酒と薔薇の日々
小生の人世で最大の充実感を満喫したのは1987年から1989年の三年間、小金も出来、職位も主任から課長に昇進、第一線で活躍していた時代である。仕事あ次から次と山の様に来るし、同様に5時以降の付き合いやお誘いも毎日あった。この時のキャッチコピー「24時間戦えますか?」「馬車馬の様に働き、王様の様に遊ぶ」それに「5時から男」と言うフレーズが流行っていて、言葉通りに日々実践していました。英雄色を好むの例え通り、夜遊びや女性関係は男子の金力、権力のバロメーターであると盲信しておりました。30代で金や力があれば、飲む、打つ、買うはに走るには男の性、当然の嗜好形態でしょう。幸か不幸か、勤務先・J流通社は西新宿に所在し、歓楽街の歌舞伎町は目と鼻の先、庭同然に闊歩しておりました。接待、や会合も頻繁、さらに女性との親睦にも忙しく、この黄金期の3年は自宅に帰らず、夜遊び三昧で週に4日は新宿界隈に逗留していました。何も予定が無い日でも6時に会社から1番近いスナックに出勤、お姉ちゃん達と寿司など摘みながら9時までカラオケ練習やって、歌舞伎町に出勤、区役所通りの星座館ビルにあった、馴染みのシアタークラブRMへ・・ここは台湾やフィリピンのバンドや歌手を呼び、毎晩2ステージのショーを披露、70名収容の本格的な大箱のシアタークラブでした。ジルバやチャチャチャ等のダンスも此処で鍛錬しました。ここはステディーな彼女の実姉が経営者で、歌手やダンサーのお姉ちゃん達と11時まで談笑、ラストは彼女がやってるクラブに・・午前1時ぬクローズしてお決まりアフター・・戦闘開始は2時頃からで
朝8時には出社です。実質睡眠時間は2-3時間って処でしょうか?連戦続きでは目の周りいつもクマが出来てました。
覇権・縄張りもどんどん拡大、昔の一流盛り場は銀座、赤坂、六本木と言われ、この界隈にも馴染みの店を作り、愛飲のヘネシーVSOPを入れていた。懇意のT地所の本拠地・横浜館内地区にも・・様々な方面、業種、色んな階層の方々と会合を持つので、営業のアイテムとしても馴染みの料理屋、レストラン、ホテルやクラブ等を揃えて置く事は必須事項でした。高額な不動産を扱うのですからリッチな雰囲気も演出する事は当然だと考えていました。我々のサラリーマン時代は上司からのアフター5の誘いは全て奢りです。部長以上の重役は接待費でつけは会社に回していましたが、課長の小生クラスは、部下の面倒は全て自腹でした。主任、係長時代でも10人位の部下を持っていたので、飲み食いは上司奢り当然の間隔、週一の焼き肉屋はいつも4-5万払っていた様な気がします。女子社員のご機嫌取りでも、食事、カラオケは定番たまに毛色変えて、大井競馬ナイター・ツィンクルレース観戦にも連れていきました。社内でも確固たる地位と影響力を持つ事も様々な活動に重要で、必要経費と考えていました。諸々含めると月に100万超える時もあり、安サラリーマンがサイドビジネスの稼ぎ入れても、よく捻出していたと思います。遊びもそこそこ極めると、その世界でも名が売れてきます。歌舞伎町に星座館と言うソシアルビルが今もありますが、ここが根城で、台湾人租界ではAPU先生(名字の台湾語読み)で通っていました。ある日、社内のY田が相談にやって来ました。話は星座館のデートクラブH店で女を買ってホテル迄行ったが、行為に及ばず金だけ取られた。何とかならないか?と内心間抜けな話だと失笑したが、ホテル代含めて一回7万はサラリーマンには大打撃・・貸しを作っとくのも今後、何かの役に立つかと考え、H店のママに即電話して事実確認、デートクラブでも信用第一、美人局はご法度です。後日、店から全額返金されましたが、街金ルール獲り半で当人には半額返金しました。しかし、社内でも夜の業績や縄張りが周知されていたのは、当の本人も驚愕、小生達グループの渾名は社内愚連隊と称されていた様です。当時の接待も破天荒、夏のゴルフは、空路で青森・弘前で2泊3日、顎足付にホステス同伴ゴルフ、夜もクラブ活動と+αってパターンでした。近場のゴルフ接待でも、2キャディー、運転手控室のある様な名門ゴルフ場ばかり、おみあげ付が当然でした。夜接待では、懐石やフレンチ、イタリアンにクラブ活動は至極当然の並コースです。ワンランク上のお座敷遊びは桁がちと違います。小生のデビューは・・綾瀬の地主・I山氏とS見氏の招待でした。I山氏は北綾瀬の旧家で自宅300坪に近所に病院借地として100坪程所有していました。既存の信金の借入金返済と増額で30億の融資案件を実行しましたが、一部はY口組系のS梅組に転貸資金と為っていました。関西のS梅組の東京本部長で若頭のS見氏とI山氏は小生とほぼ同級で気心が知れた中でした。ある夕方、「競馬で勝ったから飲みに行こう」とTELがあり、代々木のS見氏の事務所で待ち合わせ、車で向島に向かいました。着いた先は料亭でも大店のT代田であった。夜遊びもそこそこ修行してきたつもりでしたが、本格的な花柳界や芸者遊びは初めてでした。I山氏が面室に紙袋から帯3束を取り出したら、帯封にJRAの刻印が、こんなのあるんだぁー!と驚愕しました。さて宴会、S見氏の会社顧問B氏(元M井銀行OB)も交えて4名でスタート、三味線、鳴り物衆6人に芸者が4名で、座敷は30畳程もありました。料亭の座敷と言う場所は、全くの治外法権・無法地帯のラビリンスで何でもありです。始めは食事を品柄芸者の歌踊りを鑑賞していたのですが、興が乗って酩酊してくると大判振る舞いの万札チップが飛び交い、女体盛り、わかめ酒と酒池肉林の狂喜の世界、次部屋にはふとんも敷いて有ります・・先方の奢りでしたが、この3時間で300万は使い過ぎだろう!悪夢を見ていた一夜でした。




