襲撃
「…っ!?」
突然のことに声を失う。
「ジュ…」
「静かに」
ピシリ
乾いた音はあたしの耳にも聞こえた。
再びカーテンが揺れ、枕が殴られたようにへこむ。
くぼみの真ん中に丸い小さな穴。
狙撃されてるっ!
「えぇっ」
状況を把握せぬままあたしは、ジュンにベッドから抱え下ろされた。
ジュンは驚くべき膂力と瞬発力で、ベッドの片側を持ち上げて立て、ドア側に楯を作ると、ショルダーホルスターから抜いたM92で窓を撃った。
初速390m/秒の9ミリルガー弾が、カーテンを引き裂きガラスを砕く。
「……っ」声のない苦鳴。
重いものが地面に叩きつけられるのを聞き、思わず耳をふさぐ。
ジュンは続いて明かりを撃った。
部屋が一気に暗くなる。
外からドスドスと鈍い音がする。
体当たりして、ドアを破ろうとしてる!
茫然としていたあたしは、サイドテーブルに置いていたバッグをジュンから投げ渡され、反射的に受け取った。
「しっかり持ってろ」手榴弾のピンを噛み「いいか、メグ、3で外だ」
ええっ!? 外って!!
反駁は、廊下で響くマシンガンの轟音にかき消された。
ドアが弾け飛ぶ。
「1」
男たちがなだれ込んでくる、そのタイミングを狙って、ジュンはベッド越しに手榴弾を放った。
「2」
鼓膜を叩く凄まじい爆音。
ジュンに強く引っ張られ、部屋中を吹き飛ばす爆発の勢いで倒れかかるベッドの下敷きから間一髪で逃れる。
窓の桟に残ったガラスの破片をM92の銃身でなぎはらい、ジュンは窓枠に足をかけてあたしに手を差し伸べた。
「早く、」
「う、うん」
でも、窓の外を見て、急に怖くなる。
二階ったって、結構高い。飛び降りれば死ぬかもしんない。死ななくても痛い。フリーフォールのスリルどころじゃない。
思わず立ちすくむ。
「メグ!!」
ジュンは左手であたしの腕をつかんで強引に引き寄せ、かばうように左の肩を傾けて身を乗り出すと、あたしの背中越しに右手を伸ばし、吹き飛ばしたドアから侵入してくる男たちを撃った。
飛び交う銃声。
怖がってる場合じゃない。このままじゃ本当に殺されるっ。
あたしはぎゅっとジュンの左肩をつかんだ。
「2」
再カウント。
指がぬるりとしたもので濡れる。
えっ? なに?
腰に回されたジュンの左腕に力がこもる。
疑問はスリーカウントにかき消される。
「3」
一気に空に飛び出す。
風を切る音と風圧を体感しながら、命綱なしのバンジージャンプだ。
ジュンが体をひねった。
その次の瞬間に衝撃が来る。
全面的にかばわれていたにもかかわらず、息が止まるほどの衝撃。
アスファルトを転がる。
壁にぶつかって止まった。
ジュンは呻き声もあげずに素早く起き、
「大丈夫か」
差し伸べられた腕に捕まって立ち上がりながら、
「ジュンは」
次々に灯されるビルの明かりに照らされたポーカーフェイスを見つめる。
ジュンはただ小さく頷き、
「あっちだ」
駐車場とは反対を示した。
「ジープは使えない。あそこは囲まれてるはずだ」
「わかった」
これだけの騒動をようやく聞きつけたのか、近づいてくるサイレンの音を聞きながら、あたしたちはダウンタウンの路地を走り出した。
06
何ブロックも行かないうちに、先を走っていたジュンがよろけた。
「ジュン?!」
駆け寄る。
「平気だ」
「うそっ」
だってうずくまったジュンの顔色は蒼を通り越して紙に近いほど白い。
「怪我を……」
その言葉を声に出して、ひやりとした。
肩にしがみついたときに、ぬるりとした液体で手が濡れたのを思い出したのだ。
強引にジュンの黒褐色のジャケットをめくる。
血っ!
今まで気付かなかった自分を殴りたいくらいの大出血だ。
左肩から胸はぐっしょりと濡れ、血の気を失った左腕を伝って指先まで真っ赤に染まっている。
その痛みや消耗を思って、あたしは思わず怒りを覚えた。
我慢するったって程があるっ!
それがどうしてなのかはわかってる。
だけど、いくら逃げるためだって、止血もせずに走り回っていたら死んでしまう。
そのくらいわかってるはずだ。
ジュンは本物のバカだ。
あたしは羽織っていたシャツを脱ぎ、歯を立てて袖を引き千切った。
「バカっ」
言いながら傷口をきつく縛る。
腹が立ってたまらなかった。
「すまん」
珍しく素直に謝ると思ったら、ジュンの視線はあたしの背後に向けられている。
つられて振り向けば、滴ったジュンの血がアスファルトに点々と朱痕を残していた。
わかってない!
あたしはそんなことに怒ってるんじゃない。
「俺がここで時間を稼ぐ。お前は逃げるんだ」
「やだっ」
頭が良くても、強くても、ジュンはバカだ。
言うことなんか聞くもんか。
あたしは怒りに任せ、強引にジュンを背負った。
「無理だ、メグ」
「怪我人は黙れ」
いくらやせっぽっちに見えても大の男、おまけにジュンの身体は筋肉質で見かけよりもずっと重い。
さすがに背負うのは無理で、肩を貸す体勢に変えて、ジュンを引っ張るようにして歩き出す。
急がなきゃ。追っ手だって遊んじゃいない。
そう思うけど、焦躁に駆られるほど手足が思い通りに動かない。
もどかしくて涙が出そうだ。
ジュンが全く動けないほど衰弱しているわけじゃないのがせめてもの救いだ。
路地裏の薄汚いカフェバーの裏口にある、比較的大きなダストボックスの陰に辿り着いたときには、息が上がり、心臓がはね回っていた。
物陰にジュンを押し込んで、守るように、縋るように、半ば凭れ掛かって荒い息をつく。
どうにか呼吸が落ち着くのを待って、
「待ってて、医者、捜してくる」
ジュンはかたくなに首を振り、
「だめだ。お前は逃げるんだ」
「いやだっ」
「足手まといがいないほうが、やりやすいんだ」
「なに言ってんの、この怪我で応戦できるわけない。絶対死ぬから。とにかくあいつらをやり過ごして、逃げなきゃ。そして医者に診てもらおう」
死んじゃやだ、ジュン。
「医者はだめだ」
「じゃ、一緒にここで戦う。少なくともジュンよりは動けるよ」
「メグ、お前は…」
「やだってったらやだっ」
滲む涙を振り飛ばすように、激しく首を振る。
「……頼みが、ある。ダンウンタウンの外れにあるアイスクリーム屋のはす向かいに漢方薬の店がある。そこにいるフェイという男にこれを渡してくれ」
淡々と言い、ジュンは懐から出した紙片になにか書き付けて、あたしに差し出した。
血痕の染みついた紙には、あたしには読めない文字が書いてある。
「なに、これ? やだよ。ジュンを置いてなんていけない!」
「応援を呼ぶんだ。」
「応援?」
「ああ。他人に助けを請うのはできる限り避けたいが、時と場合による。このままじゃふたりとも殺されるだろう。フェイは古い馴染みだ。事情があってこの国の華僑に大きな影響力を持ってる。裏世界にも顔が利く。なんとか手を打ってくれるはずだ。」
「ほんと?」
あたしを逃がすためとか、そうじゃなくって…。
「行ってくれ、メグ。……俺の命はお前に預けるから」
言って、ジュンはその真っ黒な瞳に真剣な光をたたえてあたしを見た。