文字通り・バブルスター終焉
かつてテレビCMでも一世風靡した沐浴機器メーカーのHヘルス工業、ネットワークビジネスの草分け的企業でもある。H会長とその一族が結束して急成長させた会社であったが、1990年、医療効果が無い事が露呈し薬事法違反で業務停止となった。ネットワークビジネスの手法も叩かれ、急速に業績悪化し資金繰りに窮していた。江戸川区葛西にある本社を担保とする融資要請であったが、返済財源は見いだせない状況にあった。この件の紹介者・神田小川町のSユー不動産のS田社長は業界でも有名な策士で、Hヘルス工業の葛西の本社ビルの転売を画策、融資は拘束要件のワンポイントとして利用、その他の薬事法違反やねずみ講の返金問題の件も、企業買収や疑獄事件弁護でも有名な紀尾井町TBRのK井弁護士を紹介して、丸抱えの整理を目論んでいた。Hヘルス社サイドはまったく疑心なく善意の救済と信じていて、私的には欺瞞を感じていた。S田社長は当グループの総帥・S藤会長と旧知の友で昵懇の仲、S藤会長よりトップダウンで全面協力の指示がでていた。最終的には、当時ディスカウントストアの新興勢力・Dホーテ社の本社用地として売却された。1991年、この案件を最後に融資現場担当を離れる事となったが、87-90年迄、多岐多種の事案に参画し、何十年分の経験則を学んだ様な気がする。他にも静岡のH原代議士の富士山大沢崩れの裾野50万坪やM本建設の債務保証で糸魚川のスキー場、後日汚職事件となる、元北海道開発長官・A氏のホワイトドーム構想と鉄骨加工メーカー・K和や奈良のOカントリークラブ開発資金証明の見せ金等、不透明な投機的案件も多数取扱った。実行行為者の小生自身は、経済原則を無視した地価上昇や債務保証を返済財源とする不可解な案件に数十億の資金が動く事に懐疑的であったが、世間のムードは行け行け、会社は成果主義でノルマは必達する物と意識付けられていたので、狂喜の世界に埋没するしかなかった。




