立ち聞き 1
12
「もう目が覚めたの? 麻酔もロクに効かないなんて、薬に耐性があるってのも考えものね」
「……メグは」
メイファは、ベッドに背を向け水差しの水をグラスに移しながら、
「無事よ。今はお薬入りのココアでぐっすり眠ってるわ。……あなたももう少し休んだほうがいいわね」グラスを差し出す。
「……いやね、睨まないでちょうだい。飲ませたのはただの鎮静剤よ。お嬢ちゃんがヤブキを心配して神経を尖らせてたから、ね。そもそもあなたが無茶しすぎるのが悪いわ」
これであの睡魔の理由が分かった。
勝手に薬なんて、あの女、油断も隙もない!
今まで謂れがなかった反発に折り紙つきの理由がつき、あたしは遠慮なくメイファを心の中で非難した。
ジュンが半身を起こす。
上半身に厚く巻かれた包帯の白さが目を刺し、あたしは軽く唇を噛んだ。
「駄目よ、まだ寝てないと!」
ベッドに押し戻そうとするメイファの手を振り払い、
「手を煩わせたみたいだな」
「大したことはしてないけど。そうね、でも、貸しに付けとくわ。心配させられたもの」
「……どうして、君がここに?」
答えず、メイファは、ジュンが受け取ろうとしないグラスをサイドテーブルに戻した。
時計の秒針が、ぐるりと一周するくらいの沈黙。
根負けしたのか、
「いけない? いくら忙しくてもたまには顔をくらい見せないとね。確かにフェイは妖怪か仙人みたいな爺さんだけど、もう年なんだから、もしかしたらってこともありえるし……」
「ペルソナの幹部は閑職じゃないはずだが」
「……まったく、可愛くない性格ね」
声を低め、まるで誘惑してでもいるかのような表情を浮かべる。
「気づいてるんでしょ、仕事を依頼したのは私、よ」
ジュンは黙ってメイファを見つめたまま応えない。
メイファは観念したのか、
「…ボスがまた悪いクセ出しちゃってね、いつもの尻拭い。統率力も人望もないくせに、権力欲と野望だけが肥大してるんだからたまらないわよ。あんなに内部で食い合ったら“昏い夢”自体が危ういのに、わかっちゃいないわ。お守りも大変よ」
分からない言葉の羅列に戸惑う。
たくさんの、ジュンの過去につながる情報。
あとから、渋るフェイに頼み込んで教えてもらった話によると、“昏い夢”とは華僑を母体とした巨大な組織の一部で、主にその組織のダークサイドを担当しているらしい。
実社会には決して現れない顔、影の存在である“昏い夢”は、一枚板の組織ではなく、数人で構成された幹部グループの下に、シャドウ、ペルソナ…と、ユングの6つのアーキタイプ(元型)の名を冠する組織があり、それぞれに統括するボスがいる。
実際の仕事をするのはその小組織で、組織同志で食い合うために互いの力は常に均衡している。
…そして、メイファは、アダチという人物をトップとする組織、ペルソナの幹部なのだ。
「……」
「依頼主がわかってたら、請けなかったって顔ね。確かに、私だってヤブキの立場は知ってるわ。でも、仕方なかったのよ」
メイファは芝居がかった動作で肩をすくめ、
「今回ボスがちょっかいを出したのはアニマだったから、トップの張をまるめ込んでなんとか穏便にすんだわ。
けれど、張も食えない相手でね、交換条件としてアニムスの幹部、チキンレックスを片付けるはめになったの。
レックスは憶病者だけど戦略に詳しいから、アニマもだいぶ煮え湯を飲まされてたみたいよ。ここでぺルソナの構成員をあからさまに動かせばまたもめるでしょ。仕方ないから私が単独で動こうとしたときに、ヤブキのことを聞いて、利用させてもらったの」
かすかに眉を上げ、思い出したように後を続ける。
「そうそう。カールを責めないでやってちょうだい。私がファニィ・ボーイに無理やり頼みこんだんだから。
可愛い僕ちゃんが『バレたら、ヤブキが仕事を請けてくれなくなる』って言うのをなだめすかしてね。
今、ヤブキはフェイかカールを通じてしか仕事をしないでしょ。フェイが私の頼みを聞くはずないし、直接依頼しても絶対引き受けてもらえない。消去法で考えたら他に方法がなかったんだもの」
「変わらないな」
短いジュンの言葉からはどんな感情も読み取れない。
メイファは悪びれた様子もなく、
「狡猾ってこと? 誉め言葉として受け取っておくわ。」
唇を曲げてあでやかに笑った。
その癖、沈黙を嫌うように、しゃべり続ける。
「だいたいね、あなたが仕事以外に不器用すぎるのよ。騙されるほうが悪いって言うの、何度目かしら。
……首を引っ込めた亀みたいにアジトに籠りっきりのレックスを引っ張り出すために、アニムスのトップのハインツを狙撃するなんてことを、平気でするくせにね。
確かに、自分の組織のトップが負傷したのにアジトに籠ってるわけにはいかないでしょうけど……。でも、幹部を始末するためにトップを狙うなんて、普通考えないわ。しかもハインツは殺さないなんて…!
自殺行為ね。いくつ敵を増やせば気が済むの?
それにその怪我。あなたともあろう者が無様なこと。どうして、すぐに街を出なかったの」
ジュンは淡々と、
「用件があったし、レックスの動きが案外早くて、メグに連絡をつけていなかった」
「悠長ね。キャシーからの伝言を聞いたでしょう」
「伝言?」
「街を出るまでは、工作員が入手した情報を逐一知らせてあなたをフォローする。そういう条件だったでしょ。アニムスが狙撃者の居所をつかんだことや急襲の情報は知らせたはずよ。聞いてこれじゃ……」
ジュンの顔をまじまじと見、
「携帯の伝言、聞いて、ないの?」
携帯?
興味津々で耳を側立てていたあたしは、その一言に撃たれ、心臓が止まりそうになった。
それって、もしかして!