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 アマリアは小さな修道院の礼拝堂に来ていた。規模は小さいが、歴史が古く、市民から親しまれている。

 彼女が座る最前列の足元には、ステンドグラスの光が色鮮やかに差し込んできている。


 アマリアに教会に来るように乞う差出人不明の手紙が届いたのは、半月ほど前、それも実家にだった。


 既に嫁ぎ先に引っ越していた彼女へ家族が郵送してくれたその手紙は、筆跡が乱れ、紙は汚れていた。

 しかし彼女にはおおよそ差出人の目星が付いている。



 後ろから石床を叩く足音が聞こえてきた。どこか足を引きずるようだ。

 やがて自分の目の前に現れた人物を見て、アマリアはいつもそうするように笑った。誰にでも向ける笑顔で。


 髪も髭も伸び、コートは洗いざらしているのか色が薄く、よれている。その人物はどこに出しても恥ずかしくない浮浪者だった。明らかに、この神秘的な雰囲気の場所に相応しくはない。


 3年前の彼からは想像も出来ない姿だ。


「久しぶりだね、アマリア」


 浮浪者風の男は笑った。声にも、笑った顔にも、あの頃の面影があった。


「お久しぶりです、ポール様。手紙の主はあなただったのですね」


 彼はあれからサンタルチア侯爵家に婿入りし、尚且つ学生時代に作ったコネクション使って商売に勤しみ、社交界でもそれなりの地位を築いてるはずだ。

 彼の、本来の計画からすれば。


「それにその格好……何があったのですか?」


 突然、ポールの顔が歪んだかと思うと、跪いた。そのまま上体を倒して土下座の姿勢を取る。

「まあ」

 アマリアは左手で口を覆った。


「頼む、僕と……僕とやり直して貰えないか」

 彼の声は二人しかいない教会でよく響いた。


「都合の良いことを言っているのは分かっている。だけど、僕と一緒になれば君にとってもメリットがあるんだ。例えば……」

「どうして、私とやり直したいと? あなたは侯爵家に婿入りしたはずでしょう」


 アマリアはポールの言葉を遮る。彼女の笑顔とは裏腹に、何の感情も籠っていない声だった。

 ポールは頭を下げたままだったが、やがて顔を上げ、ぽつぽつと語り始めた。




 先ずポールには、勝手に婚約破棄をしたことで課せられた賠償金の支払いがのしかかった。

 賠償金の半分は子爵家で払ったが、「残り半分は、必ずポール本人に払わせる」というのが伯爵家当主グレゴリーの意向だった。

 一方ポールの実家であるヴァルシエ子爵家でも婚約破棄が大問題となり、ほとんど勘当された状態で追い出されたのは、先に触れた通りだ。


 ただそこまではポールも考えていた。最初から何のペナルティもなく婚約破棄できるとは思っていなかった。それでも彼の商才と、学生時代に培ってきたコネクションがあれば容易に挽回できると考えていたのだ。



 しかしサンタルチア侯爵家に婿入りしてからは予想外の事態が続く。

 先ずサンタルチア家が社交界で総スカンを喰らった。それまで仲良くしていた貴族たちが、示し合わせたように茶会に呼んでも来なくなり、夜会でも社交辞令的な挨拶だけ済ませて去って行く。


 それだけではない。サンタルチア家では国に多額の金を貸しており、その利子は侯爵家の重要な財源の一つだった。

 それがある日、唐突に国から借金の「赦免」を宣告された。つまり公的に踏み倒されたのだ。


 他にも王国に融資していた貴族は多くいた。なのにサンタルチア家だけである。嫌がらせであることは明白だった。

 これにより侯爵家の財政は悪化していく。


 それでもポールはまだ自信を失っていなかった。彼は婿入りしてから新しいビジネス……宝石商を始めるため、着々と準備していた。


 鉱山での採掘から販売まで、流通の全てに関わって、良いものだけを提供してブランド力を付ける。

 提供先は、彼が学生時代に培ったコネで開拓した王族や上流貴族たち。

 彼らの間で有名になれば、流通量は増え、とてつもない利益を上げられるというのが、彼の計画だった。


 ポールはイレーネの両親を説得し、仕事を始めるための資金を初期投資して貰った。そして流通の体勢が整い、いざ学生時代に関係のあった貴族たちのところに赴いたのだが……。


 門前払いされた。それも、全ての友人からである。

 意味が分からなかった。

 まるで他人のような、それどころか貴族としてさえ見られていないような、無礼な扱いを受けたのだ。


 ポールは必死になって宝石を売り歩いた。しかし何とか売れたものでさえ、「偽物」という根拠の無い噂が広まった。借金だけが山のように大きくなっていく。



 加えて、妻イレーネとの不和。

 当然と言えば当然だった。人を利用することしか考えていない男と、人のものを取ることしか考えていない女。最初から上手くいく筈がない。

 上手くいかないだけならまだしも、危うく消し炭にされるところだったのだ。



 結局ポールは事業で作った借金を抱えたまま侯爵家から逃走し、子爵家に戻ることも出来ず、元婚約者であるアマリアに泣きついてきたということだ。


「頼む。どうかもう一度、僕にチャンスをくれないか」

「また私を利用するつもりですか?」

 アマリアは笑顔で見下ろす。


「ち、違う! 僕は今になって、本当に愛しているのは君だと気付いただけなんだ!」

「あなたが三年前、最後に私に言った言葉、忘れたわけじゃないですよね?」

「それは……」


 ポールは目を白黒させている。

「『君は良い踏み台だったよ』でしたっけ」

「あ、あれは、あの時だけ、どうかしていただけなんだ」

 いつも饒舌なポールだが、あの言葉を覆すのは難しいようだった。

「でも良いんです。許します」


 アマリアの笑顔を見て、ポールの顔もパッと明るくなる。

「だって私、あなたが浮気していたの、途中から気付いていましたから。あなたが私を利用していた宣言をしていた時の反応も、半分は演技です」


 彼の顔から笑顔が萎む。アマリアは笑顔で続ける。


「それだけではありません。あなたが私を使って、王子たちと仲良くなろうとしていることも。伯爵令嬢と婚約している事で学園で受けられる様々な恩恵を、吸い尽くせるだけ吸い尽くして、体よく私を捨てるつもりだったことも」



 ポールの口が大きく開かれた。


「ど、どうして……」

「最初は浮気の調査をするつもりで、密偵にあなたを調べさせていたんです。そしたら出るわ出るわ。まるで人の醜い部分を抽出したかのような、あなたの人間性が」


 アマリアは長い黒髪を撫でつけて続ける。


「気付いていたのは私だけではありませんよ。執行部のメンバーも全員あなたの本性に気付いていました」

「まさか、君が言ったのか?」


 ポールは眉根を寄せ、疑いの目をアマリアに向けた。


「いいえ、彼らは最初から気付いていました」



 ポールは執行部に出入りし続けていた。

 それが一度や二度なら許されただろう。しかし例え執行部の婚約者だからといって、成績が際立って優秀というわけでもなく、子爵家の令息でしかない生徒が執行部に入り浸っていたら、どう考えても邪魔である。

 加えて上流貴族の彼らは、幼少の頃から人を見る目を養わされている。人選びを誤れば死活問題になるからだ。


 そんな人の悪意に敏感な彼らが、野心丸出しのポールに気付かないわけがなかった。全員、アマリアも含めて、それとなく「もう来るな」と助言していた。それなのに自分の目的に酔っていたポールは全く気付かなかったのだ。


「そうやってあなたは、卒業までコツコツとヘイトを溜め続けていたというわけです。国の中枢をなす貴族の令息、令嬢、そして王族に対して」


 ポールは頭を抱えた。今頃自分の愚かな行動に気付いたのだ。彼がやっていたのはコネづくりではなく、自分を破滅へと導く土台作りだった。


 王子も徐々にポールに対し、関心を持つようになった。勿論良い意味ではない。珍獣を観察するような心持だったようだ。

 だからアマリアに、空気の読めない婚約者のことを色々と尋ねるようになった。

 彼女は正直に話した。ポールがどういう人間性で、何をしようとしているのかについて。


 それは執行部の中で話題となり、噂はトップダウン方式で、彼らが卒業する時には殆どの生徒が知るようなものとなっていた。

 自分が優秀だと信じて疑わない、頭お花畑な彼の耳に入ることはなかったようだが。


 ポールはがっくりと手を付き、項垂れた。



 侯爵家は総スカンを喰らい、自分の商売も上手くいかないわけだ。学校に通っていた令息、令嬢を通して彼らの悪評は国中の貴族に広まっている。

 誰も彼らと関わりたいなどとは思わなかっただろう。



「私はあなたを許したと言いました。それが何故か分かりますか?」


 ゆっくり顔を上げたポールの表情は不審感に満ちていた。


「分からない。どういうことだ?」

「私は最近、アレクシス王子と結婚したのです」


 まるで石になってしまったかのように、ポールは静止した。


「あら、ご存知なかったのですか。といっても彼は王室を出たので、もう王子ではないのですけれど」


 アレクシスは公爵の爵位を得て、王都に近い場所に領地を持っている。



 アレクシスはアマリアからポールの話を聞くたび、彼女に同情した。親切な彼は、同じ執行部メンバーである彼女の力になろうとしてくれた。

 皮肉なことに、アマリアたちの話す機会はポールの話題によって増え、親密度が増していく。そして卒業式の日、あの告白を受けたのだった。



「私も結果的にあなたを利用することになってしまいました。あなたを批難する権利は私にありません。だから、あなたを許したと言ったのです」


 依然として固まっていたポールの表情が、急に怒りに燃えた。サンタルチア侯爵家が急に国への貸付金を反故にされたのも、王子の差し金だったのだと気付いた。

 しかし、それよりも、彼を駆り立たせたものがあった。


「君は、僕を利用したのか?」


 聞いた事のない低い声だった。

 アマリアはため息をつく。彼の中では自分が他人を利用するのは良いが、他人に利用されるのは絶対に我慢出来ないらしい。


 ポールは立ち上がり、詰め寄って来た。両の拳を握っている。


「ああそうそう。私はあなたを許しますけれど……」


 アマリアが手を叩くと、礼拝堂の入口から大量に兵士たちが雪崩れ込んできた。


「動くんじゃねえ!」

「このクソ野郎!」

「お嬢様に指一本でも触れてみろ。貴様の首をへし折るぞ!」



 絶対教会では言ってはならないであろう汚い言葉を大量に吐き捨てながら、兵士たちはポールを無理やり拘束した。


「や、やめろ! 離せ!」

「黙れ!」



 兵士の一人がポールを殴る。乾いた音が礼拝堂に反響した。頭骨に衝撃が届いた音だ。


「止めなさい。神の御前ですよ」


 ようやく兵士たちは落ち着きを取り戻し始めた。アマリアの一言が無ければ、ポールを袋叩きにしていてもおかしくない殺気立ち方をしていた。


「言葉を続けますね。私は許しましたが、私の実家は借金を踏み倒されたままなので、全くあなたを許していません。今からあなたは裁判にかけられます。そしてどんな方法を使ってでも借金は返して貰います」

「そ、そんな! 助けて、助けてくれアマリア!」


 ポールは泣き叫ぶ。身体を振りほどこうともがくが、屈強な兵士たちの前では無意味だった。



「それに、学生時代に僕のやろうとしていることに気付いていたんなら、どうしてその時言ってくれなかったんだ! そうすれば、少なくともこんなことには……!」

「『こんなこと』に、なって欲しかったから、です」


 アマリアは笑った。三年前にも見ていた、いつもの笑顔だった。それがポールにとって一番の恐怖だった。

 彼女は待っていた。ポールが不幸になっていくのを。より深い奈落に落ちていく、この時を。


 いつものように、笑いながら。


 彼の顔は死人のように青ざめていた。自分がとんでもない悪意を向けられ続けていたことを、今更気付いたのだ。



 やがて兵士がポールを連れ去り、教会の中に静寂が満ちた。

 彼の行く末は分からない。

 けれど顔は悪くないので、恐らく金持ちの変態に買われて、死ぬまで調教されることになるのではないだろうか、と、アマリアは神像を眺めながら思った。


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