07:30 おはようございます異世界?
《何を言っているか判らないと思うが、朝起きたら日本じゃないとこにいる》
ポケットに入っていた携帯から、Web上に自分の現状を発信した。
どうして電波があるのかは判らなかったけれど、電波があるのなら、そうせざるを得なかった。
あるいはそれは、現実逃避というやつだったのかもしれない。
――月曜日ほどではないにせよ、憂鬱な金曜日の朝。
あと一日を出社すれば休みという希望を旨に、二日酔い気味の重い意識を揺り起こす。
眩しい陽光、朝の七時半だというのにじっとりとした寝汗を感じるほどの気温。
昨日までは花冷えで肌寒かったのに、三寒四温というにしたって、程があるというものだ。
半ば覚醒、半ば寝惚けた思考でそこまで考えて、漸く違和感に気付いた。
陽光。明かりがあると寝付けないので、窓は高い遮光カーテンで塞いでいる。
だから、我が家の朝に、陽光などというものが入り込む余地はない。ましてや――そよ風なんて、幾ら古アパートでも。
「……、えっと……?」
恐る恐る開いた視界には、青空が広がっていた。そんなわけはない。
昨晩は――よくは覚えていないが、Web越しの仲間内で馬鹿話をしながら、いわゆる寝落ちをしたはずだ。
それは、左手が握っている、半分ほどに減った赤ワインのボトル――昨晩は調子に乗って二本目の封を開けた――からも推測できる。
あるいは、そう、これは夢なのかもしれない。そうだ、飲みすぎたに決まっている。最近は酒に弱くなってきているから、そうに違いない。
《たぶん夢なので二度寝してみよう……》
そうSNSに書き込んで、瞼を閉じる。だが、眠れない。当たり前だ。
明かりがあると寝付けないほどの繊細な神経が、野晒しの風と陽光の下で眠れるはずがなかった。
それに、二度寝したところで、この圧倒的な現実感が消えてなくなるとは思えなかった。非現実的ではあるけれども。
《……しかしこの異常事態に眠れるほど、私の神経は太くなかった》
ある種の諦めと共に、そう書き込んだ。なんだって、こうなった。昨晩の酒が残って鈍い脳髄を、叱咤する。
ネタとしては有り触れているが、何かしらのデス・ゲームに巻き込まれたという可能性はないだろうか。
暫く前に映画化された小説では募集に応じた人々がゲームに参加していたが、もちろん、そんなものに応募した記憶はない。
とはいえ、いつの間にか拉致されて、強制的に参加させられるというパターンの作品も数多い。
気が付いたら、火星みたいな光景が広がるオーストラリアの国立公園のなかに放り出されていた、なんて作品もあった。
地平線まで続く草原。人工物はどこにも見えない。それこそ、アフリカのサバンナかなにかなのだろうか。
そういう、どこかの金持ちの道楽に集められたという可能性は――そこまで考えたところで、息を吐く。
ありえない。なんだって自分が選ばれるのだ。首を振って、携帯の画面に視線を落とすと、反応が返ってきていた。
《????!どうした!召喚されたか!》
つい、口元が笑みの形に歪んだ。表示されているハンドルネームは、は、東野日樫。十年来の、年上の友人だった。
《いやでも周りに誰もおらんぜ。召喚師が駆け上がってくる様子もない……というか野原のど真ん中》
東野の問いに合わせて、そう返す。召喚で、彼女と共通のネタといえば、まずコレだ。
けれども、東野に返信したとおり、誰かに召喚されたというにしては、周囲には誰もいない。
困ったものだと思う。どこだか判らない場所に放り出されて、手がかりも何もなし。
「どうすんの、これ……」
溜息を吐いて、空を仰ぐ。空を仰いで――つい、真顔になった。眩い太陽。だけど、その光源は。
《――やばい、地球かどうか怪しくなってきた。太陽がふたつある》
冗談では済まなくなってきた。というより、冗談ではない。
どれだけ物好きな大富豪が、どれだけ馬鹿げた余興を考えたって、太陽をもうひとつ作ることは出来ない。
そんなの『2010年宇宙の旅』でもあるまいし、いまの人類の技術では不可能だ。
となれば、地球以外の天体にいるというのが論理的な帰結なのだが――その前提条件が成り立たない。
異星人に拉致されたというなら、何らかのアクションがあって然るべきだろう。
よしんば、こちらの素の反応をみたいと考えているにしても、この空間は広々としすぎている。
「……呆けてるだけじゃな」
なにがどうであれ、情報は得なければ。
ともかく、周囲を探索しよう。そう思い立って、数歩を踏み出して。
「痛って……石か、クソッ」
机で寝落ちていたのだ。当然、靴なんて、履いているはずもない。
部屋着代わりにしているくたびれたワイシャツと、ジーンズ。それ以外には、飲み残しのワインと携帯だけ。
どうしろっていうんだ、こんな状態で。泣き言以外のなにでもない言葉を、携帯から日本に送った。
《つーか寝落ちたときのままで、裸足なんだけど。辺りを調べるにも痛いですよこれ。
携帯と飲み残しのワインボトルしかないし。飲んでまた寝ていたい》
――書き込んだのは紛れもないホンネではあったけれど。もちろん、そうするわけにいかないのは、自明だった。