――― 境界世界 黒と紅の舞台・弐 ―――
全身を刺す明確な殺意と、なめ回すように這う悪寒に私は左手を眼前に突き出し叫ぶ。
「顕現しろ!! 『虹の陽炎』!!」
私の呼び声に合わせ左手に収束する魔力が空間を歪め、その揺らめきを突き破るように柄の頭から鞘の子尻まで白を基調とした一振りの太刀が出現。
純白を典雅に飾る金の鍔。その鍔元を握りしめ、右手で柄を握り躊躇することなく抜き放つ。
罪を罰し、清めを形にした太刀型法具――――『虹の陽炎』。
名を示すように揺らめく波紋が冷厳な光を放つ『虹の陽炎』を下段に、鞘は左脇に引き、腰を低く構える。
私は突如現れた元先輩方へ油断なく身構え、
「へぇ、それが『虹の陽炎』…………記憶通りの太刀型の『法具』なのね」
「記憶通り、だと?」
ジュリアさんの声と、品定めしているような視線。それに「記憶通り」という妙な言い回しにピクリと眉が跳ね上がる。
「えぇ、私が依り代にしたこの死神の記憶よ」
ジュリアさんの姿をした女は肩に掛かった髪を後ろに払い、
「遅ればせながら簡単に自己紹介、といっても名前がないんだけど…………私は『煉獄支柱』が一柱。名前は……そうねぇ、ジュ」
「その名は貴様の名ではない!!」
私は見覚えのある優しい笑みに苛立ちをぶつけ、言葉を断った。
「あらら、意外とケチねぇ。じゃあ、なんて名前にしようかしら」
「『煉獄支柱』などと得体の知れない者に名など必要ない。貴様には女で充分だ」
「それ名前じゃなくて呼称じゃない」
「充分だと言っている」
子供の戯れのような掛け合い。だが、『煉獄支柱』と名乗った女は勿論、その隣にいたロレンス=シュトリンガー……いや、同じく『煉獄支柱』であろう男からは絶え間なく殺意が滲み出ていた。
見聞きした事のない法術で形成された世界で、見計らったよう現れた男女。それも殺された死神の姿で現れ、依り代にしたと明言したのだから間違いなく敵だ。
「……………………」
少なからず戦闘もあるものと考えていたが……死神もどき二体相手、それも依り代にしたというだけあって魔力の気配から察するに力量的にはやや二方を上回っている。
後ろにいる二人を護りながらでは分が悪いだろうが、私一人ならば立ち回り次第で押し切る事も可能…………ならば、先程まで予定していた手筈通り『空絶』を張り奴等を二人から引き離す
私は頭の中で段取りを汲み上げ、二人を護る為に『空絶』を張ろうと『虹の陽炎』を逆手に持ち替えて――――――ドッ!! と地面に何かが落ちる音が背後から響いた。
「り、凜!?」
それに連なって神村の悲鳴のような声が耳に突き刺さり、
「今度はなんだっ!?」
注意は『煉獄支柱』に向けつつも、首だけで後ろを振り返った私の目に飛び込んできたのは地面に両手をつき、苦しげに呻く萩月の姿。
「萩月!?」
「ぐっ…………な、なんで? 体の力がっ、抜けて………くっ」
「り、凜!! しっかり!!」
神村は地面に座り、四つん這いになっている萩月を抱き寄せる。
「エリス!! 一体、凜に何が起きてるの!?」
「これは………」
萩月の体から漏れ出す魔力の気配……いや、この不自然な流れは。
「魔力を吸い出されているのか!?」
「ご明察。さすがは『第一級』の死神、なかなかの魔力感知能力ねぇ」
私の驚きにクスッと小さく笑って答える女。
「この世界は天国と地獄、その境界にある魂の拠り所にして牢獄『煉獄』を擬似的に作り上げたものよ……あの女はこの法術を『煉獄境界』って言っていたわね」
「煉獄……境界だと?」
「えぇ、人にしろ神にしろ魂でしか存在できない場所に死神の貴女ならまだしも人間ごときが生身で立ち入れば堪えられるものではないわ」
「くっ、なんて面倒な法術…………ん?」
苛立ちに言葉を吐きかけて、
「神村夏子、貴様は大丈夫なのか?」
「えっ? えぇ、私は何とも無いけど…………?」
私と女の話を聞いていなかったのか、問いかけの意味がわからないと不安げに首を傾げる神村。
その言葉通り見た限りでは顔色も正常、萩月を抱き支えるだけの力もあり至って健康そのもの。
人間では堪えられない筈ではなかったのか? だが、この状況で敵側が嘘をつくて得る益は無い。事実、萩月は魔力搾取に伴って急速に疲弊している。
「ん、これは……」
そこまで考えて、二人の魔力の独特な流れに気が付き、ふとある事を思い出した。
先のジュマ=フーリスの件で二人は魂の『核』を共有した際に、萩月の膨大な魔力を楔していると報告書で見た記憶がある。
女の言葉通り、萩月は魔力搾取を受けている。が、それは萩月一人ではなく神村夏子の分も含めてだった。
「魔力の搾取って言ってたけど……凜の具合が悪いのってその所為なの?」
「あぁ、そうだ。感覚的には貴様にもわかりやすいように言えば体力を奪われているようなものだな」
「体力って……私は何ともないけど?」
神村は自分の体の状態を確かめるように視線を降ろし、
「貴様に通っている魔力は萩月の物だからな、貴様に影響が出るのは後だろう」
「後って……というか、このままじゃ凜が」
「あぁ、まずい事になる」
二人の肉体を繋ぐように循環する魔力は萩月個人の物。それ故か、吸い出し口は萩月一人でも搾取量は二人分。いくら膨大な魔力を有しているとはいえ、搾取される量が多すぎれば急激に疲弊するのは当たり前だ。神村に影響がないのは…………今はまだ萩月の魔力が充分だからか。
「だが、法術の影響ならばっ!!」
「あら?」
魔力搾取を断ち切ろうと逆手に持った『虹の陽炎』を地面に突き立て、
「姿成せっ!!」
二人を守護する半円球状の蒼の光。その光のは幾重にも重なり、強固な壁となって顕現した。
「エ、エリス!? こ、これって………」
「魔力障壁だ。その中にいればある程度は安全だからな、中でじっとしていろ」
「う、うん………わかったわ」
神村は『空絶』を初めて見たのか、突然具現化したの光の壁に驚きながらも私の言葉に安堵するように頷いた。
私は『虹の陽炎』を引き抜き、逆手から持ち替え再び構える。
「『空絶』を張った。これで萩月の魔力搾取も」
止むだろう、と一旦安堵しかけて。
「ぐっ…………」
萩月の呻きと共に、感知した魔力の流れに目を見開いた。
萩月の体から漏れ出していた魔力は『空絶』で隔離、遮断したはずの空間を難なくすり抜け、染み渡るように世界へと溶け込んでいく。
「なっ!? 『空絶』を展開したというのに搾取を遮れないだとっ!?」
「あぁ、貴女……というよりはその法術程度では『煉獄境界』の力は防げないわよ」
「なんだとっ!?」
「結構な速度で搾取してるけど………全部搾り取るまであと一時間くらいって所かしら」
嘲笑うように唇を持ち上げ、人差し指を添える女。
「そ、そんな…………」
女の笑みに体を震わせ、萩月を見下ろす神村。
私は唇を噛みしめ、視線を上空へと戻した。
「く、ただでさえ厄介な相手だというのに………」
制限時間まで付け足された状況に焦りが募り、こちらから仕掛けようと重心を前に移行して。
「まっ、て………」
力のない萩月の声に足が止まった。
「……どうした? 萩月」
「人間、が堪え……られないって………言ってた、けど」
視界も薄れているのか、丸く大きな瞳を苦しげに細め、女に焦点を合わせる。
「ここに、っ……先に、取り込んだ人達、は……どうしたの?」
「ッ!?」
「むっ!?」
今の状況の異様さに飲まれていた私と神村は、萩月の一言で先日取り込まれていた人間達の事を思い出した。
人では踏み入れる事すら許されない世界に取り込まれた十人の人間達。その十人皆が大した魔力もなく、世界に抗う術も持たない一般人。
萩月のように膨大な魔力を持つ者でもこの有様で、それがこの世界に数日前から捕らわれているとなると―――――――――導き出される答えの冷たさに背筋が凍る。
「ま、まさ……か」
萩月が弱々しい光を宿す紫と銀の瞳に僅かばかり敵意を塗りつけて、
「安心なさい、先に取り込んだ人間達は全員無事よ」
その瞬間。嘲り笑いを浮かべていた女からは表情が消え、突き刺すような殺意が更に鋭くなった。
「全員、無事………だと?」
突き刺す殺意とは対極たる予想外の言葉に、私は柄を握る右手が一瞬緩み。
「ッ!? 取り込んでおきながら全員無事だと!? 見え透いたでまかせを」
「出任せじゃないわよ? ほら、これが証拠よ」
女は射殺すような殺意を萩月に向けたまま右手を開くようにあげ、指をパチンッ!! と弾いた。
瞬間。女の背後に再び黒の閃光が渦巻き、巨大な血だまりの様な塊が出現。半透明な塊はその姿を歪に変え、それに合わせて塊の奥から黒い影が次々と浮かび上がって。
「なっ…………!?」
「むっ!?」
「い、いや………」
その浮かび上がった物へ、三者三様に言葉を漏らした。
鮮血よりも紅く、深淵よりも暗いソレは成した姿の通り、在り方を示すように――――――ドクンッ、と重く静かに脈動した。
「ヒッ!?」
神村の短い悲鳴と共に脈動する巨大な心臓。
「あ、あれ………は」
「…………悪趣味だな」
そしてその中に浮かぶ十の人影。
不気味に脈動する心臓の中で、まるで海中で漂うように浮かぶ十人の人間達。
「あ、あかりっ!! それに、皆も…………ッ!!」
内部は液体で満たされているのか、十人の口元からは気泡がゴポッと吐き出され、確かに生きている事を確認できた。
女は心臓の檻に飛び寄り、スッと手を添えた。
「無事なのはこの人間達だけじゃないわよ」
「何?」
「この人間達が住んでいた町の『霊現体』も一人残らず全員無事……貴女達と入れ替わりで現世に戻しておいたわ。どう? 少しは安心できたかしら?」
先程までとはうって変わった冷淡な口調に安心どころか欺瞞心が沸いてくる。
「よくもぬけぬけと……貴様の言葉で何故安心できる!? そもそも私達と入れ替わりに現世に戻した? はっ、誰がそんな事を信じるというのだ!?」
「まぁ、別に信じてもらわなくても結構よ? 信じてもらえるとは思っていないし…………元々この人間達も『霊現体』達も巻き込む予定ではなかったのよ? それにもう用も済んし、現世に返すつもりだったのに」
「現世に返す、だと!?」
あまりにも信憑性の薄い馬鹿な発言にこちらの虚を突こうとしての発言かと気を引き締めかけたが、女の表情はどこか呆れ顔でうんざりしたように言葉を続けた。
「えぇ、この人間達を取り込んだのは魂に残留していた『器』の魔力を回収する為。それが済めば普段通りの生活に戻す手筈だったの」
「…………『器』の残留魔力の回収? それが貴様等の目的か?」
「えぇ、半分はね」
「半分、か……この際だ。残り半分も教えてくれるとありがたいんだが?」
「そこで無様に呻いてる『器』の回収よ」
「呻いてる『器』?」
侮蔑を込め吐き捨てた女の言葉に私は首を傾げ、
「『器』とは何の事だ? 貴様達の依り代にする物という事ならば私の事を言って」
「貴女では無く、気色悪い髪の色の人間よ」
苛立ちに言葉が跳ね、眉間には憎悪の深さを示すように深々とシワが刻まれる。
私は女の言葉と私の後方に向けられた侮蔑と憎悪で染め上げられた深紅の瞳に――――――『器』が何を指しているのか、真っ白な布地に血が滲むように理解した。
「『器』とは……萩月凜のことか」
「そこに転がっている『器』が全ての元凶よ」
「僕、が……元凶?」
女の有り余る殺意に押し潰されるように、苦悶の表情で呟く萩月。
「そうよ、貴方が全ての元凶よ」
女は体の中で荒ぶる感情をに固く握りしめ、
「………予定では魔力を奪いきってから殺すはずだったけど、我慢できないわね」
「っ!?」
爆発的な魔力の上昇と共に女の隣で具現化していた心臓は溶け込むように消え、同時にこちらへ一直線に突進する。
私も女の突進と同時に『虹の陽炎』を構え直し、
「神村夏子!!」
「な、なにっ!?」
「萩月をしっかり抱いて、その中から絶対に出るな!!」
そう言い捨て、神村の答えを待つ間もなく自らも跳躍し女との間合いを詰める。
「邪魔しないでくれる?」
「悪いが却下だっ!!」
互いに短く言葉を紡ぎ、私は太刀の間合いに女を捉え、殺意事切り捨てるように『虹の陽炎』を右薙ぎ。斬撃は一切の手加減無く、首へと鋭い軌跡を描く。
「まぁ、今回は人間に手を出す必要はないから邪魔してもらって結構だけど」
が、そんな軽口と共に女は後方に飛び斬撃を回避。
そこから萩月に向けていた殺意を私に合わせ、
「邪魔をするなら貴女から殺すわよ?」
と、右手を勢い良く横に払い、払った腕の後ろを追うように魔力が収束。六つの氷の塊が出現。
氷の塊はそれぞれ女の殺意に磨かれるように一本の槍とかし、弾丸の如く冷気を撒き散らしながら私へと飛来する。
「やれるものならやってみろ!!」
私は振り抜いた右手を戻し、刃を鞘に納刀。それに合わせ『虹の陽炎』へ魔力を一気に練り込み、氷の槍へ躊躇無く飛ぶ。
「神威『第参位』解放!!」
魔力収束の限界点到達と同時に『虹の陽炎』は純白から蒼へと装いを変え、
「『斬閃・蒼破』!!」
裂帛の叫びと共に抜刀。刃の軌跡を蒼の閃光が奔った。
その刹那、蒼の斬撃による一閃で氷の槍を一つ残らず切り捨て、納刀。納刀した『虹の陽炎』は装いを白へと戻し、再び魔力収束を開始。
一連の動きを切ることなく一気に女との間合いを詰め、『虹の陽炎』の殺傷範囲に女を捉えた私は右足を深く踏み込む。
「っ!?」
「神威『第弐位』解放!!」
女の驚愕を余所に『虹の陽炎』は私の意志に連なり白から紅へ姿を変え、抜刀と共に紅の閃光が煌めく。
「『斬閃・紅破』!!」
「くっ!?」
女は咄嗟に後退しようと体を引くが、深い踏み込みと迷いのない抜刀が女の首筋を完璧に捉え。
「なっ!?」
女の首筋に触れる直前、黒の閃光と肉を裂く感触に刃を押し留められた。
「……………………」
私と女の間に割って入る男の姿。
男の姿を認識すると同時に肉の焦げる臭いが鼻を刺し、反射的に後方に飛び退き、地面に着地。
「エ、エリス!! 大丈夫!?」
着地から数瞬の間を開け、神村の声が背後から届く。
「あぁ」
私はそれに振り返ることなく一言だけ返し、『虹の陽炎』を払い、構えを取る。
「さすがに………そう簡単には決められないか」
今の攻防で攻めきれなかった事を悔いながら、私は上空にいる二人を睨み付けた。
女は今の攻防で高ぶった感情を落ち着かせているのか、こちらを見下ろしながら大きく息を吐き、男は肘先まで焼けこげた左手をぶら下げたまま無表情で私を見下ろしていた。
いくら魔力の障壁で防御したといっても手の平を裂き、肘元まで炭化させたのだ。痛みに叫び声を上げてもおかしくない損傷だというのに…………。
「…………あの男、痛みを感じていないのか?」
不気味に映る男に嫌な汗が額に滲み、
「記憶では『第二級』ってあるけど……実際の所は『第一級』なのね。思っていたより動きが速くてビックリしたわ」
女は殺意こそ治まっていなかったが、幾分冷静さを取り戻したようで私を品定めするように見下ろす。
「それにさっきの神威………記憶の中では三年前までは『第参位』までしか使えなかったはずだけど、位を一つ解放出来るようになっていたみたいだし、この死神の記憶もあまり信用できたものではないわね」
「残念だったな。ジュリアさんとは三年前に任務で組んで以来、顔合わせもしていない。ロレンスさんもジュリアさん同様に長い事任務で組んでいないからな、あまり参考に並んだろう」
「そう、それは残念だわ。死神の記憶は丸々利用できると思っていたんだけど…………」
女はジュリアさんの記憶を覗いているのか片目を閉じ、右手の人差し指でこめかみをトントンッ、と軽く小突き。
「あら?」
何か意外なものを見つけたとばかりに両眼を見開き、
「フフッ、意外ねぇ」
歪な歓喜に口元を吊り上げ、私へ哀れむような視線を向けてきた。
私は女の不気味な笑みと視線に妙な胸騒ぎを憶え、柄を握る手に力が入る。
「…………何だ? 私の弱点でも見つけたか?」
「弱点、って言う程のものではないわね…………これは弱点と言うよりは失敗談って言った方が正しいと思うわ」
「失敗談……だと?」
「えぇ、私達相手に引けを取らない力を持っている今の貴女からは想像できないけど…………フフッ、面白い事もあるものだわ。神も人も案外わからないものね」
「さっきから人を小馬鹿にするようなせせら笑いを……ジュリアさんの記憶から何を見つけたのか知らないが、そこまで面白いというのなら言ってみろ。面白くなくても笑ってやるぞ?」
私は女の不快な笑みを笑い飛ばすように皮肉を叩き付け、
「じゃあ、ご本人のご厚意も頂いたし…………お言葉に甘えて」
その皮肉を待っていたとばかりに女は満面の笑みで言った。
「貴女――――――五年前に一人、『霊現体』を見殺しにしてるのね」
「なっ!?」
その言葉が耳に抉り込まれた瞬間。体中の血が一瞬で沸騰し、
「何故貴様が」
知っているっ!? とあまりにも間抜けな事を言いかけて、出掛けた言葉を噛み殺した。
「っ…………………」
そうだ。この女達はジュリアさん達の記憶を共有している。それも三年前までジュリアさんと組んで『任務』にあたっていた時の記憶まで…………ならば自分が『第二級』になった五年前。あの時の事も当然記憶として保有している。
「へぇ、記念すべき初任務だったのねぇ…………フフッ、その時の貴方はとても初々しいかったみたいね」
動揺する私に追い打ちを掛けるように、わざと声に嘲笑を含ませる女。
「こ、のっ!!」
その声に動揺が怒りに変わりーーーーーー今すぐ女を斬り殺す、そんな単純な思考に理性が染まった時だった。
「エ、リスッ……!!」
苦痛に歪みながらも必死に張り上げられた萩月の声にハッと我に返り、その瞬間。自分の未熟さと迂闊さを後悔する間もなく、
「…………………」
「しまっ!?」
一瞬の隙を突いて背後に回った男に両腕を後ろから開くように押さえ込まれてしまった。
「このっ!!」
私はすぐ様力づくで抜け出そうとして、
「動かないでね」
男と入れ代わるようにスルリと正面に回り込んできた女に額へ手を添えられた。
「少しでも動けば頭を吹き飛ばすわ」
その言葉通り、額に添えられた右手に高密度の魔力が収束され、私は自分の迂闊さに唇を噛んだ。
「エリス!?」
「今、助けっ………にっ!!」
その様子に神村は悲痛の声で叫び、萩月は苦悶の表情で立ち上がって。
「ぐっ!?」
疲弊に縛られた体が、萩月の意志を無視して再び地面へと倒れ込む。
「り、凜!?」
神村もすぐに萩月を抱き起こし、護るように強く抱きしめる。
「いい様ね」
女は疲弊し身動きがとれない萩月の姿を鼻で笑い、
「本当はすぐにでも殺してやりたいのだけど…………気が変わったわ」
「なん、だっ………て?」
「貴方の魔力が奪い尽くすまで残り大体四十分程度…………この子にちょっとしたお仕置きをするわ」
「なっ!?」
萩月に下卑た笑みを見せつけながら、私の額に触れていた右手が淡い光を放ち、それに伴った意識がぼやけ始めた。
「やめて!! エリスに何をするつもりなのっ!?」
恐怖に震える声で叫ぶ神村。
「この子に昔の記憶を見せるだけよ。自分が昔、見殺しにした『霊現体』ととの記憶をね」
「なっ!?」
「貴女達ににも見せてあげるわね。この子が昔、犯してしまった罪の記憶を」
女はこれから自分がする事に酔っているのか、粗暴で恍惚とした笑みで神村、萩月の順に視線を流し。
「や、め…………ろぉっ!!」
「『器』、貴方はそこで自分の無力を噛みしめながら眺めると良いわ!!」
怒りに震える萩月の声を傲慢とも言える言葉で叩き落とし、私の頭を鷲づかみする。
私は次第に薄れていく意識に無駄だとわかっていても、
「っぁ……やめ、ろっ…………やめて、くれ」
思わずそんな言葉を口にして。
「だ~めぇっ!!」
どこまでも残酷で、どこまでも無邪気な笑顔に踏みにじられ、その瞬間。視界は目映い紅の光に包まれ、意識は罪悪という暗闇に引きづり込まれた。