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グレインの手記
アマリア伯爵令嬢……現アルトヴァイ公爵夫人の元を訪れた理由は他でもない。ポールがどこにいるのかを確認するためだった。
ポールがサンタルチア侯爵家から逃げ出したと報告を受けたのが4年前。……侯爵家からガラの悪い連中がうちに訪ねてきたときは辟易させられた。
それから、ロッセリーニ伯爵家によってポールが拘束されたのは3年前になる。あの後、偶然アマリア様と顔を合わせる機会があり、ポールに関する事柄を聞くことが出来た。
ポールは、とある作家に高額で買い取られたという。ただその作家がどんな人物なのか、そして何をさせられているのかまでは教えてもらえなかった。
私はポールを追い出した時、彼を殴ったことを後悔していた。
あの時は背後で父上が剣を抜きかける気配があり、あのままだと本当にポールが切り殺される可能性があったため、咄嗟に殴ってしまったのだ。
ポールが出て行ってしばらく経ってから、奴が学園で働いていた悪行の噂は、他の貴族や使用人を通して私の耳に入るまでになっていた。
だが、幾ら彼が他の貴族たちから馬鹿にされていようと、私にとっては可愛がってきた弟だ。
確かに狡猾で計算高いところはあるが、私は彼の良いところも知っている。昔から容姿をバカにされ、いじめられることもあった私を、彼は何度も助けてくれた。例え内心では私のことを見下していたとしても、格好つけようとしてやった行動だったとしても、私にとってはヒーローだった。
だから私も今回は、彼を助けると決めた。あの馬鹿を買い戻すためには、アマリア様から作家とやらの住所を直接教えてもらわねばならない。
ちなみに今回アポを取るにあたって、手紙はアレクシス様と交わしていた。貴族の既婚女性と文通をするのは、どんな噂が立つか分かったものではないと思ったからだ。
アマリア様は私の顔を見て、少し驚いておられるようだった。しかし私が何度も頭を下げていると、やがて困ったように笑って「分かりました」と居場所を教えて下さることになった。
***
作家の元を訪れた私はある意味で拍子抜けした。その人物は男爵家の貴族令嬢で、まだ若い女性だったからだ。華奢で、どこか少女の雰囲気さえ感じるほどだ。
もっとおっかない感じの大物が出てくると思っていたので、少し安心した。
まあお茶を配膳してくれたメイドが、ムキムキの男性ばかりだったのは、少々気になったのだが。
「彼らは衛兵も兼ねているのですか」と聞くと「いいえ、彼らは竿や、あ、いや、小説の参考にするためのモデルを兼ねています」と慌てて言い直していた。
私がポールを買い戻したいのだと頭を下げると、彼女は意外なほどあっさり認めてくれた。「もう彼をモデルにした小説は舐め尽くし、あ、いや書き尽くしましたから」という。一体どんな小説を書いていたのかは敢えて聞かなかった。
私のビジネスマンとしての直感が「聞いてはならぬ」と叫んでいた。
久しぶりに再会したポールはすっかり痩せていた。しかしそれより私が驚いたのは目の変化だ。いつでもギラギラと輝いていた彼の目が、まるで憑き物が落ちたように、達観した、聖職者のような目に変わっていた。
態度も全く違った。
馬車に乗って帰る時も、屋敷に到着してからも、全くわがまま一つ言わず、私に対しても、使用人に対しても「ありがとう」と感謝の言葉だけを口にする。
「一体何があったのだ」と聞いた。するとポールは壁に開いた小さい穴を指さした。使用人が急いで荷物を運んでいた際、ぶつかって出来た穴だ。
「例えばここにリンゴがあるとするよね」
「? あ、ああ」
「この穴に入ると思う?」
「いや……不可能だ」
「僕はその不可能を可能にする仕事をさせられていたんだ」
ポールは朗らかに笑った。すごく怖かったのでそれ以上聞かないことにした。
ポールを救出出来た一点は良かったが、このまま子爵家で飼い続けるわけにもいかない。彼の悪評は国中に轟いている。ポールにとっても、ここで生活するのは息苦しいはずだ。
我が貿易会社の海外拠点で仕事を手伝わせるべきか、などと色々思考を巡らせているうち、ポールが思いがけないことを言い出した。
「僕、出家するよ」
ポールの話によると、彼が奴隷生活で苦しい思いをしている時、心の支えになったのが「仏典」と呼ばれるものだったという。作家の家らしく、奴隷のポールでも本だけは自由に読めたらしい。
私はよく知らないが、仏典とは、仏教という東洋の宗教の聖典だそうだ。
仏教は宗教というより哲学的な側面が強く、その教えを実践したからこそ、苦しい奴隷生活に耐えられたのだと力説していた。
私がもう少しゆっくりして行けと言うのも聞かず、一週間後にはわずかな路銀と荷物を持って、屋敷を出て行った。
行動力だけは変わらなかったようだ。
***
数年後、私はポールから送られた手紙を元に、彼が居る寺院を訪ねた。父上には「買い付けに行ってくる」と貿易商らしく、体の良い言い訳をしてきた。
無論、良いものがあれば買い付ける予定だ。
色々と人に尋ねながら辿り着いた建物を見て、私は圧倒された。突如として巨大な木造の建築物が現れたからだ。これほど荘厳な木造建築は見たことが無い。建物の中は薄暗く、その中に金色の像がぼんやりと、神秘的な光を放っている光景には、思わず見とれてしまった。
そしてもっと驚いたのはポールの姿だった。呼びかけに応じて出てきた彼は、頭を綺麗に剃り上げていた。いつも髪のセットだけで1時間を要していた彼が、である。
「仏門に入って修行を続けるうち、いかに自分がやってきた行いが愚かで醜かったか、沢山の人を傷つけてしまったかに気付いた。だから償いたいんだ」
この寺院には弟子が何人かいるが、彼が個人的に管理しているのだという。ポールは寺と併設して孤児院を開き、戦争や病気により、親を失った子供たちの世話をしていた。
そして飢える人たちのためには炊き出しもした。
「それだけの人々を支えようとすると、とんでもないお金が必要だろう」
するとポールはにんまり笑った。
彼はその端正な顔立ちと、キレのある弁舌で布教活動に勤しんでいた。結果、地域の有力者や豪商からも多額の寄付を引っ張れるようになり、こうした活動が持続可能になっているのだという。
まさか彼がこんなところで才を発揮しているとは。ポールがもっと早く、才能を己の野望ではなく、人助けの方向に使っていれば……というのは言っても仕方ないのかもしれないが。
だが兄として、ポールの成功を喜ばしく、そして誇らしく思った。彼は今多くの人に慕われ、ようやく自分の居場所を見つけたのだ。
「あの経験があったから僕は煩悩を捨てられた。だからアマリアには、とても感謝しているよ」
煩悩とは、平たく言えば欲望や執着を指す言葉らしい。
そう考えると以前のポールは煩悩の巨大なボールだったと言わざるを得ない。だが今は本当に謙虚で慈愛があり、宗教者としての人格を持ち合わせているように見える。
……それはそうと、この寺院を回って、一つ違和感を覚えたことがある。
彫像に関することだ。遠くで見た時は気付かなかったが、近くで見るとその違和感は疑いようのないものとなっていた。
何度も言うが、私はこの仏教という宗教をよく知らない。知らないのだが、寺の中の全ての像が、ポールと同じ顔をしているのは、やっぱり奇妙ではないだろうか。
しかも彼の髪がふさふさで、全盛期的に、ビジュが盛り盛りだった頃の顔を象った彫像が、ありとあらゆる場所で金ぴかに輝いているのだ。
これが正当な仏教だとしたら何を教える宗教なのかは非常に気になる。いや、気がかりだ。
そんなことを考えていると、ポールの元に一人の男が、大きな巻物を抱えてやって来た。
「ぽうる様、ご注文の絵が出来上がりました」
ポールは今、法竜と名乗っている。
「どれ、見せてみなさい」
男がその巻物を広げて見せると、蓮の花が咲く中で、半裸のポールが、半笑いを浮かべ、半分宙に浮いた状態で寝そべっている。どういう趣旨の絵なの、これ。
恐らくだが、本来そこに描かれるべき顔は、もっと別の人物なのではないのだろうか。例えば、そう、仏とか……。
絵をじっくり観察していたポールは急に表情を曇らせた。
「もうちょっと鼻高く描けない?」
「リテイクは有料ですよ」
するとポールは、得意げに眉を上げ、言った。
「良いの良いの。お布施ならいっぱいあるんだから」
…………やはり人は変わらないのかも知れない。




