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青と蒼  作者: ハマジロウ
9/9

第8章 失ったもの 得られたもの


夏大会を見据えた春季大会。




蒼陵高校硬式野球部の空気は、


例年よりも明らかに張り詰めていた。




今年は一年生の入部希望者が異常なほど多い。




グラウンドの端では、


練習を見学する新入生たちがざわついている。




一年生A「岡谷先輩のフォーク、やばくない?」




一年生B「あのフォーク、俺も補りたい!」




一年生C「佐伯先輩とのバッテリー、憧れるよな」




そんな声が、当たり前のように聞こえてくる。


角石がすぐ近くにいるのに、


誰も声を潜めようとしない。




それだけ、


このバッテリーの存在感が大きくなっていた。




冬合宿を越え、岡谷は明らかに変わった。


身長も体重も増え、体幹が安定し、


フォームにブレがない。




* * *




ブルペン




青はミットを構え、岡谷のストレートを受けた。




――バシッ。




鋭い衝撃が腕に残る。





(……速い。


 140近く、出てるんじゃないか)




思わず息を呑む。





(これは……エース、いける!)




春大会は、ただの前哨戦じゃない。


この大会が、夏への立ち位置を決める。




蒼陵は、静かにギアを上げていた。





春大会・1回戦




試合序盤、蒼陵は主導権を握っていた。


エース角石と捕手・高橋のバッテリーは、


立ち上がりこそ勢いがあった。




だが、中盤に入ると流れが変わる。




相手は、角石の投球を徹底的に研究していた。


球種の少なさを見抜かれ、ファウルで粘られ、


カウントを作られる。




角石の肩で息が弾む。




高橋


(……剛志、限界かも)




――カキン。




鋭い打球が右中間を破り、二塁打。




「2-3」




ついに、逆転を許した。




ざわつくスタンド。




監督


「岡谷、佐伯、準備しとけ」




続いて、はっきりと。




監督


「お前たちは、もうただの控えバッテリーじゃない」




岡谷


「はい!」




声に力がこもる。





「岡谷、いつも通りでいこう」




そして、7回表。


バッテリー交代。




マウンドに立つ岡谷を、相手ベンチが値踏みする。




相手チーム


「なんだ、あのバッテリー」


「情報にないぞ」


「どうせ控えだろ。もう勝ったな」




――その油断を、岡谷は一球目で裏切った。




初球、ストレート。


続けてチェンジアップ、スライダー。




テンポよく、コースに決まる。




そして、ここぞの場面。




――フォーク。




打者のバットが空を切る。




相手ベンチがざわつく。




対戦チーム


「……なんだ、このピッチャー」


「読めないぞ」


「あんな球、打てねぇ」





(……落ち着いてるな、岡谷。いける!)




岡谷は表情を変えず、腕を振り続けた。




迎えた9回裏。




蒼陵の4番が、乾いた音を響かせる。




――カキン!




打球は左中間を抜け、走者一掃の三塁打。




「4-3」




逆転。




スタンドが一気に沸く。




「やったー!」


「逆転だ!」




一年生たちの声が弾む。




「岡谷先輩、かっこいい!」




その声を背に、


岡谷は静かに次のイニングへ向かっていった。






春大会は、3回戦敗退。




蒼陵は、


夏の県大会で毎年確保してきたシード権を失った。




部室には、重たい空気が流れている。




3年レギュラーA


「……くそ、ノーシードかよ」




3年レギュラーB


「正直、いけると思ってたのに」


「今年は違うって」




誰かが、ぽつりと続ける。




3年レギュラーC


「角石の調子も……万全じゃなかった」


「最近、チームプレーも噛み合ってねぇし」




言葉が途切れる。




キャプテンが、静かに口を開いた。




「監督も、このままじゃダメだって思ってるはずだ」




誰も反論しなかった。




春は終わった。


残されたのは、ノーシードの夏という現実だけだった。






5月下旬




強豪校では滅多にない、


全学年・全員参加の異例のミーティングが招集された。




部員たちはざわつく。




「何だ?この時期に…」


「背番号はもうほぼ確定だろ?」


「もしかして…入れ替えか?」




監督が前に立つと、


ミーティングルームは一瞬で静まり返った。







監督


「次の夏大会、


 背番号は“今年の実力”で選ぶ。


 学年も実績も関係ない」




その瞬間、空気がピンと張り詰める。




佐々木コーチはゆっくり、メンバー表を読み上げた。







佐々木


「背番号1……岡谷(2年)」




その瞬間、


部室が一気に爆発した。




部員たち


「マジで!?」


「2年がエース!?」


「岡谷、やったじゃん!!」


「今年のエースはお前だ!」




岡谷は普段控えめなのに、この時ばかりは——


ドヤ顔。




後輩にも先輩にも肩を叩かれ、


頭をくしゃくしゃにされながら笑っていた。




岡谷


「ありがとうございます……!頑張ります!」







佐々木


「背番号2……佐伯(3年)」




一瞬の静寂。


次の瞬間、別の歓声が上がる。




「ついに来たぞ!」


「正捕手入れ替え!」


「アイツのリードなら納得や!」


「岡谷バッテリーで夏勝てるぞ!」




胸が熱くなる。


去年、誰も声をかけなかったあの部員たちが——


今、俺を正捕手として祝福している。




岡谷は目を輝かせてオレに言った。




岡谷


「先輩と夏を戦えるなんて…本当に嬉しいです!」







佐々木


「背番号11……角石(3年)」




部屋が静まり返る。




角石は瞬きもせず、ただ一点を見つめていた。




周囲は動揺する。




「角石が11番に……?」


「まさかエース落ち…?」


「嘘だろ……あの角石が……」




角石の拳は震えていた。


噛みしめた歯から血がにじむほどだった。







佐々木


「背番号12……高橋(3年)」




グラウンドまでに響くような沈黙。




高橋は表情を崩さなかったが、


膝が一瞬だけ震えたのを、


誰も見逃さなかった。




角石を見る高橋の目は揺れている。




高橋


(……剛志。


 今まで支えてきたつもりだったのに……


 守ってあげられなかった……)







監督が話を締めくくる。




監督


「これが今年の夏大会の序列だ。


 以上——」




解散の声が響いた瞬間、


角石はその場に膝をつき、


両手で顔を覆った。




泣き崩れた。




角石


「……なんでだよ……


 なんで、俺じゃねぇんだよ……」




高橋が慌てて駆け寄る。




高橋


「剛志‥‥っ、泣くな……!」




角石


「智也‥‥、俺……エースじゃないと……


 お前を守れねぇだろ……!」




高橋


「バカ……!


 お前がどんな番号でも……


 俺はお前が好きだよ……!」




ほとんど人に聞こえない声で、


高橋は角石の背中を抱いた。




周囲が静かに2人の時間を見守っていた。




━━━━━━━━━━━━━




部屋に戻った二人




部屋の扉が閉まった瞬間だった。




角石は拳を壁に叩きつけ、


そのまま床に崩れ落ちた。




角石


「……悔しい……ッ!


 智也、俺……ほんとにダメだった……!」




高橋は驚きながらも、


乱れた呼吸の角石の前にしゃがみこんだ。




高橋


「剛志……落ち着けって……俺は——」




角石


「落ち着けねぇよッ!!


 俺はエースで……


 お前の球、全部受け止めるつもりで……


 ガキの頃から、それだけで……


 ずっと……!」




今にも泣き出しそうな声。


少年のような、弱くて真っ直ぐな剛志。




高橋は静かに肩を抱く。




高橋


「……剛志。


 さっきは取り乱したけど、俺。


 今はちゃんと、ここにいるよ。」




角石の呼吸が少しずつ落ち着きはじめる。




角石


「……ごめん。智也……。


 お前に当たる気なんて、なかった……


 悔しくて……でも、ちゃんと謝る。


 ほんと、ごめん。」




その声は低く震えていて、


高橋にだけ届く小さな弱さだった。




高橋は首を振る。




高橋


「謝る必要なんかないよ。


 剛志の悔しさは……俺、誰より知ってるから。」




角石の肩がさらに落ちる。


まるで力が抜けたように。




高橋は静かに微笑んだ。




高橋


「ところでさ……


 さっき『守れねぇ』とか言ってたけど、


 あれ、どういう意味?」




角石は顔を赤くして俯いた。




角石


「……約束、しただろ。


 小学生のとき……お前が補欠で泣いてた時にさ。


 “いつか俺がエースになって、


 お前を甲子園へ連れていく”って。」




高橋はぽかんと目を丸くした。




高橋


「……え?


 そんなこと言ったっけ俺?」




角石


「言ったのは俺だよ。


 でも、お前は“うん”って……


 笑って頷いたんだよ。」




高橋


「……ごめん。


 全然覚えてない。」




角石


「だろうな……。


 俺だけ、ずっと覚えてるなんて……


 ほんとバカみたいだよな。」




少し寂しそうに笑う剛志。




しかし高橋はゆっくりと首を振った。




高橋


「バカじゃないよ。


 だってさ……


 剛志が俺を特別に扱ってくれてた理由、


 やっと分かったから。」




角石


「……智也?」




高橋は息を整えるように一瞬だけ目を閉じ、


そして正面から見据えた。






高橋


「剛志。


 俺……


 お前のこと、ずっと好きだった。」




角石が固まった。




高橋


「どんな番号でも関係ない。


 俺は“エースの角石剛志”が好きなんじゃなくて……


 “剛志”が好きなんだ。」




その瞬間、角石の呼吸が止まる。




角石


「……俺……


 智也のこと……


 そんな目で見たこと……」




言葉がそこで途切れ、


しばらく静寂が落ちる。




そして、顔を覆いながら、


角石はゆっくりと絞り出すように言った。




角石


「……いや……違う……


 違うわ……俺……智也のこと……」




角石の耳まで真っ赤だった。




角石


「俺……智也が誰より大事で……


 失いたくなくて……


 守りたくて……


 ずっとずっと……


 これ、恋……なのか……?」




高橋はそっと角石の手を取った。




高橋


「うん。


 それでいいよ、剛志。」




角石は泣き笑いのような顔で、


たまらず高橋の胸に飛び込む。




角石


「……智也……


 俺、お前を……


 好きだ……」




高橋は強く抱きしめ返す。




高橋


「知ってるよ。


 気づくまで時間かかるの、剛志らしい。」




二人だけの静かな部屋で、


夏の夕方の光がゆっくりと差し込む。




角石は高橋の肩に顔を埋めたまま、


小さく呟いた。




角石


「……絶対に、甲子園行く。


 背番号関係ねぇ。


 お前と、一緒に。」




高橋


「うん。


 剛志が11番でも、


 俺の中ではずっと“1番”だから。」




二人はしばらく離れず、


心臓の音が重なるのを感じ続けていた。







一方、俺と岡谷は、部屋にて




岡谷は涙をこらえて、震える声で言う。




岡谷


「先輩……


 本当に、僕たち……“バッテリー”になったんですね」





「ああ。


 最後の夏は——お前と行く」




岡谷


「はい。……絶対、甲子園に行きましょう」




俺は岡谷の肩を軽く叩いた。




俺(これは…運命の夏になる)




━━━━━━━━━━━━━━


翌朝




朝の集合時間。


ブルペン横の空気は、いつもより重かった。




3年レギュラー


「……角石、来ねぇな」


「昨日のあの様子じゃ、今日は休むんじゃ……」


「やばいって……投げる気なくしてたら……」




誰もが角石の顔色を伺っていた。




——だが。




甲高いスパイク音が響いた瞬間、


みんなの視線が一斉にそちらへ向く。




角石が、いつもより少し早く到着していた。




表情は穏やかで、肩から重荷が降りたような顔。





「……角石?」




岡谷


「なんか……雰囲気、違いません?」




そして誰より驚いたのは、高橋だった。




高橋


(……昨夜のあんな告白を受けて、


 あいつ、こんなに顔が晴れるのか?


 剛志……お前……本当に強いよ。)




角石は真っ直ぐグラウンドの中央へ歩いていき、


チーム全員の前に立つ。




━━━━━━━━━━━━━━




角石


「みんな……俺から言わせてくれ。」




ざわっ、と空気が揺れる。




角石


「今までの俺の態度……


 本当に悪かった。


 傲慢だった。


 エースだから偉い、


 そんなふうに思ってた。


 でも昨日、気づいた。」




チームメイトの視線が集まる。




角石は一度深く頭を下げた。




角石


「佐伯——」




呼ばれた佐伯が、びくっと肩を震わせる。




角石


「お前の努力を見ないふりをしてた。


 空気みたいに扱って、本当にすまなかった。


 でも、お前は“夏の正捕手”だ。


 胸を張れ。


 俺はお前を尊敬してる。」




俺は目を大きく見開き、


唇をきゅっと結んで深く頷いた。





「……ありがとう。角石。」




角石は今度は岡谷の前へ。




角石


「岡谷。」




岡谷


「は、はい……!」




角石


「俺は、お前を“格下”だと思ってた。


 でも違った。


 お前の球は誰より強くて、


 俺なんかが偉そうに言える相手じゃなかった。


 ……エースになったのは、実力だ。


 文句なしだよ。」




岡谷は唇を震わせて言葉を探す。




岡谷


「……角石先輩……


 そんなこと……


 言ってもらえるなんて……」




角石は笑って手を差し出す。




角石


「夏——任せたぞ。エース。」




岡谷


「……はいっ!!」




二人の手がしっかりと握られる。




━━━━━━━━━━━━━━




角石はチーム全体を見回した。




角石


「背番号11でも、投げる気は変わらない。


 いや……今までよりもっと投げる。


 チームのために、


 そして——」




ほんの一瞬だけ高橋を見る。




角石


「大切な人のために。」




高橋は耳まで赤くなったが、


周囲は気づいていない。




ただ“角石が本当に変わった”ことだけが伝わる。




角石


「だから……


 新エースの岡谷、


 新正捕手の佐伯。


 ほんとに、おめでとう。


 最高の夏、作ろうぜ。」




誰が最初に拍手したか分からない。




気づけば全員が手を叩いていた。




「角石先輩、マジでカッケェ……」


「昨日あんな崩れてたのに、なんでこんな……」


「これ……今年の夏、強くなるぞ。」




━━━━━━━━━━━━━━




高橋は胸がいっぱいになっていた。




高橋


(……剛志。


 告白した俺の方がまだ動揺してるのに、


 なんでお前はそんなに……


 頼もしくなるんだよ。)




角石はベンチに戻ると、


高橋の横にそっと並ぶ。




そして、呟くように囁いた。




角石


「……智也。


 昨日の“あれ”のおかげだよ。」




高橋


「……バカ。


 でも剛志、カッコよかった……」




角石は満足げに笑った。




角石


「俺はもう大丈夫だ。


 夏は、お前と並んで戦う。」




高橋


「……うん。


 剛志と一緒に勝ちたい。」




その言葉を合図にしたように、


朝練の笛が鳴り響く。




新しい夏が始まった。




━━━━━━━━━━━━━━




朝練が終わり、


キャッチャー道具を片付けていた高橋の横に、


そっと俺が立った。





「……高橋。


 昨日……角石と、何かあった?」




高橋は一瞬だけ手を止めた。




俺は真面目な顔で続ける。





「昨日の角石、あれだけ崩れてたのに……


 今日、あんなにスッキリしてるの、何でかなって、


 高橋、何か言った?」




高橋


「……言ったっていうか……まあ、ちょっとね。」





「ちょっと……?


 あれが“ちょっと”に見えるか?」




鋭い。


さすが新・正捕手、観察力がエグい。




高橋は一瞬目をそらし、


あえて曖昧に微笑んだ。




高橋


「まあ……


 剛志とは、色々あったんだよ。


 昨日の夜にな。」





「“夜”!?……やっぱり!」




高橋


「でも…… 言葉にするほど大層なことでもないよ。」




匂わせ——。


だが核心は避ける巧みさ。




俺の眉が寄る。





「……高橋って……そういう所、ズルくね?」




高橋は作業を続けながら、ふと口角を上げた。




高橋


「ズルいと言えばさ、佐伯。」





「え? なに?」




高橋


「次はお前の番だろ。」





「は? 何の話?」




高橋は道具を持ちながら、


ぽつりと、しかし確実に狙って撃った。




高橋


「いつ、想いを伝えるんだ?」





「!?!?」




俺の耳まで一気に真っ赤になる。





「な、なな……なに言って……


 だ、誰に……そんな……!」




高橋


「お前、自分じゃ隠してるつもりかもしれないけどさ。


 気づいてないの、本人だけだと思うよ。」




俺は口をパクパクさせて固まった。





「ち、ち、違うって!」


 そんな……そういう……じゃなくて……!」




動揺してグラブを落とし、


拾おうとしてまた落とし、


見事にテンパっている。




高橋はニヤッと笑った。




高橋


「……頑張れよ、“新正捕手”。


 野球も恋もな。」





「~~~~~!!!


 高橋っ!!


 そ、そういう冗談、マジでやめろって!!」




高橋


「冗談だと思う?」





「む、無理もう!走り込み行ってくる!!」




俺は逃げるように走っていった。


耳の先まで真っ赤にして。




高橋はその背中を見ながら、


ふっと優しい顔になる。




高橋


「……佐伯。


 剛志を変えた“昨日”の夜みたいに、


 お前にもきっと、そんな瞬間が来るよ」




━━━━━━━━━━━━━━




こうして、前代未聞の背番号入れ替えは、


チーム全体の空気を大きく変えた。




失ったもの 得られたもの




それらが渦巻く中、


“夏の戦い”は静かに幕を開ける——。


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