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くるりくるり

 悲鳴を聞いてそこにいた村長ヤキチは直感的に理解し、行動した。



「……山神様でございましょうか?」

「いかにも」


 ヤキチが膝を地面につき、遅れて村人が習う。


「山神様。昨年よりの無礼、申し訳ございません。どうか、御慈悲を……」

「それよりも。チヨはいるか」

「はい、すぐに呼んでまいります」


 ヤキチはとなりに居た村人に目配せすると、その男は膝を震わせながら走りだした。


「チヨは昔、儂と結婚の約束をしたのだ。もう十五になっただろう。だから迎えにきた」

「え……チヨはまだ……」

「そうでございましたか。チヨは明るく皆に好かれ、また器量も良しでございます。どうか山神様、可愛がって下さいませ」


 山神の言葉に一人の年配の女が反応した。チヨはまだ十四だ。しかし、ヤキチが声を張り上げて女の声を掻き消し、皆に聞こえる様に言った。

 瞬間、村の意向が決定した。村人に出来る事はやはり少ない。


 

 やがて、男が布団を抱えてやって来た。

 絹で出来た白い上等な布団。それを持ちにくそうに、半分小脇に抱えている。肩に担げば楽だろうに、男はそうはしなかった。少し不格好なまま、しかし大事そうに走ってやって来たのだ。


「山神様! こちらチヨでございます!」


 ヒグマに近付く事なく、離れた村長のいる辺りで布団を下ろす。

 そろり、と布団を剥がすと怯えたチヨが出てきた。寝間着で震えながら、辛うじて立っている。


 二足で立っていたヒグマは、ゆっくりと前脚を下ろし、村に入ってきたのと同じ速度で歩く。村人達はそれを見て、同じ速度で後退りした。村長とチヨだけがその場に残される。

 夕暮れ時にもかかわらず鴉すらも息を潜めてその光景を見つめている。


 ヒグマはチヨの元までやって来ると、少し鼻を鳴らした。


「おぉ、まさにチヨ。さぁ、行こう。儂の花嫁」

「あ、わ、わたし……」


 集まった村人達は、ただ頭を垂れた。誰もチヨと目を合わせない。


「この布は持っていくか? さぁ、おいで」


 山神の声が弾み、また立ち上がってチヨに前脚を差し出す。分厚い肉球が優しく向けられるが、しっかりとした爪も生えていて、腕の一振りでチヨの上半身など簡単に破壊出来そうな程だった。

 それが目の前の距離にあって、恐怖しない者などいるだろうか。


「チヨ」


 ヤキチの声がする。チヨは名前を呼ばれても振り向けなかった。動ける訳が無い。


「良かったな。山神様直々においで下さったのだぞ」


 ヤキチは今度は声を張り上げる事は無かったし、頭も地面に付こうかというほどに下げていた。

 それでも、村人達に届いた。その意味も正しく。

 

「おめでとう、チヨ」

「おめでとうございます」

「チヨ」

「チヨ様」

「チヨ様、おめでとうございます」


 口々に村人は祝福した。

 そこで、やっとチヨの頭は動き出す。ああ、そうだよね。私は花嫁だった。山神様の許嫁。

 そっと、チヨはヒグマの前脚に手を乗せた。


「おぉ、では参ろう」


 山神はチヨを布団で包み直し、今度は二足歩行で山へと帰っていった。






 山神であるそのヒグマは、特に小柄な女の子であるチヨの倍以上をさらに超えた大きさであった。

 布団で包んだチヨを赤子のように抱き、優しく山道を運んで行く。


「軽いなぁ、チヨ。布と重さが変わらないな」

 流石にそんな事は無い。

「震えているが、寒いのか? 困ったなぁ。これから冬に入ればもっと寒いが」

 震えているのは寒さのせいじゃない。

「そうじゃなくても、服は用意せねばな。その服は……簡易過ぎる」

 簡易な方が食べ易いんじゃないの?

「寝床は枯れ葉を集めてあるからフカフカだぞ」


「……食べるなら、早くして」

「ん? どうした? 腹が減ったか?」


 小さな小さな呟きに山神は反応した。チヨは更に身を硬くする。

 聞こえるんだ。


「そうか、チヨは腹が減って震えているのか」


 何故か、山神は嬉しそうにそう言った。






 夜になり、ようやく山神は止まった。チヨは山神に抱えられたまま山の頂上付近まで連れて行かれた。そこは神域であると、立ち入りを禁止されている場所だった。

 本当に山神様が住んでらっしゃるところだったのか、とチヨは思った。


「さぁ着いた。チヨは無口で恥ずかしがりやだなぁ」


 ずっと何かにつけて山神は喋り続け、木苺や山葡萄を見つけてはチヨに渡していたので、チヨのお腹の上には果物が沢山乗っていた。

 途中、あまりにも見事な木苺だったのでチヨが一つ摘むと、山神は目を細めてそれを見た。

 山神が急に黙ったので、チヨは失礼を働いたのかとそれ以上食べる事はなかった。


「布は奥の枯れ葉の所へ置いておこうな。火の気は苦手だが、チヨが寒くてはいけない。焚き火をしよう」


 そう言って洞窟の中へと入って行く。未だチヨは山神の腕の中だ。




 山神の言った通り、四十畳ほどの広い洞窟の奥には枯れ葉がたっぷりと置いてあった。

 その奥にも空間があったが、光も届かずひんやりとした空気が流れていたので、チヨはそれ以上覗くのを止めた。

 闇を覗いて見えるのは『闇』だけだ。


「チヨ。布と木の実を置いたらこちらへおいで。焚き火は入り口近くの方がいいのだろう?」


 大きなヒグマが立ち上がっても、手を伸ばしても届く事のない天井をチヨは見上げた。

 これだけ広ければ焚き火の煙は溜まる事は無いだろう。


「この毛皮の上にお座り。猪だから温かいよ。あぁ、やはりその着物では寒そうだ。確か鹿の毛皮もあったはず……」


 チヨは山神が言った通りに座り、大人しくしている。反対に山神は洞窟に入ってからずっとソワソワとしていた。


「ほら、これなら柔らかいから肌に掛けても大丈夫」


 そう言ってチヨの肩に子鹿の毛皮を掛けようとした。チヨは背後から伸ばされた黒い凶器の付いた手にビクリと大げさなほど、肩を揺らした。


「びっくりさせてしまったか。大丈夫かい? さぁ火をつけるからね」


 そう言うと山神は何処かから拾ってきた小枝をドサリとチヨの前に置いた。そして、手を拝む様に合わせ、小枝の上で擦り合わせる。

 ハラハラと、赤い火の粉が舞う。ヒグマの手が小さく照らされて所々赤い斑点がついていく。

 それらの一つが小枝に落ちると、勢い良く燃え上がって、今度はチヨの頬を赤く照らした。


「ありがとう。火の気たち」


 もう一度、山神は拝んでから焚き火の端に座った。


「……精霊?」

「おぉ、チヨ。そう、精霊だよ。見えるかい?」


 そう言いながら山神は何かを掬いとる様に前脚を動かすと、そっとチヨに差し出した。

 肉球までも黒いその手の上に、トンボの翅を付けた小さな火の粉がクルクルと踊っていた。

 舞台の上を我が物顔で飛び回る火の粉は、チヨに見られているのも気にせず、主役を演じている。


「やはり、見えるか。流石はチヨ」


 突然褒められ、チヨは困惑して山神を見上げた。瞬間。チヨは痛いほどに身を硬くし、後ろへ飛び去った。

 急に動き逃げたのは失敗だったか?

 チヨはドッドッと煩く動く心臓に邪魔されながら、思考を動かす。酷くゆっくりとした動作で山神を見た。


「すまない。少し近かったな。悪い事をした」


 山神は慌てた様に手を顔の横でふり、ノソノソと焚き火から離れた。くるりと後ろを向いて座ると頭と肩を落して言った。


「儂は良いから、チヨは火に当たりなさい」


 暫く待っても山神が動かないので、チヨは子鹿の毛皮を拾って肩にかけ、焚き火の傍に座り直した。


 じいっとチヨが山神を観察していると、山神がフィとふり返る。チヨはビクリと背を伸ばすが、山神もまたビクリと後ろへ向き直った。





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