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「ポール様ぁ、どこですかぁ?」

 それは愛する妻の声。学生時代に真実の愛を誓い合い、運命的な結婚を果たした、イレーネ・サンタルチアの甘い声……の、はずだった。


 しかし今その声を聞くと、心臓がキュッと縮み上がる恐怖に駆られてしまう。ポールは生垣の中に身をひそめていた。

 まるで怯えるネズミのように、近くを通る妻の靴音に神経をとがらせる。


 イレーネと結婚し、サンタルチア侯爵家に婿入りしたポールだったが、彼の人生うまくいかないこと続きだった。

 本来のポールの計画ではビジネスで成功し、侯爵家の資産を更に増やし、妻と共に華々しい生活を送るはずだった。父や兄を見返し「やっぱりお前は凄い奴だ」と手のひらを返させるだけの成功を収めるのだと信じて疑わなかった。



 しかし蓋を開けてみると、この婿入りは地獄の入口だったと言わざるを得ない。彼のやることなすことは何故か全てうまくいかなかった。

 ポールが自信を持っていたビジネスセンスも全く発揮されることはなく、むしろ堅実に負債を積み重ねる結果となった。


 そして気付けばポールは多大な借金を抱えていた。……侯爵家から。


 婿入りして家族になったはずなのだが、ビジネスのために侯爵家から借りた金の利子は、まるで成長期の子供のように、すくすくと育っていった。



 ポールはサンタルチア侯爵家が領地経営の傍らで行っているビジネスを「金融業」としてしか把握していなかった。

 しかし俗世的な言い方をすれば、彼らのやり方は「高利貸し」である。

 現代的な言い方をすれば「闇金」となる。

 取り立てや営業を行う商人が領内各所におり、侯爵家はその胴元となって私服を肥やしていた。


 サンタルチア侯爵家の商売は後に国から取り締まられることになるのだが、ポールが婿入りした時はまだピッチピチの元気な闇金業を営んでいた。


 彼らの特徴は二つ。一つはとてつもない高額な利子。

 そしてもう一つが、傭兵でさえドン引きする程乱暴な取り立てである。



「ポォル様ぁ? 早く出てこないと焼き払いますよー? 今ならミディアムで勘弁してあげますから出ていらっしゃーい」




 イレーネの優し気な声が聞こえる。

 まあまあな焼き加減だ。などと呑気な感想を抱く余裕はどこにもない。優しいのは声だけである。


 生垣の隙間からのぞくと、左右を見回しながら歩くイレーネの掌からは、轟轟と炎が立ち昇っている。



 彼女は炎魔法の使い手。ポールのビジネスが手詰まりだと分かるや否や、逃げ回る彼に躊躇なく炎魔法を叩き込んできた。


 そんなことをすればポールはこんがり焼けてしまいそうだが、侯爵家にとってはそれで良いのである。いつ入らされたのか分からないが、ポールは高額な死亡保険に加入させられており、死ねば借金を帳消しにしてお釣りがくるだけの金が出る。


 だからこそ、躊躇なく焼きに来るし、発砲もしてくるし、猟犬だってけしかけてくる。リアル人狩りである。





 もうどこにも、学園でおしとやかだった頃のイレーネは居ない。彼女は高貴で、思いやりがあり、そして女性としての魅力に満ちていた。

 それが今や冷酷に返済を迫る闇金業者。いや、命まで取ろうとしているのだから闇金より更にえげつない存在である。


 結婚してから女性が豹変するという話は聞いた事があるが、流石に殺戮マシーンになるというのは初耳である。人類史上まれにみる貴重な経験に違いないとポールは思った。



 その時、至近距離で犬がけたたましく吠える声が聞こえた。見つかってしまったのだ。

 ポールは急いで這い出した。


 目の前に、イレーネのスカートが見えた。

「あら、ポール様。こんなところにいらっしゃったのね」

 見上げると、見慣れた妻の顔があった。口では笑っているが、目から上はバッキバキにピキっていらっしゃる。もうちょっと近付いたら「ピキピキパキパキ」音がしそうだ。


「や、やあイレーネ。ちょっとジェームスとかくれんぼをしていてね」

 ジェームスとはイレーネの弟のことだ。まだ5歳で邪気がなく、ポールには懐いていた。

「あら、ジェームスなら今別荘におりますのよ」

「あ、そ、そうなのか。ちなみに、どうして……?」

「危ないからですわ」


 不穏な言葉を言いながら、イレーネは一枚の紙きれをポールの前に突き出した。

「うっ!」

 ポールはのけぞった。それは彼が侯爵家からお金を借りる時に作った借用書だったからだ。

 脇を冷たい汗がつたっている。


 しかし、次にイレーネが言ったのは意外な言葉だった。


「この借用書ですが、もう不要なので燃やそうと思っているのです」

 それを聞いて、さっきまでいつ逃げ出そうかと構えていたポールは、一気に笑顔を取り戻す。

「本当かい?」

 願っても無いことだった。借用書を燃やすということは、借金をチャラにしてもらえるのと同義だ。やはり一度は結婚した仲。情けがあるということなのだろう。



「はい、燃やします。あ・な・た・ご・と」


 眼前に火花が弾けた。

 直後、赤く天に立ち昇る火柱が、やけにスローに見えていた。

 子供の頃、祭りで一度見たことがある。

 上級炎魔法の発動の瞬間だ。



 ポールは持ち前の瞬発力で回れ右すると、手足をちぎれんばかりに振って走った。。


 致死性の熱波が背中に迫ってくる。もしこの熱さを手に感じていたら、確実に脊髄反射が起こるというレベルの熱量だ。

 冷汗は出たそばから蒸発していく。

 ポールは止まらなかった。

 庭園を超え、柵を超え、街を超えて、どこまでも、どこまでも逃げ続けた。







 *****





 ポールは数日後、実家のヴァルシエ子爵家の前に戻って来ていた。「今更どの面下げて帰って来たんだ」と言われそうではあるが、なりふり構っていられる状況ではない。

 遅かれ早かれ、あの闇金業者たちはこの場所に来るだろう。早く借金を返済しなければ、金の玉を筆頭にありとあらゆるタマを取られかねない。



 ポールは改めて子爵家の屋敷を眺めた。やはり侯爵家に比べれば見劣りするが、まあ、悪くない。

 父も兄も、ポールが出て行くときは怒っていたが、流石に三年近く経てば冷静になっているだろう。こんなボロボロの状態の自分を見て、放っておくことはしないはずだ。


 それに自分が子爵家に戻って貿易商の手伝いをすれば、これまでより利益を上げる事だって出来る。自分が作った借金分くらいは直ぐ稼ぎ終えるだろう。この家にとっても良いことだらけ。きっと二人とも喜ぶに違ない。



 ポールはそんな都合の良い妄想を膨らませつつ正門を通ろうとした。

「お待ち下さい」

 突如として衛兵に立ち塞がられる。

 思いがけない行動だった。3年近く経って少し老けたようだが、衛兵の顔はよく知っている。顔見知りだ。

 これまでなら素通りさせてくれていた。

 ポールは引きつった笑いを浮かべた。

「おい、まさか僕の顔を忘れたわけじゃないよな。ポールだ。このヴァルシエ子爵家当主モリスの次男のポールだぞ」


 今度は力づくで通ろうと試みる。しかし体を鍛えている衛兵の圧力に押し戻されてしまった。

「それは分かっております。ただ、そのモリス様に、貴方が来ても決して中に入れぬようにと申しつけられておりまして」

「なっ!」


 ポールは口を開けたまま固まった。完全に予想外の事態に直面し、思考がショートしていた。家に入れなければ借金の肩代わりが頼めない。頼めなければ、再びあの仁義なき借金取りに追われることになる。


「ただ、達成すればポール様を中に入れても良いと、モリス様が仰っていた条件が一つありまして」

「本当かい? で、それは何だ?」


 身を乗り出すポールの前に、衛兵は一枚の紙きれを取り出した。何だか既視感を覚えつつ、その紙を読む。

「うっ! そ、それは……!」


 ポールはまるで十字架をかざされたヴァンパイアのように仰け反った。


 そこには「催告書」と、書いてある。


「これはポール様の婚約破棄によって、ロッセリーニ伯爵家に払うことになった賠償金です。半分はモリス様がお支払いになったようですが、もう半分は……」



 全てを聞き終える前に、ポールは再び逃げ出した。


 自分の計画は完璧なはずだった。それなのに、どうしてこんなことになった。

 どこで間違えた。


 その時、ふと頭の中にアマリアの笑顔が浮かんだ。

 そうだ、大人しく彼女と結婚していれば、こんなことにはならなかった。ポールが借金を抱えてくれば彼女だって怒ったかも知れない。

 だが少なくとも人を消し炭にして保険金のネタにしようなどというアウトローな思考は持ち合わせていないはずだった。


 今度はもしアマリアと結婚していれば、という都合の良い妄想がポールの中で展開されていた。

 健やかに領地経営をして、商売もして、そして疲れて家に帰ったら笑顔のアマリアが待ってくれている。

 そんな幸せの形があったのかも知れない。


 そうだ、今からでも遅くないかもしれない。

 アマリアに会って、直接()りを戻せるよう頼んでみよう。


 ポールの都合の良い妄想は留まるところを知らず、行きついたところがそこだった。





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