――― 境界世界 黒と紅の舞台・伍 ―――
短いですがお待たせしました^^;
漆黒と赤の斑模様に塗りつぶされた世界に、地無き地を蹴る度に紅い波紋が波立つ空間。
その空間で響くのは苦悶に歪む荒い私の呼吸だけ。
闇に染まった静寂な空間。私達【煉獄支柱】だけが使える特殊空間法術――――【煉獄門】。
この空間は【境界門】同様、境界の往き来が可能で、最大の特徴は魔力の消し、死神の魔力探知さえすり抜ける事ができる独立空間。
その安全圏とも言える空間で、私は傷む体で空間内を跳ぶ。
「ぐっ…………傷の治りが遅いわね」
全身をズタズタに切り刻むような苦痛に、思わず苛立ちを溢す私。
私は咄嗟に法術で防御し、その際に出来た僅かなタイムラグで【煉獄門】に逃げ込んだものの、もう一人に仲間は塵となって消えてしまった。
やはり神威『第一位』の力は法術の力と比べるも無く尋常じゃない。
「復活したばかりだったっていうのに…………とんだ災難だったわ」
私は依り代の記憶に依存した判断をしてしまった事に悔しさに右手を握りしめ、
「ゥッ…………」
小さな呻き声が発って、その声に噎せ返るような激情が込み上げてくる。
私の視線の先、右手に掴んでいるのは『器』――――今は萩月凜という人間になった彼が満身創痍で気を失っている。
そんな彼の姿に私は大きく息をつきて、
「エリスってこの事は予定外だったけど…………今は『器』を回収できた事だけでも儲けものね」
努めて冷静を装った。
「今すぐにでも首をへし折って魂を回収したいところだけど…………このまま彼の所まで持っていった方がいいかもしれないわね」
私達の襲撃の裏で人間界の死神達の相手に出ていた仲間達も自分同様、彼を直接葬りたいと思っている者も多い。
私一人で決着をつけてはいらない禍根が残ってしまう可能性も考慮すれば、それがベストな選択という者だと思う。
そう自分の中で結論づけると同時に、なんとも言えない高揚感が込み上げてくる。
気が遠くなる程の遙か昔。同胞だった私達を裏切り、殺し、奪った『器』を――――目の前であまりにも脆弱な人間になってしまった彼を仲間と共に嬲り、壊し、殺す。その甘美な瞬間が脳裏で暴れ回って、先程まで苛まれていた痛みが擦れて逝くような感覚に包まれる。
その高揚感に我を失わない内に戻らなければと浮ついた理性を何とか働かせて、仲間の待つあの場所へ急ごうとなけなしの魔力を両脚に込めようとした時。
―――――――――――――――ゾクッ!!
背筋――――いや、体の深奥。魂すらも凍てつかせる程の恐怖が全身を貫いて、
「っ!?」
私は『器』に向けていた視線を正面へと戻して――――瞬間、強制的に瞳が一つの人影を映し出す。
「ぁっ…………あぁ、あっ」
口から零れるのは自分でも聞いた事のない細く、消えてしまいそうな弱い声。
そして汗の代わりに体中から吹き出るのは圧倒的なまでの恐怖と底知れぬ絶望。
「あぁあっ…………ぁあ」
私の視線の先にいたのは畏怖を纏った煌めく長い銀髪の少女。
誰? という単純な疑問すらも押しのけて頭の先から足の指先まで理不尽な恐怖に締め上げられて。
左右非対称の長いおさげが小さく揺れて、少女が狂気を孕んだ笑顔で破った。
「――――――――――――クヒッ!!」
どこまでも残忍で、どこまでも冷虐で、どこまでも甘い狂気が響いて――――――
―――――――――――――――――――――――――――――――ブツッ。
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耳を嬲って、瞳を焦がして、世界を蹂躙する程の雷光。
そして私は痛みに押さえつけられた瞼を必死にこじ開けて、青と白の境界世界を満たす粉塵を映した。
辺りは粉塵一色、土煙色の世界でランさんの姿を探す。
粉塵が気管に入って咳き込みたくなるのを我慢しながら叫んで、
「ラッ、ランさん!!」
痛む瞳で必死にランさんの姿を探す。
巨大な魔力の収束と炸裂。その余波で場の気配が乱されて辺り一帯にランさんの魔力が漂っていて、正確な場所を感じ取れない。
それに敵の魔力も場の乱れの所為か感じ取れなくて、いるのかいないのかわからない。いればさっきの行動は居場所を教える致命的なミスなんだけど、今はランさんの安否だけが気になってそんな考えに構っていられなかった。
まだ回復しきってない五感を頼りにランさんの姿や気配を探ってみても、感じられるのは空気の静かな流動音と土化粧した景色しか見えない。
「くっ…………」
私は力の入らない体で無理矢理立ち上がって、一番魔力が広く漂っている場所へ目星をつけて歩き出した。
フラつく体じゃろくに戦えないとわかったけど、危険覚悟でもう一度声を張り上げる。
「ランさんっ!! 無事なら返事をして下さいっ!!」
すると、まるで私の声に合わせたよう風が凪いで、視界が嘘のように晴れる。
そして晴れた視界の先、十メートルくらい離れた正面に立つランさんの姿が映る。
着物の両袖が肩の辺りから吹き飛んでいて細く白い腕を気怠げに垂らして、死人のように青白い顔を汗まみれにしながら苦しげに息をしていた。
あまりにも弱り切った姿だったけど、傷らしい傷も増えていなくて、私はホッと息をついた。
それからランさんへフラフラしながら歩み寄る。
その気配に気が付いたのか、ランさんが私へ振り返って力の無い笑みを溢して。
「セフィリア、大事ないかぇ?」
「はい、私は大丈夫です。ランさんも無事で良かった………」
「まぁ、の。じゃが、敵を一人逃がしてしもうたわい」
後悔を滲ませながら呟いて、自分への落胆に大きく息を付くランさん。
「逃がしたって…………法具持ちの女、ですか?」
「あぁ、そうじゃ。ここで仕留めておきたかったんじゃが…………やはり一筋縄では遺憾相手じゃな」
「すみません、私がもっと戦えれば…………」
「何、お主が気にする事はない。お主に『第一位』を使わせるわけにもいかんからのぅ、今回はこれでギリギリ合格点といった所じゃろう」
「で、でも…………」
なんの力にも慣れなかった無力さに納得出来ず、後悔と自責に言葉を続けようとして。
「――――――――姉様っ!!」
と、緊迫感で一杯の妹、エリスの声に遮られた。
その声に私とランさんは同時にバッと上空を見上げると空間がねじれていて、そこから飛び出すようにナツコを抱えたエリスが姿を見せた。
「エリス、それにナツコも無事だったのねっ!!」
私は怪我の見あたらない二人の姿に暗い表情を吹き飛ばして、パァッと笑顔で叫んだ。
「はい、ご心配をお掛けしました。ですが……」
エリスは降下しながら答えて、私達の正面に着地するとナツコが抱えられたまま焦りを叫ぶ。
「り、凜が攫われちゃったの!!」
「なっ!? リンがっ!?」
二人の姿に安心したのも束の間、ナツコの焦りに巻き込まれるように私も驚きに声をあげる。
そんな私の様子にエリスは後悔と痛みに表情を歪ませて、
「すみません、私の力不足で…………萩月を敵に奪われてしまいました」
「そんな……魔力探知は? 法術で逃げたなら追えるはず……」
「……いや、これだけ場の魔力が乱れては難しいじゃろうな」
動揺に揺れる私達へ冷静に言葉を挟むランさん。
「ランさんなら探知出来ませんかっ!?」
「早くしないと凜がっ!?」
ランさんの言葉に私とナツコは縋るように一斉に顔を向ける。
「わかっておる。が、ここでは凜や敵の魔力残滓も感じられん…………一先ず、凜が敵に連れ去られた場所に移動するのが良かろう」
「そう、ですね。一先ず萩月が連れ去られた場所へ皆さんをお連れします」
ランさんに促されるとエリスも冷静に努めて、上空に展開していた転移法術を再展開しようと魔力操作をしようとした瞬間。
―――――――――――――――ーーーーゾクッ!!
全身を締め上げ、押し潰される様な感覚が襲って。
「な、な……にっ?」
「ぁっ……」
「クッ!?」
私は思わず膝を突きそうになるの堪えて、エリスはその場に力なくへたり込んだ。
「むっ…………」
ランさんは生気の無かった表情を緊張に強張らせて、エリスが展開していた転移法術――――空間の捻れを睨み付ける。
エリスの魔力を喰い潰して溢れ出るのは大きいのか、小さいのか………ううん、まともに感じるのを拒絶させる程あまりにも強烈で無機質すぎる魔力の気配。そしてその魔力を包み込むように発せられる魔力制御の精度は私やエリスと比べる必要もなく洗練されていて…………先程までのランさんと同等かそれ以上の収束率だ。
私とエリスは緊張と恐怖に空間の捻れから目を逸らしそうになるけど、それすら許さないと釘付けにするように魔力が溢れる。
「な、何…………?」
魔力を感じられないナツコも場に満ちる緊張感につられて上空を見上げて――――その空間から静かに現れた人影にその場にいた全員が目を見開いた。
圧倒的な恐怖から現れたのは――――――傷だらけのリン。
「んなっ!?」
「あ、あれはっ!?」
「凜っ!!」
凜が落下するのと捻れが消えるのは同時。そしてそれにランさんが即座に反応して跳び上がって、真っ逆さまに落ちてくるリンを空中でキャッチ。そのまま重力に従って降下して、衝撃を殺すように優しく着地するランさん。
ランさんがリンを支えながら地面に座らせると、ナツコがバッ!! とリンへ滑り込むように駆け寄って声を張り上げる。
「凜っ!! 大丈夫っ!?」
けど、リンはナツコに声に答えな。
リンから感じる魔力の気配も酷く弱々しくて………その様子に全員の頭の中に不安と最悪が過ぎった。
ランさんはリンを支えながら体の状態を確かめる為に手を這わせて、
「ねぇっ!! 凜っ!! 返事してよっ!!」
ナツコは嫌な予感を振り払うようにリンの肩を掴んでもう一度声を張り上げた。
「――――――――ンッ」
それに答えるようにピクン、ってリンの体が答えるように揺れて、
「っぁ!!」
その反応にナツコは涙を滲ませた表情が綻んでしまいそうな笑顔に咲いた。
「怪我は酷いようじゃが、命に別状はないようじゃな」
と、ランさんもリンの状態に安堵の笑顔を浮かべた。
私とエリスもホッと胸を撫で下ろして不意にある事を思い出し、リンを抱き止めるランさんの姿をジッと視線を合わせる。
「……………………」
私の瞳に映るのは優しいお祖母ちゃんが傷だらけの孫を心配する姿。
それは当然の光景であって、別段変なところは何もないんだけど…………何故か二人の姿に一週間前の出来事――――――――一リンがジュマと戦った時の姿が過ぎった。
「………………」
ランさんがあの女へ仕掛けて、銀の雷光が煌めいた瞬間――――あの時見えたのは。
「姉様?」
二人をジッと見てた私にエリスが隣で怪訝そうに呼んで、
「どうしたのですか? 萩月と蘭様を見つめて…………」
「ううん、何でもないわ」
と、自分にも言い聞かせるようにエリスへ濁した言葉を返す。
そう、あれは気のせい。ただの見間違いだと思う。
煌めいた雷の色に照らされてそう見えただけの見間違い。
私は自分の中で妙に引っかかれるソレを心に隅に追いやって、リンの状態を見ようと歩み出す。
そしてその途中、まるで私へ警告するようにソレは脳裏に鮮明に浮かんだ。
脳裏に浮かんだのは雷光の中で煌めいていたランさんの髪は――――――銀色だった。
次でラストになりますので、気長にお付き合い下さいゝ