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「待ってくれ」
アマリアが校門を通ろうとした時、外から聞き慣れた声がした。一人の男子生徒が、手を振りながら近付いてくる。
月に照らされた雪のような銀髪が揺れている。こぼれる笑みは木漏れ日のように優しい。
それはアマリアにとって、この時間に遭遇する最も意外な人物と言えた。
「アレクシス王子、まだ学校に残っていらっしゃったのですか」
アマリアは深々と会釈した。彼の名前はアレクシス・アルトヴァイ。アマリアと共に今日卒業することになった同級生で、元自治会長でもあり、そしてこの国の第三王子でもある。
すれ違う全ての女子から振り返られ、色めき立たれる程の美貌を持ち、尚且つどんな事態にも物怖じしない強心臓も兼ね備えている。
とはいえ彼の普段の物腰の柔らかさからからは、王族を思わせる威厳、威圧はあまり感じられない。上の二人の王子とは年が離れおり、権力争いから一歩引いた位置にいることも、彼の性格形成に大きく関係しているのかもしれないとアマリアは思った。
実際彼は人と話すのを好み、誰に対してもフランクだ。表面だけを見るとポールと性格が似ているように感じるが、中身は全く違うことをアマリアは知っていた。
「王子はどうしてこんな時間まで?」
「君を待っていたんだ」
何気ない質問にドキリとする答えを返され、アマリアは目をしばたたかせた。
「私を、ですか。どんなご用件でしょう」
王子は頬をかいて、少し照れくさそうにしている。精悍な顔つきの中に、少年っぽい幼さも同居しているようだ。
「大したことではないのだが、君は今日、何だか暗い顔をしていた気がして、心配になってね」
この時間、まだ外は寒い時期だ。それなのに、卒業式が終わってからずっと待ってくれていたということは、それほどアマリアの身を案じてくれていたからに他ならない。
「私なんかを気にして下さってありがとうございます」
アマリアは再び頭を下げた。胸にじんわりと暖かみが広がっていく。ポールにあんなことを言われた後では、ことさらに王子の優しさが沁みた。
「それで……ポールとはどうなった?」
アマリアは自嘲気味に笑った。
「やっぱり婚約破棄、されちゃいました」
王子は腕組みをして、大きなため息をつく。
「やはりか。彼は最後まで何も分かっていなかったな」
アマリアは頷く。
「ええ。こんなことをして、困るのはあっちだというのに。彼は自分を高く見積もり過ぎです」
「それもそうだが、僕が言っているのはそっちじゃない」
王子はゆらゆらと首を振った。彼の言葉の意図が分からず、アマリアは首を傾げた。
「ではどっちでしょう?」
アマリアの目を、王子は真っ直ぐに見据え、言った。
「君ほど優秀で魅力的な女性との婚約を、わざわざ自らどぶに捨てるなて、本当に愚かだと思ったんだ」
直視できないほどの力強い眼差しだった。その大きな翡翠色の瞳にアマリアは貫かれ、思わず目を逸らしてしまう。何故王子は、卒業式の日にこんなことを言うのだろう。
王子はよくアマリアの相談にも乗ってくれていた。どの友達より親身になってくれていたと言って良い。それが彼の優しい性格から来るものだと分かっていても、アマリアはとても頼もしく思わずにいられなかった。信頼していた。
その感情が異性へ寄せる好意でもあることを、今更になってようやく気付く。
しかし彼女の心には、先ほどポールに言われた言葉が思い出される。
「ヘラヘラしているだけの地味女」
針のように鋭い、突き刺すような言葉だった。急に心が萎んでいくように感じる。
「いえ、私なんか、いつも笑っているだけの、地味女ですから……」
「アマリア、俺の顔を見て」
彼の表情はいつにも増して優しかった。甘い、とろけるような笑顔で王子は言った。
「君は一国の王子の言うことを否定するのか?」
アマリアは慌てて手を振った。
「そ、そんなつもりはありません!」
「不敬罪だね」
「お、王子!?」
アマリアは焦った。肌寒いのに額に汗がにじんでくる。これが彼の冗談だと分かっていても、本物の王子から無礼を指摘されるのは心臓に悪い。こんな時に王族権限を発動してくるとは。
「まあ不敬罪というのは冗談だが」
王子はもう一度真面目な顔になった。
「俺は人の笑った顔が一番好きだ。この国の民が、今よりもっと笑える国になれば良いと思っている。その中で俺が一番好きなのは君の笑顔だ。アマリア」
顔が熱い。恐らく真っ赤になっているだろう。
王子の人間性の誠実さは今更疑うまでも無いが、あまりに現実感が無いため、アマリアは現実自体を疑いそうになっていた。
無理もない。つい先ほど婚約者に裏切られた後で、今度は王子から、告白らしき言葉を受けたのだ。
動揺しているアマリアの前で、王子は一度咳払いをした。心なしか、彼の頬も赤いような気がする。
「本当はもっと早く言いたかったんだ。けれどまだ婚約をしている状態の君に、こんなことを言うのは不誠実だと思ったし、混乱させるだけだと思った」
王子の大きな両の手が、包み込むようにアマリアの右手を覆った。
「俺と一緒に、王都に残ってくれないか?」
美しい顔が密着するほど近づいてくる。恥ずかしいはずなのに、そのあまりの美貌に目が離せなかった。
耳に直接聞こえてくるほど、心音が大きくなっているのが分かる。
アマリアは混乱した。今日は様々なことがあり過ぎて、どう反応して良いのか、感情が右往左往しているかのような感覚に陥っていた。
「勿論、直ぐにとは言わない。どちらにせよ、これから君は実家に報告をしなければならないのだろう?」
王子はアマリアが困惑していることを把握したらしい。苦笑して身体を離した。アマリアはここぞとばかりに深く頷く。
「は、はい。私は両親に婚約破棄された経緯を直接伝えなければなりませんから。誘っていただいたこと、とても嬉しく思います。けれど、今すぐに返事は出来なくて……申し訳ありません」
「いや、良いんだ。また手紙でやり取りをしよう。それからポールについてだが」
王子は急に真面目な顔になった。どこか瞳に怒りの色が滲んでいる。
「彼には必ず報いを受けてもらう」
言い終わった王子の顔は、アマリアが見てきたどの彼の顔よりも険しかった。




