赤い記憶
19
血に酔う。
累々と横たわる死体を踏み越えて屋敷の中を徘徊しながら、あたしは必死にめまいと戦っていた。
なんだかおかしい。
時々意識が途切れて、暗闇の奥に何かが見えそうになる。
たとえば…。
…血の海に倒れた誰か。
そして…・。
駄目だ!!
ぎゅっと目を閉じて深呼吸をし、ぶんぶんと首を振る。
今はそんな場合じゃない。
ジュンを探すことに集中しなくちゃ。
両手で自分の頬を打って気合を入れる。
「…ん?」
声…が。
人の声が聞こえた気がして、あたしは足を止めた。
目を細め、耳をそばだてる。
……あっちだ。
あたしは気配と足音をひそめ、声のするほうに向かった。
だんだん大きくなってくる、ジュンの声ではない、でも……聞き覚えのある、なぜか懐かしい気持ちにすらなる声。
突き当たりの部屋に明かりが見え、人の気配がする。
「…ってるだろう、私を恨むのはお門違いだ。君がイレイザープロジェクト後、離脱を許さぬペルソナと真相を求めるグレート・マザーに追われていることは聞いた。しかしそれも、突き詰めて考えれば、Rプランを崩壊させた彼女……」
声に混じる聞き覚えのある単語。
きっと、ボスのルキーノってヤツだ。
ビンゴ!!
指を鳴らすのは我慢して片手でガッツポーズをとる。
ルキーノさえ片付ければきっと全部終わる。
ジュンを手伝って早く帰らなくちゃ。
きつく銃把を握りしめ、警戒しながら、小ホールほどの広さがある吹き抜けの広間の様子を窺う。
中には生者がふたり、当然のごとく死体もいくつか。
生者の片方はジュン。
捜しあぐねた痩躯が、ホールの入口近くに立っている。
そして斜め奥でホールドアップしているのが……。
えっ。
頭が真っ白になる。
だって、あれは…。
「つまり、マリアのせいではないか」
パパ?
雷に撃たれたほどの衝撃。
パパだ! あれはパパだ。
ところどころ爛れた皮膚のせいで異様に老けて見え、痩せこけているけど、見間違いようがない。
ジュンと対峙しているあの男はパパだ。
どうして?
愕然として声も出ない。
ただ、疑問符だけが頭の中で駆け巡る。
逞しく優しかったパパ。
幼いあたしを溺愛してくれたパパ。
でも、パパもママも五年前に死んだはずだ。
五年前の暑い夏の夜。
…あまりに不鮮明な、その記憶。
不意に、頭の中のなにかに、みしりと音を立ててひびが入る。
染み出してくるもの。
赤い……。
……・動悸が。
息が苦しくて、あたしは喘ぐように息を吸った。
こめかみが痛む。
瞼の奥で乱舞する記憶の断片。
この、構図。
対峙するシルエット。
足もとに横たわる死体。
指先からは血が滴り落ちている。
…その血。
床に広がる真っ赤な……。
「なぜ、マリアを撃った」
くぐもったジュンの声。
…砕ける。
パリンと薄いガラスが割れるように、記憶を覆っていた膜が砕け散る。
「マリアが私を騙したからだ」
すさまじい勢いで表出する記憶に戸惑うあたしの耳に、パパの声までもが流れ込んでくる。
「あれは頭の良い女だった。“昏い夢”から離れ、安全に子供を産むことを切望していたマリアは、そのためだけにRプランを立案したのだ。
当初は、Rプランの情報をグレート・マザー側に密かにリークし、発動時に失敗を装ってチームごと抹殺、その後の混乱に乗じて、自分の存在も消してしまう計画だった。だが、不測の事態で変更を余儀なくされ、彼女はRプランの決行前に計画のための資金と下準備の小計画を利用して逃亡することにしたのだ。その相棒に選ばれたのが私だ。私は当時彼女に想いを寄せていたし、子供のことも知らなかった、喜んで協力したよ、愚かにも。
…マリアは、変更した計画は不完全と承知していた。ペルソナから追っ手がかかり、いつか始末されると。その上で決行した。だから、相手はだれでもよかったんだ、騙しやすく、逃亡に役立つだけの能力があればね。……手酷い裏切りだ、だから撃った」
「…妄想だ」
「違う。イレイザープロジェクトを遂行するために君が私たちの前に現れたとき、マリア自身がそれを私に告げた。
…もっとも、不安は抱いていたことだ。私に似たところのない黒い瞳の娘を見る度に。
もしかしたら…、マリアが計画を変更したのは、君が突然、Rプランチームに代役として参加したからではないかね」
「頭の中は妄想と邪推だけか。…お前がアダチと、自分の命を引換にマリアを始末する契約をしたのは知ってる」
「当然だ。私は被害者なのだから」
「…よく動く舌だな。時間を引き伸ばして助けを待っても無駄だ」
「よかろう、撃ちたまえ。君が部隊に現れた時の不吉な予感はやはり当たっていたな。…最初から最後まで、君は私とって疫病神で死神だったわけだ」
「詭弁は聞き飽きた」
ジュンが引き金を。
パパをジュンが!!
小さい頃の優しかったパパの記憶。
初めて知る両親の過去。
突然蘇った鮮明な記憶。
そして…聞いてしまった会話。
いろいろなものが頭の中で渦を巻く。
でも……。でも!! パパは優しかった。
小さなあたしを愛してくれていた。
「ダメ!!」
ホールの真ん中に走り出て思わず叫ぶ。
「メグ!?」
ジュンが見せた一瞬の隙をつき、パパは死体の指先にひっかかっていたリボルバーに飛びついた。
「これで、対等だ」
パパはにやりと笑ってコルト・パイソンを構え、ジュンにぴたりと狙いをつけた。
自分のやったことの結果に、思考がついて行かない。
あたし、なにを。
バカは、あたしだ。
一触即発の張り詰めた空気の中、ホールに足を踏み入れたまま、あたしは立ちすくんだ。