――― 4月30日 ―――
「…………ふぅっ」
青空に向けて無気力にため息をついてみる。
「…………もう、何がなんだか」
青空に虚しく響く僕の声。それが自分がいるのは現実なんだと教えてくれる。
学校の屋上で僕は今、僕がおかれてる状況を分析してみる。
今の時間は8時25分。ちょうど丸一日経った計算だ。
今朝、起きた時は僕の部屋だった。
犯人に襲われて死にかけていた筈なのに体は無傷。どこにもあの時の怪我の跡はなかった。
「凜!!」
足元から声が聞こえてきて、
「夏先輩」
床からにゅるりと夏先輩が姿を見せた。
「探したのよ、屋上に行くって言ってくれれば良いのに」
「……いや、今朝起きた時にお願いしたこと覚えてますか?」
僕は夏先輩をジトーッと睨みつけて、深くため息を着いた。
「えぇ、覚えてるわよ」
そう言って夏先輩は腕を組んで左の人差し指を立てて言った。
「なるべく学校では話し掛けないように、でしょ?」
「……おぼえててくれてるならなんで」
「べつに良いじゃない、今は凜しかいないし」
「まぁ……そうなんですけど」
一人で考えたい事があったんだけど…………仕方ないか。授業中にでも考えよう。
「夏」
先輩、と言いかけて授業の予鈴の鐘が鳴った。
僕はそれに小さくため息をついて、夏先輩に背を向けて屋上の出入口に向かって歩く。
「出来るだけ右眼は『視』えるようにしておきますから、何か用事があったら来て下さい」
「…………うん」
夏先輩はどこか寂しそうに頷いて、
「心配はないと思いますけど……なるべく僕から離れすぎないでくださいね」
僕は念を押すように夏先輩の方を振り返る。
「うん、また昨日みたいなことがあるかもしれないしね」
「それじゃ、僕もう行きますね」
僕は夏先輩に軽く手を振って屋上を跡にした。
それから僕は普段通りに教室で朝のホームルームが始まるのを座って待っていた。
「…………」
教室は見慣れたクラスメイト達が楽しげに話をしていた。
気になるテレビと服。気に入らない先生がどうだこうだと、男女関係なく恋話に話をしていた。
僕はそれに交じることなく、ただ一人で窓際の一番後ろ端の自分の席で机と睨めっこをしていた。
一昨日夏先輩のお葬式が終わったばかりなのにどうして笑っていられるんだろう?皆、結構薄情…………ううん、大人なのかな。
「…………」
皆の雑談が少しずつ遠退いて、完全に聞こえ無くなる。
昨日、僕が意識を失った後の事を夏先輩に聞いてみた。
犯人をたった一撃で切り捨てたあの金髪の女の子。
その娘は僕の傷を治してそのまま何も言わずにどこかに行ってしまったらしく、目的は犯人だけだったのかもしれない。
「…………」
何だろ、凄く胸の辺りがモヤモヤする。
あの女の子を『視』た時にも感じた嫌な感じ。心臓をわしづかみにされたような息苦しい感覚。
「…………」
ここ最近ずっと見てるあの悪夢。
「は………きっ」
母さんを貫いて、母さんの血で染まった大鎌。
「………ぎ…っ」
それを何もできずにただ見ることしか出来なかった僕。
「は、……づき」
嫌でも考えてしまう。
「はぎ……き!!」
僕には夏先輩を護れないかもしれない、って。
僕は自分の中の不安をはき出すように大きく息をはいて。
「おい!!萩月!!」
耳元で響いた妙にドスの聞いた女の子の声。
僕はそれに肩が跳ね上がって、
「うわっ!?」
「うわっ!?じゃない!!」
僕はその声に慌てて正面に仁王立ちしている同級生の顔を見上げた。
「な、なに?」
「なに?じゃないわよ」
背丈は僕より少し高いくらいの女の子の同級生が話し掛けてたみたいだ。
さっきと同じようなやり取りをして、僕は苦笑いで答える。
女の子は呆れ顔でため息をついて、黒い大きなファイルを僕の目の前に突き出してきた。
それには白いシールに達筆な字で『日誌』って書いてあった。
「日誌?」
「萩月、今日はアンタが日直でしょっ!早く先生呼んんできてよ」
「へ?そうだったけ?」
僕はほっぺを掻きながら愛想笑いをして、
「ったく、ほら早く先生呼んできて……ん?萩月ってさ」
「ん、何?」
女の子が僕の顔を覗き込んできて。
「右眼。いつもと色とか瞳の形、違わない?カラーコンタクトとか何か?」
僕は女の子の質問に思わず右手で隠して、
「う、うん。いつもがカラーコンタクトなんだ、今日はコンタクトするの忘れちゃって……はは、少し気味悪いでしょ」
ちょっと固かったけど笑って答えた。
僕は「そうね」っていう答えが帰ってくると思って少し身構えたけど、女の子はポンと軽く答えた。
「全然、猫みたいで可愛いと思うけど?」
「そ、そう?」
「ええ、まぁ人それぞれだと思うけど私は気にならないわよ」
「そう、なんだ……」
僕はその答えに気が抜けた返事が出て。
「いいから、先生呼んできなさいよ。うちの担任は時間守らないんだからさ」
女子生徒の怒鳴り声にクラス中の視線が僕に集まって。
「はい!すぐ行きます!!」
我ながら素早い!!と思うくらいの早業で席から立ち上がって教室を出た。
廊下の壁には「走るな」って書いてあった貼紙が貼られていたけど、僕はそれを無視して走る。
「…………」
あの女の子、人間じゃない。多分、僕の予想通りなら。
「あっ!!」
僕はあることに気がついて足を止めて、後ろを振り返った。
「…………職員室、こっちじゃなかった」
お祖母ちゃんに作って貰ったお弁当と購買で買った紙パックのお茶を膝の上に広げて両手を合わせる。
「いただきまーす!!」
呑気な声が空に響いて、
「…………」
僕を突き刺す痛い視線。
「…………えっと」
「どうぞ、気にしないでお昼ご飯食べて。私は食べれないけど」
嫉み全開の声と笑顔で言われると…………食欲が無くなる。
夏先輩は生前はかなりの大食いとしてこの辺りでは名前が知られていた。
商店街の食堂のメニューを一人で全部食べるのは当たり前、某番組の大食い選手権では各ステージ事に驚異的記録を残し当時の大食い女王を難無く撃破。ほぼ一人舞台で、次回番組参加のオファーが来てたみたいだけど断ったらしい。
断った理由が「もっと楽しく食べたい」と言う理由だった。
幽霊になったから食べ物なんて食べる必要がない、というか物に触れられないから食べられない。それが目の前でご飯を食べられたらそれは腹が立つんだろうなぁ、と思う。
「こればっかりは諦めてください」
「ふんっ!!」
夏先輩は拗ねたのかそっぽを向いて、僕はため息混じりにご飯を一口口にする。
僕は夏先輩を横目でチラッと見る。
(まぁ、食べられないことはないんだよなぁ…………でも、それは絶対に夏先輩はしたくないだろうし、僕だって気まずい)
申し訳なさを押し殺して、黙っていようと決めた。
結果的にはこれがどっちに対しても最善だと思う。
僕は早く済ませようと黙々と食べ進めて、夏先輩は僕の横で「うーん」と眉間にシワを寄せて唸っていた。
「……っ……ん」
僕が半分くらいお弁当を食べ進めた辺りで、
「あーーーーっ!!わかった!!」
夏先輩が飛び出すように勢いよく立ち上がった。
「ど、どうしたんですか?夏先輩」
僕は突然の事でちょっと驚いたけど、夏先輩は気味が悪い満足げな含み笑いを僕に向けて。
「んふふっ!!」
「……夏先輩?」
何だろ?物凄く嫌な予感がする。
「私、物には触れないけど凜には触れるんだよねぇーーーーっ」
「そ、そうですけど?」
やばい、夏先輩もしかして気づいた?
僕は背中から汗が吹き出して、
「私、『口移し』なら食べられと思うんだよね」
夏先輩はわざとらしくほっぺを赤くして自分の唇に人差し指を沿える。
僕の嫌な予感は当たらなくていい時に良く当たるんだよなぁ。
「…………まぁ、食べられないことはないと思いますけど」
背中から滝のように流れる汗を感じつつも、表情は平静を死に物狂いで保つ。
「ねぇ、試してみよう?」
「そうですねぇ」
僕は夏先輩の提案を無視して、少し食べる速度を上げる。
最初は夏先輩は余裕の表情で僕を見つめていたけどただ黙々とお弁当を食べ進める僕の様子に少しずつ焦りが見えてきて。
「ちょっ……り、凜?私、お弁当食べられるか試してみたいんだけど……」
「んくっ…………もぐ、ん、そう……ですね」
僕は夏先輩を全く気にせず更に食べ進める速度を上げる。
「ちょっ!?凜!!」
夏先輩は僕がお弁当を食べ進めるのを邪魔しようとして手を僕の口元に当てようとして。
「んぐっ、はっ!!」
僕は無意識に気合いの声を上げて残りのご飯とおかずを一気に口にねじ込んで、
「ごふっ、んぐっ!!」
口から漏れそうになるご飯を両手で押さえ込んで無理矢理飲み下す。
飲み下した後は思いっきり咳込んで、買っておいたお茶を同じように一気に飲み干した。
「…………はぁっ!!く、苦しかった…………」
僕はお弁当という難敵に勝ったという確信と夏先輩の提案を阻止した安堵感でいっぱい。
もう一息、息をつこうとして首を握り潰されそうなくらい思いっきり絞められて。
「ぐぇっ!?」
「凜のバカ!!何で全部食べちゃうのよ!?」
夏先輩は大きな瞳にうっすらと涙をためて、僕の頭をブンブン振り回す。
け、頸動脈が絞まって!?ま、まずい!!本当に落ちちゃう!!
「そんなに私に飢え死にしろっていうの!?凜は私がご飯食べられなくても良いっていうの!?」
「いやっ、もう死なないし……というかもう、食べなくてもっ!?」
い、意識がっ。
僕は徐々に薄くなっていく視界に危機感が膨れ上がって、
「ぐっ、も…もう、限界!!」
「へっ?」
夏先輩の両手に手をかけて無理矢理引きはがしながら体をねじって、コンクリートの床に転がるように倒れ込む。
「ゴホッゴホゴホッ!!」
解放された頸動脈に血が流れる感覚と酸素を吸収している感覚に生きてる実感を感じて、肺を満たしてくれた酸素を二酸化炭素にして全力で叫んだ。
「僕を殺す気ですかああああああっ!?」
「だっ、だって凜が私にご飯食べさせてくれないから……その、つい」
夏先輩は申し訳なさを感じてるみたいだったけど、まだ納得いってないようで少し拗ねた感じで口を尖らせていた。
「僕の命と一食分のご飯は同じくらいですか!?」
「ご、ごめん…………」
夏先輩は肩をガクッと落として、僕はそれを呆れたように見詰めた。
「確かに夏先輩がご飯を食べたい気持ちは僕にもわかります。でも、いくら食べるのが好きで我慢でき無くてもですね、夏先輩だって女の子なんですから簡単にく、く……口移しなんて」
「い、嫌だった?私的にはかなり名案だったんだけどな」
僕の様子を伺っているのか、顔は遠慮気味に伏せて上目遣いで僕を見つめていた。
「いや、嫌っていうか」
抵抗があるのは事実だけど……良く考えれば幽霊とはいえ夏先輩はぶっちぎりで学校一のアイドルで、容姿端麗、眉目秀麗、清楚可憐ってどんな褒め言葉でも足りないくらい綺麗で。成績も学年トップで人辺りも良いし、炊事も家事も文句なしに完璧な人。そんな夏先輩と恋人でもないのにご飯を口移しで食べさせるなんて、はっきりいって夢物語。他の男子だったらきっと血の涙と鼻水を垂らしながら喜ぶんだろうなぁ。
僕も年頃の男、そういうことに全く興味がないって言ったら嘘になる…………けど。
僕が誰かを好きになる事なんて多分、ない。
誰かを好きになる、そんな感覚がわからないから。
生まれてこのかた、誰かを好きになったことがない……正確には家族とか友達としてはあるけど、たった一人だけ失いたくないっていうくらい好きになった女の子がいないんだ。
男子グループの話に出てくる可愛いとか綺麗とかっていう女の子の話を聞いても、可愛いとか綺麗の上がなくて、ただそこで僕の中で終わってしまうから恋愛感情にならずに終わってしまう。
夏先輩もそう、どんなに綺麗でも結局はただの他人になってしまう。今、一緒に行動しているのだって夏先輩を悪霊にしたくないっていうただのお節介から。憧れとか恋愛感情なんて一切関係な理由だ。
「嫌ではないですけど、夏先輩とそういうことをするっていう選択肢が僕には無いっていうのが1番近い表現ですかねぇ」
長い葛藤の末、僕が出した答え。
「…………」
「な、夏先輩!?」
その答えに眉間にしわがれを寄せるどころか、ヒロインキャラとしてあるまじき鬼の形相と気迫を僕にぶつけきた。
「…………」
「な、夏…………」
無言なはずなのに、圧倒的な叫びで押し潰されそうな感じ。
「…………う」
もう駄目だ、何をいっても僕の人生には死亡フラグしか立たないよ。
さっきとは違う意味で汗が流れ出してきて、
「はは…………」
もうすぐ僕も世界にサヨナラを言わなきゃいけないのかと覚悟した時だった。
「イチャついてると悪いんだけど、少し時間もらうわよ」
場の空気なんて一切関係なく自己主張の塊のような声が聞こえてきて、僕と夏先輩はその声が聞こえてきた方向に振り向いて。
「なっ!?」
「あ、あなたは……」
そこに立っていたのは目の覚めるような煌めきを放つ美しい金髪の少女が不機嫌そうに立っていた。
「元気そうね、ひとまず安心ってとこかしら」
女の子は胸元に流れていた長い金髪を後ろに払って、小さく息をついた。
「っ…………」
僕は先輩を背に回して、女の子の正面に立つ。
今どんな顔をしてるかはわからないけど、きっと。
「そんなに睨まなくてもなにもしないわよ」
どんな対応をされても大した問題じゃない、自信じみた感じが伝わって来る。
「ごめん、でも信用できないよ」
敵意はない。そう敵意はないんだ。
「まぁ、仕方ないか。普通はあんな状況にならないしね」
めんどくさい。そんな顔をして腰を抱えるように腕を組んだ。
「…………」
昨日、意識が消える前に『視』た光景が僕の中でこの状況の答えを出してしまう。
攻撃の軌跡が見えない速度での攻撃を出されてしまったら僕は何も出来ない。
「……僕達に何か用?」
「あんた達、というよりはあんたの後ろにいる『霊現体』に用があるのよ」
「『霊現体』?」
「そっ。あんた達で言えば『浮遊霊』って呼んでるものかしら」
「……私に何の用?」
夏先輩は僕に隠れるように背を丸めて、女の子に問い掛けた。不安の大きさを示すように、握った手は真っ白になっていた。
「単刀直入に言うわ。あんたを生き返らせてあげる」
「なっ!?」
「生きかえ……って!?」
「何、大口開けてアホ面してんのよ」
「いや、だって…………」
「…………」
夏先輩は疑うことなんて忘れて、驚いたなんてもんじゃない。今、女の子が言った言葉に思考回路が完全にパニクってる。
それもそのはずだ。死んだ自分が「生き返る」だなんて、世界が壊れて神様が世界を作り直さない限り出来ない事なのに。それをこの女の子はまるで瞬きをするくらい、息をするくらい当たり前に言ったんだ。
「あんたが死んだのはこっちだって『予定外』だったのよ。ったく、どこの誰だか知らないけどこっちの仕事邪魔しないで欲しいわ」
「仕事って?」
僕は出来るだけ平静を装って、金髪の女の子に話し掛けた。
「魂の管理よ、もっとわかりやすく言えばあんた達の寿命、運命決めてるのよ」
「運命って…………」
その一言に言いたくない言葉が出てきた。
「なんで君が決めるのさ!?人の運命を勝手に決めないでよ!!」
「り、凜!?」
夏先輩が驚いてるのがわかる。でも、そんなことは今はどうでも良かった。
「怒鳴られても困るのよねぇ、それが仕事だし」
「仕事だって!?」
女の子はめんどくさそうに目を細めて、小さくため息を着いた。
「人の命を物みたいに扱って……その上、夏先輩が死んだのが予定外だって!?ふざけたこと言わないでよ!!」
「ふざけてないわよ、だって事実だもの」
「どうして君達はそんなに人の命を…………っ」
「…………『君達は』か、あんた私が何なのか知ってるみたいね」
「…………知ってるよ」
話が早いといった感じに女の子は小さく笑って、
「凜、この子の事知ってるの?」
「正確にはこの子じゃなくて、この子の『存在』って言った方が良いのかな」
僕は奥歯を思いっ切り噛み締めた。
「……存在?」
夏先輩は不安そうな声で呟いた。
「あの女の子は……」
「『死神』よ、よろしく」
「し、死神って……あの魂を刈り取っていく死神?」
「ええ、そうよ。正確には生死を司ってる神よ」
「生死か…………それでその死神さんはどうやって夏先輩を生き返らせるっていうの?」
僕は出来るだけ感情を抑えて、声を搾り出した。
「生きていた時間に時間移動する、っていうのが一番近い表現かしら。生き返らせること事態はそんなに難しくないわよ」
「ホントなの!?」
夏先輩は女の子に害意がないことを感じ取ったのか、僕の頭を抑えて身を乗り出すようにして興奮したような声で問い掛けた。
「ええ」
「じゃあ、早く」
夏先輩は興奮を抑え切れないみたいで僕の背中を乗り越えようと膝を乗せ、
「でも、条件があるわ」
「条件?」
女の子の言葉で夏先輩の動きが止まり、僕は一歩前に出て女の子の話を聞いた。
「今のあんたは『未練』に縛られてるから、今のままだと『破壊』以外の魂操作を受け付けない状態だからまずは先に『未練』を解決しなくちゃいけないのと」
女の子は夏先輩と僕に視線を交互に移して人差し指で僕達を指した。
「あんた達を襲った奴の親玉を殺さなきゃいけないの」
「僕達を襲った人のって」
「その親玉のおかげでここら一帯の魔力のパワーバランスが崩れてて生き返らせる儀式ができないのよ」
女の子は面倒くさそうに溜息をついて話を続けた。
「『事象回帰』……それが儀式の名前よ」
「『事象回帰』……?」
「そっ、さっきも言ったけどこれはそこの『霊現体』の子が生きていた時間に戻れるんだけど……ちょっと問題があって」
「問題って?」
「問題っていうのは」
女の子がそう喋り出そうとして。
―――――ゴーンッ!!
遮るように始業の鐘が響いた。
「時間みたいね」
女の子は僕達に背を向けて、それと同時に右眼少しだけ痛みが走る。
「ぐっ!?」
女の子を包むように黒い霧が足元から溢れて、
「こっちも出たみたいだし、また来るわ。話の続きはその時にするから、それまで普通に生活してなさい」
黒い霧が肩まで包み込んだ時だった。
「ま、待って!!」
右眼を抑えたい衝動を堪えて女の子を視界にしっかり捉える。
「何?」
「名前……を」
痛みにつられて声がうまく出てこなかったけど。
「セフィリア」
「えっ?」
「セフィリア=ベェルフェールよ」
女の子。セフィリアはそう答えて、
「覚えておきなさい」
そう言って黒い霧に包まれて消えた。
屋上の出来事から12時間が経って家に戻って来た。僕達は一階のお祖母ちゃんの和室の畳の上で僕はあぐらを、夏先輩は正座をして正面に座っている金髪の女の子を恨めしげに見ていた。
「二人ともあまり浮かない顔しとるが、なんかあったんか?」
お祖母ちゃんは僕にお茶を出して、「どっこいせと」って声を出して女の子の隣に正座した。
「二人は初対面じゃろ、小奴は」
「セフィリア=ベェルフェール……って名前だよね」
僕はお祖母ちゃんが言おうとしたことを代弁するみたいに女の子、セフィリアの名前を言った。
「ん?知っとったのか?」
お祖母ちゃんはそれ程驚いた顔せず、
「……うん、2回会ってる。その娘、『死神』なんだよね?」
「知っとるなら話が早いの」
お祖母ちゃんは小さく咳払いをして僕達に言った。
「昨日、こやつの上司に頼まれてな。こやつの仕事を手伝うことになってな。ついでに夏子さんのことも聞いておこうと思っての、家に来てもらったんじゃ」
「もういくつか話してあるわ、ちゃんと憶えてるわよね?」
セフィリアは僕と先輩を睨み付けるように目を細めて、
「うん、話の途中だったよね」
僕はその視線を気にすることなく笑って言葉を返した。
「『事象回帰』がどういったものかは何となくわかったけど・・・・・・問題があるって言ってたよね」
「ええ、そうよ」
「その問題って?」
「まぁ、問題といえば問題なんだけど私からしたら別にどうでも良いんだけど。そっちの『霊現体』からすると大問題でしょうね」
セフィリアは感情を一切込めていない冷たい目で夏先輩を見ながら言った。
「生き返る時間が指定出来ないの」
「生き返る時間?」
「簡単に説明するとね」
夏先輩を指差して、話を続ける。
「生き返る時間は死ぬちょっと前があんたで言えば理想のタイミングよね?」
「そう、ね」
「それが産まれた時だったり、子供の頃かもしれない。二、三年前ぐらいになるかもしれないの。記憶自体は今のまま残るから、生き返る時間が前過ぎると辛いと思うわよ?」
セフィリアの言葉に夏先輩は青ざめた表情で言葉を失っていた。
「…………」
当然だと思う。
生き返る時間が一ヶ月とか二ヶ月。ある程度我慢したとしても三ヶ月、それくらいの時間で巻き戻って生き返られるなら良いと思う。けど…………最悪、産まれた時に戻ってしまったら今まで大切な家族や友達と過ごしてきた時間を、思い出を全てをなかった事にしてしまう。
夏先輩がたくさんの掛け替えのない思い出を覚えていても、夏先輩以外の人全員がその全てをその思い出を経験していない状態になる。それは実質、生き返った後の世界では今ここにいる『神村夏子』という存在がいなかった事になる。
「まぁ、このまま悪霊になって生き返る事も転生する事もできなくなるくらいなら良いんじゃないの?」
セフィリアは夏先輩の意見を聞こうとしているのか、そう言ってお茶を啜りながら夏先輩をじっと見ていた。
僕はセフィリアの行動に目を見開いた。
(お茶、飲めるってことは実体なのか……今は、夏先輩の方に集中しないと)
それからしばらく沈黙が続き、セフィリアはお茶を何事もないように平然と少しずつ喉に流していて。夏先輩はセフィリアの言葉に感情を無くしてしまったみたいにただ呆然と顔を俯かせていた。
「…………本当に指定出来ないの?」
僕はどんな事でも良いからこの沈黙を壊したいと縋るようにもう一度セフィリアに問い掛けた。
「えぇ、もうこれは運に任せるしかないわね」
「皆が夏先輩を忘れないようにする事はできないの?」
「ええ、全員が記憶を保持するのは無理ね。それこそ事象や時系列に歪みが出てしまうもの」
「そう、なんだ」
なけなしの努力は粉々に砕かれ、僕も首を垂らして黙るしかなくなった。
客観的にいえば、セフィリアみたいに悪霊になるよりはマシだという考え方は一番の最善の選択だと思う。でも、頭でわかっていても心が拒絶してしまう。
問題も答えも簡単に結果は出てる…………でも、理屈じゃないんだ。
僕はどうにか方法はないかと良いとは言えない頭で脳みそをフル回転させて考えてみた。けど、良い方法なんてすぐに思いつくはずもなく。
「まぁ、話はそんなとこ。話は済んだし、私は一旦任務に戻るわ」
小さくため息を零しながらセフィリアは立ち上がり、
「一応『事象回帰』はする方向で任務は進めるけど、納得いかないと後味も悪いだろうし暫く考えてみなさい。まぁ、ほんとは考えるまでもない事だけど心の整理ってのは必要でしょうし」
僕と夏先輩に交互に一瞥した。
「他に聞きたい事はないの?聞かれた事には答えるけど、聞かれない事には答えないわよ」
「…………うん、大丈夫」
「そっ、なら任務の事で頼み事もあるし、また来るわ…………それと」
そう言うと昼間と同じように黒い霧がセフィリアを包み、
「ん、何?」
僕は霧に包まれ消えていくセフィリアに視線を戻して。
「どっちの選択をするかはあんた達に任せるけど」
「うん」
「後悔しない方を選びなさいよ」
一瞬、聞き間違いかと思うくらい優しい音色が響いて。
「それじゃ、また明日」
「ちょっ」
僕は慌てて立ち上がって、
「行っちゃった」
「そう、ですね」
夏先輩の声に呆然と頷いた。
「飯くらい喰っていけば良かろうに…………」
釈然としない場に緊張感のないお祖母ちゃんの声がぽつりとしみこんで。
「夕飯の支度をしてくるでな、二人ともゆっくりしとるんじゃぞ」
「うん、ありがとう」
お祖母ちゃんは何か察してくれたのか、それ以外何も言わず和室を出た。
僕はお祖母ちゃんが出て行くのを確認して、視線を夏先輩に戻した。
「夏先輩……大丈」
「後悔しない選択か」
僕の言葉を遮るように零した夏先輩の一言。
「へっ?」
消えてしまいそうなくらい小さな声でうまく聞き取れず、
「ううん、何でもない。それより蘭さんの手伝いに行こ!!」
それを誤魔化すように夏先輩は襖をすり抜け、和室から消えた。
一人取り残された僕は、
「………………ハァ」
ただただため息を吐くしかなかった。