第9章 青の野球
第9章 青の野球
六月の陽射しがグラウンドを照らす。
照り返しすら眩しく感じるほど、
チーム全体が熱気に満ちていた。
新エース・岡谷蒼太。
新正捕手・佐伯青。
その二人を中心に、
チームの動きは劇的に変わり始めていた。
青は”正捕手”として、チームに声をかける
青
「ライト寄れ! ショート、一歩前!」
「投手陣、ロング入るぞー! 岡谷、あと3本!」
青の声はよく通り、的確で、優しい。
罵声でも怒号でもないのに、
なぜかチーム全体が自然と動きたくなる力があった。
青はもともと、控え捕手時代から
ベンチの選手たちに気さくに声をかけ、
下級生の悩みも聞き、
内野手・外野手の癖まで
ノートに書き込むタイプだった。
その“強み”が、
ついにチームのど真ん中で輝き始める。
一年の外野手
「佐伯先輩、こっちの守備位置で合ってますか!?」
青
「合ってる! お前なら追いつける、迷うな!」
三年の二塁手
「佐伯、今日の岡谷の球、どうだと思う?」
青
「最高のエースだよ。
あと2割ギア上げたら、甲子園のマウンド行ける。」
その言葉に、選手たちはまた走り出す。
声が出る。
笑顔が生まれる。
——そう。
青が作ったのは“楽しむ野球”。
青がずっと夢見ていた、
「みんなで野球を楽しむチーム」。
まさに、それが今、形になっていた。
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練習の締め後。
監督と佐々木コーチは、
丁寧に土を均している選手たちを眺めていた。
監督
「……佐伯が入るだけで、ここまで変わるか。」
佐々木
「捕手は“人格”が出ますからね。
あいつは本当に……見事ですよ。」
監督
「お前、正直言ってただろ。
“佐伯が正捕手になったら、甲子園に行ける”って。」
佐々木は肩をすくめ、大きく頷いた。
佐々木
「いやぁ……確信に変わりましたよ、監督。
今年のチーム、絶対に行けます。」
監督の目が細くなる。
監督
(……これが、今年の野球か。
エース岡谷、正捕手佐伯。
そこに角石や高橋、三年が支える。
強い……強すぎる。)
ふたりの視線の先で、
一年たちを笑わせながら片付けを指示していた。
監督
「……佐伯。
お前は、“本物”のキャプテンタイプだ。」
練習後、汗を流し、部屋に戻った岡谷は、
ベッドに腰掛けている青を見るなり、
抑えきれない気持ちのまま口を開いた。
岡谷
「先輩……今日の練習、めちゃくちゃ良かったです。
いや……先輩、本当にすごいです。
チーム、全部まとまってて……
先輩が声出すだけで、
全員が前向きになる感じで……」
言いながら、岡谷の声が震えている。
青
「え、そんな大げさに褒めんなって。俺はただ――」
岡谷
「大げさじゃないです! 本気で言ってます。
僕……先輩の背中見てると、
なんか……胸が熱くなるっていうか……
俺も、もっと先輩に追いつきたいって思うんです」
青は照れたように笑って、
「……そっか。ありがとな、岡谷」
と優しく返してくる。
その声がまた胸を刺した。
岡谷は視線をそらし、爪が食い込むほど拳を握った。
何かを言いたそうにしている岡谷
岡谷
「……先輩、今日はもう寝ましょう。
明日も、全力でいきましょう」
必死で平静を装う声。
俺は、気づかずに「おう。おやすみ」と笑う。
電気を消した瞬間、
岡谷は枕を抱きしめ、声を押し殺して息を吐いた。
この夜、暗闇の中、
二人の心の距離は確かに近づいていた。
夏大会前・休息日
夏大会を二日後に控えた休息日。
グラウンドは静かで、
いつもの金属音も聞こえなかった。
自主練で軽く汗を流したあと、
俺は岡谷を川辺へ誘った。
川沿いの道は、人影も少なく、
水面に夕陽が揺れている。
岡谷
「……いよいよ、明後日ですね」
青
「そうだな。……緊張してるか?」
岡谷は一瞬だけ考えて、首を振った。
岡谷
「大丈夫です。
先輩がいますから」
その言葉に、
俺は返事ができなかった。
あえて黙る。
言葉にしてしまえば、何かが壊れそうだった。
岡谷
「こういう散歩、いいですね。
なんか……落ち着きます」
青
「……たまには、悪くないな」
二人で川の縁に腰を下ろす。
空はオレンジから紫へと変わり、
夏の一日がゆっくりと終わっていく。
その静けさの中で、
不意に——
高橋の声が、頭の奥によみがえった。
『いつ、想いを伝えるんだ?』
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
(……ああ。
あいつ、気づいてたんだな)
俺は、ゆっくり息を吐いてから、隣を見る。
青
「……岡谷」
岡谷
「はい?」
青
「この試合が終わったら……
話したいことがある」
岡谷
「……はい」
言葉はそれ以上、続かなかった。
気づけば、互いの距離が少しずつ近づいていた。
肩と肩が、触れそうで触れない距離。
そのとき――
「おーい!!」
甲高い声が響いた。
振り向くと、
三年レギュラーたちとキャプテンが、
川の向こうから手を振っている。
3年レギュラーB
「そこで何やってんだ!
一緒に花火やろーぜ!」
ハッと我に返り、
俺と岡谷は思わず距離を取った。
青
「……花火、やるか」
岡谷
「はい……!」
手持ち花火が次々と点き、
夜の川辺が一気に明るくなる。
レギュラー部員たち
「うわ、懐かしー!」
「これ、去年もやったっけ?」
「いや、やってねぇよ!」
笑い声が弾む。
岡谷は先輩たちに囲まれ、
少し照れながらも楽しそうに花火をしている。
その姿を、
俺は少し離れた場所から眺めていた。
——ああ。
こういう顔をするんだな、岡谷は。
そこへ、キャプテンが隣に立つ。
キャプテン
「……なあ、佐伯」
青
「はい」
キャプテン
「お前が正捕手になってからさ、
チームの空気、ほんと変わったよ」
青
「……俺、何かしました?」
キャプテンは小さく笑った。
キャプテン
「それが無自覚なとこだよ。
前はさ、正直ピリピリしてた。
角石がエースのときは、勝たなきゃって必死で」
少し間を置いて、続ける。
キャプテン
「今はな、
みんな“野球を楽しんでる”。
花火なんて、去年の俺たちじゃ考えられなかった」
青
「……」
キャプテン
「試合がどうなるかは、分からない。
でも今が、間違いなく“ベスト”だ」
そして、静かに言った。
キャプテン
「ありがとうな、佐伯」
胸の奥が、じんわり熱くなる。
青
「……いえ。
俺はただ、みんなと野球したかっただけです」
キャプテン
「ふふ、お前らしいよ」
花火が次々と消え、
最後の一本が静かに燃え尽きる。
夜風が心地いい。
少し離れた場所で、
岡谷がこちらを見て、にこっと笑った。
——この仲間たちと。
——このバッテリーで。
俺は心の中で、そっと誓う。
青
(……最後の夏だ。
悔いなく、全部出し切ろう!)
こうして、
蒼陵高校野球部の最後の夏が、
静かに、確かに、始まった。
全国高等学校野球選手権埼玉大会
1回戦
ノーシードの蒼陵は、まさかの優勝候補との激突。
球場の空気は最初から重く、観客席はざわついていた。
そしてアナウンス。
「ピッチャー、背番号1番 岡谷。
キャッチャー、背番号2番 佐伯。」
スタンドが一瞬静まり、
相手ベンチが明らかに動揺した。
彼らは“元エース角石”を徹底的に研究してきた。
ところが、まさかの 新エース・岡谷蒼太
そして 背番号2の新正捕手・佐伯青
相手のプランは開始前から狂わされた。
⸻
試合開始
岡谷の成長した体格から繰り出される
キレのある変化球。
そして俺と二人で磨いてきた決め球
—— 落ちるフォーク。
優勝候補の強力打線が、
完全にタイミングを外されていく。
まともなヒットすら出ない。
相手チーム
「なんだあのフォーク…」
相手チームB
「捕手も読みがヤバい」
スタンドでもざわめきが止まらない。
俺たちは目が合うたび、静かに頷き合っていた。
⸻
冬から積み重ねてきた空気。
角石と高橋の悔しさを胸に抱えながら、
ベンチも一体になって声が止まらない。
勢いに乗った打線がチャンスをつかみ、
3点をもぎ取る。
そして——
3-0、完勝。
岡谷は最後まで一歩も譲らず、堂々の完投勝利。
新人エースと遅咲きの正捕手。
この謎の新バッテリーの誕生は、
その日のうちに県内の野球界隈のSNSを騒がせた。
⸻
1回戦 初勝利
地元から両親と同級生が駆けつけてくれていた。
俺の名前がコールされ、マスクを外した姿を見た時、
みんな涙を浮かべて喜んでくれた。
岡谷も、マウンドで勝利をかみしめながら、
いつもの勝ち気な笑顔ではなく、
どこか誇らしげな、少し照れた顔をしていた。
岡谷
「まだ先輩との戦い、始まったばかりですよ!」
そう言いながら、胸を張っていた。
⸻
1回戦の衝撃的な勝利から、
俺たちのチームは完全に勢いに乗った。
県内の野球界隈では、
急速に “新エース岡谷・正捕手佐伯バッテリー” の名前が
広がり始める。
しかし、どのチームも
角石バッテリーの研究をしてきているのに対し、
『俺と岡谷は完全にノーマーク。』
この“未知の存在”が大きな武器になった。
⸻
準々決勝
岡谷のストレートとフォークは、
試合ごとに精度が上がり、
打者は空振りと凡打を繰り返す。
俺とのコンビネーションもどんどん冴えていった。
青
(岡谷、次は外のフォーク抜こう!)
岡谷
(了解です!先輩)
この短いサインと相槌だけで成立するほどの信頼感。
相手は手も足も出ない。
⸻
一方、角石もただでは転ばなかった。
スランプ気味と言われながらも、調子を取り戻し、
高橋との幼なじみバッテリーで何度も試合を締め、
勝利を引き寄せた。
角石の気迫、高橋の献身的なリード。
“エース交代”という現実に揺れながらも、
二人は腐らず、
以前よりもチームを支える存在に戻っていた。
ベンチの士気はかつてないほど高まっていた。
⸻
準々決勝。
準決勝。
どちらも危なげない試合運びで勝ち切る。
岡谷の投球はキレキレ、俺のリードも冴え、
角石バッテリーの継投で相手のチャンスを潰す。
チームは勝つたびにひとつになり、
部員もOBも、地域の人たちもワクワクし始めていた。
⸻
そして——4年ぶりの決勝へ
気づけば、学校中が沸き立っていた。
先生たち
「決勝なんて…4年ぶりだぞ!」
俺たちはその中心にいた。
新エース岡谷。
新正捕手の俺。
そして、角石・高橋の絆バッテリー。
全員がそれぞれの役割を完璧に果たして、
チームはついに頂点の舞台へと辿り着いた。
⸻
決勝戦
決勝戦の相手は、
二年連続で甲子園に出場している県内最強の強豪校。
経験、実力、実績——
すべて相手が上。
それでも俺たちは、胸を張ってグラウンドに立った。
⸻
初回から岡谷はエンジン全開。
ストレートは伸び、フォークは急落。
相手ベンチもざわつく。
相手監督
「なんだあの2年…こんな投手、情報に無かったぞ」
1回、3回、5回と無失点。
俺とのバッテリーは完璧にハマり、
相手の主砲から三振を奪った瞬間、スタンドが揺れた。
打線も奮起し、5回に2点を先制。
スコアは 2-0。
夢の甲子園が見えていた。
⸻
7回
相手がついに対応し始めた。
単打をつなぎ1点を返される。
2-1。
それでも岡谷は崩れない。
フォークを温存する俺のリードにも必死で応えた。
8回裏、追加点は取れず。
ベンチの空気が少しずつ重くなっていった。
⸻
9回
マウンドに立つ岡谷の手は、震えていた。
俺はそっと囁いた。
「大丈夫だ、最後までお前と行く」
しかし──
強豪校はそんな隙を逃さない。
ポテンヒット、四球、内野安打。
嫌な形で満塁。
そして、
最後は甘く入ったスライダーを
左中間に運ばれた。
サヨナラ負け。
スタンドから悲鳴のような声が上がった。
⸻
試合終了の瞬間、
岡谷はその場に崩れ落ちて泣き叫んだ。
岡谷
「先輩…っ、すみません…すみません…!」
俺は不思議と涙が出なかった。
悔しいはずなのに、
胸の奥は静かで、ただ一つの思いだけが溢れていた。
青
(岡谷はよく頑張った、胸を張れ!)
俺は言葉をかけず、
泣き続ける岡谷を黙って抱きしめた。
肩がびしょ濡れになるほど、岡谷は泣いた。
⸻
帰還
夕方。
学校に戻ると、
校門が開いた瞬間、
想像もしなかった光景が目に飛び込んだ。
「戻ってきたぞーーー!!!」
全学年、百人を超える部員、生徒がグラウンドに並び、
拍手、大歓声が巻き起こる。
「準優勝おめでとう!」
「最高の試合だった!」
「岡谷、佐伯!お前らのバッテリー鳥肌立ったぞ!」
角石も高橋も、目を赤くしながら俺たちを抱きしめた。
悔しいのに、
それ以上に温かくて、
胸が締めつけられた。
俺と岡谷は、
泣きながら笑いながら、
その輪の中に吸い込まれていった。
⸻
誰も期待していなかった“無名バッテリー”が、
県大会準優勝という奇跡を起こした。
敗れた悔しさは消えない。
でも、それ以上に誇りがあった。
そして、俺は知っていた。
あの決勝戦で散った涙の先に、
このバッテリーの未来が続いていくことを——。




