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青と蒼  作者: ハマジロウ
16/17

第15章 愛おしさと罪悪感



年末の街は、どこも慌ただしかった。



人の流れに押されるように、


青は冬季講習を終え、予備校の建物を出る。




冷たい空気が肺に入る。




ポケットの中で、スマホが震えた。




母からだった。




『青、元気にしてる?


 風邪ひいてない?』




「大丈夫。


 ……それより、ありがとう。


 冬季講習も模試も、


 いろいろ無理聞いてもらって」




『いいのよ。


 青が頑張ってるんだから』




少し笑って、続ける。




『お父さんもね、応援してるって言ってる』




「……本当に、帰省しなくていいの?」




『共通一次試験があるでしょ。


 今は勉強に集中しなさい。


 インフルでもなったら大変なんだから


 また、落ち着いたら帰ってくるのよ‥‥


 青‥‥、頑張って』




「……ありがとう。


 絶対、合格するから」




電話を切ると、


街の喧騒が一気に戻ってきた。




(……俺は、ちゃんと前に進んでる)




そう思いながら、寮へ向かう。



* * *



寮に戻ると、


廊下の向こうから


スパイクケースを提げた蒼太が現れた。




「あっ、先輩。


 おかえりなさい」




「蒼太。


 合宿おつかれ。疲れてないか?」




「全然。


 去年のほうが、練習きつかったですし」




そう言って笑うが、


その声はどこか軽かった。




「……先輩がいないんで‥‥、


 ちょっと寂しかったですけど」




青は一瞬、言葉に詰まる。




(……野球の話をしてるはずなのに)




蒼太の表情には、


以前ほどの熱が感じられなかった。




「……そうか」




「先輩、もうすぐ共通一次試験ですよね。


 頑張ってください」




「ありがとう。


 あ、さっき母と電話してさ。


 この年末年始は、帰省しないことにした」




蒼太の顔が、ぱっと明るくなる。




「本当ですか!


 じゃあ……僕も帰省、やめます」




「え?


 大丈夫なのか?」




「はい!


 もともと、


 正月に親戚が集まる習慣もないですし」




あっさりとした言い方。




青は、胸の奥に小さな引っかかりを覚えた。




「……先輩、もうすぐ卒業ですし」




少し視線を落として、続ける。




「来年は……離れちゃいますし‥‥」




「……蒼太」




胸に、じわりと罪悪感が滲む。




「先輩の勉強の邪魔はしませんから」




すぐに顔を上げて、無理に明るく言う。




「あ、でも……


 一緒に初詣は行きたいです」




「……ありがとう、蒼太」




青は静かに言った。




「俺のそばにいてくれて。


 年末年始、寂しくないよ」




「……僕も、すごく嬉しいです」




その言葉と同時に、


蒼太が一歩、距離を詰めた。




青は、自然に腕を伸ばし、


蒼太を抱き寄せる。




青の胸が、きゅっと締めつけられる。




(……たった一年だ)




年齢で言えば、ほんの一年。


数えれば、すぐ追いつく差。




それなのに——




(どうして、こんなに遠く感じるんだ)




一年。


されど一年。




今までずっと同じ場所で、


同じ時間を生きてきた二人にとって、


その一年は、


何十年分もの隔たりみたいに思えた。




青は、無意識に拳を握りしめていた。




(……蒼太を、置いていくみたいじゃないか)




そんなつもりはない。


ただ前に進むだけだ。




でも、蒼太の顔を見ると、


その理屈は簡単に崩れた。




(……離れたくない)




胸の奥から、素直な感情が湧き上がる。




蒼太が愛おしくて、仕方なかった。




青は立ち上がり、


そっと蒼太の前に立つ。




「……蒼太」




「はい?」




青は何も考えず、


そのまま蒼太を抱きしめた。




蒼太の体が、一瞬だけ強張って、


すぐに力を抜く。




「俺は……


 離れるつもりなんて、ないから」




「……先輩」




「一年なんて、すぐだ。


 すぐ追いつく」




それは、励ましの言葉。


約束のつもりだった。




蒼太は、青の胸に額を押し当て、


小さく息を吐いた。




「……はい」




その声は、安心しているようで、


どこかすがるようでもあった。




温かい。


けれど、どこか不安定な温もり。




蒼太が顔を上げ、


そっと唇が触れる。




甘い、優しいキス。




——なのに。




(……なんだ?)




青の胸に、


ほんのわずかな違和感が残った。




蒼太の指が、


離れない。




まるで、


ここから先を失うのが怖いみたいに。




青はその違和感に、


気づかないふりをして、


もう一度、蒼太を抱きしめた。




年末の静けさが、


二人の間に、ゆっくりと降り積もっていった。



* * *




大晦日。


野球部寮が、一年でいちばん静かになる日。




廊下に足音はほとんどなく、


部屋の明かりも、


数えるほどしか点いていなかった。




その中で、食堂だけがぽつんと暖かい。




寮母の望月さんが、


湯気の立つお盆を運んでくる。




望月


「さぁさぁ、年越しそばできたわよ」





「ありがとうございます」




蒼太


「いただきます」




二人で並んで箸を取る。





「……すみません。


 僕たちだけのために、


 わざわざ作ってもらって」




望月は、手を振って笑った。




望月


「大丈夫よ。


 佐伯くん、


 受験勉強で頑張ってるんだから。


 風邪ひかないようにね」




そう言って、ふと辺りを見回す。




望月


「今日はね、寮に残ってるの、


 全部で五人しかいないのよ」




蒼太


「……そんなに少ないんですね」




望月


「同じ部屋で残ってるのは、


 佐伯くんと岡谷くんだけねぇ」




にっこり笑って、意味ありげに続ける。




望月


「ほんと、仲良いのねぇ。


 うふふ♡」




蒼太


「(あわわ……)」




望月


「明日の朝は時間気にせず、


 ゆっくりしていいからね。


 よいお年を♡」





「はい。


 ありがとうございます」




蒼太は、ぎこちなく頭を下げた。






部屋に戻る廊下は、


いつもより暗く、冷えていた。




足音だけが、静かに響く。




「……先輩」




「ん?」




「望月さん……


 なんか、勘違いしてませんでした?」




「え?


 何が?」




「……えっ。」


 


蒼太は、それ以上何も言えなかった。



* * *



やがて、時刻は零時。




遠くで、かすかに除夜の鐘が聞こえる。




「……蒼太。


 あけましておめでとう」




「あけましておめでとうございます、先輩」




蒼太は、へへっと笑った。




「どうした?」




「……こんな、静かで。


 あったかくて……」




少し間を置いて、正直に言う。




「こんなに幸せな新年、


 はじめてです」




青は一瞬、言葉を探してから、


静かに言った。




「……蒼太。


 今日は、こっちにおいで」




「……はい」




二人の距離が、自然に縮まる。




照明が落とされ、


部屋は闇に包まれた。




新しい年は、


もう、すぐそこまで来ていた。



* * *




正月。




青と蒼太は、


大宮公園にある氷川神社へ初詣に出かけた。




参道は、想像以上の人の波だった。


肩が触れ、立ち止まり、また流される。




「……すごい人ですね」




「ああ。


 俺も初めて来たけど、


 ここまでとは思わなかった」




人混みに揉まれながら、


二人はようやく境内へたどり着く。




賽銭箱の前。




青は静かに目を閉じた。




——家族のこと。


——合格祈願。


——そして、蒼太のこと。




願いは多いが、


どれも同じ方向を向いていた。




手を合わせ、頭を下げる。




顔を上げると、


隣の蒼太はまだ祈っていた。




しばらく待っていると、


ようやく蒼太がこちらを振り向いた。




「お待たせしました」




「ずいぶん長かったな」




「いっぱいお願いしたんで」




少し照れたように続ける。




「先輩が合格しますように、とか。


 先輩が風邪ひきませんように、とか……」




「……蒼太」




青は苦笑した。




「自分のことは、いいのかよww」




「あっ……」




一瞬、言葉に詰まってから。




「……つい、忘れてました」




(……ほんと、かわいいな)




おみくじを引く。





「あ、小吉だ」




蒼太


「僕は……大吉です!」




蒼太は嬉しそうに覗き込む。




「あっ、でも先輩。


 学業のところ、


 すごくいいこと書いてますよ!」




そして、勢いよく差し出す。




「これ、あげます!」




「え?」




「蒼太、


こういうのは人にあげても意味ないんだぞ」




「……えっ、そうなんですか?」




「でも……気持ちはもらっとく。


 ありがとう」




そう言って、蒼太の肩をやさしく撫でた。




「じゃあ、帰るか」




振り返る。




「……あれ?


 蒼太?」




姿が見えない。




次の瞬間——




「先輩!


 このイカ焼きと焼きそば、


 めちゃくちゃ美味しそうです!」




「……はは」




「じゃあ、買って帰るか」




「全部食べたいです!」




屋台の明かりと、


笑い声と、


冬の夜気。




(‥…今日は、来てよかったな)




部屋に戻る。




静かな寮。


暖房の音だけが響く。




青は、ポケットからおみくじを取り出し、


もう一度目を通した。




「おみくじ、いいこと書いてましたね」




「蒼太のは、なんて書いてあったんだ?」




「あ……あれ?」




「どっか行っちゃったみたいです。


 内容も……覚えてないです」




「せっかく大吉だったのにな」




「先輩、この焼きそば美味しいですよ!」




無邪気に箸を進めながら言う。




「初詣、初めてだったんですけど……


 すごく楽しかったです」




「……え?


 初めて?」




「はい。


 正月はいつも、家でダラダラしてたんで」




青は、


境内で長く手を合わせていた蒼太の姿を


思い出す。




真剣にお参りをしていたその横顔と、


今の無邪気な笑顔。




(……なんだろうな)




胸の奥に残る、


言葉にできない違和感。




それは不安とも違って、


ただ、うまく形にならない感覚だった。




青は、その違和感を


そっと胸の奥にしまい込んだ。




新しい年は、


まだ始まったばかりだった。





* * *




合格発表の日。




寮の自室のパソコン前に座る青より——


なぜか蒼太のほうがそわそわしていた。




「せ、先輩……ログインってこれですか?


 あっ、更新ボタン押したほうが……」




「落ち着け蒼太、俺の受験だぞ……?」




とはいえ、


胸の鼓動は佐伯も止まらなかった。




画面上に、受験番号の一覧が表示される。




「……あっ……! せ、先輩これ!!」




画面を指さし、食い入るように見る。




「……ああ!」




二人同時に叫んだ。




**合格**




そこには、


青の番号がしっかりと光っていた。




「せ、先輩……! 合格です!!


 本当に、ほんとうに……!!」




蒼太は両手で顔を覆い、


堪えきれずに涙がこぼれる。




「……なんでお前が泣いてんだよ」




「だって……


 先輩絶対受かってほしかったし……!


 毎日勉強頑張ってて……僕、応援してて……


 ほんとに嬉しくて……!」




泣きながら笑う蒼太を、


青はふっと優しく見つめた。




————


佐伯青・S大教育学部、保健体育専攻に


一般入試で合格。


————




* * *




その日の夕方、寮の食堂は騒がしかった。




角石


「おいおい佐伯、本当に合格したって?


 マジかよ……!」




高橋


「すごいよ、佐伯。おめでとう」




後輩たちも次々に集まる。




「正捕手だったうえに大学も受かるとか……」


「普通できねぇって!」


「佐伯先輩さすがです!」




角石が信じられないといった顔で言う。




「夏大会終わってから


本格的に勉強したんだろ?


間に合うもんなのかよそれ……」




青はお茶を飲みながら苦笑する。




「普段から授業はちゃんと聞いてたからな。


 まぁ……角石には無理だろうけど」




「はぁ!? お前いまなんて言った!」




「はは、冗談に決まってんだろ」




「ちょっ……おい佐伯!!


笑ってんじゃねぇ!」




そのやり取りに周囲が笑う。




かつては険悪だった二人が、


今ではこんな風に冗談を言い合える。




青の合格は、


彼自身だけではなく、


周囲との関係まで優しく変えていた。




高橋は青の肩を軽く叩き、


いつもより柔らかい声で言った。




「本当に……おめでとう。


 佐伯なら絶対いくと思ってた」




「ありがとう、高橋」




その横で、


蒼太はまだ目を赤くしていた。




「……先輩、ほんとにすごいです……」




青は蒼太の頭にそっと手を置く。




「お前のおかげだよ。


 蒼太がずっと応援してくれてたから、


 頑張れた」




蒼太はうつむいて笑った。






━━━━━━━━━━━━━━━━━━




この合格が、


青にとっても、蒼太にとっても、


そして角石・高橋にとっても——




新しい春のスタートだった。




来年、蒼太が同じ大学に来て、


また二人で同じ道を歩く未来が


見え始めていた。

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