俺を追放した幼なじみが、毎晩こっそり謝罪の練習をしている
「カイン、ごめんなさい。あなたを追放したのは、本当は……」
壁の向こうから、幼なじみの声が聞こえた。
「違う。これじゃ言い訳になる。もう一度」
俺は安宿の硬い寝台で目を開けた。
つい数時間前、冒険者ギルドの酒場で俺を追放した女が、隣の部屋で謝罪の練習をしている。
「カイン。私はあなたを傷つけた。だから……だから、せめて……」
そこで声が震え、途切れた。
しばらくして、すすり泣く音が聞こえてくる。
俺は毛布を頭までかぶった。
聞くつもりはなかった。
この宿の壁が、あまりにも薄すぎるのだ。
それでも耳をふさげなかったのは、昼間のリリアの顔が忘れられなかったからだった。
◇
「カイン。今日限りで、あなたには『紅の隼』を抜けてもらうわ」
昼間の冒険者ギルド。
酒場中の視線が集まる中、赤髪の剣士リリアは言い切った。
「理由を聞いても?」
「戦えないからよ」
答えはあまりにも早かった。
「あなたの技能は、歩いた道を光で示すだけ。地図なら買えるし、荷物ならベルドが持てる。危険な依頼が増えた今、足手まといを連れていく余裕はないの」
周囲の冒険者から失笑が漏れた。
重戦士のベルドは奥歯をかみしめ、神官見習いのミナはうつむいている。
俺の固有技能は『帰路標』。
一度歩き、安全だと認識した場所に淡い光の印を残す。
剣を強くするわけでも、傷を治すわけでもない。
ただ、迷宮の中で帰り道を見失わなくなるだけの技能だ。
「そうか」
俺は腰の革袋から、パーティーの銀章を取り出した。
十二歳のころ、リリアと二人で村を出ようと約束した。
十六歳で同じ日に冒険者になった。
二十歳になった今、俺たちはようやく銀級へ手が届くところまで来ていた。
四年分の重みは、手のひらに載せると驚くほど軽かった。
「今まで世話になった」
銀章を卓上に置く。
リリアの指先が、わずかに動いた。
「待って、カイン」
「まだ何かあるのか?」
「……ないわ」
「なら、これで終わりだ」
俺は踵を返した。
酒場を出る直前、一度だけ振り返った。
リリアは勝ち誇ってなどいなかった。
唇をかみ、今にも泣きそうな顔で卓上の銀章を見つめていた。
だからこそ、腹が立った。
そんな顔をするくらいなら、最初から言わなければいい。
◇
「カイン、ごめんなさい」
壁の向こうで、十二回目の謝罪が始まった。
「あなたを守りたかった、なんて言ったら、きっとまた怒るわよね」
俺は寝返りを打つ。
守りたかった。
聞き捨てならない言葉だった。
「相談もしないで、勝手に決めて。嫌われれば、もう私についてこないと思って……」
椅子がきしんだ。
「卑怯よね。私」
俺は寝台から起き上がり、隣の部屋の前まで歩いた。
扉をたたこうと拳を上げる。
しかし、直前で止めた。
今ここで顔を合わせれば、俺は事情を問い詰めるだろう。
事情を聞けば、きっと許してしまう。
幼なじみという関係に甘えて、傷つけられたことまでなかったことにしてしまう。
それは違う。
明日の朝、落ち着いて話そう。
俺は部屋へ引き返した。
だが翌朝、隣室は空になっていた。
◇
「赤髪のお嬢ちゃんなら、夜明け前に出ていったよ」
宿の女将が、朝食の黒パンを渡しながら言った。
「ほかの二人と一緒だった。あんたは別の依頼なのかい?」
「行き先は?」
「灰喰い坑道だって言ってたね」
俺は黒パンを置き、ギルドへ走った。
受付嬢は俺を見るなり眉を寄せた。
「カインさん。紅の隼を抜けたというのは本当ですか?」
「昨日付けで。それより、灰喰い坑道の依頼について教えてくれ」
「銀脈の調査です。本来は四人以上、案内役必須の依頼なのですが、今朝、依頼主の代理人が条件変更を押し通しました」
「どんな変更だ?」
「案内役を危険手当の対象外にすると」
頭の中で、昨日の光景がつながった。
酒場の隅にいた、上等な外套の男。
俺を見ながら薄く笑っていた、依頼主の代理人。
灰喰い坑道では、数日前から魔力を奪う灰霧が発生している。
俺の帰路標は一度置けば霧の中でも消えにくい。
だが、リリアの身体強化やミナの治癒魔法は、灰霧の中では長くもたない。
新しい条件で俺を連れていけば、報酬の分け前が減る。
そのうえ、何かあっても俺に補償は出ない。
リリアはそれを知った。
そして、俺なら止めてもついてくると知っていた。
だから、嫌われることにした。
「馬鹿か、あいつは」
「坑道入口の監視晶が、先ほど砕けました」
受付嬢が声を落とす。
「内部で崩落が起きた可能性があります。救援隊を編成していますが、出発までには時間が必要です」
「発光杭を六本。濡れ布と、ありったけの解毒水も頼む」
「まさか、一人で向かうつもりですか?」
「一人だから行ける」
「ですが、カインさんは戦闘技能を持っていません」
「分かってる」
俺は受付台に置かれた坑道の地図をつかんだ。
「だから魔物とは戦わない。帰り道だけ、連れて帰る」
◇
灰喰い坑道は、山腹に口を開けた獣のようだった。
奥から灰色の霧が吐き出されている。
俺は濡れ布で口を覆い、岩壁に右手を触れた。
「帰路標、起動」
足元に青白い光がともる。
入口。
最初の分岐。
崩れやすい足場。
外気の通る横穴。
以前の調査で記憶した安全な道が、一本の光となって暗闇へ伸びていった。
だが、三つ目の分岐で光が途切れていた。
崩落によって、地形そのものが変わっている。
俺は地面へ膝をついた。
左には新しい靴跡が三人分。
右からは、わずかに冷たい風が流れている。
まず左だ。
俺は天井の亀裂を避けながら発光杭を打ち、奥へ進んだ。
やがて、金属のぶつかる音が聞こえた。
「リリア!」
返事はない。
代わりに、岩をひっかく音が近づいてきた。
灰爪狼が二頭、霧の中から現れる。
まともに戦えば、俺は十秒ももたない。
俺は発光杭を一本抜き、右側の横穴へ投げ込んだ。
乾いた音を立て、杭が転がる。
灰爪狼たちは光に反応し、そちらへ向きを変えた。
俺は反対側の狭い割れ目へ飛び込んだ。
鎧を着た戦士には通れないほど狭い。
戦えない俺だから、選べる道だった。
腹ばいになって進む。
岩肌で腕をすりむき、服が裂けた。
それでも止まらなかった。
やがて、向こう側から声が聞こえた。
「……カイン」
幼いころ、森で迷った俺を呼んだときと同じ声だった。
「リリア!」
割れ目を抜けた先には、大きな空洞があった。
ベルドが大盾で落石を支えている。
ミナは倒れたリリアに治癒をかけようとしていたが、灰霧に魔力を奪われ、指先すら光っていなかった。
「どうして来た!」
ベルドが怒鳴った。
「それは後だ。リリアは?」
「脚を挟まれてる。俺が盾を外せば、天井が落ちる」
リリアが薄く目を開けた。
「カイン……来ちゃ、だめ……」
「追放されたから、命令を聞く義理はない」
俺は瓦礫を調べた。
正面から持ち上げれば、全体が崩れる。
だが、右奥の岩は割れ目に引っかかっているだけだ。
「ベルド、三つ数えたら盾を半歩だけ右へ動かせ。ミナはリリアを引け」
「おまえは?」
「帰り道を作る」
俺は発光杭を岩の割れ目へ打ち込んだ。
楔の代わりだ。
「一」
リリアが俺を見る。
「二」
ベルドが盾を握り直す。
「三!」
岩が鳴った。
ベルドが盾を動かし、ミナがリリアの腕を引く。
俺は発光杭へ全体重をかけた。
肩が焼けるように痛む。
杭がきしんだ。
「今だ!」
リリアの脚が瓦礫から抜けた。
「走れ!」
俺たちは空洞を飛び出した。
直後、背後で天井が崩れ落ちた。
◇
帰路標の光をたどり、俺たちは坑道の入口を目指した。
リリアはベルドに背負われている。
「カイン」
「しゃべるな。舌をかむぞ」
「でも……」
「謝罪なら昨日、壁越しに十二回聞いた」
ベルドが盛大につまずいた。
ミナが「えっ」と声を上げる。
リリアの顔が、灰霧の中でも分かるほど赤くなった。
「聞いてたの?」
「壁が薄かった」
「うそ……」
「十三回目を始める前には寝た」
「全部じゃない!」
「そこを気にするのか」
思わず笑いそうになった、そのときだった。
坑道全体が大きく揺れた。
前方の帰路標が二つ、土煙の向こうへ消える。
「道が崩れました!」
ミナが叫ぶ。
「ほかの出口はないのか?」
ベルドの問いに、俺は目を閉じた。
帰路標が示せるのは、一度歩いた安全な道だけだ。
だが、帰る場所は入口だけとは限らない。
俺は幼いころ、この山の麓でリリアと遊んだ。
廃坑になる前、鉱夫だった父に連れられ、古い換気道へ入ったことがある。
冷たい風。
岩壁についた三本の傷。
父の大きな手。
隣で笑う、赤髪の少女。
俺は周囲の壁を見回した。
左側の岩壁に、三本の傷が残っている。
「左だ」
「壁だぞ?」
「向こうに古い換気道がある。ベルド、この壁を壊せるか?」
「誰に聞いてやがる!」
ベルドはリリアを降ろし、大盾を構えた。
全身を使った一撃が岩壁へ突き刺さる。
亀裂が走った。
もう一撃。
岩壁が砕け、細い朝の光が差し込んだ。
古い換気道は、まだ生きていた。
俺はその入口へ、新しい帰路標を置いた。
青白い線が、俺たち四人の足元から外の世界へ伸びていく。
「帰るぞ」
誰も逆らわなかった。
◇
坑道を脱出した直後、リリアは地面に座ったまま頭を下げた。
「カイン、ごめんなさい」
練習していた長い言葉は続かなかった。
「あなたを守りたかった。でも、相談しなかった。勝手に弱いと決めつけて、みんなの前で傷つけた」
赤い髪が泥に触れる。
「守るためだったなんて、言い訳にしない。許してとも言わない。ただ、ごめんなさい」
昨日、その言葉が欲しかった。
今すぐ肩をたたき、すべてを水に流せたら楽だった。
けれど、それではまた同じことが起きる。
「俺も一つ謝る」
リリアが顔を上げた。
「昨日、何も聞かずに終わらせた。おまえが何かを隠していると分かっていたのに、傷ついた自分を守るために背を向けた」
「それは、私が悪いだけで……」
「おまえだけの失敗にする気はない。でも、なかったことにする気もない」
俺は泥まみれの銀章を取り出した。
坑道の中で、リリアの荷袋から落ちたものだ。
彼女は捨てずに持っていたらしい。
「戻ってきてなんて、言えない」
「なら言うな」
リリアの肩が落ちる。
「新しく組むなら、条件がある」
「……え?」
「一つ。追放も危険な依頼も、全員で話し合う」
「うん」
「一つ。誰かを守るためでも、本人に嘘をつかない」
「うん」
「一つ。俺を足手まとい扱いした分、今後一か月、荷物持ちはリリア」
ベルドが吹き出した。
ミナは口元を押さえている。
リリアだけが、泣きながら笑った。
「最後の条件だけ重くない?」
「昨日、荷物ならベルドが持てると言ったよな」
「私が持ちます」
「よろしい」
俺は銀章をリリアへ差し出した。
だが、リリアは受け取らなかった。
「カインが持って」
「リーダーはおまえだろ」
「昨日までの紅の隼は解散」
リリアは泥だらけの顔で、まっすぐ俺を見た。
「新しいパーティーでは、帰る道を決める人が章を持つの」
それは責任を押しつける言葉ではなかった。
任せるという言葉だった。
俺は銀章を握った。
「分かった。帰る道は俺が決める」
そして、戻るかどうかも俺が決める。
だから俺は、自分の意思で三人の隣に立った。
◇
三日後。
冒険者ギルドの掲示板に、紅の隼の新しい規約が貼り出された。
一、重要事項は全員で相談する。
二、命を守るための撤退を恥としない。
三、壁の薄い宿では謝罪の練習をしない。
「三つ目、絶対に必要?」
リリアが耳まで赤くして、規約の紙をはがそうとする。
「必要だ」
「必要ですね」
ミナがうなずく。
「最重要項目だな」
ベルドも腕を組んだ。
「みんなしてひどい!」
酒場に笑い声が広がる。
俺は新しい依頼書を卓上に置いた。
難度は低い。
報酬も安い。
それでも、四人全員で話し合って選んだ依頼だ。
「準備は?」
「できてるわ」
リリアは大きな荷袋を背負い、少しよろめいた。
「これ、重すぎない?」
「一か月は荷物持ちだ」
「分かってるけど、半分くらい愛情で軽くならない?」
「ならない」
「即答!」
俺たちは並んでギルドを出た。
前を歩く者も、後ろを守る者も、もう一人では決めない。
朝の道に、四人分の影が伸びる。
その足元へ、帰路標の淡い光がともった。
今度のそれは、逃げ帰るためだけの印ではない。
何度でも、同じ場所へ帰ってくるための約束だった。
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