act.003 曲から歌へ
“今日も真夏日になるでしょう。ですが、通り雨にはご注意下さい。”
相も変わらず、テレビの中の人は同じ台詞を繰り返す。
あぁ、きっと今日も暑いんだろうな。
けれども、今はこのうだるような暑さも僕を憂鬱にさせる事はできない。
それくらい、高まる気持ちが胸をいっぱいにしてるんだ。
僕は辻プロデューサーと約束した時間より少し早くCスタジオの前に来ていた。 いつも時間ギリギリの僕にしてみたら考えられない事だ。
はやる気持ちが背中をぐいぐいと後押す感じがする。
僕はスタジオの重い扉をそっと開けた。
“…。それじゃあ、これからも応援ヨロシク!!”
“ここまで聞いてくれたみんな、どうもありがとう。”
“また、逢える時を楽しみにしてるからね。”
“““(せーの)バイバイ☆”””
中へ入ると、複数の人の声がスピーカーから聞えてきた。声優の人達がメッセージ収録をしている様だ。
収録室にはガラスで隔てられた編集室を背にして、5人の声優と思われる人が録音をしていた。
声を聞いた感じではみんな男の人みたいだけど…。
辻プロデューサーが僕に気付いたように、唇に人差し指をあてながら手招いた。
「(待っていたよ、朝倉くん。もうすぐ収録も終わるから、少し待っていてくれないか。)」
「(ありがとうございます。わざわざ、すみません。)」
「(いいんだよ、私が言い出した事なんだから。)」
辻プロデューサーはそう言うと、隣にいたスタッフにOKサインを出すように指示をした。
そして収録のランプが消えるのを待って、側にあったマイクで中に話し掛けた。
「みなさん、お疲れさまでした。これで、キャラソンの収録は終了です。忙しい中、こうして集まってもらって悪かったね。また、次もよろしく。」
辻プロデューサーがそう言うと中から声優達も“お疲れっスー!”“どうもありがとうございました。”などと答えが返ってくる。
「はい、お疲れさま。それでは、解散。あ、そうそう潤くんはそのまま残ってね。」
“はーい。”
辻プロデューサーの声に答えるように1人の声優が片手をあげた。思ったよりハイトーンのソプラノボイス。
次々と中の声優達が帰っていく中、残った人物に目を凝らす。肩に掛かるくらいの髪をワインレッドに染めて、所々に黒のメッシュが入っている。
まだ、背を向けているので顔は見えないけど…以外とちっちゃいな…。
全体的に華奢で腕なんて真っ白で…。あれじゃまるで女の子みたいじゃないか。
え?
ちょっと、待って。
今の声って、一体誰?
まさか、
まさか、まさか。
用意はいいかい?なんて僕に聞いて、曲を流そうとしている辻プロデューサーに恐る恐る振り返る。
そして、彼のクセを思い出した。
「あの、辻プロデューサー。ちょっと質問いいですか?」
「ん、何だい?ちゃんと潤くんには曲を覚えてきてもらってるから、安心してくれていいよ。」
「いえ、そうじゃなくて…。えぇと…いまさらなんですけど…、」
そう言って、ガラス越しに見える人物の背中を見る。
“陽野 潤”の背中を。
「彼って……男の人、ですよね?」
「…?何を言ってるんだい?潤くんは女の子だよ。」
やっぱり。
なんだほら。
そうか、安心した。やっぱり、女の子…?
「そうですか、女の子…って、えぇええぇっッ!?」
「何をおっきな声出してるんだ、朝倉くん。あっ!」
僕の声に驚いた辻プロデューサーの指が、曲のスタートボタンを押した。
部屋の中に僕の曲が流れだす。
忘れてた。
忘れていた、忘れてた。
どうして忘れてたんだろう。辻プロデューサーのクセを。
そう、彼は。他者の指す時に誰彼構わず、“彼”と形容するクセがあるんだ。
それが、男の人だろうと女の人だろうと構いやしない。
なんで、こんな大切な事を忘れてしまってたのだろう。やっぱり、この暑さの所為だろうか…。
うん、そういう事にしておこう。そうだ、全部暑いのが悪い。気付かなかったのは僕の所為じゃない…、たぶん。
軽く目眩がした。
何もしていないのに疲労感に肩がこる。僕ももう、年なんだろうか。
幾度となく聞き返したイントロ部分を、いまだ自己完結していない頭でぼんやりと聞いていた。
その頭の片隅で、陽野 潤の声を捉えた。
“それじゃ、入りますねー!最初は男の子バージョンで歌いますよー?”
曲が、
流れる。
歌詞が、
紡がれる。
声が、
聞こえる。
あの声に乗せて、曲が歌になる。
すうっと、頬を駆け抜ける風のように、然に耳に入ってとけた。
ああ、思った通りだ。
この声が紡ぐ歌詞は僕の中に当たり前のように入っていく。
この前まで起用していたボーカリストの歌い方とは全然印象が違う。
なんて歌唱力なんだろう。
いま僕は。
僕の曲が、歌に変じる瞬間を目の当たりにしているんだ。
“…。歌い終わりましたー!もう一回いきますか、プロデューサー?”
彼女の声に、はっと我に返る。
僕は彼女の歌が終わり声が聞こえるまで、ぼんやりとしていたようだ。
隣にいた辻プロデューサーが僕に尋ねた。
「どうだった、朝倉くん。もう一度歌ってもらうかね?」
「…え…?あぁ、はい!お願いします!」
「そうか。それじゃ今度は普通に歌ってもらおうか。彼本来の声はそれだから。きっと何か感じるはずだよ。」
そう言って、にやりとした笑いをもらす、辻プロデューサー。
再び、曲が流れだす。
先ほどの心地から気が抜けていた僕は、彼の笑みを見過ごしていた。
その笑みの本意を掴むことが出来なかったのだ。
さっき以上の衝撃を受けるなんて。
彼女の本来の声は、キャラの為に作られた声よりもずっとずっと、
僕の心を捉えて放さなかった。
⇒続く