バブル絶頂期・疑獄事件も創出
1988年後半から案件も大型化し担保も証券、債券やゴルフ会員権に拡大、時には絵画さえも預かる様になった。また親会社のD不動産は証券事業部を新設してグループ系列会社をも動員して仕手戦を仕掛ける金満乱脈振りであった。金融機関同士の競争も益々激化し、更なる巨額の資金需要に対応する手法として、一流企業や上場企業が主債務者の要請で各案件に債務保証を一冊入れ、これを与信とする融資スタイルが横行する様になった。最たるものは、後に疑獄事件に発展する「TS急便」の湯河原の案件・150億である。この案件は計画から実施要領の詳細まで監修する事となった。事の始まりは、新宿にあるNケイ開発と言う不動産会社からの話で、湯河原にある山やミカン畑を一大リゾート開発する計画で、地上げ資金から建物まで丸抱えでお願いしたい。別途、債務保証はYS急便が引き受ける。と・・当初は、担保物件の価値や事業母体等を考察すると全く実現性なく、躊躇していた。このNケイ開発のS藤社長と当社のS専務は旧知の中で、実行可能な方策を立案する様に要請が下命された。担保は無価値、当のNケイ開発に資産無いので、TS急便を拠所とする強硬な債務保証内容を作成、要領や工程も策定した。取り敢えず、形式上担保となる山を調査する為、地上げを担当するM田氏なる人物と熱海駅で待ち合わせた。このM田氏は関西のY口組の金庫番K本組の二次団体・K山組の人間であった。当日、熱海駅にベンツとBMWの2台の車が用意されていたが、その一台の運転手が元巨人軍背番号5のY田であったのには驚いた。一日掛けて予定地なる湯河原の山間地45万坪を巡ったが、予想通り、無価値の山林、田畑であった。
ただ上層部には他方面からの圧力が掛かってる様で、裏は政治&闇社会の運用資金でトップダウン銘柄と推察できた。社運が懸る金額でもあり万全を期する為、事の真相と資金使途や詳細を首謀者のNケイ開発のS藤氏に聞く事にした。当時は政治家もフロントとか企業舎弟と呼ばれる経済ヤクザと手を組み、日々、マネーメークに躍起に為っていて蜜月の関係、両方を仲介するのがフィクサー、谷町筋なる人物、企業と言う構図であった。N開発も熱海のI川会の系列で、I川会と関西のY口組は兄弟盃の関係でこの時期、両組織共に株の仕手戦や企業買収を盛んに展開していた。詳細な内訳は断言しなかったが、Nケイ開発のS藤氏によれば、リゾート計画は看板だけで、I川会とY口組の運用資金に100億、仲介者&保証人の自民党の重鎮。K丸先生とTS急便に20億が必要であると・・返済財源は値上がり株の」譲渡益と言う事だが、確実な返済財源や計画は皆無であった。仕手戦を繰り広げて、反復的に売却益出すにも相当な期間が必要、失敗して直ぐに破綻や露見させる訳にも往かない。諸所の条件を熟考し上層部とも協議の結果、当方主導で事業計画と実施要領を作成せよと密命が下った。当方の試案として、期間三年半、諸経費も金利も上乗せし、金利分20億は別段預金で当社管理とする。総額150億の案を策定、進言した。トップ同士の認識は、当グループ会長・S藤氏とTS急便社長のW辺氏が副総理のK丸先生とI川会会長のI井氏に貸しを創ったと言う処だろう。
詳細計画・実施要領は小生と一部のローン担当役員の管理となった。原資はN債銀、M信託、Y信託の各行協調で調達する事となった。小生の直属の上司はY信託から出向しているS口常務であつた。金利分の30億の別段預金の件をY信託の新宿支店で管理する構想を相談した処、母体行には何よりの手みあげで、小躍りする位の喜び様であった。早々、同行の新宿支店長と懇談して快諾を得た。全ての準備は整い、実行前の保証書の記名、捺印を貰いに江東区にあるTS急便本社にW辺社長、S女専務を訪ねた。書面の記名、捺印で当社役員とW辺社長が中座した際にS女専務より「君、この案件は大丈夫かね?」と質問され、一瞬言葉に詰まった。「担保物件だけでは返済は難しいと思われます。」と答え、役員が戻るまで沈黙が続いた。当時、政財界で一番の谷町と言われたTS急便、どこに勝算を見出したのか?未だ小生には理解できない。この案件を期に、それまで単なる悪名高い不良社員が、一部の世界に認知されるDコーポ(J流通が改称)の特務担当と成った。この年、大型案件を担当する部署が増設され2部体制で人員も20名に増員された。年間の融資ノルマは1000億目標を掲げた。Dコーポ社の融資残高が5000億なのに20%のシェアをこのメンバーで?と疑問に感じたが、小生配下の統括グループで500億はクリアできると、根拠は無かったが公言していた。一介の安サラリーマンでは生涯交流等出来ない大物政治家や政商、芸能人等の秘匿案件も多く担当する様になった。
その中でも大物は故T中K栄先生の盟友・東北の政商と言われたF島交通のK/R氏と息子のK・Y氏である。当初の要請では東北新幹線の新白河駅前の一団の土地を担保に50億とのだったが、新幹線止まれど人影無し、・・全く担保余力不足の物件であった。次に提示されたのが、那須Rセンターと付帯するゴルフ場であった、正規の査定ならこれもNG物件だが、当グループの総帥・S藤会長の政治的特段な配慮で融資実行となった。この件は先代の逝去後、F島交通のお家騒動と共に数年間、同社の銀座事務所の番頭・K田常務と対応を協議する事となった。E山会関連では、埼玉のもう一人の盟友・Y古宇産業のY氏や川越のK東建設の女傑?A井専務が忘れえぬ人物である。K東建設のA井専務は同社の創業者・M本氏の片腕として辣腕を振い30年で県指定業者となり官公庁の多くの工事を受注する中堅ゼネコンに育て上げた女傑である。先代M本社長逝去後は、実質ナンバーワンで君臨していた。融資案件では3億の一案件しか取引しなかったが、色々な相談や用向きでしばしば川越を訪問した。盆暮れには、毎年ご丁寧に、川越丸広から贈答品が送られて来て敬服した。その後、小生がDコーポ社を退職して赤坂で金融会社をやっていた平成10年頃、K東建設のお家騒動で株の買い占め資金の要請があった。10年振りに同社のA井専務を訪問したら、認知症を患い、足も不自由になり車椅子であった。小生の事も覚えておらず、老化と栄枯盛衰の残酷さを痛切に感じた。介添いの方に昔の恩義を話したが、残念ながら要望には添えない旨を告げて暇乞いをした。




