夜明けの光 2
「だって、あたしじゃジュンを助けられないっ。結局、何もできなかった。ただの足手まといだ」
「違う」
「違わないっ。おまけに、怪我してるジュンを引っ張り回して。最悪だね。……あたしがいるからいけないんだ」
「バカなことを言うな…。」
低く抑えた声。
ジュンの声はむしろ穏やかなのに、身体がびくっと震える。
あたしは本気で怒ったジュンを初めて見た。
「だって。……あたしのせいで、ジュンは死ぬって。それなら、あたしが死んだほうがずっといい」
だって、メイファのあまりにも不吉な予言。
ジュンは、まっすぐにあたしを見て、
「お前を守るのは俺の役目だ。だから、死なない、絶対に」
「それを……約束したの? ママと」
「…・・・ああ。そうだ」
「ジュンは、ママの、なに?」
「マリアと俺は……」
声が深く沈み、一瞬言葉が途切れる。
眉根をギュッとよせたこの上もなく苦い表情。
「古い……知り合いだ」
「それだけ? ジュンを裏切ったっていうのはほんと?」
「違う。それは、違う」
「ジュン、あの夜……、三年前のあれはいったいなに?」
あの夜。
その言葉だけでジュンの表情に苦渋が滲む。
また、あたしはジュンを苦しめる。
そう思っても、もう歯止めが利かず、あたしは、ジュンにそれまでためこんでいた疑問を次々にぶつけた。
「新聞には火事で一家三人が全員焼死って以外の情報はなかった。でも、あれはそんなんじゃないよね?」
「パパとママを殺したのはだれ?」
「なんで死因が焼死になってんの?」
「どうして、パパとママは死ななきゃなんなかったわけ?」
時折あたしの夢に訪れる夢魔の見せる過去の断片は、銃声と誰かの足もとに横たわるママ。そして広がっていく真っ赤な血だ。
火事の出てくる幕なんかない。
とすれば、火事は事件を隠蔽するための工作と言うこともありえる。
なんらかの組織の力が働き穏便に処理されたのだと。
現に、死体は絶対に焼死ではなかったはずなのに、あたしが生きているってことは数が足りなかったかはずのに、その後の捜査はされず、記者までも死んでいる。
…あたしはタブーに触れようとしているのかもしれない。
「教えて。…あの夜のことにジュンはどう関わってんの?」
ジュンが今まで、沈黙を守り続けてきたのに、理由がないとは思わない。
両親の死に関わることだ。凄惨で苛酷なものだと推測してる。
でも、あたしは知りたい。
どうしても、知りたい。
「あたしには知る権利があるはずだよ。ふたりの娘なんだから」
「…その通りだ」
「ならっ!」
苦い表情のまま、ジュンは首を振った。
「今は、ダメだ」
「どうして?」
「年が足りない」
「誤魔化すなっ」
もどかしさのあまり叫ぶ。
「そうじゃない。起きたことを正確に理解するのは今のお前にはまだ無理だ。……半端に理解するのは、知らないでいるより苦しい」
なんて……不器用なジュン。
馬鹿な日本人。
三十年以上も生きてるくせに、半端な誠実さよりもひとつの嘘のほうに価値がある場合もあると知らないのだ。
「お前があの時の記憶を無くしているのには、それだけの理由がある。無理に思い出しても、歪みができるだけだ。……お前には、まだ、わからないかもしれないが、忘却は癒しや救済に近いものだ。人は忘れることができる生き物で、それは神の与えた祝福なんだよ」
もしかしたら、それは、ジュンこそが忘れたかった記憶なのかもしれない。
ママのことも、あの夜のことも。
ジュンの淡々とした口調には、隠し切れない苦渋と悔恨が滲んでいる。
「……ママを恨んでないの?」
「なぜ?」
思いもかけない問いに当惑した、いぶかしげな表情。
「厄介ごと押しつけられて、うんざりしてるんじゃないの?」
ホントは、あたしがお荷物じゃないの?
忘れたい過去を眼前に突きつけるあたしという存在が。
「マーガレット」
名前を呼ばれて、体温が一度上がった。
どくんっと、心臓がはねる。
ジュンは今まで見たことがないほどやわらかい笑みを浮かべ、あたしに近づいてきた。
「来ちゃだめだってばっ」
慌てふためいていたあたしは、フェンス越しにジュンに腕をつかまれ、身動きできなくなった。
「もう、いい」
まっすぐにあたしを見つめる瞳。
苦しいほどのリズムで脈打つ鼓動。
破裂しそうなくらい激しく、身体中の血が駆け巡る。
「もう、いいんだ。俺を試す必要はない。……お前のために、俺は生きてる」
「ジュン……」
「おいで、マーガレット」
フェンスを越え、あたしはジュンの胸にしがみついた。
「ごめんね……っ、ごめ……」
あとは言葉にならず泣きじゃくる。
そうだ。
あたしはずっと、ジュンから捨てられることに怯えていた。
言葉すら失っていた半年、理不尽な運命の分までも憎しみを向けた半年を経て、少しずつその為人を知るにつれ、いつしかあたしはジュンに惹かれ、彼を拠り所としていた。
ジュンのいない生活なんか、想像もできないくらいに。
なのに、群れない獣の匂いがするジュンが、あたしと放浪を続ける理由を知らなかった。
いつまで一緒にいられるか、どこまで一緒に行けるのかも。
だって、あたしは記憶を失い、ジュンはなにも言わない。
あの夜の真相よりなにより、ジュンが側にいてくれる根拠が欲しかったのだ。
あたしが怯えていると、いつからジュンは気づいていたのだろう。
ジュンはただ黙って、あたしの背中をなでてくれた。
次々にあふれる涙。
コンクリートに落ちる雨粒のような雫。
安堵の涙には、しかし苦味の一雫が含まれていた。
次回、第二章完結。三章に続きます。