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れせぷしょん  作者: りくつきあまね
神村夏子
4/39

――― 4月29日 ―――

 一番最初に思ったのはこれは夢だと思った。

 暗い、暗いだけの世界。感覚的には何も感じていないのに、まるでそこにいて体験しているみたいな現実味。

 ただ『視』ることしか出来なくて、ただ理不尽に受け入れることしか出来ない夢の世界。

「…………ぁっ」

 周りの景色が変わった瞬間に両目を塞ぐ。

 この先は絶対に『視』たくないのに、両目を思いっきり閉じて眼が破裂しそうなくらい両手で押さえても脳に直接映像が流れ込んで来る。

 状況的にはそんなに難しくない。

 場所は家の近くの公園。そこにいるのは小さい頃の自分と母さんと、長い銀髪の女の人。

 そう、これだけならなんの変哲も無い普通の光景なんだ……銀髪の女性が自分の身長より大きい鎌で母さんを串刺しにしていなければ。

 小さい頃の自分はそれをただ眺めていただけ。

 そう、眺めることしか出来なかったんだ。

「母さん!!」

 母さんを助け出そうとして伸ばす手はいつも見慣れた自分の部屋の宙を掴むことしかできない。

「…………また」

 体中から嫌な汗が滲み出て、うっとしいくらいに怠さを感じる。

「なんでいつもこの夢なんだか…………」

 ダダをこねる我が儘な子供みたいに激しく脈動する心臓。

 僕は胸を押さえ、深く息をついた。

 この夢をみたあとは決まって良くないことがおこる。

「…………………」

「凛!!」

「うわっ!?」

 突然耳元で鼓膜を破る気満々の大声が飛び込んできて、

「朝よ!!もう8時過ぎてる!!」

「いきなりどうしたんですか?夏先輩、8時過ぎてるって……何か用事でもありましたっけ?」

僕はキーンッと耳鳴りする右耳を押さえながら、僕の少し上に浮いている夏先輩を見上げた。

 僕が呑気に答えたせいか、夏先輩はプクッとほっぺを膨らませて枕元似合った目覚まし時計を指差して言った。

「もうっ!!8時過ぎてるのにそんなにのんびりしてたら学校に遅刻するわよ!!」

「学校って……」

 僕はそのフレーズに小さく笑ってしまい、

「何で笑うの!?」

「いや、だって夏先輩。昨日からゴールデンウィークですよ」

「へっ?ゴールデンウィーク?」

 夏先輩は目を丸くパチパチさせて、

「はい、また明日は学校ですけど5月5日まで学校は休み」

「そ、そうだったね。ごめん、私の勘違いで起こしちゃって…………」

起こされたこっちが申し訳なくなるくらいに肩を落として落ち込んでいた。

 僕はまた小さく笑って、

「気にしないで、夏先輩。いつもはもう少し早く起きてるから今起こしてくれて逆に助かったほうだから」

夏先輩に軽く頭を下げた。

 休みの日でも僕は普段通り6時には起きている。今日みたいな日が逆に珍しいほう。

 布団をたたみ、ベットから降りる。

 どっちにしろ、あんな夢みたあとに二度寝なんて絶対出来ないし。

「さてと」

 僕は水色のパジャマを脱ごうと衿元のボタンを外そうとして。

「…………夏先輩」

「ん?どうしたの?凜」

 ほっぺたが少しだけ熱くなる感じがわかって、きっと顔が赤くなってるんだと思う。

「…………その、着替えたいんで」

 僕は照れながら苦笑いで夏先輩にお願いして、

「あっ、ごめん。外に出るね!!」

夏先輩は顔を赤くして慌てて壁をすり抜けていった。

「…………?」

 何だろう?少し残念そうだった顔してた。

 それから僕は3分と掛からず着替えを終え、夏先輩に声を掛けながら部屋を出た。 階段を下りながら一階のリビングへ。

「朝ごはん?」

「はい、朝は毎日食べるようにしているので」

 僕と夏先輩が二人でリビングに入るとそこには。

「ん?」

 淡い藍色の着物を着た僕と同じ紫色の髪と瞳の女性がいた。背丈と見た目でいえば僕と同じ、まぁ小学生みたいな人がいた。

「凜、起きたのか?今日は寝て過ごすのかと思っとたぞ」

「ちょっと寝坊」

「おぬしが珍しいの」

 湯呑みをゆっくりテーブルに起き、その人は立ち上がった。

「鮭の塩焼きと味噌汁があるぞ、食べるか?」

「うーん、食べる。」

「そうか、なら座って待っとれ」

「ありがとう」

 僕はその人に促されるまま椅子に座り、

「ねぇ、凜」

「はい?」

 横に浮いていた夏先輩の方を向いた。

「凜にこんな可愛い妹さんいたっけ?」

「妹?」

 僕は夏先輩の言葉に首を傾げ、

「今、お味噌汁よっそってくれてるじゃない。少し喋り方がお年寄りみたいだけど」

「あぁ、この人は妹じゃないですよ」

夏先輩が何を言ってるのかやっとわかった。

「妹じゃない?じゃあ親戚の娘?」

「いえ、あの人は暦とした僕の」

「祖母じゃよ」

 僕の代わりに答えるように味噌汁を置きながら、夏先輩を見つめる僕のお祖母ちゃん。

「っ!?えっ、わっ私のこと『視』えてるの!?」

「そりゃあ、服のシワまでバッチリとな」

 お祖母ちゃんは見た目通り悪戯っ子みたいに得意げに笑って。

「初めましてじゃな、幽霊さん」

 次に鮭の塩焼きを置き、少し大きめの丼によそったご飯を置き名乗った。

「ワシは萩月蘭(はぎづきらん)、小奴の祖母じゃ」

「おば、お祖母さん!?」

「同じみの反応じゃの」


挿絵(By みてみん)


 お祖母ちゃんは予想通りと椅子に座り、湯呑みを持つ。

「こう見えてももうすぐ80になるぞ」

「嘘…………」

「はは、びっくりしてる」

 僕は驚く夏先輩をよそに味噌汁を啜って、

「お祖母ちゃん、今日は仕事?もし時間があるならちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど……」

 上目遣いでお祖母ちゃんに視線を送って。

「そうなのかぇ?可愛い孫の頼みとあっては断れんのぅ……と言いたい所じゃが今日は先約があってのこれから出かけなければならんのじゃ」

「そうなんだ……残念」

 僕は少し拗ねるようにご飯を一口食べて、鮭の身をほぐしていく。

「一応、話だけでも聞いておこうかの」

「ありがとう、お祖母ちゃん。まぁ話ってのは」

「そこの娘さんじゃろ?」

「うん」

 一旦箸を置き、夏先輩の事を話す。

 夏先輩の事と言ってもここ2、3日の事で夏先輩が通り魔に襲われたこと。葬儀の事、そして昨日現在の事ぐらい。

 話が終わって思ったのは僕は学校でよく話をしたりするけど、あまり夏先輩の事を知らないなぁって思った。

「…………そうか、それは悔やみ切れんのぅ」

 まるで自分の事のように悲しむお祖母ちゃん。

「いえ、私はもう気にしてませんから」

 そんなお祖母ちゃんを励ますように笑って見せる夏先輩に少し心が痛くなった。

「大体の事情はわかった。ようは夏子さんを成仏させたいんじゃろ?」

「うん」

「少し厄介じゃの……」

「厄介って…………」

 お祖母ちゃんは夏先輩に顔を向けて、

「夏子さん、おぬしの未練……思い残したことは何じゃ?」

「えっと…………」

「いきなりそんなこと言われたって、言いにくいことだったら言えないよ」

 僕は答えに戸惑っている夏先輩に助け舟を出して。

「夏先輩も無理に答えなくてもいいよ、成仏するのって結局は夏先輩が決めることだから」

「ちがうのよ、凜」

「え?」

 夏先輩は全くといっていいほど感情の消えた顔で僕に言った。

「言いたくないとかそんなのじゃないの、ほんとに自分でもわからないの」

「わからないって……」

「そう、それが厄介なんじゃよ」

 お祖母ちゃんは腕を組んで、眉間にシワを寄せた。

「人は死ぬ直前に人生の走馬灯を見るんじゃ」

「そうみたいだね」

「はい」

 お祖母ちゃんが話し始めて、僕と夏先輩はそれぞれ相槌をうった。

「ある種の記憶処理みたいなものでな、生まれ変わったときに出来るだけ記憶を受け継がないよう、この場合は心と言った方が近いの」

 霊体になった者は一時的に記憶の保管庫になっており、ある程度の自我を保って存在する。

「何故、未練を思い出せないか、忘れてしまうのというとじゃな」

視線だけを夏先輩に戻して、僕もつられて夏先輩を見つめる。

「夏子さんにとって一番知られたくない、誰にも知られちゃいかん記憶。それが霊体になる為の力になって霊体になる。だから未練を思い出そうとしても簡単には思いだせんのじゃ。地縛霊は自分で未練を果たせず、成仏できない霊じゃな」

「じゃあ、もしこのまま未練を果たせなかったら…………」

「例外なく皆、『地縛霊』になる」

「そんな…………」

 口元を両手で覆い、驚きを通り越して青ざめている夏先輩に、

「まぁ、そんなに心配しなくても大丈夫だと思いますよ」

僕は正反対に落ち着いた口調で話しかけた。

「そうならないように僕やお祖母ちゃんがいるんだから……ねっ、お祖母ちゃん」

「凜……」

 夏先輩は黒目がかった大きな瞳を潤ませて嬉しそうに笑ってくれた。

「ワシから一つアドバイスじゃ」

 お祖母ちゃんもなんでかわからないけど僕を嬉しそうに見つめながら、人差し指を立てた。

「何?」

「未練を探すには思い入れの強い場所を歩き回ったり、仲の良い人物を尋ねてみたり大切な物だったりを探してみると良いぞ」

「場所に人か…………ありがとう、お祖母ちゃん。せっかく長い休みもあるし探し回ってみるよ」

「それがよいじゃろ」

 お祖母ちゃんは満足気に笑って席を立った。

「それじゃワシは出掛けて来るぞ、戸締まりと火はしっかりするんじゃぞ」

「うん。いってらっしゃい、お祖母ちゃん」

 そう言って僕はお祖母ちゃんを見送って、残っていた朝食を手早く済ませようとして。

「凜……」

 申し訳なさそうに夏先輩が僕を見ていて、

「何?夏先輩」

僕は箸を止める。

「折角の休みなのに……いいの?何か予定とか」

「特にないですから気にしなくても大丈夫ですよ」

「でも…………」

「…………夏先輩」

 僕は少しだけ声を低くして、夏先輩に言った。

「今、一番大切なのは休みをどう過ごすかよりも夏先輩を助けてあげること。僕の休みよりも何十何百倍も大切だよ。だから大丈夫」

 僕の言葉を信じられないと言った感じで驚いた顔を見せた夏先輩。でも、すぐに満面の笑みで。

「ありがとう、凜」

と、嬉しそうに言ってくれた。

 僕はそれが恥ずかしくて照れ隠しにご飯をかきこみ、夏先輩は反対側に移動して来て僕を眺める。

「ご飯美味しい?」

「美味しいですよ」

 僕はぶっしつけに答えたけど、夏先輩は嬉しそうに僕がご飯を食べるのを見ていて少し……いや、かなり恥ずかしかった。




「とりあえず、商店街を回ってみましょうか」

「そうね、よく買い物とか遊びに来るし」

 朝ご飯を済ませた後。僕と夏先輩は商店街に来ていた。

 商店街はゴールデンウィークということもあって混雑しているかなぁと思っていたら案外空いていた。

 比較的にこの町は田舎の部類に入ると思う。人通りやお店の数は少なくはないと思うけど特に目に引くものもないし、軽い買い物や遊びには困らない。治安もそれなりに良いと思っていた……最近までは。

「何も代わり映えしないけど……どうですか、何か思い出せそうですか?」

 僕は隣にいる夏先輩に話しかけた。

「全然、なにも」

「そうですか……まっ、いきなり見つかるとは思ってませんでしたけど」

「でも」

「でも?」

 夏先輩は「フフッ」と小さく笑った。

「初めてだなぁーって」

「何がです?」

 僕ははしゃいでいるように見える夏先輩に首を傾げて、

「凛と買い物来るの」

「はぁ…………確かに初めてですけど」

「ウフフッ!!」

もう一度にやける夏先輩。

 よくわからないけど、夏先輩嬉しそうだし…………まっ、いっか。

 僕は正面に向き直して、商店街を見回す。

「…………ッ」

 右眼に『視』える景色に少しだけ戸惑った。

 人と幽霊って見分けるの疲れるんだよなぁ。

 人と人とがぶつかり合うはずの風景。人が混じり合う様に『視』える光景はいつ『視』ても気持ち悪くなる。



 ーーーーーズキッ。



「ん……っぅ」

 右眼に感じる焼けるような感覚。

「どうしたの?凜」

 ほんの少しだけ顔を歪めただけなのに夏先輩が、怪訝そうに問い掛けてきた。

「……いえ、何でもないです」

「そう?」

「はい」

 これだけ霊魂を『視』続けるのは久し振りだからかな。少し痛みがいつもより強い気がする。

「一通り見てまわりましょうか?」

「そうね、ウインドショッピングでもしながら歩きましょう」

 夏先輩はもう全く気にしていないみたいで宙をスイスイと泳ぐように浮いていく。

 それが無邪気な子供みたいで思わず、笑ってしまった。

「夏先輩、僕は飛べないんですからもっとゆっくり」



 ーーーズキッ!!



「ぐっ!?」

 それは突然だった。右眼を槍で貫かれたような激痛が走って、一瞬だけ意識が飛んだ。

「く…………ぅ、ぐぅっ」

 足元がフワフワとした感覚に歩いている実感がなかったけど、痛みに耐えながら商店街の脇道に逃げた。

「ねぇ、凜……って」

 夏先輩は僕の様子に気がついたみたいで、一っ飛びで僕のところに飛んで来てくれた。

 僕は商店街の脇にある噴水公園に何とかたどり着いて、ベンチに前のめりに滑り込むように倒れた。

「ねぇ!!凜!!大丈夫!?目が痛いの!?ねぇ、凜ってば!!」

 夏先輩が何か僕に言ってる。でも、何を言ってるのかわからないよ。

 右眼を襲う激痛に僕は完全に余裕をなくし、夏先輩に大丈夫と笑いかける事すら出来ない。

「ぐぁ、ぐぅうううっ」

 痛みの間隔が速くなってきてる。何か近づいてきてるみたい。

 痛みが更に強くなって、

「あっ…………」

余りにも唐突に痛みが消えて、変わりに言いようのない圧倒的なまでの圧迫感が体全体に重くのしかかって来た。

「…………夏先輩」

「凜!?大丈夫!?」

「なん、とか」 やっと言葉に出来た自分の声に一気に思考が冷静さを取り戻してきて。

「早くここを離れましょう……なにか嫌な感じがします」

「嫌な感じって……っ!!」

 夏先輩が喋っている途中だったけど、そんなこと気にしていられなかった。

 早くここから離れないと!!

 今朝みた夢がフラッシュバックする。

 母を貫く大鎌、銀髪の女性。

「早く!!」

 夏先輩の手を乱暴に引いて、公園から離れようとして。

 辺りが暗く、いや黒く包まれていく。

「なっ!?」

「何!?」

 僕達を中心に円状に囲うように黒い壁が地面から突き上がり、

「かはっ!!」

 僕と夏先輩以外の笑い声が短く上がった。

「誰!?」

 僕は夏先輩を背にして、声の主を見た。

 そこにいたのは中肉中背の20前半の男。見た目はどこにでもいそうな優しい顔付きをした人で、今は口元を押さえて笑いを堪えているように見えた。

「あのあなたは」

 誰?ともう一度質問しようとして、さっきと同じくらいの拷問されているような痛みがまた右眼を襲ってきた。

「っ!!ぐぅあっ、ああああああああああああああああ!!」

 僕はその場にうずくまって、痛む右眼を押さえ付ける。

 また、くそっ!!最近多過ぎるよ、何で近くに幽霊は夏先輩しかいないはずなのに……って、まさか!?

「ぐぅっ!!」

 僕はなんとか右目を閉じた状態で顔を上げ、さっき男の人がいた場所を見る。

「…………くっ」

 僕の左眼の風景には目の前にいた男の人がいない。

 やっぱり。

「…………幽…霊」

 僕の右眼が反応してるのって。

「クハハハハハハハハハハハハハハッ!!」

 笑いを堪えていた男の人が堰を切ったように大笑いしだした。

「何、あの人…………」

 夏先輩は男の人の様子に怯えるように体を丸めていた。

 僕はなんとか立ち上がって、右眼を開く。

「夏先輩と、同じ……幽霊です」

 男の人はずっと笑い続けていて、その顔にどこか見覚えがあるような気がしたけど痛みでそれどころじゃなかった。

「凜!!大丈夫なの!?」

「はい、なんとか……」

 嘘だ。

 今にも倒れてしまいたいくらいに酷い。意識だってもうほとんど飛んでいきそうなくらいにぼやけてる。

「……下がっていてください」

 でも、それ以上にずっと心の奥に感じている胸騒ぎに体を突き動かされる。

「ははははははははははははははははははははははははっ!!最っ高だぁ!!」

 長く続いた高笑いが興奮の言葉で止まった。

「…………っ」

「……あの人」

 男の人は手で顔を押さえて黒く染まった空を見上げる。

「殺した奴を殺した後でも殺せるなんて俺は幸せ者だぜっ!!」

「殺した後に殺すって…………っ!!」

 僕はその言葉に夏先輩に顔を向けて、夏先輩は震える体を抱きしめて男の人を見ていた。

「……私を殺した人」

「くっ!!」

 僕は顔を正面に戻して、男の人を睨みつける。

 こいつが夏先輩を。

「そこのガキは生きてるのかぁ……」

 男は僕に粘っこい視線を向けて、

「ってことは今と後で2回殺せるってことかぁ!!」

 男は喜び勇み、ズボンのポケットからナイフを取り出し、僕達目掛けて走り出す。

「そこじっとしてろ!!サクッと殺してやっからよぉっ!!」

「くっ!!させるか!!」

 男は僕に粘っこい視線を向けて、男は喜び勇み、僕は犯人との間合いを自分から詰め、

「凜!?」

「夏先輩はそこにいて!!」

出来るかぎり、体を自然体に近づけようと力を抜く。

 夏先輩の事件を思い出してみた。


 ――通り魔――。


 相手は人を襲う事に……殺す事に何の躊躇いも罪悪感も感じない相手。手加減しないって決めた方が戦いやすい。

「フッ!!」

 右眼の痛みを吐き出す気持ちで一気に肺から空気を吐き出す。

 左手を軽く開いた状態で前に突き出して右手を握って、脇を締めながら後ろへ引く。

「良い声で泣いてくれっ!!!!!!!!!!!!」

「シッ!!」

 男は何の迷いも無くナイフを突き出し、僕の眉間を狙う。

 僕はそのナイフを首を傾けて避けながら男の攻撃に合わせて、顔面に渾身の拳をたたき付ける。

「ギッァ!?」

 拳から伝わって来る肉と骨を砕く感触に、背中に寒気を感じた。

「はぁっ!!」

 僕はそのまま男を殴り飛ばして、地面を転がりながら吹き飛ぶ男の姿に構えを取り直す。

「…………」

 普通は出来ないけど、僕の霊力が高いから出来る芸当。

 普通は触る以前に『視』ることだって出来ないのに、僕という存在はそれを無視する。

 小さい頃からお祖母ちゃんに「幽霊に虐められないように」って護身術を叩き込まれてたけど、結構辛くて大変だったけどこういう時には心の底からやってて良かったって思う。

「ぐっ…………このガキ、俺に触れんのかよ」

 男は顔を押さえながら立ち上がって、

「一応ね、殺せないけどある程度はあなたを痛め付けてあげられるよ」

僕は男の動きを油断無く見つめる。

「あぁ、こっちの方だったなぁ。あの化物が言ってたのは…………」

「えっ……こっち?それに化物?」

 男が小さい声で呟いた言葉で唯一聞き取れた言葉。

「まぁ、いい。お前はとっとと俺に殺されろ!!」

「お断りだよ!!」

 僕と犯人は互いに走り出して、

「がぁあああっ!!」

「はっ!!」

犯人はナイフを出鱈目に振り回して、僕はナイフを攻撃をかい潜ってもう一度懐に飛び込む。

「もう一回吹っ飛べ!!」

 犯人に顎目掛けて思っい切り拳を振り上げる。

「くはははっ!!」

「なっ!?」

 確実に顎を捕らえるはずだった一撃は空振りに。そして振り切った次の瞬間には。

「何度も喰らうかよ」

 犯人の下品な笑い声が耳元で響いく。

「ぐ……ぁっ、ぐぅ」

 右の脇腹に鋭い痛みが襲い、

「……く、うぁっ!!」

体を捻って背後に回し蹴りを放った。

 でも、そこには誰もいなくて。

「くあははっ!!どうだ?クソガキ。少しずつ体を切り刻まれていく感じは」

 僕を馬鹿にするように少し離れた所で宙を泳いでいた。

「……く、幽霊は」

「空間に溶け込めて楽で良いぜ」

 迂闊だった。僕が触ることは出来ても、相手が幽霊っていうのは変わらない。物は擦り抜けられるし、空だって好きに飛べる。逆に普通は幽霊から人間に触ること、ましてや攻撃なんで出来ないはずなのに僕が触れれることで幽霊からの攻撃スイッチがオンになってる。

「くっそ…………うぐっ」

 ブレザーに血が滲み出して、

「凜!!」

夏先輩が慌てて僕の隣に飛んできた。

「凜!!血が!!」

「な、夏先輩」

 最悪だ。この状況を打開するには僕が万全の状態で犯人の相手をしなきゃいけなかったのに。

 今起こっている現象は確実にあの犯人が原因だ。それを辞めさせようとしても話し合いでどうにかなるような相手じゃないのはわかってる。幽霊だから怪我だって直ぐに治るし、急所を攻撃しても足止めにもならない。

 だから僕が唯一とれる行動は相手が諦めるまでノーダメージで戦いつづけること。これが正解だったのに……。

「さぁ、たっぷりと甚振って殺してやる。死んだ後も何度も何度も何度もっ!!何度でもなあぁぁぁあああああっ!!」

 完全に欲求を満たすことしか考えてない。ここで僕が死んだら多分、魂の具現化。幽霊になるのに少し時間が掛かるはずなんだ。その間、運が良ければ犯人は僕の死体を切り刻んでいてくれるかもしれない。でももし、犯人がそうしなかったら…………。

「凜!!早くここから逃げないと」

「多分、無理です」

「何で!?」

 夏先輩は僕の肩を担ぎ、僕はそれを支えに立ち上がる。

「多分、今僕と夏先輩がいる空間は別空間になってます」

 僕はあくまで憶測で話を進めていく。

「もし僕が周りから見えているなら、いくら人通りが少ない公園でも何度か叫んでますからちょっとした不審者に見えるはずなんです」

 幽霊が『視』えるのは僕だけ。その僕が公園いる状況は僕には三人でも、他の人からは僕一人にしか見えない。

「結構時間が経ってますけど誰も来ないところをみても、別空間だと思います」

「そんな……」

 夏先輩はどうしたらいいのと絶望感みたいなもの感じているのか焦りを見せ、

「大丈夫、ですよ」

 僕は夏先輩から離れ、犯人と向き合う。

「凜?」

 夏先輩は不安そうに僕の名前を呼んで僕は首だけ振り返って本の少し強気で言ってみた。

「夏先輩は、僕が死んでも護ってみせますから」

 そう言って正面を向き直す。

 夏先輩の顔を見るのが恥ずかしかったのもあるけど、今は目の前の敵に集中しないと。

「取り合えず目玉えぐり出すかぁあああああっ!!」

「痛いのは嫌いなんですよね!!」

 左眼を狙ったナイフ。僕はそれを持つ右手と衿元を掴み、腰を落として背負う。

「はあああああっ!!」

 犯人を背負い投げ、たたき付けずに宙へ向けて投げる。

「ぐぅっ!!」

 刺された脇腹の痛みに膝から力が抜けそうになったけど、気力で捩じ伏せる。

 僕は投げた体勢から右足を軸にそのまま下段左後ろ回し蹴りを犯人の顔面に繰り出す。

 右眼と脇腹の痛みを完全に無視しての一撃。でも、その一撃を蹴り抜いた反動で膝から力が抜けてその場で倒れ込んでしまった。

「ぐぅっ……はやく、立たなきゃ」

 僕は犯人の姿を探しながら起き上がろうとして、

「ぎっ!?」

左肩に鋭い痛みと背中に鈍い衝撃が襲ってきて。

「良い様だなぁ、クソガキ!!」

 快感!!といった感じの笑顔で犯人が笑って僕の背中に馬乗りになっていた。

「ぐぅっ……ぐ」

 左肩にはっきり感じるナイフの刃の形。

「重いから……どいてよ」

「嫌だね」

 悪戯っ子みたいに舌を出してナイフを乱暴に引き抜いて、

「良い声で鳴いてくれよおおおおぉおおおっ!!」

 快感を求めてナイフを振り下ろした。

「ぎっ、あがあああああああああああああっ!!」

「くははははははっ!!良い声だ!!感じ過ぎる良い声だ!!」

 僕の声に興奮し始め、犯人は何度も何度も、何度も何度もナイフを突き立て、えぐる。

 その度に僕の意識は削られて、

「あっぁ…ぁ…………っ」

「はぁはぁっ…………ははははははははははっ!!」

満足気に犯人の高笑いが少しだけ聞こえてきた。

 まずい、もう体に力が入らない。

 穴だらけのブレザーにその穴から溢れるように滲む赤い血。もう、土も飲みきれないみたいで僕を飲み込むように血だまりが出来ていた。

 もう何も感じない。あれだけ背中を滅多刺しされていても痛みも感じない。これが死ぬって言うことなのかな。

「壊れかけだな、今楽にしてやるからな」

 犯人は「とどめだ」とナイフを振り上げて、

「凜!!」

視界の端に夏先輩が見えた。

 僕を助けてくれようとしてるみたい。でも間に合わない。

 犯人は僕の後頭部目掛けてナイフを振り下ろし、僕はなけなしの意識で願った。


 僕が幽霊になるまで無事でいて。


「くたばれえええええぇぇえええええっ!!」

「りいいいいぃぃぃぃぃぃんんんんっ!!」

 夏先輩の絶叫じみた声に犯人の欲求を込めた一撃が僕の後頭部を貫く瞬間まで、せめて犯人を睨みつけてやろうと犯人の方に視線を向けた時だった。



「全く、情けないわね」




 どこまでも澄んだ綺麗な声。その声がこの場の全てを見下すように冷たく響いた。

 その瞬間、何かが砕けるけたたましい音と一緒に体に感じていた圧迫感が消えて。

「ぐっ!?ぎゃあああああああああああっ!!」

 犯人の突然の絶叫。犯人は僕の正面から大分離れた所で頭を抱えながらのたうち回っていた。

「…………ぁ」

 誰?と呟いたつもりだったけど、口から出てきたのは鉄臭い赤い血だけ。

「すぐあのゴミを片付けるから、ちょっと待ってなさい」

 声はするのに姿が見えない。

「ぐぅっ!!あああああああっ!!いきなり出て来て俺の邪魔すんじゃねぇ!!このクソアマ!!」

 もう、犯人の姿も見えなくなってきた。

「下級地縛霊ごときが私に勝てると思ってんの?」

 完全に犯人を馬鹿にしている声。

「凜!!」

 夏先輩が滑り込むように僕の隣に座って、

「凜!!しっかりして、凜!!」

「夏…先輩……」

僕を抱き起こして必死に呼び掛けてくれてる。

 僕はそこで声の主の姿を見ることが出来た。

 犯人と対峙している一人の少女。

 目の覚めるような煌めく長い金髪をツインテールにして、少しつり目気味の青空みたく澄んだ大きくて丸い碧眼。背丈は夏先輩より少し低めにみえる。容姿にいたっては夏先輩にも負けないくらいの美少女。

「神威解放」

 右手から淡い紅い光が瞬いて、

「……『処刑人ディミオス』第三位」

女の子背丈と同じくらい黒い大鎌が現れて、女の子はそれを軽々と肩に載せる。

「そんな馬鹿でかい鎌にビビるかよ!!すぐお前もそこのクソガキみてぇに」

「無理よ」

「んだと!?どうしてそんなことが言えんだよ!?」

「だって」

 女の子は冷めきった声で目を閉じて、犯人に背を向ける。

「なっ!?」

 犯人の表情が驚きと恐怖で凍り付いた。

 体を縦に切り裂くように鮮血が飛び散って、

「終わってるもの」

最後の断末魔の声さえあげることも出来ずに左右に別れ、崩れ落ちる。

「…………っぁ」

 その光景に僕は終わったんだと気が緩んでしまって、暗い闇に意識が溶け込んで言った。

 意識が途切れる寸前。女の子がこっちを振り向いて、鎌を握り直してこっちに向かって歩きだした。

 大鎌片手で握り刃を返す姿に今朝みた夢が頭の中を駆け回って、夏先輩の名前を呼ぼうとして。

「…………ぁっ」

 抵抗する間もなく意識が完全に途切れた。




 僕が覚えているのは夏先輩が泣いて、僕を呼んでいる姿だった。

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