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詩人の理想
不遜でなく
詩人は
演奏者でなく
指揮者である
芸術とは
共感ではなく
発見
あるいは目覚めであって
その作品に
作者のユニークな
物の見方や
考え方が
あって
読み手が
それにより
何か
透明な崇高さや
卑俗であっても漲る力や
わけのわからないけれども
とてつもないものを
見出したり
気付いたりするならば
その作品は
その読み手にとっての
芸術作品だと
言えるだろう
はたして
そのユニークさによる
読み手の中での変化を
楽器として
読み手の
自分自身のこころを
演奏する
よすがとして
詩人は
詩を書かなければならない
詩によって
こころたちは
弱く
あるいは
強く
一つの曲に向かっていく
その曲は
十分に
演奏者の中で
消化されていなければならない
また
演奏者の熟練によっても
演奏の良しあしは
異なるだろう
だからこそ
詩人は
弛むことなき
研鑽をつみ
こころの指揮者として
言葉を磨かなければならない
わたしがそうであるという訳ではなく、理想としての詩人像としてです。