――― 5月25日 願いの先は ―――
清潔さを主張して、白一色で統一された部屋。広さで言えば大体六畳くらいで、壁半分を開けた風景を見せてくれる大窓。その脇には私物を入れる為のロッカーが設置されていて、その向かいにはテレビ台兼棚が置かれてる。
部屋の上方中央には僕が寝そべっているベットが、頭側の壁には僕の名札がネームフォルダーに挟まれていて、天井に敷かれたレールにピンクのカーテンが寄せてつるされていた。
「……………………」
僕は胸に巻かれたコルセットの締め付けのきつさに顔を顰めて、思わず呟いた。
「…………暇だな」
今の時間は朝八時半、朝食が終わって病院で自分が回復の為にするべき事の三分の一が終わったところだった。入院は片手で数えるくらいしか経験してないけど、これだけはどうあっても変えようがないと断言できる。
本当はセフィリアの法術やお祖母ちゃんの術式で怪我なんてすぐに治したいところだったけど、セフィリア達だと死神の力に反応して僕の力が目覚めてしまう可能性があった。それにお祖母ちゃんも限界まで魔力を使った所為で術が使えず、一先ず病院の治療を受ける事に。
今日で入院生活は丁度二週間。お医者さんに「全治半年」って診断された体は普通はまだまだ絶対安静の大怪我なんだけど、お祖母ちゃんが回復していた僕の魔力を使って治癒力を高めてくれたで普段の数倍の速度で傷が治る状態にしてくれた。
おかげでまだ所々傷むところがあるけど、ゆっくり散歩できるくらいには回復した。
「…………………」
今回、異空間に取り込まれて行方不明になっていた皆は全員無事に現世に戻って来られたみたいで、記憶が曖昧な事以外は特に目立った問題はなく、警察の捜査に関してもセフィリア達の記憶操作で起こっていない事になってる。
ちなみに僕の怪我は学校や病院、警察にはトラックに撥ねられたという事で記憶操作して話を済ませてある。
今日は五月二十五日土曜日、時間は朝八時半。朝食を終えて一息付いたところ。
「…………っと」
僕はギシギシと悲鳴を上げる体でゆっくりと起き上がって、窓の外に広がる風景をジッと見つめた。
「……………………」
左目に映るのはなんてことはないゆったりと雲の流れる青空。
でも、心に映るのは自分に向けられた殺意――――【煉獄支柱】と名乗った女。
――――――――貴方が全ての元凶よ。
その女の言葉が僕の心に深くのしかかる。
「僕が元凶、か…………」
一ヶ月前の事も、今回の事も――――両方とも僕を狙って起きた事件。それも無関係な人達を大勢巻き込んで、一歩間違えれば目も当てられない大惨事になるほどの。
「…………なんでこんな事に」
なってるの、って込み上げてくる疑問を言いかけて。
――――――――君の所為だよ。
不意にあいつの声頭の中で突き付けるように、傷を抉るように、心へ刻みつけるように響いた。
その声に僕は左目を大きく見開いて、
『萩月君、入るよ』
ノックと一緒に響く控えめで優しい声に、慌てて返事を返した。
「は、はいっ!!」
僕の返事に頷くようにドアが静かに開いて、白衣を着た黒髪の男の人が入ってくる。
「おっおはようございます、神村先生」
その人は僕の担当医で、名前は神村冬樹――――夏先輩のお父さんだ。
冬樹さんは柔らかい笑顔を浮かべながら寄ってきて、
「おはよう、萩月君。どうだい? 体の調子は」
「まだ体中痛いですけど、だいぶ楽になってきてます」
「顔色も大分良いし、食事もとれるようになったからね。回復を実感できているなら大丈夫かな……」
僕とベットを隠すようにピンクのカーテンを引いて、首に掛けていた聴診器を手に取った。
「少し診させてもらうよ」
「はい、お願いします」
僕は冬樹さんの動きに合わせて入院服の胸元をはだけて、冬樹さんも僕にタイミングを合わせてそっと聴診器を胸に当てた。
それから数秒間隔で左右の胸の音を確かめて、納得するように聴診器を首に掛けなおす冬樹さん。
「肺は大丈夫そうだね。次は少し体を触らせて貰うよ」
「はい」
冬樹さんはそう言うと包帯の上から骨折した箇所に触れて、肩や肘。膝といった関節部分を捻ったり伸ばしたりと「ここは痛むかい?」と質問しながら痛めた箇所を正確に確かめていく。
触診を始めて三分程で確かめ終わったようで、静かに息を吐いて脇にあった見舞い人用の丸椅子に腰掛けた。
「打撲、それに靱帯とかはまだ炎症があるみたいだけど骨は順調にくっついてるみたいだね。このまま行けばあと三週間で退院出来るかな」
「あと三週間、ですか…………」
「退屈だとは思うけど、しばらくの辛抱だね」
残りの入院期間に表情を顰める僕に、冬樹さんは苦笑いを浮かべて。
「しかし、いくら若いといってもあんな大怪我をして八時間を超える大手術をしててこれだけ短い期間というのは前例がないよ」
不思議さと疑問。その二つを混ぜた視線でマジマジと僕を見つめる冬樹さん。
「先月まで入院生活を送っていた子とは思えないくらいだ」
「ははっ、薬漬けだった効果が今頃出てきたのかもしれませんね」
「医者になって長いけど……本当に人間という生き物は不思議な生き物だ」
と、命の神秘を目の当たりにしたって感じに顔を顰める冬樹さん。
本当はこことは正反対の所にある町外れの小さな診療所がかかりつけだったんだけど、今の僕が入院生活を送っていたという設定になっているのは冬樹さんが務めるこの病院だ。ちなみに冬樹さんが僕の担当になったのは今回が初めてらしい。
不都合があるというわけじゃないけど、こうして今までとは違う世界観に触れると自分の存在の消失だったり、セフィリア達の力の凄さを改めて感じる。
「…………………」
そんな事を考えていると、冬樹さんがどこか鋭い目つきで僕を見つめているのに気が付いて。
「あ、あの……僕の顔に何か付いてますか? 神村先生」
「いや、すまないね……ふと君に聞きたい事を思い出してね」
僕の問い掛けに視線が和らいで、
「僕に聞きたい事、ですか?」
「あぁ、そうなんだけどね…………」
気難しそうに眉間にシワを寄せて、小さく咳払いをする冬樹さん。
「その、君は……ウチの娘とどういった関係なのかな、と」
「神村先生の娘さんって…………」
「夏子だ」
深いシワを眉間に刻んで、怒りのような興味のような奇妙な表情を浮かべる冬樹さんの様子に僕は戸惑いながらも正直に答える。
「同じ学校の先輩と後輩ですけど…………」
「仲の良い?」
「え、えぇ……多分」
「どれくらい?」
「それなりに友好的、だと思いますよ」
「ふむ……………」
二言三言のやり取りで何かを探っているような様子の冬樹さんにわけがわからす、僕は何か失礼な事でもしたのだろうかと不安になった。けど、ここ最近は入院生活で暇をもてあましてて冬樹さんと話をするのも巡回検診の時ぐらいで、これといって 失礼な事をした記憶もない。
まして、僕と夏先輩の事を聞かれるような事はしていない筈だけど…………。
「…………………」
「…………………?」
疑う、というよりは自分の判断に確信が持てないって感じで僕を見つめる冬樹さん。
僕も受けだけだと話がわからないと問い掛け返した。
「あの…………どうして急にそんな話を?」
「いやぁ毎日、君の見舞いに来るものだから少し気になってね……」
冬樹さんは僕の質問に困り顔になって――――不味い事聞いちゃったかな? って後悔しかけた時だった。
――――コンコンッ!! って軽快、というかどこか上機嫌といった感じのノック音が響いた。
それと一緒に明るくて優しい、聞き馴染んだ声が。
『凜、入るわよ』
「はーい、どうぞっ」
僕の返事と同時にドアが開く音がして、
「あれ? カーテンが引かれてる」
「リン、着替え中だった?」
と、キリッと澄んだ声音がもう一つ重なった。
僕の返事を待つようにゆっくり近づいてくる気配が二つ。
「ううん、大丈夫。カーテン引いても良いよ」
「わかった。じゃあ、開けるわよ」
「うん」
もう一つの聞き慣れた声に答えると、シャッ!! と鋭い音と一緒に視界が開ける。
カーテンが開かれた先にいたのは肩を見せるように開いた白いハイネックニットとふわりと可愛く揺れる黒のミニフレアスカートのシンプルなモノトーンの私服姿の夏先輩と黒で統一された制服姿のセフィリア。
夏先輩の右手には果物入りのバケットがあって、今日もお見舞いに来てくれたんだと心の中で感謝した。
そんな夏先輩がイスに座っていた冬樹さんの姿に様子を伺うように眉を顰めて、
「あれ? お父さん……もしかして診察中だった?」、
「いや、もう終わっていたよ。少しばかり世間話をしていただけさ」
と、僕へ話を合わせて欲しそうに冬樹さんが視線を合わせてきて、それに僕は小さく頷いた。
「はい、少しだけ話し相手になっていただいてました」
「そうなんだ、なら良いんだけど………」
「さて、夏子やお友達も来たようだし、私は仕事に戻るとするよ。萩月君、大丈夫だとは思うが何かあれば我慢せずに、すぐ呼ぶんだよ?」
冬樹さんは枕元にぶら下がっていたナースコールを指差しながら言って、
「はい、ありがとうございます」
「では、また時間をおいて様子を見に来るよ」
僕へ小さく手を振って「夏子達も何かあればよろしくな」と夏先輩達に言い残し、そそくさと部屋を出て行った。
それから夏先輩とセフィリアは仕切り直すように僕を見下ろして、挨拶を交わす。
「おはよう、凜」
「結構元気そうで安心したわ」
「おはようございます、夏先輩。それにセフィリアも久しぶり」
「そうね。アンタを病院に連れてきてからだから……二週間ぶりかしら」
挨拶もそこそこと夏先輩は窓側、右隣へ移動してバケットを棚の上に置いて、側に寄せられていた丸椅子に座った。
セフィリアも壁に寄せてあった椅子を引いて、一息付くように腰を下ろした。
その様子に僕は苦笑いを浮かべて、
「その様子だと後処理とか色々大変だったみたいだね」
「まぁ、ね。上への報告や損傷した『境界門』の修復。乱れた魔力のバランス調整や『霊現体』達の人数確認に、巻き込まれた人達の記憶操作。それに今回の一件で凜や私達を襲ってきた【煉獄支柱】っていう得体の知れないヤツらの調査会議とかあって……もうクタクタよ」
「セフィリアだってかなりボロボロだったのに……体は大丈夫だったの?」
と、夏先輩がバスケットからリンゴを取り出して、シュルシュルッと皮をむき始めた。
「えぇ、それは大丈夫。法術である程度は回復できたし、それに神様業は長いからね。これくらいは慣れっこよ」
と、苦笑いを浮かべるセフィリアに僕は感謝をしみじみと感じて。
「あぁ、それとランさんから伝言よ」
「お祖母ちゃんから?」
「えぇ――――『神界』で調べたい事があるからしっかり体を休めておくように、だって」
「もう大分休めてると思うけど…………でも、調べたい事ってなんだろ? セフィリアは何か聞いてる?」
「ううん。何も聞いてないけど」
そう言って首に横を振るセフィリア。
「セフィリアも聞いてないんだ」
「聞いてはいないけど……多分、リンを【煉獄支柱】から助けてくれた奴の事だと思う」
嫌な事を思い出すようにセフィリアの表情が険しくなって、
「ランさんみたいに例外もあるけど、魔力量と制御率の高さからいってまず私と同じ神の類だと思うけど……」
「顔とかは見なかったの?」
「アンタを空間から押し出してすぐに消えちゃったからね、顔はおろか声すら聞いてないわ」
セフィリアは眉を寄せて深くため息を付いた。
「一応アンタを助けてくれた辺り、敵ではないだろうけど…………味方っていうにも不確定なところが多すぎてなんとも言えないわね」
「そうなんだ…………」
事件は落ち着いたといってもわからない事だらけの状況に僕とセフィリアが黙り込むと右からコトッ! って、暗い空気を仕切るように軽い音が聞こえてきた。
「凜、リンゴ剥いたよ」
そう言って綺麗に切り分けられたリンゴを小皿に載せ、小さめのフォークを添えて差し出して小さく笑みを溢す夏先輩。
そのさりげない仕草と夏先輩の表情に僕とセフィリアは静かに笑って、
「ありがとうございます、夏先輩」
「食後デザートに丁度良いでしょ」
と、冬樹さんが務めているだけあって病院の食事時間を把握しているみたいで、得意げに微笑む夏先輩。
僕は夏先輩から小皿を受け取って、早速とフォークでリンゴを突き刺したところで、
ふと思い出すようにある事が浮かんだ。
僕はまた視線をセフィリアに戻して、
「エリスはどんな様子? 入院した日から一度も会ってないけど……」
「私も、凜の家に様子見に行っても会えなかったけど……元気にしてる?」
夏先輩も気になっていたようで、気持ちを押し出すように少しだけ前に身を乗り出した。
僕と夏先輩の質問に意外そうに目を見開いて、それから嬉しそうに小さく口元を緩ませる。
「元気に任務頑張ってるわよ。姉の私がいうのもなんだけどなんか吹っ切れたみたいで……一つ成長した感じ」
「そう、良かった」
「元気なら心配ないわね」
僕と夏先輩はセフィリアの答えにホッと息を付いて、セフィリアが話を続ける。
「ここ二週間は今回の件の事も含めて通常任務もガンガンこなしてたわ。おかげで事後処理もスムーズに済んで、半日だけだけど特別に休暇を貰えたみたいだし」
「半日だけ休暇?」
エリスの妙な休暇に思わず僕は間の抜けた声をあげて、セフィリアは苦笑で答える。
「そうなの。私も交代で通常任務をしてあげるから一日丸々休暇で良いっていったんだけどね――――いえ、半日だけで充分です。って言われちゃって」
「半日だけって……」
「場所は教えてくれなかったけど、行きたい所があるって出掛けてったわ」
「行きたい所?」
僕は半日休暇の理由に夏先輩と顔を見合わせて、そんな僕達にセフィリアが優しいお姉さんの表情で言った。
「――――そっ、とっても大切な場所」
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穏やかで優しい青が広がる空。その下で年季を感じさせつつも丁寧に手入れされた温もりを感じさせる遊具が並ぶ公園があり、その公園を見守るように小高く伸びた青々とした木々が立っていた。
小高いビル群とのどかな田園風景の境にある住宅街の一角、その位置する公園には幼い子供達の楽しげな声音を響かせる耳を撫で、その音の傍らでは母親と思われる幾人の女性達が語らいながら微笑ましく眺めている。
「……………………」
その平凡でありながら欠く事のできない平穏を、私は少し離れた家屋の屋根から見つめていた。
ここ二週間の間、目も回る程の忙しさだった。法術で癒したとはいえ、肉体は許容量を超える程の激務。それを越え、迎えた半日という僅かな休暇は体がこれ以上ない程に欲している。が、私に体の求めよりも大事なものがあった。
優しい平穏に満ちた情景を見渡していた私の視線が、ある一家族の姿に釘付けになる。
私の瞳に映し出されるのは五年前から幾分年を重ねた男女。そしてその男女の間には絶愛しさを向けられる一人の幼い少女。
「…………大きく、なったものだな」
背丈こそ大きく違うが肩まで伸びた柔らかな黒髪に、無垢で明るい栗色の瞳。幼く愛らしい顔つきはあの人に――――結菜さんによく似ていた。
名前は感じ一文字で――――絆。それが彼女、結菜さんの妹の名前だ。
自分がこの町の担当を外れて五年、今年で四歳になった彼女。この町の新しい担当官へ挨拶がてら聞いた話では結菜さんのような大病もなく健やかに育っているらしく現在、現時点での彼女の運命は九十歳で天寿を全うするらしい。
その内容はこれからの様々な選択で変化するが良き伴侶と子宝に恵まれ、幸せな家庭を築き、多くの孫達に惜しまれながら看取られるそんな人生。
そしてそれは結菜さんにもあったかもしれない幸福な人生。
「……………………」
私は遊具に目を光らせ無邪気に両親の手を引く絆の姿に僅かながら視界が霞み、
「……結菜さん、貴女の妹は元気に生きてます」
届かないとわかっていても、それでも言葉にした。言葉にしなければいけなかった。
私は両方の目尻を右手で拭い瞳に映る絆へ、娘へ惜しみない愛情を注ぐ父母へ、そして私を救ってくれた彼女――――結菜さんへ誓う。
「結菜さん、私は精一杯生きています。これからも生きていきます。貴女が望んだ様に、貴女が願ったように――――」
いつか誰かに恋をして、結婚し、子供を産み、育てて…………貴女が得られなかった時間を歩み続けて。
「――――いつか迎える最後の時まで、貴女の分まで笑って生きていきます」
どこまで暖かで、どこまでも優しい日溜まりの中で幸福に満たされた彼女達に負けないくらいの人生を歩んでいく。
私は絆達へ静かに深く頭を下げ、一呼吸分の間をおいて頭をあげる。
「………………」
そして最後に、幸福の中で愛しい笑顔を輝かせる彼女へ――――絆へ願う。
「――――結菜さんの分まで幸せに生きて、ね」
そう願って見上げた青空はどこまでも優しくて眩しかった。
エピローグ『5月25日 願いの先は』。これにて『エリス編』終了でございます。
長々とお付き合い頂きありがとうございました。これからの予定は活動報告でしたいと思いますので、どうぞよしなに^^;




