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れせぷしょん  作者: りくつきあまね
エリス=ベェルフェール
27/39

――― 5月11日 心の在処・揺 ―――

 僕は机の脇に提げてた鞄を机の上に置いて、課題が出た教科の教科書とプリントを詰めていった。

「………………」

 今は長いような短いような授業と帰りのHRが終わって帰り支度の途中。

 周りの皆も僕と同じで帰り支度をし出しているけど…………皆表情がどこか暗かった。

 もっとちゃんと言えば暗いっていうよりは、不安と心配がジワジワ滲み出てるって感じだ。

 いつもなら下校雰囲気に染まった教室は授業が終わった開放感に和気藹々とした空気になんだけど、そんな雰囲気の人は誰もいなかった。

 僕は小さくため息を付いて、昼休みに呼び出された時の事を思い出した。


 §§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§


 放送の指示通り、僕は夏先輩達と別れてすぐに職員室の脇にある第二会議室へ向かった。 他のクラスの皆もお昼を邪魔された事に不満顔で集まって「いきなり何の呼び出しだよ、まったく」と文句を揃えて会議室に入った。

 でも、会議室に入った矢先。皆の足が止まって、僕はどうしたんだろ? って思いながら前に出て、会議室の一番奥に広がった光景に思わず目がギョッと開いた。

 会議室の一番前、議長席の長テーブルを向かって左側から理事長に校長先生、教頭先生と並んでいて。長テーブルを挟んで生徒指導部の先生に学年主任の先生、最後にウチのクラスの副担川代先生がズラッと待ち構えるように並んでいた。

 それだけでも何かあったの? って言いたくなったけど、理事長の左隣にいたスーツ姿の男の二人組の姿に学校の先生とは違う何か鋭いものを感じた。

 そんな見慣れた事のない光景にたじろぐ僕達に、川代先生がせっぱ詰まった表情で声を上げた。

「はい、来た人から前から順番に座っていって下さい」

 緊張しているのか、ほんの少し震える声で指示を出す川代先生の姿に戸惑いながらも僕は前の席に向かって、他の皆も僕に続くように歩き出した。

 僕が席に着いてから五分くらい経って、やっとクラス全員が集まった。

「四十六、四十七……四十八っと、全員揃いましたね」

 川代先生の人数確認が終わって、アイコンタクトを済ませる先生方。

 そして何か思い詰めたような暗い表情で理事長が隣にいたの人達に小さく会釈をして、

「全員揃いましたので、どうぞよろしくお願いします」

弱々しい声で二人を長テーブルの前にと手で案内した。

「では、失礼して」

 二人組の内の一人、強面でビシッと決めたオールバックが渋い中年くらいの男の人が小さく会釈して前に出た。

 そしてもう一人、二十代前半くらいの背が高くて若い男性が後に続いて、長テーブルの前で並んだ。

 僕達全員の視線がその人に集中して、

「皆さん、初めまして」

強面さんの形式張った挨拶に耳を傾けた。

「私は××県警、三珠警察署警部の笹原洋一ささはらよういち

「同じく三珠警察署警部補の雨水昭斗うすいあきとです」

 警察官と名乗った二人の二人に会議室全体の空気が一気にざわついて、

「な、なんで警察が学校に来るんだ?」

僕の隣にいた男子のクラスメイトが驚きに呻くように言った。

 そのクラスメイトの声に答えるように笹原さんが口を開いて、

「これからは君達全員に昨日の下校から夜の九時までのアリバイを確認させてもらおうと思っている」

「あ、アリバイって……なんで?」

また唐突な話の進行に、今度は笹原さんの正面の席に座っていた女の子が声を上げた。

「あぁ、それはだな」

 笹原さんはそう言って脇にいた先生達へ目配りして、先生方は笹原さんへ同意するよう首を縦に振った。

 笹原さんは先生達の同意に小さく息を付いて、僕達を見渡して言った。

「昨日、君達の担任浪岡佐枝さんとクラスメイトの箕島香夜さんが行方不明になったからだ」

「なっ!?」 

「行方不明って!?」

「嘘っ!?」

 もう何度目かわからないくらいの驚きとざわめき。

「っ!?」

 僕も一瞬何かの間違い、もしくは冗談か何かと思ったけど……嘘の為に警察を名乗ったり、二人をわざわざ学校を休ませる事なんてしないはず。それに何より、目の前でそう言った笹原さんの表情は鋭い感情に張り詰めていた。

 笹原さんはスーツの内ポケットから手帳を取り出して、

「二人は今日の放課後に行われる保護者会の準備の為、資料作りをしていたらしい」

手帳を開いて、事の経緯を話し始めた。

「二人は帰りのHRが終わってすぐ職員室へ向かい、資料作りを始めたのが午後四時丁度。その時、その場にいた何人かの先生方に姿を確認。そこから二人は約四時間半職員室と生徒指導室を行ったり来たりしていたらしい」

 笹原さんは手帳を一ページ捲って、言葉を続ける。

「二人は午後八時過ぎには資料を作り終え、資料を生徒指導室に置きに向かったと職員室で待機していた宿直の教師が証言。その後、浪岡先生から生徒指導室の鍵を受け取る筈だった、が」

 一区切り、って感じで言葉を切って手帳から目線を上げて、僕らの様子を観察するように目を細めた。

「三〇分経っても二人は戻ってこず、宿直の教師が様子を見に行ったところ、生徒指導室には二人の姿はなく、入れ違いになったかと職員室に戻ってみたものの鍵は未返却」

 それから僕達の様子を伺いながら、また淡々と話を続けてる笹原さん。

 そして笹原さんの話では宿直の先生は浪岡先生が帰宅してしまったのかと職員室の窓から駐車場を確認したら、浪岡先生の車は止まったまま。周りにも浪岡先生の姿はなくて、校内放送で二人を呼びかけても二人が職員室に来る事はなく、浪岡先生の携帯電話に連絡しても繋がらなかったらしい。

 それを不審に思った宿直の先生は校内を見回りながら玄関へ、そこで浪岡先生と箕島さんの外靴は残ったままで……そこからはもう一度校内放送で呼びかけて待ってみても二人は現れなかった。

 その時点で時間は午後九時、最後の頼みで箕島さんが家に帰っていないかと箕島さんの家に連絡して…………結果、警察に通報する事態になった。

「この件に関して警察は誘拐、もしくは拉致とみて扱っている」

 笹原さんはそう話を締めて、手帳を閉じた。

 ニュースでしか関わりのなかった出来事に、クラスの皆は戸惑いを隠せなくて、笹原さんの話に言葉を失っていた。

 そんな皆の様子に「当てが外れたな」って言う感じに不快ため息を付く笹原さん。

「さっきも言ったが、今から君達にはアリバイの確認をさせて貰う。それ以外にも浪岡佐枝さんと箕島香夜さん、この二人に関わる事を聞いていが……少しでも気になる事、今回の件について何か思い当たる事があれば素直に証言するように」

 笹原さんは手帳をポケットにしまい、

「この件に関しては誘拐や拉致の可能性が高い為、犯人を刺激しないように学校側にも二人のご家族にもお願いして内密にと話してある。だから君達も今日ここでの話は他の生徒は当然、家に帰っても家族には話さないように…………」

感情を殺した、心を縛り上げるような冷たく重い声で言った。

「…………二人を助けたかったらな」

 その言葉に込められた意味の重さに、僕らはただ黙って頷く事しかできなかった。


 §§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§


「…………あれじゃ警察官って言うよりは脅迫者だよ」

 笹原さんの最後の一言思い出して、僕は鞄をパタンッって閉じながら重いため息を付いた。

 笹原さんの重たい一言の後は胃をすり切られるんじゃないかって言うくらいにギスギスした雰囲気でアリバイ確認が始まって、昨日の夜のアリバイから二人との関係に二人の人間関係とか色んな事を聞かれた。

 大体一人十分位で話を聞いていって僕の番になったけど、夜の七時なんてエリスとご飯を作って真っ最中。

 素直に「死神の女の子と晩ご飯の支度をしてました」だなんて言えるわけもなく、まして言っても信じて貰えない現実に、僕は黙って「一人で晩ご飯の準備をしてました」って言うしかなかった。

 おかげで笹原さんの隣で話を聞いていた雨水さんには「萩月凜、アリバイなし」って囁かれながら手帳にメモられた……多分、クラスの中で疑われやすい立ち位置になったんだなぁって思った。

「まぁ、疑うのが警察の仕事だろうし……二人が無事で帰ってくるならこれくらいは我慢しないと」

 僕は教室の重苦しい感覚から逃げるように教室を出て、

「こんな事件、はやく解決すると良いんだけど………………」

箕島さんと浪岡先生の顔を思い浮かべながら、重い足取りで生徒玄関へ向かった。




 §§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§




 学年別の下駄箱の方から小さな背を丸めて、顔を俯けながら歩いてくる男の子の姿に、

「凜っ!!」

私は少し大きな声で名前を呼んで、校門の脇で大きく手を振った。

 凜は私の声にパッと顔を上げて、手を振ってる私に気が付いたようでトテトテ走り出した。

 その姿がまるで子犬みたいで胸がキュンってして、

「お待たせしました」

「ううん、私も今来たところだから」

どこかデートの待ち合わせみたいな掛け合いにちょっとドキッとした。

「じゃあ、行こっか」

「はい」

 私と凜は学校終わり、いつも校門で待ち合わせをして一緒に帰る。

 初めて凜と帰った時は大体一年前くらいで、その時は互いに先輩後輩って意識があって他人行儀だったけど今ではすっかり自然な日常の一部。

「凜、今日はこの後予定とかあるの?」

「予定ですか? 昨日、買い物も済ませてしまいましたから特にありませんけど?」

「じっじゃあさ、いつもスーパーで買い物を済ませて帰ってるだけだし、たまにはどこか寄り道しない?」

 いつもした事がない遊びの誘いをしてみる。

 私は自分の口から出た言葉に内心、緊張で頭が爆発してしまいそうだった。

 普通に考えればただの遊び誘いで、あかりや他の友達とだって学校帰りに寄り道をしていく事だってあるんだから別に緊張する必要なんてないと思うんだけど…………やっぱり相手にもよると思う。

「良いですよ、家事も朝の内に大体済ませてきましたから大丈夫ですし」

 凜は何も予定がない事を確認して、笑顔で頷いてくれた。私は凜の返事に心の中でホッと胸を撫で下ろして話を続ける。

「じゃあ大丈夫ね。いきなりごめんね」

「いえ、別に気にしないで下さい。家に帰っても課題ぐらいしかすることないですから」

「うん、ありがと」

「いえいえ。それで? 行き先とかは?」

「へ? あぁっ!! 行き先ね、行き先」

 誘う事で頭が一杯一杯で行き先まで決めてなかった私。

「う~ん、特には決めてなかったんだけど……『ソリア』でお茶しない?」

 咄嗟に思い浮かんだ場所を言って、

「えっと……『ソリア』って何のお店ですか?」

凜は初めて聞いた名前に、少し困り顔で私に質問してきた。

「喫茶店よ、喫茶店。商店街の真ん中くらいにお店があるんだけど……凜は『ソリア』に行った事ないの?」

「はい、行った事ないお店ですね。いつもスーパーか本屋さん、それに服屋さんぐらいしか行ったことないくて……」

「じゃあ、決まり。そこ、アイスコーヒーが凄く美味しくてね。まだ蒸し暑いし、お店の中は涼しい筈だから丁度い良いと思う」

 私は昼間からのジリジリした暑さから逃げるみたいに、冷たいアイスコーヒーをストローでキュッと飲み込む光景を思い浮かべて自然と声が高くなった。

「ですね、変に歩き回るよりはの良いと思いますし」

 凜も私と同じような事を想像したのか、少しだけど弾んだ声で笑って。

「それじゃ行こっか」

「はい」

 私と凜は校門から出て、目的地の喫茶店『ソリア』へ並んで歩き出した。


 §§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§


 学校から大体三十分が過ぎた頃。歩き慣れた商店街の丁度中間で、私と凜は目的の場所を見上げた。

「着いたよ、ここが喫茶『ソリア』よ」

「へぇ、ホントに商店街の真ん中にあったんだぁ……気が付かなかった」

 お店の名前の『ソリア』はポルトガル語で『微笑む』って意味で、どんなに小さくても笑顔が溢れる店になれば最高だ、ってマスターが話してくれたことがある。

 名前はポルトガル語なんだけど、お店の外観や内装は特にポルトガル嗜好って造りじゃない。

 二階建ての外観は黒を基調とした白の水玉模様。出入口を大きな白の水玉が覆っていて、そこから放射線状に少しずつ水玉模様が小さくなっていくシンプルなデザイン。お店の名前も大きな看板で主張するわけでもなく、控えめに出入口のドアのガラスに小さく『Sorrirソリア』ってロゴが描かれてる。

 ここがオープンしたのは十年前。でも、マスターの手入れの玉の物か新築のような綺麗さを保っていた。

 私は視線を正面に戻しながら出入口のドアの取っ手に手を掛けて、外観のデザインが気に入ったのか、ジッと眺めていた凜に声を掛けた。

「凜、いつまでも眺めてないで中には入るわよ」

「あ、はい」

 私の催促に慌てて後をついてくる凜。

 私は凜がすぐ近くまで来たところでドアを押し開くと、ドアに備え付けられていたベルがチリンチリンッ!! って可愛く響いた。

 ドアを開くと天井や壁は木目調で揃えてあって温かい雰囲気を、床は派手でもなければ嫌らしくもない、落ち着いた赤のカーペットが敷かれていて、そんな落ち着いた雰囲気店内を黒塗りのカウンターと九席のバラのような鮮やかな赤革イスで引き締めていた。

 出入口の両脇にはカウンター席と同じ赤革の長椅子の相席が五組ずつ並んでいて、

「いらっしゃい」

カフェのカウンターからは私達を迎えてくれる少ししゃがれた落ち着きのある声。

「こんにちわ、マスター」

「やぁ、夏子ちゃん。いらっしゃい」

 カウンターから白のYシャツに藍色のエプロン姿のマスターが笑顔で出迎えてくれて、私も笑顔で言葉を返す。

 カウンターの奥で白髪が交じる見え隠れする長い髪を、前髪から襟足までを項で一纏めにした『ソリア』の店主――――井口亮いぐちとおる

 今の歳は六十八歳。もうすぐ定年というところで、勤めていた会社を退職して喫茶店を開業。

 お父さんがここの常連で、ここに来る度に良く連れてきてもらっていた。そのおかげで私も常連としてマスターに孫みたいに可愛がって貰ってる。

 私は店内に流れる淀みのないピアノのBGMに店内を見回すと、

「あれ? 今日はお客さんが…………」

「あぁ、ご覧の通りだ。夏子ちゃんが今日初めての客だよ」

私の様子に白い歯を見せて豪快に笑う。

 いつも私達学生やお母さん世代の人、それに会社帰りのサラリーマンが小休憩でほとんどの席が埋まってるのに、今日はわざとらしい位お客さんがいない。

「お店がこんなに暇なんて珍しいですね」

「まぁ、いつも稼がせてもらってるからな。たまには節約して貰ってもバチはあたらんさ」

 普通だったら不安になるんじゃないかって状況に、それでもありがたいって感謝の気持ちが滲み出てる笑顔のマスター。

「夏子ちゃんこそ珍しいじゃないか、いつもあかりちゃんと一緒に来るのにさ。今日は一人でのんびりしに来たのかい?」

 マスターの言う通り。いつもなら私とあかりの二人でここに来るんだけど、

「あかりは部活で遅くなるって言ってたから、今日は別の子と来たの」

「別の子?」

マスターは私を見ながら腑に落ちないと首を傾げた。

「別の子ってどこだい? 夏子ちゃん一人に見えるが…………」

 凜が私の後ろにいるはずなのに、なんでだろう?ってマスターの言葉に一瞬首を傾げそうになって、あることに気が付いた。

 凜は私より背が低し体も細いから、私の後ろに立つと隠れちゃって見えないんだ。

「えっと、私の後ろにいるんだけど…………」

 いつも身長のことを気にしていた凜。

 だから今の話で凜が落ち込んでいたらどうしようって恐る恐る振り返って、

「お店の中も凄く綺麗……窓の縁とか本棚の隅も綺麗に掃除してある」

私とマスターの話なんて聞こえていないみたいで、お店の中を見渡しながら姑みたいな事を良いながら感心する凜。

 その声にマスターも凜に気が付いたみたいで、確かめるように体を横にずらして。

「あぁ、ホントにもう一人来てくれてたみたいだな。いらっしゃい」

「あ、こんにちわ」

 お互いに目線を合わせて、小さくお辞儀をした。

 私は二人が頭を上げるのを見計らって、先に凜の紹介をした。

「この子は萩月凜っていって、学校の一学年下の後輩の子なの」

「どうも、初めまして」

 凜は私の紹介に合わせて、もう一度小さく会釈。それを合図に今度は凜にマスターの紹介をする。

「凜、この人がここの店長で名前は井口亮さん。私はマスターって呼んでるわ」

「『ソリア』の店長をしてる井口だ」

 カウンターの奥から出てきて気さくな笑顔でマスターは凜へ右手を差し出して、

「よろしくな、凜くん」

「あ、はい。こちらこそ」

人懐っこい笑顔で握手する凜。

 二人はしっかり握手すると、どっちからというわけでもなく手を放して。

「さて、今日初のお客様だ。好きな席座りな」

「うん、ありがとうマスター。席だけど」

「左側の一番奥の席だろ」

 全部を言う前に右眼を閉じて、確信に満ちた得意げな笑みを見せるマスター。

「夏子ちゃんはいつもので良いんだろ?」

「うん、お願い」

「はいよ。あとは……凜くんは初めてだしな」

 常連ならではのメニュー決めをして、凜へカウンターに置いてあったメニュー表をとろうとした所で、

「あっ、僕も夏先輩と同じもので」

「ほっ、夏子ちゃんと同じものでいいのかい?」

「はい」

凜の一言に意外と驚きで手を止めるマスター。

 私は凜の一言に驚いて、思わず確認してしまった。

「ほ、ほんとに私と同じでいいの?」

「はい、大丈夫です。僕はここ初めてなので、常連の夏先輩が好きなモノなら一押しメニューだと思うので」

「わかった。じゃあ、凜くんも夏子ちゃんと同じモノを用意するから座って待っていてくれ」

 マスターはどこか楽しそうな笑みでカウンターの奥に戻って、

「じゃあ、マスターが来るまで待ってよっか」

「はい」

私達もなじみのある席へと向かった。

 お父さんと来る時、あかりと来る時。どっちも決まって一番左奥の席に座っているから、マスターが特等席だなっていつも場所をとっていてくれる。

 席まできて私は上座、凜は向かい合うように下座に座って、一息付いた。

「毎日通ってても、三十分も歩くと疲れるわね」

「そうですか? 僕はそんなには」

 少し疲れ気味の私に、凜はケロッとした表情で言いかけて。

「二人共、先にアイスコーヒーでもどうぞ」

 カウンターの脇からアイスコーヒーを二つお盆に載せて、マスターが歩いてきた。

 マスターは私達のテーブルまで来ると静かに、それでいてムダのない動きでコースターにアイスコーヒー、ガムシロップにミルクの順に私と凜の前に置いた。

「他のはまた後で持ってくるよ」

「ありがとう、マスター」

「ありがとうございます、井口さん」

 そう言ってカウンターに戻るマスターにお礼を言った私達。

 私と凜は目の前に置かれたキンキンっ!! に冷えたアイスコーヒーに手を伸ばして話を続けた。

「ははっ、夏先輩も女の子ですからね。僕と比べてもやっぱり体力的に少し厳しいかもですね」

「当たり前じゃない、凜は男の子なんだから……って、まぁ女の子より体力ない男の子も最近は増えたみたいだけどね」

 凜は見た目は小学生にしか見えないけど、やっぱり男の子。私なんてYシャツの下は汗が滲んでる。凜も同じYシャツ姿だなんだけど、袖は捲り上げずに下ろした状態。つまり長袖のままで歩いてきたのに汗は滲んでもいない。

 そんな凜の涼しげな様子に私は汗臭くないか不安になって、

「歩くだけじゃなくて、何か他にも運動してみれば良いじゃないですか」

「へっ?あっ、と……そ、そうだね」

何気なく返された凜の言葉に少しだけ反応が遅れた。

「少しずつでも何かスポーツでもすれば体力がつくと思いますけど」

「スポーツかぁ…………あかりみたいに部活とかすれば良いんだろうと思うんだけど」

 凜のちょっとしたアドバイスに私は胸の前で腕を組んで、困り顔になる。

 私としては体を動かすこと自体は嫌いじゃないし、部活動にだって興味はある。中学校の時にあかりに一度だけ一緒にバレーをしようよって誘われたこともあるけど…………部活をするとスーパーのタイムセールには間に合わないし、夕ご飯の支度だって遅くなる。それ以外の家事も全部遅い時間に集中しちゃうから、必然的に課題だって最後の方になったりしてかなり大変。

 他の皆は私が家の事を話すと家事を当番制で決めたらいいって言うけど、お医者さんとして毎日夜遅くまで頑張って働いてるお父さんに家事をやって欲しいって言うのは酷な話だと思う。

 あかりも私の家の事情を察してか、勧誘は中学時代の一度きり。

「でも、部活をしちゃうと家事とか大変になっちゃいますよね?」

 凜は私の心をのぞいたみたいに質問してきて、ちょっと嬉しさに苦笑いで答えた。

「家事の事もあるんだけど……」

「だけど?」

「私としては毎日仕事で疲れて帰ってくるお父さんには家ではゆっくりして欲しいし、温かいご飯を作って笑顔で迎えてあげたいっていうのもある、かな」

 話していて最後の方は少しだけ恥ずかしくて、ストローに口をつけて冷たいアイスコーヒーを一口。

「今の言葉、冬樹さんが聞いたらうれし泣きの大泣きですね」

 凜は何かを思い出し笑いみたいに小さく笑って、アイスコーヒーをストローでチュルッて一口すすった。

「うれし泣きって……大袈裟よ、凜」

 過大評価な言葉に私は苦笑いがこぼれて、

「凜だって蘭さんと二人暮らしで家事とかしてるんだから蘭さんも嬉しいと思うけど……って今はセフィリア達がいるから四人暮らしなんだね」

凜の家に居候してるセフィリア達の事を思い出した。

「まだセフィリア達が居候してから二日しか経ってないけど、どう? 二人、というかエリスとは仲良くできてる?」

 私の気まずげな一言に凜の表情があっという間に強張って、仲良くなるどころの話じゃないんだなって直感した。

「その、仲良くなるならないという以前の問題で…………」

「…………やっぱり」

 意気消沈とばかりに肩がガックリ下がって、どうしたらいいのわからないって感じに項垂れる凜。

 私は苦笑いを浮かべながら一口アイスコーヒーをすすって、

「お祖母ちゃんやセフィリアがいてもエリスと会話として成立してるかどうか怪しいのに……昨日なんて、お祖母ちゃんとセフィリアがいきなり遠出しててエリスと二人っきりだったんですよ。もう、気まずいのと怖いのがごちゃ混ぜで」

「ゴホッ!?」

凜の不意打ちみたいな言葉に思いっきり咳き込んじゃった。

 アイスコーヒーを吹き出すなんて格好悪い事にはならなかったけど、思いっきり気管に入ってしまったからかなり苦しい。

「ゴホッ!! ゴホゴホッ!!」

「な、夏先輩大丈夫ですか!?」

 いきなりの事で驚いたのか、凜が慌てて立ち上がって、

「……ッ、だ、大丈……夫。ちょっと驚いただけだから」

私は立ち上がった凜を止めながら、乱れた息を整えた。

「そ、それよりもエリスと二人きっりって…………蘭さんとセフィリアはどこに出かけたの?」

「それが僕にもわからなくて…………お祖母ちゃんが書き置きを残してはいたんですけど、セフィリアと一緒に出掛けることくらいしか書いてなくて」

「いつ戻るとかっていうのは?」

「それが……書き置きには早ければその日の夕食前、遅ければ数日かかるって曖昧な書き方をしててわからないんです」

 凜も何が何だかわからない、って感じにため息を付いて。

「セフィリアと一緒に出掛けてるので多分、また幽霊関係の仕事か何かだとは思うんですけど」

「ねぇ、凜」

 幽霊、って単語に心がざわつくのがわかった。

「はい、なんですか?」

「また私に内緒で危ない事してない?」

「…………へっ?」

 私の突然の質問に、凜が呆気にとられた。

「私が幽霊だった時。凜、自分が命を狙われてるのに内緒にして、私のこと助けようとしてくれてたでしょ。だから、また……なのかなって」

 今度はちゃんと何を言いたいのか整理して言ってみた。

 凜は私の言葉に一瞬だけ口元が強張ったけど、すぐに安心させるように笑顔を浮かべた。

「それは大丈夫ですよ、夏先輩が心配するようなことにはなってませんから」

 凜は手に持っていた汗を掻いたグラスを置いて、私を真っ直ぐ見つめる。

「それに今は僕も夏先輩みたいに心配する側の立場だし、あの時とは違ってお祖母ちゃん達も僕をあまり関わらせたくないって感じなので」

「そう、なんだ」

 凜の言葉に嘘なんかない。嘘なんかないはずなのに…………どこか心の隅に引っかかりを感じてしまうのは何故?

「でも、どうしていきなりそんなこと聞くんです? 何か気になることでもあったんですか?」

「えっと、ね」

 今度は凜が私を心配しだして、私は心の引っかかりを押し込んで答えた。

「その、凜がさ。最近、元気ないなぁって思ってて…………それで気になったというか」

「僕がですか?」

「うん、何か悩み事でもあるんじゃないかなって」

 私はストローでコーヒーに使った氷を混ぜながら凜の顔色を伺って、

「特に悩み事なんてないですよ? 強いて言えば…………まぁ、身長くらいで」

背が伸びない事への悔しさと、それを女の子に話す恥ずかしさに目を逸らしながらアイスコーヒーを吸い上げる凜。

 私はいつも通りの凜にクスッって小さく笑って、

「はいよ、お待ちどうさんっ!!」

勢いのある声と鼻を刺激するように漂ってくる刺激的な匂いに横を通路側へ顔を向けた。

「夏子ちゃん限定メニューの極盛りカツカレー二人前だ!!」

「待ってましたっ!!」

 マスターの両手には一メートル級の大皿に豪華に盛りつけられたカツカレーが。

「いっ!?」

 誇らしげなマスターと大好きなカツカレーが来て嬉しさ満点の私達を脇で見ていた凜は信じられない、って大きく目を見開いて悲鳴みたいな声を出した。

「ライス三キロ、ルー三キロ、カツは四キロ!! 合計十キロの極盛りカツカレーだ。制限時間は一時間、喰いきれなかったら罰金一万円だぜ」

 意気揚々とテーブルにカツカレーを置くマスター。

 目の前に置かれたカツカレーに、はしたないけどお腹の虫がキューーーッて鳴いた。

「いつも通り、美味しそうな匂い」

「こ、こんなにたくさん……食べれるんですか? 夏先輩」

「もちろん!!」

「えっと、夕飯は……」

「夕飯もちゃんと作って食べるから」

 お腹ぺこぺこな私と正反対に何故かお腹いっぱいそうな凜に、私は素直に頷いた。

「まぁ、凜くんは初めてだしメニュー内容も教えなかったからな……今日は特別に二人共時間は無制限で罰金は免除にしてやるよ」

 マスターは凜の様子に何か察したように凜の小さな肩をぽんぽん軽く叩いて、

「あ、ありがとう……ございます」

「ありがとね、マスター!!」

私と凜は思いがけないおまけにお礼を言った。

「じゃ、お二人さんごゆっくり」

 そう言ってマスターはカウンターに戻って、私はザッとスプーンを手にとって手を合わせる。

「いっただっきまーすっ!!」

「い、いただきます」

 凜もどこか遠慮がちな挨拶だったけどしっかりお行儀よく挨拶をして、私はチラリと壁に掛かっていた時計を確認して――――今の時間は午後五時。

 いつものペースでいけば三十分くらいで食べ終わるから、その後は少し休んだ後に解散すれば夕飯の支度には余裕で間に合う計算。

「いざっ!!」

 私は大好物のカツカレーにスプーンをざっと突き立て、戦闘開始。

 全力でカツカレーと戦う私の正面では、凜が口元を引き攣らせながら小声で呟いた。

「た、食べきれるかなぁ………………」




 それから三十分後。私は予定通り完食したけど…………リンはが完食したのは閉店ギリギリの午後七時だった。




 §§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§




「ぅっ、は……吐きそう」

 商店街の喫茶店『ソリア』で夏先輩と別れて一時間。

 僕は今にも破裂してしまいそうなお腹をさすりながら、玄関先で脂汗を掻いていた。

 完全にキャリーオーバーな胃が悲鳴を上げて、その事実に僕はあることを忘れいてた事を後悔していた。

「夏先輩、大食いなの……っ、忘れてた」

 夏先輩は地元だと大食い女王クイーンの通り名で有名なんだけど、普段の食生活では普通の人と大差ないからすぐに忘れちゃうんだよなぁ。

 小と大。その二つの切り替えがスムーズにできるのは何でかわからないけど、それを忘れてるとこうなるんだって痛感させられた。

 商店街からお腹を刺激しないようにゆっくり歩いたから一時間も掛かっちゃった。

「すっかり遅く、なっちゃった……けど、皆帰ってきて……る、のかな?」

 リビングや和室には灯りがついてないし、二階のエリス達の部屋も灯りはついてない。

「まだ誰も帰って来てないのか…………」

 人の気配を感じない、暗い家の様子に僕は携帯電話を取り出して時間を確認してみた。

 今の時間は午後八時を過ぎたところで、

「もうすぐ帰ってくるかもしれないし、一応晩ご飯の準備でもしておこうっかな」

僕は一先ず玄関の鍵を取り出そうと鞄を開こうとして―――――ガチャッ、って玄関のドアが開いた。

「へ?」

 僕は思いも寄らなかった出来事に間の抜けた声が出て、

「やっと帰ってきたか」

来た時から相も変わらずの不機嫌顔のエリスが僕を見下ろしていた。

「あ、あの……た、だいまです」

 僕はエリスの不機嫌顔に呻くように帰宅の挨拶を言って、

「すぐそこまで来ていたのは魔力でわかっていたが…………帰ってくるのが遅いぞ」

「ご、ごめん。その、夏先輩とちょっと寄り道してて」

「門限はないと聞いているからな、べつに貴様がどこの誰と戯れていよう私には関係ないことだ」

悪いことをしていないのに、何故か悪いことをしてしまったような気分になるのは何でだろう?

 妙な疑問が心の中で生まれたけど、一先ず帰ってきていたエリスを見上げながら、

「お、遅くなっちゃったけどすぐに晩ご飯の準備を」

「その必要はない。既に私が済ませておいたからな」

晩ご飯の準備と家に駆け込もうとして、エリスの言葉に足が止まった。

「えっ?」

「私が帰ってきた時には誰もいなかったからな。勝手に冷蔵庫の中の物で作らせて貰った。貴様に比べればまだ食材慣れをしていない点で味は幾分落ちると思うが、問題ない……はずだ」

 語尾にちょっとした不安が見えたけど、そこは昨日手伝って貰った手際から見ても大丈夫だって思う。

「ご、ごめん。ホントは僕がしなきゃ行けなかったのに助かったよ、ありがとう」

「貴様が気に病むことではない。私も居候の身としてサポートしただけだ」

 僕がお礼を言うと、素っ気なく返すエリス。

「それよりも今から出掛けてくる」

「い、今から?」

「あぁ、魔力のバランスが崩れれば調整をしなければならないからな。今、この町の魔力バランスは不安定だから不規則な時間で調整を施す為に町を回らなければならないのでな」

「魔力のバランス調整って聞いてたより大変なんだね」

 セフィリアから聞いた話ではそんなに大変そうなイメージがわかなかったけど、実際にはかなりの重労働なんだなって再認識した。

 エリスは何を今更、と鼻をフンッて鳴らして僕の横を通り過ぎて、

「貴様は家から出ずおとなしくしていろ」

「あ、うん。わかったよ」

僕はエリスの後を追うように体を反転させる。

 エリスは僕の返事に何も言わずに正面を向いて、

「あ、あのっ」

「………………なんだ?」

僕が級に呼び止めた事が気に入らなかったのか、鋭い目つきで顔だけで振り返るエリス。

 険しい表情に僕は一瞬言葉が出てこなくなりそうだったけど、何とか絞り出す。

「その、何もトラブルとかは起きないと思うけど……気をつけてね」

「ハッ、人間の貴様が死神の私の心配など死ぬでも早い」

「ははっ、そう……なんだけどさ」

 エリスの言う通り、僕の何十倍……いや、何百倍も強いエリスに言う言葉じゃないノかもしれないけど、自然とそう思ったんだ。

「死神でもエリスは女の子なんだし、あんまり無茶しちゃ駄目だよ」

「っ!?」

 何となしに言った僕だったけど、エリスの顔には初めて見る驚きが張り付いてていて。

「えっと……エリス?」

 それから時間が止まったように動かないエリスに「しつこいっ!!』って起こったのかなって不安になって、

「僕、何か気に触るような事言った……かな?」

エリスの顔を覗き込むように見上げた。

 するとエリスの表情に時間がハッと戻ってきて、

「いや……何でもない、気にするな」

そう言って、慌てて僕に背を向けた。

 動揺、っていえばいいのかな。そんなエリスの様子に僕は心配になって声を掛けようとして。

「何故、……が。あの人と、……じ事を」

 今にも消えてしまいそうな、そんなはかなげで小さいな声。

「え?」

 僕は良く聞こえなかったエリスの声に言葉が止まって、

「…………くっ」

エリスは何かを振り払うように高々と飛んで、正面の家の屋根に着地。

 そこからは目では追えない速度で月が優しく照らす闇に消えていった。

「……………………」

 僕は玄関先で一人、エリスを見送りながら夜の星空を見つめて、

「エリス、大丈夫かな?」

去り際に見せた、いつものツンケンドンな態度とは真逆の儚げな後ろ姿に心配の虫が顔を出した。

 僕は少しの間無言でエリスが消えた夜空を見つめて―――――――――ズキッ!! って右眼に奔る痛みに思わず鞄を手放してバッと押さえ込んだ。

「っ!? い、いきなり何だよ」

 あまりにも突然で、それでいて強烈な痛み。

 こんな激痛が右眼を襲う時は決まって近くに幽霊がいる。

「くっ」

 僕は痛みを我慢しながら慌てて右眼のコンタクトを外して、バッと周囲を見渡して。

「………………あれ? 幽霊が、いない?」

 右眼に映るのは左眼と変わらない月と星達を着飾る優しい夜。

 右眼に映る景色が日常とは変わらないって思った途端に、右眼を蝕んでいた痛みがスッと消えた。

「あ、あれ? 痛みが消えて…………な、なんで?」

 僕はいつもとは違う状況と、理由のわからない右眼の激痛に首を傾げる事しかできなくて、

「…………まぁ、いいか。ただコンタクトがずれて痛かっただけかもしれないし」

一先ず家に入ろうと、携帯電話をブレザーの内ポケットにしまおうとして、一瞬だけディスプレイに表示された時間が目に映った。

 その時の時間は午後八時十六分。

 普段だったら晩ご飯を食べ終えて、片付けはお祖母ちゃんにお願いして課題をしている時間。

「っと、あんまりのんびりしてると課題する時間が遅くなっちゃうよ」

 僕は少し急ぎ気味に地面においた鞄をとろうとして、前屈みになった時だった。


 ―――――――――ゴポッ。


 喉の奥から消化できていない物が逆流してくる感覚に、口元をバッと押さえた

「ぅっ…………」

 喉の奥で確かに感じる不穏な力。

「こ、これは……思ったより厳しい、かも…………うぐっ」




 少しでも気を緩めば胃の中で混ざったカツカレーがこんばんわをしに出てきそうだった。

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