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【詩集】果てしない扉  作者: につき
琥珀の横顔
40/100

建て替えられた病院と父母との夢

父のあまり動かない口に

無理やりに大きなスプーンを入れて

やわらかい粥を食べさせる


面倒くさいからさっさと終ろうや

お互いに照れ臭さかったからそう言って


半身不随になり立ての父に

粥を食わせた


無理にやれば肺炎になってしまうそうだったが

それでもわたしと父はそれが必要だと思った


わたしは初めて父を赤子のように扱い

父はムッとしながらどこか喜んでいた


父はわたしのまだ幼かった長男に

カニの化け物にやられたのだと

ほとんど聞き取れない口調で

繰り返し言った


そうして何か

ノートに書き残したものを読み返しても

文字らしきものは乱れすぎていて

まったく読めるようなものではなかった


一時的に回復した父を車椅子に乗せて

わたしが押して病室から出た


リハビリの始めだと医者は言った




建て替え寸前の病院では

窓の外でずっと工事をしていた


父の状態は次第に悪くなっていった


工事の騒音の中で

人工呼吸器や生命維持のための機械の音だけが

管だらけになって眠る父の気配であった


いくら拭いても

目ヤニが溢れてきた

涙が零れてきた


脂ぎってむくんだ顔と手を拭ってやり

やけにほっそりとした冷たくなっている足を揉んでやる


変わらないように思える父を残し

病院を出て牛丼を食べに行った

貧しい味が旨かった


眠れない夜が幾晩か過ぎて

月が替わるころに

父は心臓だけが動く状態になった


それからは

まるで魂の尾をどこまで細く長く曳けるかに挑戦しているかのように

まるで己の無念を辺りにまき散らしているかのように

心臓は止まりかけては動き出すことを繰り返したが


やはり

ついに命の緒はぷつりと切れてしまった


その時のわたしたちにとって

医者の奇跡の言葉ほど空々しいものはなかった


付き添ったわたしたちにとって

父の努力ほど痛々しいものはなかった




今日見上げるこの病院は

建て替えが完了したようで新しく美しく凛々しく映る

しかし

父の逝った夜の病院はまだ

古く古く体制も変わったばかりで頼りなく工事中だった


運の悪かった父らしい最後かもしれないが

あんなことやそんなことはわたしにとって

消えない傷になって残っている


あの時食わせた粥こそが

わたしの与えた最後の食だったことを思うと


あのリハビリこそが

最初で最後のリハビリだったことを思うと


お互い十分語りあったのではないかと

でも何にも分かりあえないままだったのではないかと


そんな父との思い出の病室はもう形を変えて

誰かの部屋になっていて

何かの病気と闘っているのだろう




わたしの夢に出てくる父には顔がない

声も出さない


あるいは

遠くで見ていたり


あるいは

よく

わたしの代わりに

誰かに

叱られてくれていたりする


わたしはその夢の中では

こどもになっている


そうして

まれに

夢の中で

姿だけの父と

気配だけの母と

こどものわたしが

そろっているような気がすることがある


そこでは

わたしだけが嬉しそうにはしゃぎ

二人は見守っているようだ


目が覚めて

夢の甘さを思いだして

もう一度眠っても

その夢はもう現れない


ただ目覚めた後の虚しさが

父母も寝ていた

この寝室の壁に床に天井に

そしてわたしの枕元に

冷たく静かな沈黙の香りを漂わしているだけだ




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