企業烈士あり
不動産は流通商品にするには非常に多くの法律の制約を受ける物で、都市計画法、建築基準法、登記に取得税等、多岐渡る問題をクリアしなければならない。さらに宅地造成、大規模団地の開発行為(プロジェクト案件)は県や国の認可が必要で、期間も3-5年を要する難物である。アナログ時代の営業は人海戦術と車による機動力、ポケベルを持たされ、農道を時速100㌔で疾走、1日の移動が250㌔もざらであった。担当エリアの不動産業者を絨毯爆撃の訪問セールスし、得意先へは案件打ち合わせや金利の集金、当時は現金、手形、小切手を営業マンが直受けが通例で、金融マンは誠実、勤勉、手抜きは許されませんでした。昔の不動産業界は曲者やその筋の方の兼業も多かった。権利の錯綜や倒産等の債権や物件確保の覇権競争で、占有や強制排除の武力闘争さえありました。時には日本刀や匕首持って事務所に押し掛けて来る輩もいた。しかし、力関係や道理や義理、人情が健全に作用していた時代、反目した中でも、妙な信頼関係があり、詐欺や地面師等の外道な取引は少なかった。
不動産の鑑定、査定方法も取引事例法、収益還元法、再調達原価法等の正規の手法を駆使して厳正に算出していた。最終審査はバックファイナンス先の信託銀行の審査部が決裁すると言うダブルチェックの念の入れ様であった。ℕモーゲージ社のリファイナンスはS信託銀行で、信託銀行で一番厳しく、猛烈と評判であった。S信託の神髄「鬼の企業戦士・狂気の仕事人間」と認識させた事も多かった。ある案件を稟議に掛け、自社の審査部は通過したが、S信託の本店審査部から夕方6時に電話があり、「ある点の詳細を直に説明しに来い」と・・今から?千葉から有楽町に出頭か?心中大憤慨だったが、しぶしぶ8時ごろ有楽町の本店に往訪したら、行内は煌煌と明かりが点り、10人以上が残業中、質疑終了は午後10時を過ぎていた。本店様は毎日この状態だと・・エリートの高給取りでもプライベート時間はゼロ・・小生は「こいつら人間じゃない」と反発したが、真の企業烈士の存在を認識させらた事例です。