――― 5月1日 アカイ世界 ―――
挿絵も一応、貼り付けてありますが……見れなかったら『みてみん』で投稿してますのでお願いします。
二人が近くにいたのはラッキーだった。
住宅が密集した場所で探すのはかなり面倒だったけど、今はそんなこと言ってられない状況だし。
無駄に密集している家々の屋根を跳び移りながら目的地まで最短距離で向かう。
何度目かわからない着地。その振動で、
「くっ」
私の左腕の方から小さい呻き声が聞こえてきてた。
「もう少しだから我慢して」
私に抱えられている綺麗な紫色の髪小さい男の子が右眼を押さえながらもう一度呻くように言った。
「セフィ、リア…………どこへ……行く、の?」
かなり辛い様子で、真っ白い肌のおでこには汗が滲んでいた。
「ここら辺に人間達が廃棄した倉庫があるからそこへ行くの」
だいぶ酷い状態。魔力の高い人間は『アレ』の影響を受けやすいけど、この子みたいにここまでもろに影響されるのは珍しい。
リンから視線を正面に戻す。
目に映る風景は視界に入ればすぐに視界から消える。魔力で身体能力を強化している今の状態の移動速度は到底人間に追える速度じゃない…………そのくらいの速度なのに、後ろに一定の距離で追ってくる気配がひとつ。
「少し不味い事かも」
さっき粉々に破壊したはずなのに……もう、再具現化してる。やっぱり本体からの魔力供給を受けてる『核』を何とかしないとダメか…………。
そう、色々考えている間に倉庫が見えてきた。
「結構跳ぶから口、閉じてて」
「っ」
リンとナツコを落とさないようしっかり抱え直して、屋根の端に着地したのと同時にそのままの勢いを使って思いっきり前に跳んだ。
「っ!!」
倉庫前に着地して、そのまま倉庫の出入り口を突き破って中に侵入する。飛び込んできた時の勢いを殺すのに両足で地面に二本の線を引きながら、ちょうど倉庫内の中心で止まれた。
「づぁ……………」
足に残ってる衝撃に思わず声がもれた。けど、すぐに中を見回して見ると長い間放って置かれていたみたいで細かいゴミと埃だらけ。あとは都合良く倉庫の骨組みの鉄骨だけが建っていて、見通しは良かった。
「ここなら…………」
リンとナツコをできるだけ優しく降ろしてすぐに離れる。
「『処刑人』ッ!!」
左手を掲げて大きな光の球体が出現させ、それが白銀の大鎌になる。
左手を軸に大鎌を回転させて、両手で柄を握ると同時にリン達の正面に刃を突き立てる。
「『空絶』発動!!」
碧色の閃光がリン達を包んでドーム状になる。
「よしっ!!」
大鎌を引き抜いて肩に乗せる。
これでリンとナツコは大丈夫。あとは私が『アレ』を倒せるかどうかなんだけど。
「夏先輩!!」
リンは隣で気を失っているナツコを抱き起こして、
「夏先輩!!夏先輩!!目を開けてくださいっ!!」
肩を揺らしながら大声で叫んだ。
「……………………」
「っ…………セフィリア!!夏先輩に何をしたの!?」
まるで親の仇を見るような濁った瞳で私を睨み付けるリン。
「大丈夫、気を失ってるだけよ。暫くすれば目覚めるわよ」
リンの問いかけに素っ気なく答えて、こっちも質問してみる。
「右眼、痛みは治まった?」
「そういえば痛みが……何で?」
リンは右眼の目元を押さえて、
「あんた、魔力が高いから自分以外の魔力に敏感なの。だから空間を遮断して魔力の影響を受けないようにしたの」
「空間って……………」
「法術よ、あんた達に分かりやすく言えば魔法ね。その中にいれば攻撃も防げるからじっとしてなさいよ」
一安心と私は小さく息を吐いた。
「あとは」
「セフィリア!!右手、血だらけじゃないか!!」
「ああ、これ」
私は小さく右手を振って血をはらってリンに右手をリンに見せる。
「ちょっと切られただけ。治癒系法術で治したから大丈夫よ」
「切られたって…………誰に」
リンの質問を切り落とすように天井から場を切り裂く轟音が響いて、粉塵を纏う黒い影が舞い降りる。
「何っ!?」
「来たわね」
倉庫の出入口付近に埃と土煙が舞い上がって、それを巨大な二本の腕が切り裂いていく。
「あ、あれって……………」
「『虚』よ」
土煙を切り裂いて現れたのは私達のように人の形をしたモノ。
「ッ」
僕は夏先輩をゆっくり横に寝かせて少し離れて、セフィリアは正面に見たまま大鎌を構え直す。
「あれは『悪霊』のなれの果て……………自分よりも力の上の『悪霊』に魂を喰われて、自我のない操り人形にされた姿よ。でも、人の形のままなんて珍しい」
リン達と決定的に違うのは首から足の先まで黒光りする強靭な筋肉で作られた体に以上と言えるまでに発達した巨大な手足。そして視線は左右で別々の方向を常に不規則に動いて定まってはいなかった。
「あれが…………なれの果て?」
「普通、魂を喰われた『虚』は操り主とは違った姿になるの。大抵は動物や虫になったりすることが多いけど…………それにしても『虚』にしては少し大きいわね、私の三倍くらいは大きいかも」
僕は右眼に『視』えている光景に体がどうしようもなく震える。
「単純に『虚』の力の強さは大きさに比例するから体のサイズが大きければ大きいほど能力が高いの。あれも結構大きい方だけど」
ーーーーーーーー酷い。
「ゴホッ!!」
顔を下げて右手で口を覆うように押さえたけど、喉の奥から込み上げてくる不快感を我慢出来ずに吐き出して。指の隙間からは白濁したモノが流れて、地面に落ちた瞬間にアカイ世界に染め上げられる。
「ちょっ!?リン、いきなりどうしたのよ!?」
セフィリアはいきなりの事で驚いていたけど、僕はその声に答える事なんてできなくて何度も何度も胃の中のものを吐き出し続けた。その度に胃を殴られるような痛みに体が悲鳴をあげて、視界が涙で滲む。
「どうしたの!?具合でも悪いの!?」
セフィリアは正面にいる『人の魂』だったモノに意識を向けながら僕の方に視線だけ戻して、少し焦ったような顔をした。
「…………ひど、いよ」
「何が!?」
口の周りを袖口で拭って、右眼に焼き付いているモノに声がうまく出てこない。
「あれ……って、この前、僕達を、襲ってき……た、人……だよ、ね?」
「この前って…………あの通り魔のこと?」
セフィリアは僕が言った事に眉を寄せて答えてくれた。
――――――――――――喰われた。
セフィリアの言葉が耳に、頭に、心に突き刺さる。
今まで色々な幽霊を『視』てきた。幽霊の姿は時々違う事もあるけど、大体は死んだ時の姿のまま幽霊になる。交通事故で死んだ人はその時の姿に、手首や首筋を切って自殺した人はその姿に。それを言えば夏先輩は生きてたままの姿でいてくれたから僕は平気でいられたけど…………目の前に現れたあの人だったモノはセフィリアの言葉通りの状態。
「あんただって見てたじゃない。やり過ぎて魂を塵にしちゃって回収はできなかったけど、あいつは私が破壊して…………って」
それは確かに他の幽霊と同じように宙に浮かんでいた。けど、本当に浮かんでいるだけ。
「あんた、『虚』の中身……ううん、魂の原形が『視』えてんの!?」
「う、ん……酷い、状態……だけど、あれは」
不気味に僕と夏先輩を嘲笑っていた顔は半分が無くなっていて、顔だけじゃない。手足も関節部分だけが無くなっていて、胴体もズタズタに引き裂かれたように開かれて……無くなっている部分全てが喰い千切られた跡で、そこからは中に詰まったモノが無惨に惜しげもなく飛び出していて。まる獣の牙で雑に解剖した何かを水を溜めた水槽に投げ込んだ―――――――そんな光景。
残っていた顔半分の眼球がこぼれ落ちて、その眼球と視線が合った瞬間に……また我慢出来ないモノが込み上がってきて。
「げぇっ!!ごほっごほごほっ!!ぅ、ぐぇっ…………っ」
「リン!?」
セフィリアがほんの一瞬だったけど、『虚』から僕に意識を向けた時だった。
「ヴォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
と、『虚』が突然雄叫びを上げて、
「リン!!絶対に何があっても『空絶』の中から出ちゃ駄目よ!!」
セフィリアはそれだけ言い残して、地面を砕き蹴って『虚』へ突進する。
「ハアアアアアアアアッ!!」
その動きは圧倒的だった。僕達、人間とそうではない存在の境界を目の当たりにした。
全部の動作がほとんど同時に「視」えて文字通り、たった一歩で数十メートルあった距離を詰めて大鎌を四回。正確には右眼で追えたのはそこまでで、そこからは何回振ったかわからないほどの攻撃をした……はずだ。
「っ!?」
こぼれ落ちた眼球が突然生きているみたいに動き出しで、その動きも全然追うことができなかった。
その眼球が動く度に他の残骸が細かく飛び散って、
「ウグッ!?」
また吐き出しそうになって、すぐに視線をしたに伏せた。
「っ…………」
きっと僕以外の誰が『視』ても絶対に酷いトラウマになるって言える。人間をミキサーに入れたらきっとあんな感じなんだ。
必死に込み上げてくるものを我慢する。
そんな僕のすぐ横でトッ、と軽い音が聞こえてきて僕は視界に『虚』を入れないようにそっちへ顔を上げた。
「セ、セフィリア」
「っ……リン、大丈夫?」
セフィリアはおでこには汗を滲ませて、苦しそうに肩で息をしていた。
「何とか…………でも、セフィリアこそ大丈夫?凄く疲れてるみたいだけど……………………」
ついさっきまで平然としていた筈なのに。
「アイツ、私の魔力を取り込み始めた。それも攻撃する度になんて……予想してたより厄介な事になったわ」
「厄介って……っ!?」
僕達の会話を遮るように黒い影が差して、
「ガアアアアァァァアアアアアッ!!」
「くっ!!」
叫び声と同時にセフィリアが視界から消える。
「ハアアアアッ!!」
左側からセフィリアの怒声じみた声と一緒に甲高い金属音が響いた。
「ぐぅ」
「セフィリア!?」
そっちへ体ごと向き直すと上から攻撃されたのか、頭の上に大鎌を横に構えて何かを受け止めているような格好でセフィリアが苦しそうに声を洩らしていた。
「セフィリア!!」
僕は思わずセフィリアに駆け寄ろうとして、
「リン!!黙ってそこにいなさい!!」
セフィリアの焦りが混じった大声に足が止まる。
「あんたは私と違って、こいつの『視』え方が違うからわかるかもしれない」
「どういうこと!?」
駆け寄りたい衝動を必死に押さえて、セフィリアの言葉を待つ。
「こいつら『虚』は魂の残骸に体を強制的に具現化と隷属化させられる『核』を埋め込まれてるの」
「『核』……………?」
「そう、なの…………よ!!」
セフィリアは僕の呟きに答えながら大鎌を振り払って『虚』を吹き飛ばした。
「普通は頭か心臓のどっちかなんだけど、どっちを破壊しても駄目だったの」
「うん…………僕にも『視』えてる状態で分かる。ミンチ、みたいに……グチャグチャになってるから」
もう、人としての原形なんてない。そこに『視』えるのはただの残骸だ。
「戦った感じ……たぶん『核』が移動してる気がするの。心臓か脳、どっちか残ってない?」
セフィリアは一度大きく息を吐いて、大鎌を構え直す。
「ううん、どっちもグチャグチャになってるよ」
「嘘……そんなはずは」
「けど」
僕は震える手でずっと『視』えていたモノを指差した。
「目が、片方の目だけが残ってるんだ。セフィリアが攻撃する度に動いていたから、もしかしたら」
「たぶん、それが『核』ね…………今はどの辺にあるの?」
セフィリアは僕の言葉に確信を持てたのか、小さく笑って視線だけ僕の方に向けてきた。
「でも『視』え方が違うからあまり意味がないんじゃ…………」
「大丈夫よ。人の体を想像して大体の位置を言ってくれれば、そこを徹底的に切り刻むから」
「うん、わかっ……あのさ、セフィリア。魔法……じゃなかった、法術であいつの体を吹き飛ばせるのってないの?ここに来る前に夏先輩の家の壁を壊したような光線系のすごい技とか?アレならピンポイントで切りつけなくてもいいんじゃない?」
よく漫画とかではそういう感じの必殺技とかあるし、さっきも使っていた。
「…………………………」
「セフィリア?」
僕の言葉にセフィリアから答えが返って来なくて。気のせいか、セフィリアの肩が小さくプルプル震えていた。
「い……、ても……………………そう、よ」
「えっ?」
早口なのと小さい声で言われたせいでよく聞こえなくて、
「言われなくても今からそうしとようと思ってたわよ!!」
聞き返されたせいなのか、今度は鼓膜を突き破るような大声に空気が震えた。
「ちょっ!?な、何!?」
僕はいきなりのセフィリアの怒声に肩がビクッとはねて、
「いい!!気にしなくていいから、そこにいなさい!!」
「は、はいっ!?」
訳も分からずその場に手と足、背中をピンッと伸ばして立ち上がってしまった。
「神威解放!!」
セフィリアは大鎌を正面に真横に構え直して、
「『処刑人』第二位!!」
その言葉に周りを吹き飛ばすように白銀の閃光がセフィリアから放たれる。
「再具現化できないように塵すら残さない!!」
その言葉に応えるように大鎌の刀身が閃光を纏う。
「っ!?」
僕はその閃光の眩しさに腕で目元に影を作る。
凄い光。あの時の十倍以上は光が強い。
「フッ!!」
セフィリアは短く息をはいたのと同時に姿が掻き消え、
「グガッ!?」
瞬きをする一瞬の時間もない間に『虚』の悲鳴染みた声が短く響いて。
そっちへ視線を移すとそこには二人の姿はなくて、
「消えなさい!!」
ずっと上の方からセフィリアの渾身の叫びが聞こえてきた。
「天井!?」
僕がそう言うのと白銀の閃光が倉庫を満たすのは同時。その瞬間、僕は閃光の眩しさに両腕で顔を覆った。
「っ!?」
閃光の光が強すぎるのか目の奥に鋭い痛みに思わず声が出て、
「終わったわよ」
正面から疲れと安心感を深く吐き出した声が聞こえてきた。
「セフィ、リア」
僕はまだ瞼に焼き付いている閃光の所為でうまく目を開けられなかったけど、少し離れた所で息が乱れてはいたけど満足そうに笑っているセフィリアの姿が見えた。
「何、目をシパシパさせてんのよ?」
「さっきの閃光のせいで……ちょっと目が眩んでて」
「あっ、ごめん…………目閉じててって言うの忘れてた」
気まずそうなセフィリアの声に、
「気にしなくて大丈夫……もう、大丈夫」
やっと光が抜けた視界で天井を見た。
「うわっ」
思わず声が出て、改めて人間との違いを思い知らされた。
僕のしかに映るのは倉庫の天井に大きな丸い穴が開いていた。たぶん、大きさで言えば二〇メートルくらいの大きな穴。
「どう、凄いでしょ?」
セフィリアは僕の驚いた様子に得意気に鼻を鳴らして、大鎌をの柄を地面に付けた。
「もう『虚』の魔力も消え始めてるし、もう大丈夫ね」
「ほぁ…………」
僕はセフィリアが空けた大穴に完全に気が抜けていて、見上げたままセフィリアの話を聞いていた。
「『空絶』は完全に『虚』の魔力が無くなったら解いてあげるから、暫くそのまま中にいなさいよ」
「……ほんとに凄い」
「って、いつまで驚いてるのよ?」
話を聞いていない僕の様子にセフィリアは呆れたようにため息を吐いて、
「でも、何で天井に?」
「あぁ、それね。それにはちゃんと理由があるのよ」
「理由って?」
僕は質問するのと同時に視線をセフィリアに戻して。
「今、あんたには世界が赤く――――――――――――」
右眼に『視』えたモノに凍りついた。
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」
セフィリアが何かを話しているのに耳には何も聞こえてこない。
「――――――――――――?――――――――――――――――――――――――」
音だけじゃない。『ソレ』を『視』た右眼も、アカイ世界が見えていた左眼も、口も、手も、足も、呼吸も、心臓の音も。何もかもが凍りついて。
「――――!!――――――――――――――――――――――――!!」
(な、んで……?)
凍り付いた感覚の中で、思考だけが鈍く動く。
(何でソコに?……どうして?)
思考が右眼に『視』える光景に少しずつ加速していく。
(だって……さっき、セフィリアの攻撃で)
右眼に『視』えるソレは何の感情もなく、ただソコにあった。
ソレはただ『視』ていた。僕を、じゃない…………セフィリアをだ。
無機質という言葉を形作ったソレは。
(跡形もなく消えたはずなのに…………!?)
セフィリアの背後、正確にはセフィリアの顔と同じくらいの位置に。
「リン!!――――――――――――っ!?――――――――――――ン!!」
完全に瞳孔が開いた眼球があった。
思考がやっとソレを認識して、凍りついていた感覚が一気に溶けて破裂する!!
「セフィリア!!後ろ!!」
「えっ?」
僕のあまりにも突発過ぎる言葉にセフィリアは呆気にとられて、一瞬だけ動きが止まって。
―――――――――――――――――――――――――――ジュブッ!!
そんな鈍い音が三回響いて、その音と一緒に赤い液体が宙に飛び散った。
「…………」
「セフィ……リ、ア?」
左肩、右胸、腹部。
セフィリアの細い体に黒い槍のようなモノが、容赦なく貫いていた。
「ゴフッ」
セフィリアの小さめな口から不釣り合いな量の血が吐き出されて、
「セフィリアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
考えるより先に体が動いていた。
僕はセフィリアが張ってくれていた結界から飛び出して、膝から崩れ落ちるように倒れ込んで行くセフィリアを抱き留める。
「ゴホゴホッ」
咳き込んでまた血を吐くセフィリア。僕はセフィリア支えながらゆっくりを膝をついてかがんだ。
「セフィリア!!大丈夫!?つ、っぐ!?」
また突然、右眼に容赦のない激しい痛みが押し寄せる。
「ぐっぁアアアアアアアアあっ、ああああ!!」
こんな時にまた痛むなんて。もういい加減にしてよ!!
「ぐぅ……ぅぐ」
右眼を襲ってる痛みへの苛立ちをヤケくそ気味に両足に込めて立ち上がって、何とか『空絶』の中に戻った、
「っ……お、治まった」
「…………リ、リン」
傷の痛みでうまく声が出てこないのか、少しかすれた声でセフィリアが名前を呼んだ。
「無理して喋らないで」
「大丈、夫…………すぐ治す、から」
「治す…………って」
そう言ってセフィリアは僕の肩を支えに体を起こして。
「この槍…………抜いて」
「抜くって!!そんなことしたら」
セフィリアの要求につい大声をあげて、
「法術で、治すの……この槍を、抜かないとっ槍が付いた、まま……治っちゃう」
「で、でも…………」
「時間、がないんだ、から……黙って、言う事を聞きなさい!!」
「っ」
気迫の込められた視線と声に渋々従う。
「お腹の槍、お願いね……私は胸の抜くから」
「……わかった」
僕とセフィリアはそれぞれ槍を握って、
「せーのっ!!」
セフィリアのかけ声で同時に抜いた。
「ぐっぅ!!!!!!!!!!!!!!」
セフィリアの悲鳴にならない悲痛な声。それと一緒に槍を抜いた所からは一気に血が溢れ出す。
「くっ!!」
僕は即座にお腹の正面と反対側の傷口に手を当てて強く圧迫する。
セフィリアも胸の傷口に手を当てて、
「次、肩のもお願い……私は法術始めるから」
おでこからは滝のように汗が流れ、顔色はどんどん真っ青になっていく。
急がないと!!
「い、行くよ!!」
僕は言われた通りに肩の槍に手をかけて、一気に引き抜く。
「っぁ…………ぐぅっ!!」
悲鳴とセフィリアの体が淡く光り出したのは同時。
すると傷口から溢れるように流れ出していた血が少しずつその勢いを失って、セフィリアの顔色が少し良くなったように見える。
その様子に僕はホッと胸を撫で下ろしそうになって、
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
僕に不安を打ち付けるように獣じみた咆哮が背後から響いた。
「な、何!?」
後ろを振り向くのと『空絶』の碧色のドームに亀裂が走って、倉庫全体が揺れた。
「くっ、この……少しは待ちなさいよね」
セフィリアが苦虫を噛んだような表情で顔を上げて、振動の原因を睨み付けていた。
「どうして……?」
「『空絶』に、攻撃……してるの。破ろうとしてる、みたい……っ、思いっきり殴りつけてる」
言葉が切れ切れになって聞き取りにくかったけど、姿が『視』えない僕にはそれだけでも少しだけ冷静になれた。
「っ……『空絶』がこんな、簡単に…………私の魔力を吸収した、から?」
もう一度『空絶』が砕ける音と振動が起こって、
「まだ全然治ってないのに……っ、せめて三分……ううん、一分あれば…………なんとか戦えるのに」
悔しそうに唇を噛むセフィリアに。
「…………一分、で良いの?」
僕は震える声で言った。
「っ!?リ、リン…………あんた何無茶な事考えて」
僕の考えてる事が伝わったみたいで、セフィリアは目を見開いて僕を見つめて。
「な、なるべく早く助けに来てね」
引き抜いた槍を握りしめて、セフィリアの返事が返ってくる前に動いた。
「リッ!?」
後ろからセフィリアの声が聞こえてきたけど、その声はすぐに右眼を襲う痛みに意識から追い出された。
「ぐっぅううっ!!」
右眼の痛みに意識が飛びそうになって。
ブチッ!!
犬歯で唇の端を思いっきり噛み切って、
「っつ!?」
その痛みで無理矢理意識をハッキリさせる。
「来い!!僕が相……手って…………」
左眼に見えた『虚』の姿に思わず言葉が出て来なくなった。
「ちょっ…………」
自分の四倍はある黒光りした巨人。腕の長さだけで僕の身長より大きいし、太さなんて僕の胴体より太い。
「こんなのと戦ったの……でも」
右眼には魂しか『視』えていなかったけど、なんで左眼で『虚』の姿が見えるんだろう?今までなら姿とか『視』えるのは右眼だけだったのに、なんで今は左眼で。
「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
僕が『虚』の姿に戸惑っているのなんかお構いなしに『虚』は僕に跳び付こうととしているのか、しゃがみ込んで。
「く」
文字通り、一文字。
来るなら来い!!
そう言うつもりだったのに、一文字分の声を出した瞬間に『虚』の大きな顔が目の前にあった。
「っ!?」
正に反射だった。持っていた槍を正面ではなく体の横に立てて構えた瞬間。全身を砕かれるような衝撃が飲み込んだ。
そして気がつけば僕は何度も地面に体を叩き付けられながら吹き飛んで、
「がっ!?」
粉塵を巻き上げて、倉庫の壁に激突。
「ぁっ……」
そこで意識が途切れそうになって、次の瞬間。
「あがっ!?」
左胸に鋭い痛みと左上半身を全て砕かれるような衝撃に、
「あああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!!!」
現実という地獄に引き戻された。
「ヴォフヴォフ」
痛い、なんてものじゃない。体の奥から壊されている感覚に、どれだけ気が狂ってしまえばいいのにと願ったかわからない。
巨大な手が僕の体を潰すように覆い被さって、上半身が粉々に砕けてしまったような痛みが襲う。
「アアッ!!グアッァ…………っぁ」
視界もおでこが裂けたせいか、右も左も血の赤で染まっていた。
「リ・・・ッ!!今―――――――――――――――からッ!!」
遠くでセフィリアが何か叫んでいた。その様子にお腹と胸の傷が治っているのが見えて……でも、それ以外分からなくて僕は心の中で謝った。
(ごめん、時間稼ぎきれなかった………………)
「ぁぁ…………っぅ」
ただ、痛いのに眠いのと吐きそうなのと……なんか、色々ごちゃごちゃになってて。
「ガァ」
死にかけの僕を観察するとうに『虚』が僕の顔を覗き込んできた。
左右がバラバラに視点の合っていない無機質な瞳。その不気味な視線に込み上げてくる鉄臭い温かいモノを我慢せずに吐き出して。
「ッ!!」
セフィリアが怪我が治りきっていないのに『空絶』から飛び出す姿が見えて。
「セ・・・・・・フ、リ・・・・・・・・ア」
だんだん暗くなっていく視界で、右眼だけに『視』える無機質な剥き出しの眼球。
僕は痛みも、感覚も、絶望も、無力感も、意識も何もかも闇に飲み込まれていく中で血だらけの左手を、
「こ……こ、に。め、じ……るっ、し」
右眼で『視』えている目の前の眼球に伸ばす。
「ガッ?」
セフィリアが攻撃する時にわかりやすいように、攻撃が当てやすいように。
「か……くは、こっ……こ」
なけなし力で眼球を握りしめて。
「ヴォアッ!?」
初めて何かの感情が込もった『虚』の声に、『虚』の体から吹き出すように赤い閃光が放たれ、
「なっ!?」
セフィリアの驚きと焦りの混ざった声にアカイ世界はガラス細工のように砕け散って。
何の前触れもなく、ただ世界はいつも通りの色を取り戻して、
「何よ…………これ。『虚』の魔力も、気配も感じないなんて」
セフィリアの動揺に揺れる声が倉庫に静かに響くだけ。そしてセフィリアは眉間にシワを寄せて、
「…………何で?」
セフィリアはまだ治しきれていない左肩の傷を押さえながら言った。
いつも通りを取り戻した世界にじゃなくて、僕とセフィリアの視線は同じ場所を見つめていた。
「リン…………」
ついさっきまで死亡フラグ確定、絶賛死亡進行中だった筈の僕の怪我は、
「傷が…………ない?」
跡どころか、血の染みすら一切なくなっていた。