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第6話 江戸から来た男

時空災害で江戸時代から迷い込んだ男。そこには、東京の高度な発展とひしめき合う人の渦。彼が見たものは、発展や便利さの恩恵か、それとも現代社会を生きる苦しさか。

ー家の前に変な人が...ー


 トゥルルル…というコールの長さに苛立ちを覚えながら、ようやく『はい、新宿警察署です。』という声に反応する。

「あの!家の前に変な人がいるんです。」

「どの様な?」

「変な恰好でずっと座っているんです。気持ちが悪くて。」

「刃物や、危険物は持っていますか?」

「わかりません。でも、なんか汚い恰好で...」

「申し訳ありませんが、今、東京は大変な状況にありまして、危険性のある通報を優先させていただいております。恐らく、ただ座っているだけなら、今回の災害で家を失ったなどの事情をお持ちではないかと。」

「それだったら、もっと、別の行動をとるでしょう?ずっと怯えたように警戒しながら、同じところに座っているんです。」

「すいません。事件性がなければ、今は対応しかねます。」

「そんな...。」

 と言っているところで、受話器の先ではツーツーという音で遮られた。

 女は思わず受話器を投げつけた。


 テレビでは、東京の被害の様子や相次ぐ事件が放送されている。らちが開かない為、葉子は自ら苦情をいう決心をして家の外に出る。


「あの!」

 と声に反応して、男は飛び上がりそうに驚く。

「へ、へい、なんでございましょう。」

 へんなしゃべり方…、と思いながら、「ここで何をしているんですか?警察を呼びますよ。」と強い言葉で言う。

 呼んでも来ないのだが...。

「け...軽率?」

 ふざけているのか。

「警察よ、警察!あなた言葉分からないの?」

「へ!へい、申し訳ございません。」

 男の大げさな様子に、急に恐怖が込み上げてくる。

「ふざけないで!今大変な状況なのよ!」

 男は、また飛び上がりそうに驚いて、

「た、大変失礼いたしました。」と何度も頭を下げ始める。

 女は嫌気がさし、振り返って去ろうとするが、男はそれでも頭を下げている。


 女はふと我に返ったように再び男を見た。若しかしたら、時空災害で本当に困っているのかもしれない。


 男は、ふと女が自分の前に戻ってきたことに気づいて頭を上げると、今度は女が頭を下げ始める。

「すいませんでした。あなたもきっと困っているのに...私つい興奮して...。」

「と、とんでもございません。私が無礼な態度を。」

 と言って、男は膝をついて頭を下げだした。

「そ、そんな。あなたは何も悪くないのに...。」

 と言って女も膝をついて同じように頭を下げる。

 すると、今度は男は土下座しながら、

「いいえ、私が不届きなことを…。」

 女も反射的に手を着き、お互いが地面に這いつくばる様な土下座合戦を近所の主婦と幼稚園児が不思議そうに眺めながら通り過ぎて行った。



ー江戸から来た男ー


「寛永8年...?」

「へい、恐らく、その“時間の爆発”のごとき事情を察するに、私は違う世に飛ばされたということに...。」

 彼は、困り果てており、悪い人でないことはすぐにわかったため、とりあえず家に上げたのだ。会話をしているうちに過去から飛んできたということもわかった。お腹をすかせているだろうから、ご飯も残り物だが与えると、ありがたそうに食べた。


「ありがとうございます。この御恩は決して忘れません。」

 彼は、再び丁重に頭を下げだす。

「いいえ、このくらいの事は…。」


 梶川葉子は、東京都内に住む32才。現在一人暮らしをしている。過去から来たと思われる男は名前を与平と言った。苗字はないらしい。


「私、その寛永が良く分からないのですけど、総理大臣は誰?」

「草履大事...誰?」

「国の一番偉い人よ。」

「へ、へい。徳川家光公にございます。」

「徳川...!ってことは、...たしか江戸時代?」

「江戸!そうでございます。大江戸にございます。徳川家康公が世を治め、江戸に街を開拓して早30年ほどが経った時世にございます。」

「良く分からないけど、とにかく、とても昔から来たのね。」

 葉子は困り果てた。この場合どうすればよいのか。


 世の中の時空事故の報道はテレビで見ていたが、まさか自分の前に江戸時代の人が現れるとは思わなかった。


 しばらく葉子は色んなところに電話をかけ、ひと段落ついたように与平に話しかける。

「あなたの事を面倒見ていただける人がいるかもしれないの。その方はとても優しい人で、明日にはお会いできるから、今日はここに泊っていってください。」

 以前、企画会社の知り合いに話をしたら、非常に興味をもっているのだ。まずは、役所に話を通す必要はあるが、数日後には、この江戸の男と是非会いたいと言ってくれたのだ。葉子は、この男を親切にする理由があった。葉子はその男性と会うことを少し嬉しく思っているのだ。少しだけ、これをいいチャンスにしたい気持ちがあった。


「ここで...しかしあなた様の様にお若い女性の居所に...。」

 葉子の親切な言葉に、与平は謙遜した態度を示した。

「いいのよ。私、夜は仕事だから。朝に帰って来ます。」

「夜に、お勤め...?」

 すると「まさか...」と与平が身構える。

 二人の間に少し緊張の様な空気が漂う。

「忍びの方でございますか。」


 一瞬間を置いて、葉子はゲラゲラと笑い出し、与平は不思議そうに見ている。

「あなた、私が“くのいち”に見えるの?」

「いえ、夜にお仕事と仰られましたゆえ。見えるかと言えば、立派な“くのいち”は、“くのいち”に見せないのでございますので..わかりませぬ。」

「面白いわね。“くのいち”に見えないから、“くのいち”かもしれないってこと?だったら全員怪しいわね。」

「しかし、夜の暗い中でのお勤めなどと...。」

「この時代は、夜にも仕事をするのよ。夜になっても明るいの。」

「夜が明るい...。」

「ええ、ほら、このスイッチを押せば明かりがつくの。これでここも夜でも明るいわ。」

 はぽかんと口を開けて部屋の照明を見ている。


ー困る役所ー


 都庁の一室では、時空災害の対応に疲れ果て、普段の緊張感から少し解放されたような雰囲気の職員が数名集まっていた。

「中には、太平洋戦争中の人物が確認されています。今から戦場へ向かうところだったと。」

「課長、もっと凄い人が現れました。」


 汚い恰好をした与平が通され、課長は報告書を読み上げる。

「名前は与平。苗字はなしと。歳は推定25才。独身。徳川幕府の江戸開設に伴って上京した一族に生まれる。江戸のはずれの...聞いている限りでは、恐らく浅草のあたりかな?...と思われる一体で農業を営む傍ら、先祖から受け継いだ開拓の技術で河川の灌漑工事を行う事があった、と。」

 報告用紙を下げた先には、ソファの上に俯いて正座する瘦せこけた男がいる。

「なんだ、百姓ですかいな。」

「侍を期待しましたがね。」

「やめなさい、自分のご先祖かもしれんよ。」

 と言って軽い笑いが起きる。


「その...皆さまにご迷惑をおかけしたこと...誠に...かたじけなく...。」

 課長は、彼をなだめる様に言う。

「いやいや、迷惑だなんて。」

 与平は、出されたコーヒーの色に目をしかめている。

「とにかく住民課でまずは手続きを。」

「企画課が方針をださないと私たちは動けない。」

「それにはまず現場の情報が必要だ。それぞれの区役所で判断をしてほしい。」

「ほら、そうやって押し付け合ってたら、徳川幕府に笑われますよ。自分の部署に何ができるかを出し合うことが建設的な会議でしょう?」


 与平は何の話かが分からない。周りがコーヒーを飲んでいる事を確認して自分も口を付けるも、びっくりして舌を出す。

一人の職員が控えめに手を挙げる。

「あの…。」

「どうぞ。」

「たまたま彼を保護した女性が、その知り合いの企業の方が彼に興味をしめしている人がいるらしいのです。恐らく業界の方でしょう。東京はこんな状況で、手も回りませんし、託してもいいのでは?」


ー企画会社の男ー


 大規模な通信障害により、電話ボックスには人の列ができている。時計を気にしながら待つ人を他所に笑いながら会話をする男の姿がある。

「電話ボックスなんて、20年ぶりにつかいました。...ってか、まだあったんですね。」

 30代半ばの男は電話ボックスの中で腹をかかえて笑っている。

「いやー、だって、マトリックスのイメージしかないっすよ。やだなー!僕そんな歳じゃないっすよ。ちょ...やめてくださいよ…。」


ようやく出てきた男は葉子に言う。

「葉子さん、お待たせしました。」

 葉子は与平をつれて企画会社の皆木という男に会っていた。皆木は、江戸時代の服装のままの与平に名刺をさしだす。

「トータルライフアドバイザーの皆木と言います。」

「とーた…?」

「人の人生の幸福のためのお仕事です。」

「ひ、人を幸福に...その様な高貴な技をお持ちで...。」

「あはは、大げさだな。」

 渡された名刺をまじまじと調べる与平を他所に、葉子が付け加える。

「あなたのこちらでのお仕事の面倒を見ていただけるのよ。」

「そ、そんな...見ず知らずの人にご親切に?」

「江戸時代がどうかはわかりませんが、この時代はみんなの助け合いでできているんですよ。」


ー東京見物ー


「こんな異常事態でも、観光バスやってるんですね。」

「まあ、政府の『できるだけ普段通りに』という呼びかけもありますし。通信障害が多いから、こういう業界はむしろ今がチャンスというやつでしょうね。」

「さすが、何にでもお詳しいのね。」

 与平は、屋根なしの観光バスから口をぽかんと開いたまま高層ビルを眺めている。

「なんですかいな?この巨大な石造の数々は…。」

「ビルよ。この中でみんな仕事しているの?」

「へー、しっかし、あんなところまで登るのも一苦労では...。」

「大丈夫、ちゃんと機械が上まで上げてくれるから。」


 あいかわらず口を開けて上を見上げる与平を他所に葉子と皆木は会話進める。

「テレビ局?」

「ええ、その業界の人にはつながりが多いので。この人も、この時代にいるなら仕事が必要でしょう?」

「彼に勤まるかしら。」

「勤まるも何も、江戸から来たってだけで、十分稼げますよ。」


 そして、久しぶりに会ったふたりは、自分たちの話に移った。

「今回、久しぶりに連絡くれて本当に嬉しかったんです。与平さんとの出会いもですけど、お陰で葉子さんとも再会できたし。」

 葉子は少し顔を赤くした。

「そんな、私もう忘れられたかと思ってて...。」

「忙しかったんですよ。本当に。寝る時間さえないし、友人と遊ぶ暇なんてもっての他で。」

「お仕事、大変だったんですね。」

「葉子さんも忙しいのは同じでしょう?」

 葉子は少し言いづらそうに言う。

「私も、今は一人暮らしで時間はあるので。」

 皆木は、少し意外そうな表情をした後、

「では、固定電話の番号をおしえてください。電波障害あるし。」

 と言った。


ー神社ー


 三人は浅草でバスを降りて、観光地を巡っていた。

「ここが浅草でございますか。」

「ええ、あなたのお住まいもきっとこのあたりにあったのでしょうね。」

 男は今までと様子が違う。何かを探している様だった。真剣な様子に、葉子と皆木は顔を見合わせて、しばらく彼を自由にさせることにした。

 すると与平はお目当てのものを見つけた様子だ。

「おお...。ございました。やはり神社というのは時代が変わっても残されるのでございます。その場所にお参りする事が大切でありましょうから。」

「じゃあ、これってあなたのいる時代からこのままなの?」

「いいえ、建物は違っております。神社はもともと建て直す風習がございますので。それでも、同じ神社でございます。」

 与平は、静かに手を合わせている。

 葉子も彼に習って手を合わせる。他の参拝客よりも長く彼は手を合わせていた。

「何をお願いしていたの?」

「へい。みんなが病にかからぬよう。病で困っている人が治るように、でございます。」


 二人が参拝しているとき、皆木は手持無沙汰で周辺をふらふらと歩いている。

「甚内神社...か。」

 皆木にとっては、どこにでもある小さな普通の神社だった。



ー再び宿泊ー


 葉子は、見ず知らずの男を次の日も家に泊めることにした。部屋はいくつかあるうえ、自分の部屋は鍵がかかるし、悪い人でないことも分かっていた。そして、何より企画会社の皆木と会う口実にしたい思いがあるのだ。


「この様な手厚い計らい...誠に申し訳のうございます。」

「いいのよ。別に迷惑ではないし。」

「しかし、ご家族の方は?」

「今は私、ひとりよ。」

「ひとり?」

「ええ、そうよ。」

「なぜ故?出家による修行でございますか?」

「違うわよ。ひとりがそんなに珍しい?」

「へい、ひとりになる理由が思い浮かびませぬゆえ。」

「理由...か。ひとりが楽だからかな。」

「楽?」

「ええ、家族といるより楽だわ。」

 与平は不思議そうな顔をする。葉子はそこでふと考えた。確かに、江戸時代の人から見たら不可解かもしれない。家族は寄り添って生きるのが本来の生物学的常識なのだから。


「確かに、変かもしれないわね。でもこの時代ではあたりまえになっているわ。色んな事がおかしくなってるのかもしれないわね。」

「ご両親はどちらに?」

「母とは疎遠になっているし、父は私が子供の頃、自殺したの。」

「じさつ?」

「ええ、自分で命を絶つこと。」

「切腹にございますか。よほど、重い任務をかかえておられたのでしょう。」

「いいえ、一般人よ。普通の人。あなた達の時代でいうお百姓の家みたいなものよ。」

「百姓は自害はしませぬ。それは、徳川家や武家に使え...。」

「今の時代は、普通の人でも自殺するの。」

「平民の方々でも、それほどの重責を?」

「ええ、みんな色々背負って...辛いのよ。生きているのが。」

「生きることが...?ご飯を美味しゅう感じないということでしょうか?」

「ええ、そうね。ご飯も美味しくないし...。」

「それは、きっと、病でございますな。」

「ええ、病ね。病が蔓延しているわ、東京には。」

「では、多くの方の病が治るようお祈りしなくては。」

「ええ、そうね。みんなの病が治る様にお祈りしなくちゃね。」

 

 葉子はなんとなく会話を変えたくなり、男の荷物に目を向けた。

「この風呂敷の中身はなに?」

「へい、これはつまらぬものでございます。」

 与平があけた風呂敷の中身は、蝋燭とかんざし以外は、束ねた紐や汚れた黒い麻布が詰まっているだけだった。


「着るもの、貸してあげるわ。たまたま元カレのが残ってるから。蝋燭とかんざし以外は捨てちゃっていい?」 

「いえ、これも儀式に使うものでございますので。」

「儀式?」

「先祖より伝わる伝統を重んじております。その為の儀式を行うのです。」

「何のための儀式?」

「ええ、みんなが平穏でいられるようにでございます。」

 葉子にはゴミにしか見えなかったものでも男には重要なものらしかった。



ーテレビ局へー


 数日後、与平は皆木に連れていかれて、テレビのプロダクション事務所を訪れていた。当然、彼はテレビがどういうものなのかを知らない。それでも、新しい時代で生きていく為には仕事が必要であることも理解はしていた。

 テレビは、お笑い芸人を中心とした、バラエティ番組の企画だった。ヌメヌメしたブルーシートの上で、上半身裸になって、上り坂を競争をするというものだ。


 与平が上着を脱いだ状態で現れた時、周囲は思わず息をのむ。女性のアシスタントが「すごい体...」とつぶやいた。ただ細いだけだと思っていた与平の体は腹が割れて、いかにも筋肉の塊という引き締まったものだったのだ。 

「へ、へい。私、川の流れを変える務めをしておりましたもので...。」 

「川?」

「ええ、百姓の傍らで、必要があれば川の流れを変えるための事が、先祖から伝わる私の家の務めでございます。」

 すると歴史に詳しそうなメンバーが補足する様に言う。

「江戸は徳川幕府が開かれる前は広い湿地帯だったらしい。だから、ここを街にするには相当な土木作業が必要だったみたいだ。」

「そもそも、お腹が出てる人が江戸にはいないでしょう。」

 するとお腹が出ている芸人の一人が言う。

「なるほどね。だったら与平さんは、このお腹、はじめて見たかな?」

 すると与平は正直に答える。

「へい、子を身籠っておられるのかと...。」

 この言葉に反応して周りでは笑いが起きる。


 はじめの内は、珍しい反応をする与平を周囲は面白がっていたが、あまりに怯える姿に少しずつ周りも心配になりだしていた。

「ちょっと、難しいかもな。反応が面白いのは面白いけど、嫌がりすぎている。今のところテレビ出演まではちょっとね...。」

 皆木は今回の事をチャンスと思っていたため、少し焦りを感じていた。腰が引けている与平に、少し呆れた様に言う。

「力みすぎだよ。もうちょっと力を抜いて。力むからかえって失敗するんだ。」

「へ、へい...。申し訳ございませぬ。」

 疲れた様子の与平はこの仕事がなんの役にたつのかもわからないまま、謝るばかりだった。



ー宴会ー


 夜には居酒屋でお酒を勧められる。

「私、下戸でございますので。」

「なんだ、面白くないな。」

 皆木は少し不機嫌だった。別のメンバーが気を使って与平に声をかける。

「どうですか。東京は?」

「夜に光が多くて眩しく感じます。」

「あまり楽しいとは思わない?」

「私が慣れていないだけなのか…皆さまも、とても苦労されている様に感じます。」

「へー、江戸の方が大変な暮らしをしてるイメージだけどな。」

「いいね、江戸対現代の幸福論争ってのも面白いかもしれない。」


「江戸では、一家でお仕事をいたします。町人や畑仕事も大変ではございますが、気楽に家業を行いますので。その...東京というのは、何かに追われているような...なぜ、その様に必死に...。」

「そうじゃないと生きていけないからだよ。ご飯食べるだけでは幸福ではないだろ?」

「私は、ご飯をいただければ、それで幸福の様に思えるのですが…。」

「江戸だとそれでも周りが受け入れてくれるだろうけど、今は上を目指さないと、世の中についていけない。ついて行けなかったら、みじめで誰も相手してくれなくなる。だから、常に向上心を持って生きる必要がある。」

「ついて行けない人がいる…。ではその人同士で暮らせば…。」

「そりゃ駄目だよ。みんなが怠けだしたら発展しないからね。怠けて生きようとするのは、現代では許されない。」

「しかし、苦労の為に苦労をするようなものではございませぬか。」

「苦労のうえに喜びがあるんだよ。あなたにはまだ分からないだろうけど。僕が不幸そうに見える?」

「わかりませぬ。しかし、葉子殿は少し無理をしている様に見えます。」

「誰の話?」

と隣にいた女性が割って入る。

「この方を紹介してくれた女性です。ほら、この前話した人。」

「久しぶりに連絡のついたお客さんね。」

「ええ、また今度紹介しますよ。約束ですからね。」

 幸福論の話はいつの間にか終わって、皆木たちの内輪話が盛り上がりだした。



ー葉子の告白ー


 与平が現れて5日ほど経過していたが、葉子の部屋での寝泊りが続いていた。与平は申し訳なさそうにしながら、他に行く場所を決めかねていたのだ。


「長居いたしまして申し訳ございませぬ。他の方々へ少し、恐怖心の様なものがございまして。避難の街があると聞きましたので、そちらに参ろうかと...。」

「そんな。その方が何があるか分からないわよ。だったらまだここの方がマシだわ。」

「もしご迷惑でなければ、もうしばらく置いてはいただけないでしょうか。」

「...そうして。あなた、なんだか心配だもの。」

「ありがとうございます。身の置き所を見つけ次第、すぐに...。」

「いいわよ。私はあんまり気にしないから。お仕事の方はいかが?」

「へい、なんと申し上げればよいか、その...。」

「時代が急に変わったんだから大変よね。遠慮せずに本音を言っていいのよ。」

「その...、何のためのものなのかが私には、理解が...。」

「TVのお仕事だから、理解できないのは当然よね。多分あなたの時代でも、大道芸人とかはいるんじゃない?道端で見世物をして人を喜ばせるの。」

「琵琶法師の様なものでございましょうか?」

「琵琶法師がなんなのかよくわからないけど、人に見てもらって楽しませるものなら、多分近いわね。」

「さようでございますか。私、その様な芸はどうも、今一つ...。それに、東京の方はみなさん、何かに追われている様で…、その…。」

「あなたの感覚はあたっているかも。今の時代はどうかしてしまっているんだわ。きっと。」

「しかし、葉子様の様な方もいらっしゃいます。」

「私?私は確かにあたなに親切にはしているけど…。」

 泊めている理由も実は皆木との関係をつなげたいからであり、褒められるとかえって気持ちが悪かった。

「もし、葉子殿のお手伝いなど、なにか...。」

「私についてきてもいい事なんてないわよ。…もしかして、私をいい人だと思ってる?」

「悪い方だと思う理由はございませぬ。」

「悪いところは見せてないだけよ。東京ではみんな何かを隠しているの。」

「隠し事があることは、悪いとは言えませぬ。誰にでも隠し事はありますゆえ。」


 しばらく沈黙を置いて、自分の正直な話をしようと思った。普段誰にもできない相談も、この人物には話せるような気がしたのだ。

葉子は真剣な表情で言う。

「実は、私ね、自分の子供を傷つけたの。」

「子を…?」

「ええ、それも1回じゃないの。だから今はここにはいない。」

 与平は黙って聞いている。

「酷いでしょ。あなたの時代には、きっとこんな女いないわよね。」

「訳は...?」

「パニックになるの。」

「馬肉に...?」

「パニックよ。気が動転して焦ってしまうの。馬肉にはならないわ。」

「敵勢力か何か…。」

「東京には敵とか味方とかは無いけど、きっと色々ね。将来を悲観してしまうのよ。子供がちゃんと世の中でやっていけるか、それが心配で悪い癖を直そうと必死になったり、でも全然治らなくてイライラしてしまったり、自分もこのままでは辛い未来を想像したり、気づいたら借金ができて、その為に働いて...。」

「穏やかに過ごせませれば…。」

「だって、ちゃんと世間から認められて、ちゃんと稼いで、そうしないとこの世を生きてはいけないの。だから、子供の将来を想像して、不安で頭がいっぱいになっちゃって。」

「食べ物が与えられないのでございますか。」

「食べること以外にこの世界には幸福と不幸があるの。世の中についていけなければ、ご飯を食べていても不幸なのよ。」

 しばらく間をおいて葉子は昔を思い出すように話す。

「私も同じ様な経験をした。そして母を憎んでいたけど、気づいたら私も同じ様な事をしている。今では親と連絡もとらないし、周りの仕事仲間とも表面上は仲良くしてても、心の中では冷たく感じてる。仕事なんて、ただお金をもらうだけ。そして子供には、みじめな自分の様になってほしくなくて、思い通りにいかない事に焦って、気が付いたら傷つけている...。」

 与平はただ黙って耳を傾けていた。

葉子は正直な思いを外にだせて、すこし気持ちが楽になった。

「だからあなたはもっと、心の綺麗な人について行く方がいいわ。」

「あなたの心は美しゅうございます。」

 不意の一言に、葉子は思わず言葉を失う。与平は至って冷静ににこやかに葉子を見ている。葉子は思わず表情を隠すように、与平から顔を背け、少し時間を置いて答える。

「ありがとう。江戸の人ってお世辞が上手なのね。」

 また少し間をおいて、気持ちを整えて葉子は言う。

「あなたこそ、いつも穏やかでいいわね。」

「葉子殿もきっと穏やかになれます。」

「だといいけど。明日は、晩に子供と面会する予定なの。変でしょ?我が子に会うのに私、緊張してしまうの。うまく行かなかったら、子供と一緒になれないかもしれない。」

「心を落ち着けて臨めばきっとうまく行きます。」

「あなたのその心の秘訣を教えてほしいわ。」

「私の教えではございませんが...。お寺には行かれないのでございますか?」

「お寺は、法事のときとか。」

「では、普段、心の教えはどこで...。」

「心の?学校で道徳なら習ったけど。お寺って法事とかお墓参りのイメージしかないわ。あなたはこの前浅草で行ったお寺に通っていたの?」

「あれは神社にございます。」

「...神社とお寺って何が違うの?」

「神社はお祈りをするところ、寺は精神を鍛錬し心を静めるところにございます。」

「ふーん。よく分からないわ。」

 葉子は興味を惹かれ、思いついたように言う。

「じゃあ、あなたの心の方法を教えてくれない?」


ー寺の教えー


 二人は部屋の電気を消し、蝋燭に火を灯している。

「心を整えるにはまず瞑想です。」

「瞑想...?」

「さよう。蝋燭を灯して、目を閉じて、意識を集中し、心を静めるのです。意識は額の眉の少しうえの辺りに集中いたします。」  

 葉子は静かに目を閉じて言われた通りにする。

「呼吸をゆっくり、一番気持ちよく感じるくらいに...。」

 間を置きながら与平は続ける。

「心を静かに...、ただ、ここにいるだけで気持ちよくなれる様に…。」


 しばらく沈黙の後与平は更に続ける。

「力を抜いて静かに水に浮いている様な感覚です。力んで泳ごうとすれば、かえって溺れてしまいます。焦らず、心を楽に浮かんでおれば、とても幸福な気持ちになれるのです。」

 葉子は長めの沈黙の中で、与平の柔らかい語り口調に心を委ねていた。

「日々、続けておりますれば、いずれ、川の流れが見えてきます。」

「川?」

 ようやく目を開けた与平は続ける。

「ええ、三つの川の流れでございます。“流れ”は人の心を乱します。その中で流されぬよう、溺れぬように、力を抜いて浮いておることが大切にございます。」

 葉子も目を開けて言う。

「まだ、よく分からないけど、少し気持ちが落ち着いたような気はするわ。」

「それは良い事です。」

「毎日続けていれば、穏やかになれるかしら。」

「ええ、きっとなれますよ。」

「そしたら子供ともうまく行くかしら。」

「ええ、きっとその様に。私も神社で祈っております。」


 葉子は今までに聞いたことのない様な与平の幸福論に興味を深めていた。

「私、逆だと思ってた。江戸時代よりも発展してて便利で。だから現代の方が幸福なんだと。」

「喜びが多ければ、悲しみも多くなります。それ故、何が良いということはないでしょう。しかし、偏りすぎてはよくないのでございます。仏教に言うところの中道の精神というものです。」

「中道…。」

「さよう。何事も程よい加減がありますゆえ。労働も大事かもしれませぬが、お祈りも大事ですし、心を鍛えるのも大事にございます。そして休むことも大事でございます。」

「じゃあ、私がうまくいくよう、神社でお祈りしてくれる?」

「お子様との事、うまく行くように私も祈っております。」

「ありがとう。神社にお寺、儀式も?」

「へい、儀式も行います。あなた様の為に。」

「ありがとう、なんだかできる気がしてきたわ。」



ー次の夜ー


 葉子が子供との面会に向かっているとき、与平の儀式のための紐には火がともされ、暗い中をゆっくりと上がっていく。

与平は暗く埃にまみれた部屋で一人、儀式の蝋燭の明かりを照らして静かに風呂敷から出した黒い麻の布を手際よく足に巻きつけながらつぶやく。

「それにいたしても、東京の流れはあまりに、きつうございませぬか...。」


同じ頃、皆木は企画会社の一室で、仲間と酒を楽しんでいた。話題はちょうど与平と葉子の話になっている。

「それにしても、怯えすぎなんだよな。せっかくいい時代に来たんだから楽しめばいいのに。」

「梶川葉子さんが泊めているんでしょ。案外楽しんでいるかもね。」

「でも、あの人、皆木さんのことが好きなんでしょ。」

「やめてくださいよ。あの人実は子持ちなんですよ。」

「え?そうなの?」

「だいたい、はじめて会った男を部屋にとめるとか、いくら相手が百姓だからって、ちょっと感覚が普通じゃないんだよな。」

 すると皆木は笑いを含んで、小声になりながら言う。

「ここだけの話、児童保護施設に子供はいるみたいなんです。」

「え?それって。」

「ほら、あの人、感情の起伏が大きいっていうか。」

「えー、許せない。それで、自分は遊びまわっているんでしょ。」

「まあ、僕たちからしたらそんなに悪い人じゃないけどね。よく稼ぐし、よく金を払う。ほら、あの人、昔から女優になる夢、今でも捨ててないんです。だから、その可能性をちらつかせたら幾らでも金を払いますよ。」

「じゃあ、幸福マネジメントプログラム、もっとランクを上げてもいいのでは?」

「まあ、やりすぎは厳禁ですから。自己破産でもされたら困るし。そこの見極めが重要だからね。」

「さすがやり手ですね。」

煙草に火をつけながら皆木は続ける。

「まあ、僕は何にも悪いことはしませんからね。法に触れる事なんて何一つないし。逆に、すぐに暴力振るったり、我が子を傷つける人の気が知れない。こんな便利で幸福な世の中で、一体なんでああなっちゃうのか。」

「あんまり冷たい事言ってると、彼女離れちゃいますよ。せっかくのお得意様なのに。」

「大丈夫、僕はあの人を逃がしはしませんよ。付き合うわけでもなく、夢を与え続けるんです。そういうの得意なんでね。」

「モテる男って憎いですね。」

「僕だけじゃないですよ。そういう人のリストとかネットワークがあるので。まあ、僕はそこでのし上がるチャンスだからね。今は。」


その時、与平の儀式の紐をつたう火は、電柱の分電盤に引火して炎を上げ、ビルの電源を落とした。


突然の停電に皆木たちは戸惑う。



 埃にまみれた部屋で、蝋燭の火に与平は照らされている。足から胴体へと流れるように、静かに巻かれる汚れた黒い麻布は、彼の目元を残して頭部を包み込んでいた。目を閉じていた与平は、後頭部で布をきつく結びつけ、静かに目を開きつぶやく。


    力を抜いて、浮きたくとも…

       それさえさせぬ程に、流れがきついなら…

           我が主の意志のまま、川の施しをいたし候… 


 床の下では、一つの足音が与平の下に近づいてくる。その音だけで、判断には十分だった。



「もう!電波障害に停電!?どうなってんだよ、全く。」

 とぶつぶつ言いながら皆木は、非常口の緑の光だけを頼りに常設の電話に向かっていた。


 手探りでようやくたどり着き受話器を上げた時、急に受話器が皆木の手をすり抜けて、宙に浮いた。

そして事態を呑み込む間もなく、受話器はものすごいスピードで皆木の視界を回り、首に絡みついて、彼の体は瞬く間に引き上げられる。

 宙に浮いた足をジタバタさせ、何が起きているのかわからないまま、非常灯の緑の光に照らされる宙吊りの黒い影が目に入る。同時に皆木の首に冷たいものが突き刺さる。

 急所を捉えていた。

 「...く...く...るし...。」

 皆木は声を出そうとするができない。

 影は柔らかい声で囁く。


    力を抜いておりなされ...

        足掻くとかえって痛むでござろう...


 訳が分からないままに皆木の意識は遠のいていく。しばらくして皆木のバタ足が静まり始めた時、下のフロアから誰かが電話のある通路に上がってくる足音がする。

 黒い影は、即座に胸元から何かを取り出して、緑の非常灯に投げる。


 そして、パリンという音に反応して、近づいていた足音が反射的に止まる。


 光を失った通路で、影の男は完全に暗闇に溶け込んだ。




ー翌日ー

 

 葉子は子供との面会がうまくいき、機嫌がよかった。

一方の与平はテレビの仕事は疲れたと言って、その日は休むことにした。葉子は、『風邪を惹いている』と電話で企画会社に電話し、彼を休ませる。

 

 疲れた様子の与平に葉子は、思いついたように話しかける。

「ねえ、あなたが嫌でなければ、ここにいてくれないかしら?あなたの幸福術をもっと知りたいし。」

「へい…、もし嫌でなければ、あなたのお手伝いのため、あなたについて参ります。」

 与平は相変わらずの低姿勢で答える。

「ありがとう。私の方が助けられているのに。」

 といって、葉子も負けじと姿勢を落とす。

「大変、ありがたき幸せです。」

「いいえ、そんな、こちらこそです。」

二人は、手と頭を地面について、いつかの様に土下座合戦をしていた。


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