最後の地上げ
都心部不動産の主戦場は再開発名目の地上げである。そもそも「地上げ」とは、大規模な開発に伴い一団の田畑や山林を多数の地権者を個別訪問して買収交渉していく行為を挿すが、バブル期には一部の無頼漢が、強要、脅迫で強引に売却させるやくざ的手法を使ったので、「地上げ」=悪のイメージが創られてしまった。今尚、その残骸・痕跡を見かける場所もある。特に、地上げの対象となったのは東京の中心部で千代田区、中央区、港区は坪当たり数千万から数億で取引される場所もあった。小生が担当したのは、港区赤坂4丁目、TBSに隣接する古刹「常玄寺」の移転事案である。この寺は元和二年(1616年)法華宗の寺として開山、350年以上の歴史を誇る由緒ある古刹である。敷地は350坪弱、本堂、庫裡を始め墓地の150基を有していた。そもそもこの移転計画を立案したのは、就職情報誌でも有名なR・コスモス社と渋谷のAと言う不動産仲介会社であった。彼等の目論見は、当時TBS本社も再開発計画(ビッグハット等)があり、隣地を同社に売却する思惑だった様である。移転候補地として横浜市戸塚区舞岡に内定した物件があったが、先行的に移転先を購入する資金が必要であった。歴史はあるが、少ない檀家の寄付やお布施に4台の駐車料収入では30億の移転費用は捻出出来ない。又、本寺の住職と言うのが、代々の世襲では無く、十数年前に本宗家の清水山より派遣された人物で、遊興大好きな生臭坊主であった。R・コスモス社の買収金額が坪当たり3000万=総額102億の内諾が提示されてうたが、具体的に墓地の移転方法等の知識は誰も殆ど解らず、どこの金融機関、ファイナンス会社も経験は無かった。我々も勉強しながら実施計画を立てた。まずは担保となる寺の敷地は境内地と墓地と言う地目に分類されるが、遺骨の入っている墓地は転用出来ないので無価値、全ての墓を改葬して雑種地に地目変更しなければならない。途方もない作業と期間が必要である。宗教法人は文化庁配下の各都道府県単位の私学宗教課が管轄しており、代表役員が住職、責任役員が檀家と言う組織で運営され、境内地、建物や備品等は基本財産となる。財産の変更行為は株式会社の手続きに準ずるが、檀家に周知させる為に境内に変更事項も公示看板を設置しなければならない。墓石・遺骨の移転は一基毎に家族の同意を取る処かえあ始まり、改葬許可を移転先の自治体や保健所に申請して、承認後、遺骨移転、墓石設置と膨大な作業、行程がある。当社のスタンスとしては境内地だけでも30億以上の担保与力があり、移転先の舞岡の土地は市街化調整区域で3000坪でも10億以下で取得可能、地元も誘致に協力的で神奈川県の認可目途も確認できた。R・コスモス社の買付証明を付帯する前提で事業は実施可能と判断した。但し、期間は3年の長期となるので、各事業実施段階毎の分割貸付とした。墓地移転の個別折衝や諸作業は渋谷のA社が業務委託で請負う事となった。開始より半年後、移転先の寺の建設や墓地の造成は順調に推移していたが、代表役員たる住職が遊興で3000万の使途不明金が発覚、事情聴取の為、来社要請したら、仮病で入院し一カ月間音信不通状態に成った。業を煮やして見舞いに託けて病室を強襲、本山の清水山に仔細報告し解任要請すると恫喝・警告をした。噂通りの食えない坊主であった。一年半余りを経過した頃、赤坂の墓地所有者の移転同意書が全て取得できたので、R・コスモス社が先行で境内地を取得する事に成り、当方の債権は無事完済され安堵した。1990年の総量規制以後の大型物件の売却は資金手当てを含め難しい局面に入っていた。結局R・コスモス社の目論見は外れ、TBSは当該地を購入しなかった。数年間、赤坂の常玄寺跡地は更地のまま放置されていたが、平成10年頃にオフィスとスタジオの複合ビルが建てられた。さて今の賃貸料はいったい幾らなんだろうか?坪単価採算は?とクールに思案した。バブルの終焉時は正にババ抜きゲームであった。




