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都会の奉公人

「あっつい……」

 駅のホームに降り立った若い女は、直射日光に照らされて、思わず項垂れた。涼しい風が通り抜けていき、少女の薄手の白いワンピースを風にひらめかせた。傍目には涼しげにも見えようが、その額には早くも汗が滴り始めていた。何だか気分の悪い汗だ。衣類が肌に張り付いている。じっとりと。

 ここの駅は改札口の周りにしか屋根が無い。先頭車両に乗ってきた彼女は、車内の冷房ですっかり寛いで旅行気分でいたので、外に出てこの温度差に、唇を噛んだ。袖を捲りあげるようにして肩肌を脱ぎ額の汗を拭うと、その腕を振るう。

「いえ、頑張らなくては! この仕事を完遂すれば、私もきっと!」

 自らを鼓舞するセリフを発しながら、頭を振る。胸の高さまで伸びた綺麗な黒髪が振り乱され、汗の雫がアスファルトに染みていく。晴れ晴れとした気分には程遠く、爽やかと言うにも及ばない。晴天である。こんな日に歩くのは苦痛以外の何ものでも無かった。何となく身体が重い。

 改札に向けて歩くにしても、キャリーケースの足をごろごろ言わせている彼女は、この田舎町では目立つ存在だ。荷物も重い。しかしそれだけでなく、足取りも重い。ワンピースに合わせて白いミュールのサンダルを突っかけていたが、何だか身体の芯が何だかもたれかかっている様な違和感を感じる。熱いアスファルトの上を進んでいるのに、足先は妙に冷えているように感じられた。

 この町には、確かにちょっとした民宿の様な物もあるし、隠れ家的な宿も、山の端までいけばあるが、それでもこんなところまでやってくる旅行者は珍しいのだ。市内には私鉄の駅が二つあり、片や郊外のベッドタウンに繁華街、学生街、平日も賑わう地元の中心地。片やド田舎のぽつねんとしたしょぼい駅舎である。そしてキャリーケースがうるさいのが彼女には不快でならなかった。道はあまり舗装されていない。駅前にはそれなりに人通りも有る。

 世間は夏休みで浮かれている。どうしようもないほど浮かれている。何がレジャーだ。家族旅行だ。そして実家に帰る人たち。

 親戚にもみくちゃにされる原風景。

 彼女は、何が何だか分からないうちに、こんな所まで来てしまった。それは、雇い主の御命令だから仕方なかったのだ。

 駅の前の交番へ真っ直ぐ赴く。今どきはスマートフォンで何でも検索できる時代とはいえ、地元の人に聞くのが手っ取り早いと彼女は思ったのだった。そもそも機械音痴であるし、地図を見た所で結句初めて訪れる土地、何があるか解らぬ。

「すいませーん、おまわりさーん?」

 軽くしなを作って、若い娘の一人旅、旅客宜しく振る舞うべし。

「はい、なんでしょう……か?」

 団扇で扇ぎながら彼女を出迎えたのは、古前孝修こまえこうしゅう巡査だった。そして目の前に突然現れた素敵な若い女性に、一瞬目を奪われた。

 何と華やかな女性だろう。白いワンピース、所々にあしらわれた水色のリボン、レースは主張も少なく、ごちゃごちゃはしておらず、とても落ち着いて見える。

 花の無い田舎の駅前交番で暑い中のんびりと真面目に過ごしていた古前巡査にとって、しばらく同年代の若い女性と話す機会が殆ど無かったので、この突然の邂逅には至極驚いた訳である。

「えっと、私、聞きたい事があるんですけれど、お時間はよろしいでしょうか?」

「ええ、構いませんとも。時間の許す限り力になれる事ならなんでもお手伝い致します! ええ、当然のことです、それが仕事ですから!」

「はぁ……それで、お聞きしたい事というのはですね……?」ここで、少し声のトーンを落として、周囲を見回しつつ古前巡査に近付き、「この町に潤井うるい……という名前の人がいると聞いて来たのですけれど、御存じありませんか?」

 その質問に古前巡査はまたしても面喰らった。まさか人探しとは。そしてその相手というのが決して聞き馴染みの無い名前では無かったのだから猶更だ。

「うるい……? あぁ、たしか京葉けいようくんが、そんな姓だったような」軽く空っとぼけながら、潤井の名を反芻する。目の前の女性は一体どういう――

「ええ、そいつです!」彼女は、いきなり声を張り上げた。

「え、え、え?」古前巡査はさらに面食らった。この綺麗な女性がいきなり「そいつ」だなどと言いだすとは全く以って慮外な事であった。しかし、彼にとって潤井京葉は、主に有志の市民パトロールや学校関連の仕事で一緒になる事が多く、かなり親密な付き合いの顔なじみである。歳も近く――実際の所は、古前巡査の方が年上なのだが、特に分け隔てなく呼び合っている程の仲でもある。

「そいつは今どこにいるんですか? 是非とも、教えてください!」

 女性の頼みとあらば、断るわけにもいくまい、等と安易に受け答えする訳にもいかず、古前巡査は潤井の事を考えながら、質問を投げかける。

「……京葉くん、何かしたんですか?」

「いいえ」

「じゃあ、あなたが……」

「だから、何もしていません!」

「じゃあ……」

「だから問題なんです! そのために私はこんな田舎町までわざわざっ……あ、失礼致しました、私とした事が、取り乱してしまいまして、おほほほ……」ふっと我に返ったようでもあるが、印象としては既に手遅れと言った所か。それでも美人には違いないので、古前巡査はしっかり役目を果たすべく引き続きこの奇妙な女性の話を聞かなければならない。

「えっとですね、とりあえずお名前を聞かせて頂いても構いませんか?」

「なぜです?」

「なぜって……いや、あなたが京葉くん、潤井さんに逢いに来たと言う事は解りました。しかしその話しぶりだと……」

「なんです?」

「いや、その、もし潤井さんに……何か、あってからじゃ遅いですから、それにどこにいるかというのも、あれです、個人情報ですし、今の時代、ねえ?」

「…………おまわりさん、あなた私があのお坊ちゃんに何かするとでも?」

「いや、決してそう言う訳では、これも形式的な」

「つまりあなたには私が不審者に見えると、そう仰りたいんですねお巡りさん?」

「いや、ですから……」

「――それは中々の慧眼ですね!」

「え、え、え?」

「確かに私は怪しいと思います。ええ、いくら夏休みだからとはいえ、こんな田舎町にふらっと現れた旅行者。お巡りさんがお疑いになるのも無理はありません。二時間サスペンスだったら怪しい人物Aとして視聴者の印象に残る様な登場の仕方をする女です。アリバイ工作でもしてるんじゃないかと。ええ、どうでもいい話でしたけど、それでも、あなたは中々信頼できそうです。改めて名乗らせて頂きます。私の名前は、道林寺緻縒どうりんじちよりと申します。潤井家のメイドを務めさせていただいております、これ、名刺です」

「あ、はい、どうも……メイド? えっと道林寺さん、あなたメイドさん、なんですか……?」手渡された名刺には、その通りの事が書いてあった。裏を見てみると、道林寺が一人で取ったらしいプリクラが一枚、貼ってあった。もしかしなくても残念な人なのかもしれないと、古前巡査は思った。

「ええ、そうです」

「メイド喫茶とかのあれじゃなくって?」

「冗談抜きにメイドです。はっ倒しますよ?」

「そ、それは困ります、逮捕しなければならなくなってしまいますので……すいません」

「いえ。これでお分かり頂けましたね? 私は潤井家の関係者なのです。ですから、私は京葉様にお会いしなくてならないのです。彼はいわば若旦那様ですから。どうしても、直接お伝えしなければならない言伝がありますので」

 ――古前巡査は、それを聞いてうっすらと思い出してきた。前に本人から聞いた事がある。潤井京葉は確か、かの朱鷺沢グループに次ぐ巨大企業、潤井グループの御曹司なのだと。しかし殆ど勘当された状態で、彼は家に頼る事無く一人きりでこれまで暮らしてきた。完全に縁が切れているとか何とか言う話もしていた気がする。親類縁者も幾人も居るのだし、自分一人が居なくなったところでグループにはもはや何の関係も無い事であると。だからと言う訳でもないが、古前巡査は実際に、この町に来てからの京葉の暮らしぶりもだいぶ長い事目の当たりにして来ているので、もはや彼の素性がどうであろうと、彼はこの町の一員なのだと言う事を認識していた。それに、この町に京葉を連れて来たのは鹿路堂ろくろどう古書店の倅のロクスケである。さて古前巡査にとっても中学時代にはロクスケとは浅からぬ因縁があるし、蓋しあいつの知り合いに悪い奴はいないと言うのは昔からの評判だったから、上京した後のロクスケの友人と言うのもその例に漏れる事は無かった訳である。暫くは無言のうちに時が流れ、扇風機のモーターの駆動音が僅かに響くばかりであった。

 ――京葉の元に、実家の潤井から使いの者がやってきた。

 古前巡査は考える。

 これはなにか一波乱起こるのではあるまいか、と――

「さあ、お巡りさん、はやく京葉様の所へ連れて行って下さいまし」

 しかし、考えるだに本当にそれでいいのだろうか? と言う気にもなってくる。確かに京葉にとっては一大事なのかもしれないが、彼の今の生活が脅かされるような事態を招き入れる可能性の一端に触れる自覚についての後ろめたさが古前巡査の心を塞いだのだった。

「……直接ご案内したいのはやまやまなのですが、生憎今は一人きりなもので、ちょっと離れるわけにもいかなくてですね。ただ京葉くんは鹿路堂という古書店入っている小さなビルの二階に、よろずやの事務所を構えておりまして」

「……はぁ? よろず、や……何かの冗談でしょうか?」

「ええ、まあ、冗談でもなんでもなくてですね、何でも屋というか、他に言いようも有りませんので……」

「家を出てフーテンの果てがそれ? ……とんだ道楽息子だ事。ほんとに瘋癲どうかしてるんじゃないかしら」

「それはそうとも言えなくてですね……ともかくまぁ、まずここを出てそこの右の角を道なりに言っていただければ、畑を幾つか越えた先にちょっとした商店街がありますので、そこへ直接足を運んで頂ければと思います。簡単な地図を今、ご用意いたしますので」

「…………はぁ。ありがとうございます……っくしゅん!」

 道林寺は道林寺で、相変わらず腕で汗をぬぐいながら、盛大にくしゃみをぶちかました。

「大丈夫ですか? ティッシュどうぞ」古前巡査は、メモ帳に丁寧に地図を書きこみながら、片手でティッシュ箱を差し出す。

「すびばせん」

 それを受け取り、二枚ほど引っ張り出して道林寺は鼻をかんだ。

 ちーん!

「…………あ」

「どうかしま――」

 古前巡査が顔を上げると、美わしき道林寺の白いワンピースが真っ赤な鮮血に染まっていた。

「あぁあぁ、鼻血出てきちゃいばした、ごべんださい、床汚してしばって」

 ドボドボドボドボ……

「あぁ、道林寺さんちょっと、それ大丈夫じゃないかもしれません、多分熱中症っぽいです、すぐに救急車呼ぶんでそこのソファで寝ててもらえますか? 床は気にしないで良いんで。荷物も私運んでおきますから」

「あぅ……ずびばせん……」

 十五分後、道林寺は咲矢間市民病院救急医療センターに搬送された。


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