。
それ以来、エルフ体では暇をみては木登りをしている。
少し、お猿さんになったような気分になるが、中々よいトレーニングになっているのは確かだし、エルフにとって木登りは普通の遊びで奇妙なものを見る感じがしなくていい。
逆に言えば、今まではコイツは何をやっているんだろう、と見られていたかもしれない。
そして、ヴァイパー体だが、こちらの家族はちょっと状況が違う。
パパと全然会わない。
何かの記念日とか、季節の変わり目とか、何か無いとお屋敷に帰ってこないのだ。
そう、歩き回れるようになって分かったのだが、やはりバレッタの家はお屋敷というべきサイズで、パパさんは帝国でもちょっと偉い人らしいということだ。
ヴァイパー体もまた、はエルフ体と同じく単語のお勉強に勤しんでいる。言葉を覚えるのが遅いことで心配されているのがヒシヒシと伝わってくる。
こちらは家庭教師のギュリオスと妹のエクセレティコが一緒だ。
(妹なのに、姉の私、いやおれか?より単語を覚えるペースが早い。4人に意識を分割しているとキツイなぁ)
姉のおれって少し変だな。なんて言う余裕はない。
真面目にやらないと、この家庭教師の報告を聞いたママがすごく怒るのだ。
(あの高い声で猛烈に叱られると、他の体の顔にまで辛そうな表情がでてしまう)
3人目を妊娠している間は、安静にするためにおれとの接触を断っていたらしい。
今後がちょっとこわい。
以前、わざとではないのだが3回くらいママを無視したらしいときには、真っ暗な物置に3時間くらい閉じ込められた。
この年の子なら間違いなく泣き出すところだが、“やったぜ、モンスター体に狩りをさせにいこう”とこれ幸いに他の体を操作していたものだから、全く堪えなかった。
でも、あまりにも堪えなさすぎたせいで、次からこのおしおきが無くなってオヤツ抜きに変更されてしまった。
あのときはわざとシクシク泣けばよかったと思ってしまった。
まぁ、オヤツ抜きも大して効かないわけだが、他に面倒なおしおきを思いつかれてしまうとそれも困るので、本当につらそうな素振りで定着させた。
(最近、バレッタは運動不足で太り気味だしなぁ)
運動は好きだが、ママの教育方針としては運動よりお勉強らしい。
おれはそっとため息をついた。
***
ヒュプノ家の家庭教師ギュリオスはすでにバレッタがときどき夢の世界に入ってしまい、授業の話をほとんど聞いていないことを知っていた。
バレッタは言葉を覚えるのも遅く、会話も変。角も翼も小さく体力も低い。体型もやや太り気味で力強さも知性も感じられない。やる気があればまだ教えがいがあるというものだが、先の通り授業の話は右から左へ聞き流しだ。
名家だが、家が良くても子供の出来がいいとは限らない典型的な例のようだ。
ヒュプノ家はヴァイパーにしては翼が小さいことから、ヴァイパーの種族の中で少しばかり冷遇されてきた。だが、現当主のレマルゴスはガルーダ帝国皇帝への高い忠誠心と不断の努力によりヒュプノ家を6大貴族の末席にまで押し上げた。特に翼が小さくて飛べぬ不利さを風魔法で浮いてカバーするというやり方は、風魔法が苦手な者が多いヴァイパーの中で異質である。本来ヴァイパーは火と闇魔法を得意としている。風魔法の使い手がいないわけではない為、ケッツァーではないとされているが、武力、知力ともに優れた傑物である。
だが、皇帝や貴族の評判高いレマルゴスは子育てにあまり興味がないらしい。
曰く、“子を産み育てるは民の義務であるから、義務を全うするのみ”だそうだ。
したがって、全て奥方のアナーカ夫人に委ねられている。
奥方曰く“主人は結果が出なさそうだと思うとすぐに違う仕事に切り替えてしまうところがあるの”だそうだ。どうも、バレッタのやる気の無さがレマルゴス様の興味を無くしているから、なんとかやる気にさせてほしい、ということらしい。
奥方は学業優秀で元エリート文官である。結婚を機に引退、領内のこと、派閥の貴族こと、婦人同士の茶会のことで常に忙しい。今はまだ大奥様に教えられる立場であり、子育てについては大奥様の知り合いの乳母や家庭教師がついている。
(本来は俺が教えるべきではないと思うが)
ギュリオスは2番目の家庭教師で最初の家庭教師はミウリンという女性だった。
だが、先の通り、ぼんやり気味で人の話を聞いていないバレッタをミウリンは頻繁にしかりつけたらしい。その結果、バレッタお嬢様には違う家庭教師の方が良い、ということになったらしい。ギュリオスが呼ばれたのはヒュプノ家の遠縁で最近まで庶民の先生をしていたからだ。ギュリオス自身が庶民であるから、貴族のミウリンに比べると格が下がる。奥方が“この子にはたくさんの庶子を教育した経験があるあなたが必要なの”ということらしい。
ミウリンはしばらく休んでいただいたのち、次女のエクセレティコの教育に戻ってくる予定だ。そのとき、長女のバレッタが今より態度が改善していたら礼儀礼節をもう一度教えるという約束で。
庭で一人遊びをしているようで実は夢の世界に入っているバレッタが居る。
紫色のドレスを着ていて、背には翼が少しだけ出ている。
「お嬢様」
反応はない。
「バレッタ様」
バレッタお嬢様は、名前を呼ばないと反応が薄い。
「はい。せんせい、おねがいします。今日も」
もう4歳というのか、まだ4歳というのか。
立派な挨拶だが、最近までほとんど話せなかった。文字の読み書きが苦手だというのなら分かるが言葉が話せなければ授業にならない。
今日も基本単語のお勉強だろう。
2歳年下のエクセレティコと同じレベルなのだ。
いったい、いつになったらちゃんとした授業ができるようになるのか。
ママという呼び方は、母親という呼び方とはちょっと印象が違いますね。
バレッタの母とヤタノの母であえて呼び方を変えてみました。
今回もおつきあいありがとうございます。