焦燥
「ガッデム!」
思いつく限りの呪いの言葉を吐きながら、華奢なテーブルを掴んで壁に叩き付け、ソファをナイフで袈裟掛けにし、観葉植物をひっくり返す。
猫の子みたいに摘み上げられて、ぽいっと放り込まれた豪奢な部屋の中で、あたしは破壊の限りを尽くした。
あたしをこの部屋に放り込んだ連中は、今頃、拘束しておかなかったことを後悔してるに違いない。
徹底した破壊行為の末、何度も家具の残骸を投げつけられた照明が音をあげたところで、あたしはやっと手を止めた。
真っ暗になった部屋の中を慎重に移動し、ドアのすぐ横の壁に寄りかかって、荒い息を落ち着ける。
疲れた…。結構な肉体労働だ。
でも、これくらいやれば十分だろう。
壁の装飾品はみんな引き剥がして仕込まれていた監視カメラを叩き割ったし、盗聴機も見つけた分は偶然のふりをして踏み潰した。
残ってるかもしれないけど、ま、要は見えなければいい。
やつらが、腹いせと言うには激しすぎる破壊行為を、明確な意思に基づくものと気づいたとしても、こうなった以上、部屋の様子を知るには直接ここに来るしかない。
このまま放置されっぱなしにはならないはずだ。
誰かがドアを開けた時がチャンス。
脱走して、とにかくジュンに会わなきゃ。
ドアを開ける人間がジュンであれば何の問題もない。
仏頂面で現れたジュンに、この暴挙を非常識な行為だと叱られるならどんなにいいか。
…本来、そうあってしかるべきだ。
ジュンはあたしの保護者で、あたしたちは拉致されたんじゃなくて招かれてここに来たんだから。
でも、あたしの直感が、そうはならないと声高に叫んでいた。
だったら、自分でジュンの側に行くしかない。
迎えに来てくれないなら、追っかけていくしか。
じゃないと…。
…ジュンを信じないんじゃない。
あの寡黙な日本人は、あたしのためにならないことはしない。
天と地が逆転してもだ。
でも、それがあたしの望みと重なるとは限らない…。
自分より、神様より信じている相手だから、知らないうちに審判を下されるのが怖いのだ。
結論を覆せなくなりそうで。
それに、ジュンは側で見張ってなきゃ、どんな無茶するかわかんない。
あんなバカを放っておいて、すべてが終わるまでここで不安と焦燥に怯えて膝を抱えているなんて真っ平だ。
怒られても、嫌われてもいい、こんなときに聞き分けのいいお利口さんになんかなれるもんか。
保護者がバカなんだから、しょうがないじゃないか!
ドンッ
もどかしくて、もどかしくて、どうしょうもなくて、自分を抑えきれず、ギュッと握った拳を壁に打ち付ける。
……だめだ、落ち着かなきゃ。
何度か大きく息を吸って、昂った感情をなだめる。
考えるのは後からでいい。
あたしは、神経を張り詰めて、外の気配を窺った。
緊張も限界に近づいたころになって、変化が起こった。
誰か、来る。
息を止め、扉が開くのを待つ。
程なく、驚くくらい無造作に扉が開いた。
今だ! っとばかりに、後頭部を狙いすまして手刀を降り下ろす。
「えっ?!」
降り下ろした右手を捕まれ、ぎょっとする。
まるで警戒しているようには見えなかったのに、軽々と止められたっ。
捕まれたままの右手で強引に相手の頭を押さえ込み、みぞおちに膝をたたき込む。
入ったと思った瞬間、あたしは軸足を払われ無様に尻もちをついた。
畜生!!
ふところに手を突っ込みながら、体勢を立て直す。
ぽっと明かりが灯った。
監視係は、周到にもランプを用意してきたらしい。
燃えるような赤毛、グラマラスな体躯がランプの明かりで浮かび上がる。
「うふふ、派手にやったわね」
おもしろがっている口調。
メイファは、あたしのベレッタの銃口がぴたりと眉間に狙いを付けているのを見ても少しも動揺せず、部屋を見回した。
どうしてメイファが、という疑問は胸に留め、あたしは、冷たい美貌を睨んで問うた。
「ジュンはどこ」
「お出かけ中よ」
「行き先は」
「さぁ? 私にはわからない。ビジネスは御破算になったわ」
なのに、あたしをおいて?
「…ここから、出せ」
早くジュンのとこに行かなきゃ。
不安に急き立てられ、いてもたってもいられなくなる。
「無理よ。お嬢ちゃんは大事なゲストだもの。ビジネスが成立しなかった以上、ヤブキの行動を牽制するための人質として利用しようとボスは思ってるみたいだけどね。 ……第一、お嬢ちゃんをここに残したのはヤブキの意思よ? やっぱり足手まといだったんじゃなく…」
あたしは引き金を引いた。
玩具のそれに似た軽い銃声。
カタリ…。
耳から弾かれたイヤリングが床に落ちて音を立てる。
千切れたメイファの赤毛が舞い、ランプの明かりで細い影が踊った。
「次は殺す」
「お嬢ちゃんには、無理よ」
「なんで? 人殺しなんか怖くないよ」
淡々と告げる。
メイファは笑わなかった。
静かな口調で、
「そうかもしれないわね。…でも、今までヤブキと旅していて、これからも一緒にいたいんでしょう?」
あたしはメイファと、射抜く程の鋭さで見詰め合った。
息苦しくなるような沈黙に負け、視線をそらす。
……強がりなんかじゃなかった。本気で殺すつもりだった。
こんなちゃちな銃では、心臓を狙って逸れたら相手に反撃のチャンスを与えることになる。かといって腹を撃っても動けなくなるほどのダメージは与えられない。
その点、頭部なら防弾具の心配もない。この距離なら確実に殺せる。
だから、眉間を狙った。
本気だったからこそ。
殺しも、盗みも、恐喝も。
どんな罪を犯すのも、汚辱にまみれるのも、怖くない。
禁忌なんかない。
ただ…。
黙り込んだあたしを見て、メイファは思案顔で眉を寄せた。
イヤリングがないのを確かめるように耳元に手をやり、乱れた髪を撫でつける。
優雅に身体を折り、胸元から出した紙片の上にランプを置くと、
「悪いようにはしないって言っても、信じられないでしょうけど。今は、待ちなさい」
「……」
「だって、ヤブキのことは信じてるでしょう? お利口にしていてちょうだい」
言われなくても、ジュン以外に信じてるものなんかない。
あたしに反撃の暇を与えず、メイファはするりと姿を消した。