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永遠の旅路  作者: 朔良
流浪の民
2/24

久しぶりのモーテル

01 

『西へ50マイル』

 

 乾いた砂粒の乱打と風雨に晒され腐食の進んだ標識に刻まれた文字を、西日に目を細めながら確認する。

 

「50マイル」

 

 仏頂面でおんぼろジープのハンドルを握るジュンに報告してみた。

 

「ああ」

 

 相変わらず素っ気無い、つまんなそうな返事。

 まぁね、返事があっただけましか。

 鳥類ほどの広い視界、もしくはぼさぼさ頭の中にみっつめの目を持ってるに違いないジュンが、標識に気づかないはずはない。

 でも、言わずにいられなかったのだ。

 だって! 今日中に町に辿り着ける。

 久しぶりにベッドで眠られる。

 シャワーを使える。

 携帯食から解放される。

 

「やったねッ」

 

 思わず、握ったこぶしを空に突き上げる。 

 どんな小さな町だってモーテルくらいあるはずだ。

 それに、カフェか、せめてデリカテッセン。この際、レトルトや缶詰でなきゃなんでも許す。

 Mマークのハンバーガーショップなんてことは言わない。

 

「……久しぶりに、温かいメシが喰えるな」

「うんっ」

 

 うれしくなって、ぼろぼろのカーステレオから流れてくる掠れた70’Sのリズムに合わせ、あたしは鼻唄を歌い始めた。

 


02

 辿り着いたのは、田舎町の大部分が眠りに就いた時刻だった。

 途中でおんぼろジープがぐずったのだ。

 おかげで、温かいご飯を食べ損ねた。

 

「shit!」

「メグ」

「……しつけしたのはジュンでしょ?」

 

 ジュンは無言でジープを深夜営業のドラッグストアに横付けした。

 ポケットから札を数枚つかみだし、無造作にあたしの膝に置く。

 

「ジュンは、なに?」

「コーヒー」

「食べるもんのこと言ってんのっ」

 

 ジュンはただ首を振った。

 ……振ったね、首を。

 ダイエット中のモデルでもあるまいし。口の中につっこんででも食べさせてやるっ。

 

「ふんっだ!」

 

 あたしはばんっと音を立ててジープのドアを閉めると、鼻息も荒く小さな店に乗り込んだ。

 店の中をぐるりと見回した後、片っ端から必要なものをカートに積み上げていく。

 

「おじさん、いくら?」

 

 山盛りになった商品を見て、眠そうに店番をしていたおじさんが目を丸くする。

 

「お嬢ちゃん、本当にそれだけ買うのかい?」

「ええ。あたしのハニーは大食いなの」

 

 あたしは澄まして答え、おじさんに札を差し出した。

 パンパンに詰まった紙袋を抱きかかえ、田舎町の自動ドアですらないドアを足で開ける。

 お行儀なんかしったことじゃない。

 大量の食糧と日用雑貨を補充して内心ほっとしていた。

 根無し草暮らしは楽じゃないのだ。

 もちろん大量に買い込んだ食料のほとんどは保存食の類いだ。

 なんてお利口なあたし。

 鼻唄を歌いながらジープの後ろに荷物を積んでいると、足もとに柔らかいものがまといついてきた。

 野良猫。

 痩せたキジ猫が、しわがれた声で鳴きながら、あたしに擦り寄ってくる。

 

 ……フィッシュフライとツナ。

 

 半瞬迷った末、あたしは傍らに避けておいた紙袋の中からツナサンドを捜し出し、包装紙を破って野良猫に与えた。

 フィッシュフライよりはツナのほうが猫向きな気がする。

 

「じゃあね」

 

 夢中でツナを貪る猫の頭をひと撫でし、あたしはジープに乗り込んだ。

 そのまま、町で一軒だけのモーテルに転がり込む。

 ベッドだ。バスだ。

 そう考えただけで、自然に欠伸と安堵の息が漏れる。 

 実際、今回はインターバルが長すぎた。前の町を出てもう二週間だ。

 野宿も嫌いではないが、続くとさすがにベッドが恋しくなる。

 …ジュンのようにはいかない。

 ストイックなのが日本人の気質なのかジュンの個性なのかはわからないが、生粋のアメリカンであるあたしがジュンみたいになるには、もう少し時間がかかるようだ。

 

「ふわぁぁ。さきにバス使うよ…」

 

 欠伸を噛み殺しながらジュンに断って、先にバスルームの扉を開けた。

 洋服なんかポンポンと脱ぎ散らして、シャワーの下に潜り込み、コックをひねる。

 ぬるく弱い水流。

 上等だ。

 丁寧に埃っぽい髪と身体を洗い流す。

 

 ……十五歳の身体。

 女に近づきつつあるうっすらと丸みを帯びた胸、肉の薄い腰は、まだ成熟したラインとは言えない。

 でも、もう十五だ。

 本当の恋をするのに不足はない。

 …ないはずだ。

 

「………」

 

 あたしに睨まれて、フィッシュフライサンドの包みを破るジュンの姿を思い出して、なぜか涙がでた。

 無精髭の絶えない仏頂面の日本人。

 もう五年も一緒に旅を続けてきた、髭を剃り落とすと驚くほど端正な顔をした、あたしの保護者を思って。

 ……ダメだ。湿っぽくなってきた。

 きゅっと涙腺とシャワーのコックをひねる。

 乱暴に髪を拭い、シャツを引っかけると、あたしはバスを出た。

 

「タッチ」

 

 選手交代よろしくジュンの掌を叩く。

 素肌にシャツだけってのは、かなり狙った行動なんだけど、ジュンの表情には微塵の変化もない。

 その真黒の瞳にはいかなる動揺も浮かばない。 

 

 勝手に唇がとがる。

 つーまんないっ。

 きっと日本の男はみんな不能者に違いない。

 

 入れ替わりにバスへ向かうジュンを横目に、あたしはベッドに転がった。

 寝転んだまま、フィッシュフライサンドの最後の一切れをやっつけ、冷めたフレンチポテトをイミテーションオレンジのジュースで流し込む。

 お腹が満たされたら、眠くなってきた。

 だいぶ疲れてるらしい。

 眠気と戦いながらジュンを待つ。

 程なくジュンは頭にタオルをかぶったままバスから出てきた。

 

 三十三歳の身体。

 年齢不詳の顔立ちと、貧弱にも見える痩せた身体は、短絡的に柔弱で卑屈なステレオタイプの日本人を連想させる。

 でも、痩躯に纏う鍛え抜いた筋肉が、刃物のような瞬発力を秘めているのを、あたしは知ってる。

 ……三十三歳は若い。

 うん。

 たった十八しか違わないんだから、若くて当然だ。

 

 ジュンはあたしには目もくれず、バッグの中を探ってジープのキーを取り出した。

 部屋を出ていきかけて、思い出したようにこちらを見、

 

「遅くなる。先に寝てろ」

「ぶーっ」

 

 親指を下に向けてブーイングするあたしに向かって、肩に引っかけていたタオルを投げる。

 

「カギは閉めとけよ」

 

 いつもの保護者らしいセリフを残して、素っ気なく行ってしまった。

 渋々起きて部屋の内鍵を閉め、ベッドにダイブする。

 軋むスプリング。

 

「……つーまんないっ」

 

 呟くついでに欠伸が漏れる。

 今夜は言われた通りに先に眠ったほうがお利口だ。

 眠気は足もとまで迫っているし、ジュンがああいう顔して出かけた時は、帰りはかなり遅くなる。

 あたしたちがどこにいるのか痕跡を辿られないように、必要な相手に連絡ひとつとるにもかなり煩雑な手続きを踏んでるらしい。

 そうせざるを得ない状況がなにによってもたらされているか、あたしは知らない。

 聞いても教えてはもらえない。

 でも危機だけは現実として背中合わせにある。

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