嵐の始まりは一粒の雨
04
きっかけは些細だった。
どんな大嵐でも始まりは一粒の雨だ。
ジュンに約束をすっぽかされたのだ。
映画を見に行く約束をしていたのに、ジュンは見るはずだった回がエンディングを迎えても、姿を現さなかった。
それで、あたしはすっかり頭に血が上ってしまった。……若かったのだ。
誓って言うが、あたしは物分かりが悪いわけじゃない。
必死で掻き口説いてやっと頷かせたジュンが現れなかった。それだけで怒ったんじゃない。
ジュンは約束を守る男だ。
事情があって来られないんだろう……と推測するくらいはできる。
だが、間の悪いことに、ジュンが、脳みその重さ分の肉を胸とお尻にくっつけたに違いないブロンド美人とオフィスビルに消えていくのを、あたしは見てしまった。
カッとしたなんてもんじゃない。
あたしは、齧りかけのホットドックと当て付けに買った映画のパンフレットをアスファルトに叩きつけて回れ右をした。
二年前のあたしは、今よりちょっとだけ分別が足りず、今よりちょっとだけ血の気が多かったから、それがやむを得ない仕事ゆえだとは考えなかった。
相手が、自分では太刀打ちでそうもない“女”だったからかもしれない。
十三歳はまだ子どもなのだ。
部屋に帰ったものの、どうにもむしゃくしゃがおさまらず、色んなものに八つ当たりしているときに、携帯電話が鳴った。
テーブルの上の携帯電話をじっと見る。
街に辿り着いた最初の夜、ジュンはこれを持ってきた。
『携帯電話は逃亡者向きの持ち物じゃない。盗聴が容易な上、肝心なときに緊張と集中をそがれる』と言っていたジュンは、今まで使ったことないそれを持て余しているようにも見えた。
震え続けている電話に手を伸ばす。
あたしが一瞬ためらったのは、それに触るのが、数少ないジュンの禁じたことだったからだ。
「…」
ふんっ! ジュンなんか知るもんか。
『Hello ジュン?』
腹が立つくらいのセクシーボイス。
思わず口いっぱいの苦虫を噛み潰す。
留守番電話だ。
契約してある電話に吹き込まれたメッセージが転送されてきたらしい。
ジュン以外の人間がこの電話を聴くはずがないという確信をもとにしているのか、溶けかけのアイスクリームのように甘ったるい調子で、
『捜したわ、ハニー。お願いがあるの……』
あたしは途中で電話を切った。腹立ち紛れに着信データを消去する。
ジュンのバカッ。
女嫌いのふりしてスケベなんて最悪。
ジュンなんかどっかのヴァンプにケツの毛まで抜かれちゃえ。
携帯電話を放り投げ、あたしはもう一度ダウンタウンに繰り出した。
05
憂さ晴らしをすませて再び部屋に帰ったとき、ジュンはもう戻っていた。
乱暴にバッグを放り投げ、冷蔵庫を開ける。
わざと音を立ててやってるのに、ジュンは顔を上げもしない。
ベッドで銃の手入れを続けている。
むかつくったらない。
冷たいミルクをパックから直接飲む。
そこで、ふと思いついて冷凍庫を開けてみた。
…やっぱり。
ベン&ジェリィズの紙袋が無造作につっこんである。
確かめなくても分かる。カップの中身はスーパー・ファッジ・チャンク。
ガキ扱いしてっと口を尖らせる。
でも、むっとしたのは一瞬で、この仏頂面の日本人が、どんな顔をしてアイスクリームショップに入ったのかや、あたしのお気に入りを思い出そうとしているところを想像したら、なんだか笑ってしまった。
ちぇ、しょうがないな。
おとなしく懐柔されてやることにして、カップとスプーンを握り、あたしはジュンの横に座った。
「少し溶けてる」
「ダウンタウンのはずれにしか、店がなかった」
確かに部屋の近くにはスゥエンセンズとサーティ・ワンしかなかった。
わざわざ好みの店を捜してくれた、と知ってあたしは機嫌を良くし、鼻唄を歌いながら、ドライバー一本で銃を組み立てるジュンの見事な手際を見学した。
あっという間に、ベレッタM92SBが本来の姿に戻る。
イタリア製のこのピストルは、タブルアクションで複列弾倉の自動拳銃だ。威力の割には軽量だし、反射時の反動を押さえやすいバランスのとれた設計になってる。5インチバレルで口径は9ミリ。ジュンは9ミリルガー弾を使ってる。装弾数は15だが薬室に残しておけば16発まで撃てる。軍用向けモデルもあるオートマチックの秀作だ。
もうひとつはライフル。こちらは仕事に使っているらしく、普段はしまいこまれていて、あたしはちらりとしか見たことがない。でも、多分アメリカ製の軍用ライフル、M16A1だと当たりを付けている。御禁制でも軍用でも、金さえ積めば手に入らないものはないのが、裏通りのすごいところだ。5.56ミリ口径で、初速950m/秒を叩き出すこの銃は、小口径で高速弾を使用する軍用ライフルの走りで、軽くて扱いやすく集弾性能が高い。
こんなところでまず間違いはないだろう。
銃はあたしが最近凝っている“悪いこと”のひとつだ。
専門雑誌やなんかで知識を仕入れている。
ミリタリーグッズのお店なんかもいい。あたしくらいの年の女の子が、博識を讃える相槌を適度に打ちながら聞けば、表面上は「ダメだよ、お嬢ちゃん」と言いつつも、みんなおもしろいほど饒舌に語ってくれる。
そうやって知識だけはどんどん増えていっている。
ジュンが身に付けている銃はM92だけだ。これは眠るときもショルダーホルスターにセットしている。護身用としては、銃の他にアーミーナイフが一本とジャケットの中に手榴弾をひとつかふたつ。
あたしには、何度頼んでも何も持たせてくれないけど。
手入れを終え、雑誌をひろげたジュンに、
「あたしも、銃の使い方覚えたい」
「だめだ」
予想通りの、にべもない応え。
「ちぇっ」
舌打ちして、スプーンをカップにつき刺す。
わずかな沈黙。
ジュンがふっと顔を上げた。
風もないのに、カーテンが揺れる。
いきなり、ジュンから、乱暴に抱き寄せられた。