――― 5月11日 心の在処・異 ―――
更新お待たせしました^^; 二日遅れですが、呼んでいただければと!!
時間は午前八時二十分。あと十分でHRの時間で、教室はHR前のちょっとした雑談で溢れていた。
「…………」
でも、僕はいつもと変わらず教室の一番後ろ、窓際の席で空を見上げてる。
「…………皆、大丈夫かな?」
胸の辺りでモヤモヤしてる不安を、少しでも軽くしたい――――そんな感じに言葉が零れた。
結局、昨日はエリスとご飯を作り終えてもお祖母ちゃん達は帰ってこなかった。
一応、お祖母ちゃん達の帰りを少しだけ待ってはいたんだけど、それでも帰ってこなくて…………二人が帰ってくるのを待たずにご飯を食べる事にした。
エリスとの二人きりの晩ご飯は気まずかったけど、二人で手を合わせて「いただきます」って言おうとした時だった。
エリスがいきなり立ち上がって緊張……って言えばいいのかな? 物凄く険しい表情で、
「貴様は此所にいろ!!」
と、だけ叫んで家を飛び出していった。
突然だった事とエリスの表情の物々しさに呆気にとられて、ただただエリスを見送る事しかできなかった。
その時、右眼に痛みが奔ったのとエリスの表情に任務なんだ、って直感的に感じた。
エリスを見送った僕は一人で晩ご飯を食べる事に気が引けて、エリスが帰ってくるまで待つ事にしたんだけど…………エリスも結局帰ってくる事はなくて、晩ご飯は朝ご飯になった。
「…………ハァ」
僕は小さく溜息をついて、青空に浮かぶ雲が僕の溜息みたいに見えた。
一応、何か町に変わった様子がないか右眼をコンタクトを外して登校してみたけど、幽霊が視えるだけで何も変わらず、何事もなく学校に着いた。
いつも一緒に登校してる夏先輩には「あれ? 今日はコンタクト忘れたの?」って聞かれたけど、するのを忘れたって言って誤魔化した。まぁ、学校に着いたらすぐにトイレに駆け込んでコンタクトをはめたから他の人には見られてない。
「……………………」
僕は窓の外から教室に視線を戻して、クラスの皆が和気藹々としている日常風景を眺めた。
左眼に映るのはごく普通の、ごくごく平和な日常で…………。
「……………………」
帰ってきたんだっていう実感と一緒に、平穏な生活に浸ろうとすると。
――――――死にたくないよ。
「…………っ!?」
その度に、頭の中で冷たくて悲しい声がそれを引き留める。
――――――殺した。
頭の中で静かに、それでいて明確に突きつけられる感情。その感情に僕は逃げるように目を閉じて、机に蹲るように体を丸めた。
――――――お前が。
頭の中で声が響く度にジュマへ告げた僕の言葉が、ジュマの絶望に蝕まれた表情が…………思い出したくもないあの瞬間、あの時の光景を鮮烈に映し出していく。
――――――お前が殺した!!
右手にジュマの魂を破壊した時の感触が浮かんで、皮膚や筋肉を貫いて、骨を砕いた醜悪な感触。
そして魂を砕いた時の手応えは、まるで…………。
「っ!?」
その感触に喉の奥からこみ上げてくるものに思わず口を押さえた。
「っ…………」
頭の中に響く声と右手に浮かんだ嫌な感触が、僕へ叫んでる。
――――――お前に戻る事が許された日常なんてない!!
頭の中を埋め尽くして、体中に広がる怨嗟の声。
その声に僕は丸めていた体を、怯える子供みたいに縮こませて…………。
「はいはいっ!! 皆さん席について下さーいっ!!」
教室の前側の戸口がガラガラっ!! って開くのと同時に間延びした男の人の声にハッと我に返った。
男の人の声に頭の中で響いていた声が蜘蛛の子が散るようにサッと消えて、縮ませた体がピッと伸びた。
「…………あ、あれ?」
うるさいくらいに響いていた声が消えて、左眼に映る日常に僕は首を傾げた。
僕の左眼に映ったのは白のYシャツに黒のスラックス姿の小太りの男性。
その男の人の姿に僕、それに他の皆も示し合わせたように思わず首を傾げた。
「な、浪岡先生じゃない…………な、なんで?」
いつもは浪岡先生が眠そうな顔して入ってくるのに、今日は男の先生が入ってきた。
その人は僕らのクラスの副担任で、普段は浪岡先生の職員室で雑務をしている時間なんだけど…………クラスの皆も不思議そうな顔で自分の席について、それを慌てて追ってきたみたいに、教室のスピーカーから始業の鐘が鳴った。
その始業の鐘が鳴り終えると、男の先生もとい副担の先生が皆の疑問顔に答えた。
「えぇ、本日ですが浪岡先生は欠席です」
副担の先生の一言に教室中がざわめいて、
「へぇ、珍しい」
「さっちゃん、風邪でも引いたのか?」
「風邪じゃないんじゃない? 去年なんて四十度熱合っても来てたじゃん」
「あの日で辛い、とか?」
浪岡先生の思いがけない休みに、みんなが思い思いの事を口にした。
「はいはい、静かに!!」
そんなざわめきムードを一括する副担の先生の声に一気にシンッ……っとなって。
「浪岡先生は風邪でお休みです。変な噂を立てないように……体調が芳しくないとの事で、大事を取って今日から三日間ほど学校をお休みします」
「へぇ、さっちゃんが風邪で休むなんて珍しい」
「よっぽど辛いのかな?」
「だろうな、じゃなきゃ休まないだろうし」
皆は驚きながらまたこそこそと話し始めて、
「それと箕島さんも体調不良の為、同じくお休みです」
それを遮るように副担の先生が話を続けた。
「箕島さんも二、三日お休みになるので副学級委員長はしばらくお仕事を代わりに頑張って貰いますので、よろしくお願いします」
その言葉に前の方に少し離れた席に出「えぇ~」って不満げな声が上がって、副担の先生はそれを気にもとめずに脇に抱えていたクラス名簿を開いた。
「はい、では先に出席を取ります」
どこか事務的な副担の先生とのやりとりにしっくりこない皆の表情。
まぁ、皆がそんな顔をするものわからなくもないけど…………でも、ほんとに珍しいなって僕も思った。
僕が一年の頃からお世話になっいる浪岡先生は出張以外では足を骨折した時でさえ学校を休まなかった。それこそ風邪で四〇度の熱があっても皆にうつさないようにガスマスクをして、手にはお医者さんが手術で使うようなゴム手袋をしてまで学校に来るような人だから。
箕島さんも……良くは覚えてないけど、多分そんなに学校を休むような人ではなかったと思う。
「今日は雨でも降るのかな?」
僕はそう呟いた後で窓の外に広がる青空を眺めながら不謹慎だなって自重して、副担の先生に名前を呼ばれるまで安穏とした時間の隅で流れる雲を眺めていた。
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五月中旬に差し掛かった日の気温は意外に蒸し暑くて、ブレザーを脱いでYシャツ一枚。それでもまだ暑くて、その暑さを逃がそうと長い髪をアップで纏めてみた。そのせいか、一段一段、屋上へ向かう階段を上がる度にポニーテールで纏めた髪が揺れるのがわかる。
私の隣でお弁当を持った幼馴染みに視線を向けて、
「あかり、ほんっとに変な事話さないでよ?」
「はいはい、わかってますって」
弾んだ声で聞き流すあかり。
「もう、そんなに心配しなくても大丈夫だってば。夏子が困るような事は聞かないからさ、安心してっば」
それもウキウキしてる笑顔で言われても不安だけが大きくなるだけで、手の小指の爪程も信用できない。
私はあかりの言動に不安だけが募って、肩が落ちそうになるくらいの溜息をついた。
今は午前中の授業が終わって昼休み。
いつもなら凜と二人でのんびりお弁当を食べる、私にとっては一日の最重要な時間…………なのに。
「あぁ、もう。そんなに恨めしそうに睨まないでよぉ」
私のジロリ、って重たい視線に気まずそうな笑顔で取り繕うあかり。
「二人っきりの甘い一時を邪魔して悪いとは思ってるけどさ……一応、幼馴染みの私としては夏子が好きになった萩月くんを一度は見定めておきたいわけでですね」
「見定めるって……」
「いつ何時萩月くんが狼になって夏子をその毒牙にかけ、って!?」
気まずい笑顔が演技だったみたいに饒舌になるあかりにトンッ!! ってチョップをお見舞いする私。
「…………あかり」
自分でもどこから出したんだろう、って言うくらい低い声で私はあかりを一睨み。
「はい、スミマセン」
あかりも私の沸き上がっていた感情がわかったのか、片言で間を開けずに謝った。
「もぅ……ほんとにやめてよね、そういう話は苦手なんだから」
「はーい」
溜息混じりにあかりを諭して、あかりはつまらなさそうに生返事をした。
そんなあかりを横目で眺めながら、心の中でもう一度盛大な溜息をついた。
凜、あかりを連れて行ったら驚くだろなぁ…………。
十中八九驚く事間違いなしの凜の姿を想像しながら、私はつい数分前。教室でしたあかりとのやりとりに気持ちがどんどん重くなるのを感じた。
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「な・つ・こっ!!」
「な、何? あかり」
これから凜と一緒にお昼ご飯を食べようと教室を出たばかりの私を、悪戯っ子みたいな笑顔で呼び止めるあかり。
「ねぇ、夏子ぉ」
甘えた声と一緒に子猫みたいに体をすり寄せてくるあかりに、
「な、何? そんな甘えた声出して……」
幼馴染み歴十七年の直感が教えてくれた――――あかりは何か悪い事を企んでる、って。
「な、何か用?」
私はいつでも逃げられるようにしっかりお弁当の入った包みを抱きしめて、
「今日は一緒にご飯食べ」
「っ!!」
あかりの言葉を最後まで聞かずに走り出そうとした。けど、あかりがバッ!! と後ろから腰元へ腕を絡めて、抱きしめられる形であっさり捕まった。
「ご飯食べようよぉ」
「ちょっ!? あ、あかり!!」
耳元でくすぐるように呟くあかり。
私は驚きながらも周りから感じる奇異と生暖かい視線に、慌ててあかりの腕をほどこうとした。
「つぅーーーーっ!?」
「ホホホッ、無駄ですの事よ。夏子さん」
でも、そこは悲しいけど帰宅部とバレー部の差なのか。私はあかりの腕をほどく事が出来なくて、私の慌てる様子を面白がってなのか、あかりの声が一音高くなる。
私はあかりの腕をなんとかほどこうとして、片手でお弁当を抱えたまま藻掻いて。
「勿論、萩月くんと一緒に屋上で」
「なっ!?」
そんな私に追い打ちとばかりに耳横でドヤ顔で呟いたあかり。
そんなあかり言葉に私は諦めて、
「凜と一緒に、って……あかり、何が目的?」
勝ち誇った笑顔のあかりを睨んだ。
「夏子ったら、そんなに警戒しなくても大丈夫だよぉ」
大丈夫、そんな言葉が嘘にしか聞こえない笑顔であかりはサラッと、楽しげに言った。
「ちょっと萩月くんを鑑定するだけだから!!」
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あの時のあかりの笑顔を思い出して軽い頭痛がする私。
私が教室でのやりとりに軽い頭痛に苛まれている間にいつの間にか階段を上りきって、目の前には屋上の出入口のドアがあって。
「ではでは夏子さん、愛しの萩月くんとのご対面を!!」
あかりが小憎たらしい笑顔で私の背中を押して、ドアをあけるように催促する。
「い、いつかあかりにも同じ事してやるんだから」
「はいはい、夏子はそんな事出来ないってわかってますから」
しない、じゃなくて出来ない。
せめてもの抵抗だった私の言葉に返されたあかりの言葉。その言葉の意味が私の事をわかっていてくれているって嬉しさがこみ上げてきたけど、今の状況だと悔しさに即変換される。
「っ…………」
私はそれ以上の反撃は効果なしと、悔しさに下唇を噛んで屋上のドアを開いた。
ドアが開くのと一緒にそよ風が私達を出迎えるように吹いて、
「とっ」
「っと、少し風強いわね」
私とあかりは風になびくスカートを軽く押さえながら屋上に足を踏み入れた。
生徒が間違って落ちないように設置された小高いフェンスに囲まれた屋上は、毎日の掃除のおかげでベンチも綺麗に管理されてる。
「えっと、凜はっと……」
屋上にいくつも設置されたベンチには凜の姿はなくて、そう言えば凜が一人で先に来た時は屋上の上の方にいるんだったって思い出した。
私は右隣にあった梯子へ視線を向けて、
「あ、夏先輩」
「り、凜!?」
梯子の前にはいつもないはずのベンチが一台あって、出入口の段差で出来た日陰で凜がお弁当を膝に載せて座っていた。
「き、今日はここにいたんだ」
「はい。今日は少し暑くなったので、日陰の方がいいかなって」
凜は驚く私に小さく微笑んで、言葉通り少し暑そうにしていて、いつもしっかり締めているネクタイは少し緩んでいて、Yシャツ姿で私を見上げていた。
「あれ? 今日はお友達と一緒なんですね」
私とあかりを交互に眺めて、意外そうに驚く凜。
その凜の驚き具合はどこか素っ気ない感じで、もっと驚くと思っていた私としてはもう少し残念かつ悔しそうに驚いて欲しかったんだけど…………凜にとっては私との二人きりの時間はさほど特別じゃないのかも、って落ち込み掛けた時。
「えっと…………こちらの先輩は?」
私の後ろにいたあかりの姿に、横目で様子を窺う凜。
私は凜の声に気持ちを切り替えるように小さく咳払いをして、
「凜は初めてだったよね。この子は同じクラスの子で幼馴染みの」
「小野あかりだよ。初めましてだね、萩月くん」
私の紹介に合わせるように一歩前に出て凜へ右手を差し出すあかり。
「初めまして、萩月凜です」
凜もサッと立ち上がって、笑顔で名乗りながら短く握手を交わして、私を間に挟むように離れた。
「今日は小野先輩とお昼ですか? もし、そうなら僕は邪魔にならないように上に」
凜は私とあかりにベンチを譲るように梯子へ向かおうとして、
「あっ、ちょっと待った!!」
それを物凄い勢いであかりが凜の肩をつかんで止めた。
「えっ? あ、あの?」
凜はいきなりの事で驚いて、
「そ、そのさっき教室で……今日は私と凜、それにあかりの三人でお昼にしようって話になってね」
「そ、そうなんですか?」
「そうなんですよ、萩月君」
呆気にとられる凜に人なつっこい笑みで答えを返すあかり。
「まぁ、そう言う事。だからほら、皆で座って食べようよ」
「じ、じゃあ僕もう一台ベンチ持ってきますね」
「う、うん。お願い」
凜は少し離れた場所にあったベンチを引き摺って運んで、
「僕はこっちのベンチに座るので、夏先輩と小野先輩はそっちのベンチにどうぞ」
「うん」
「はいはーい!!」
私とあかりは凜に勧められて、凜が座っていたベンチに座った。
凜は持ってきた別のベンチを向かい合わせに置いて、私達の間くらいの位置に腰を下ろした。
三人座ったところでそれぞれお弁当の包みをほどいて、出てきたのは三人とも二段式のお弁当。
色で言えば私が赤、あかりが黄色、凜が緑色で何か信号機みたいだなって思った。
タイミングを合わせたわけじゃにないけど、皆一緒にお弁当の蓋を開いた。
「ではでは、いっただっきまーす!!」
「頂きます」
「いただきます」
あかり、私、凜の順でご飯への感謝のこもった挨拶をして、箸を持った。
私のメニューは至ってシンプル。メインの唐揚げに鰹節を添えたほうれん草のおひたし、サケの塩焼きと一番得意なだし巻き卵の四品に彩りでプチトマトを二つ添えた一段目。二段目は特に手の込んだ事はせずご飯を適量詰め込んだど定番のメニューだ。あまり手の込んだメニューじゃないけど冷凍食品をつかっていないところは頑張っている方だと思う。
あかりは麻婆豆腐にコロッケ、ナポリタンに鯖の味噌煮にと多国籍メニューで、二段目は私と同じ白いご飯適量。見た感じは手作りだけど、あかり曰く半分は冷凍食品に頼ってるって言ってたっけ。
最後に、って言ったらおかしいかもしれないけど凜のメニューも確かめておこうと思って、
「へぇ、萩月君のお弁当も手が込んでるねぇ」
感心に弾んだ声に、凜が心なしか苦笑いで答えた。
「い、いえ…コレは昨日の残り物を詰めただけの手抜きですから」
あかりの言葉と凜の苦笑いに私は凜のお弁当に視線を移して見ると、一段目にはメインの鶏肉を照り焼きにしたものと小松菜と油揚げの煮びたし。それ以外にはカボチャの煮物に味噌焼きしたお豆腐が入っていて、二段目には椎茸とエリンギ、舞茸のキノコの炊き込みご飯がぎっしり詰め込まれていた。
和食中心のメニューに相変わらず凄いなぁっ、てちょっと悔しいながらも感心して凜へ視線を戻す私。
「凜、だし巻き卵一口上げるからご飯一口貰って良い?」
いつもみたいにお弁当の食べ合いっこを提案して、
「あ、はい。良いですよ」
凜もどこか嬉しそうに笑顔で頷いてくれた。
「あっ、私も私もっ!!」
あかりもお弁当の食べ合いっこに混ざって、和やかな雰囲気でお昼ご飯がスタートした。
「じゃあ、私は照り焼きをば」
「どうぞ」
早速、って感じであかりが凜のお弁当に箸を伸ばして、凜もあかりに笑顔でお弁当を差し出す。
あかりは凜のお弁当から鶏の照り焼きを一切れ箸で掴んで、そのままパクリ。
「うーーーーっ!! 美味しいね、コレ!!」
照り焼きの美味しさに足をばたつかせて、満面の笑みで声を上げるあかり。
「下味はだし汁と醤油、それに塩こしょうを少々。それに隠し味でショウガが少し」
「へぇ、だからちょっと引き締まったような味になるんだ」
「甘めの方が好きならみりんを混ぜると自然な甘みがましますよ」
凜は照り焼きの作り方を解説しながらご飯を一口。
「いやぁ、コレなら良い旦那さんになれるね!!」
凜の照り焼きにご満悦のあかりは、何かねちっこい笑顔で私の肩を叩いた。
「夏子もこういう旦那さんを貰ったら幸せだよね?」
「っぁ!!…………そ、そうだねぇ」
思わず声を荒げそうになったけど、ここで慌てたらあかりの思うつぼ。ここは小憎たらしいあかりの笑顔を我慢しながら、冷静に対処して…………。
「萩月君も夏子みたいな奥さんが貰えたら幸せだよね?」
「ちょっ!?」
あかりの何の脈絡もないどストレートな話に私は驚いて、
「夏先輩が奥さん、ですか?」
凜も驚きながら、再確認するようにあかりの言葉を復唱した。
「うん、夏子が萩月君の奥さん」
「あ、あかり!!」
おもしろ半分って感じのあかりの言葉に体の奥から熱くなって……もし、今自分の顔を鏡で確認したら絶対に真っ赤になっている確信がある。
「夏先輩が奥さんだったら間違いなく幸せだと思いますよ」
大慌ての私の止めを刺すみたいに、凜が心臓を鷲づかみする笑顔で言った。
「っ!?」
「ほほぅっ!!」
あかりは凜の言葉に満足そうに口元をつり上げていて、でもその瞳には物事を推し量るような感情も見えた。
凜は私へ顔を向けて、屈託のない笑顔で言葉を紡いだ。
「夏先輩は綺麗だし、頭も良いし、性格も良いし、家事だって完璧だし」
普段、誰かに誉められるのも苦手な私は凜の褒め殺しに顔が一気に熱くなって、
「そんな夏先輩が奥さんなのに幸せじゃないなんていうのは我が儘だと思うんですよね」
顔だけじゃない体中が鍋で茹でられてるみたいに熱い。
凜の言葉にのぼせている私をニタニタ横目で見ながら、凜へ最後のもう一押しって感じに問い掛けるあかり。
「じゃあさ、本当に奥さんになって貰ったらいいじゃん」
「っ!?」
上り詰めた血が恥ずかしさに頭の中を乱回転して、顔を真っ赤にして口をパクパクさせる私は、
「ははっ、それは無理ですよ」
照れと気まずさで出た苦笑いで答える凜。
その言葉を来た瞬間に私の中で暴れ回っていた熱は一気に冷めて、
「な…………」
なんで? って疑問が言おうとしたけど、それ以上に仮定の話とはいえ「奥さんは無理」って言われた衝撃に頭の中を真っ白に塗り替えられた。
あかりも予想外の何ものでもない答えに目を大きく見開いて、
「あっ、と……ず、随分ハッキリいうね」
驚き奥から怒りのような感情が瞳に光って、大きく開けた目を針みたいに細くして凜を睨んだ。
「あれだけ誉めておいて無理って……夏子のどこに不満があるのかなぁ?」
「あぁ、違います。 夏先輩に不満があるとか、悪いところがあるとかそう言う事じゃなくて」
あかりの鋭い視線と妙な凄味のある声に、凜はお弁当をベンチに置いて小さな両手を大きく振って否定した。
凜はあかりから真っ白に燃え尽きている私へ視線を移して、一瞬迷うようなそぶりを見せて、小さな唇で言葉を紡いだ。
「その、夏先輩には好きな人がいるので僕は問題外っていうか……だから、僕の奥さんは無理なんですよ。ねっ、夏先輩?」
申し訳なさそうな表情で私に同意を求める凜。あかりも凜の言葉にさっき以上に信じられないって顔で私を大きく見開いた瞳で見た。
燃え尽きていた私は凜の言葉とあかりの視線にハッと正気に戻って、
「はははっ…………そう、なんだよねぇ」
あかりと凜から視線を逸らして、ぎこちないながらも笑顔で答えた。
歯切れの悪い私の同意に凜はホッと胸を撫で下ろして、
「そ、そう言う事なので……夏先輩は僕の奥さんにはなれないというか、他に奥さんになってあげたい人がいるわけでして」
若干、変な言葉遣いで様子をうかがうようにあかりへと顔を向け直す凜。
「………………」
あかりは無言で私をジッ、と見詰めて、
「お、小野先輩?」
「そっかぁ、夏子にもちゃんと好きな人いたんだねぇ」
凜の不安げな声に落胆と驚き一杯の苦笑いで答えた。
あかりは場の空気を変えるようにおかずのナポリタンを一口口に運んで、
「ちぇっ、しばらくこのネタで夏子と萩月君を弄ろうと思ったのになぁ」
「い、弄るって……」
悪戯をして失敗した子供みたいに拗ねるあかり。
「いやぁ、萩月君て転校してきてからすぐに夏子と仲良くなったからさぁ……話聞いたら昔からの知り合いだって言うからこれは何かあるなって思ってたのに……あぁ、がっかり」
大げさすぎるんじゃないかって言うくらいに大きな溜息をつくあかり。
今度は麻婆豆腐に箸をのばして、
「でもさ、萩月君。夏子に好きな人いなかったら本当に奥さんになってもらいたかった?」
もし、の答えをもう一度聞くあかり。
凜はカボチャの煮物を口に入れかけたところで箸を止めて、
「同じですよ」
煮物をお弁当に戻して、静かな声で、それでいてハッキリとした答えを込めた声で。
「もし、夏先輩に好きな人がいなくても……僕の奥さんって言うのは無理があると思います」
気まずさに眉を寄せて、小さく笑う凜。
「…………なんで?」
一瞬、凜の笑顔に言葉が出てこなかったあかり。でも、凜の答えの理由を知りたいっていう思いに押されるように、声を絞り出したように見えた。
「勿論、さっき言ったみたいに夏先輩みたいな人が奥さんだったら幸せだと思うんですけど……でも、僕には夏先輩は勿体ない、っていうのが一番近いのかな」
「勿体ない?」
「はい、夏先輩は美人で、優しくて、暖かくて」
「っ…………」
私は凜の言葉の一つ一つが凄く嬉しかった。でも、
「ごくごく平凡で、どこに出もいるような人間の僕には勿体ない…………すごく素敵な人だと思います」
何の躊躇いもなく言い切った凜の屈託のない笑顔が…………どうしようもなく寂しかった。
「だから、夏先輩が奥さんっていうのは…………」
自分の言葉に恥ずかしさがこみ上げてきたのか、凜のぷにっ!! としたほっぺが少しだけ赤くなって。
「で、でも…………夏子が好きなのは」
照れ隠しにカボチャの煮物を頬張る凜に、あかりが食い下がろうとして――――――屋上隅に設置されたスピーカーからポポポポーンッ!! って尻上がりに響く電子音がそれを遮った。
『生徒の呼び出しをします』
電子音に続いて気の抜けたような男の人の声が響いて、凜が「あれ? この声……」ってあかりからスピーカーへと振り返った。
『二年三組の生徒は全員、至急第二会議室に集合してください。繰り返します、二年三組の生徒はこの放送が終了次第速やかに第二会議室に集合してください』
そこまで言ってスピーカーからの声は途切れて、今度は尻すぼみに電子音が響いてブツッ!! と雑に回線が切れた。
「す、すみません」
それと同時に凜は食べかけのお弁当を手早く片付け始めて、
「呼び出されたので、僕はこれで」
包みに包んだお弁当片手にベンチを片付けようとする凜に、あかりが立ち上がって。
「いいよ、ベンチくらい。私達が片付けておくから」
「あ、すみません……じゃあ、あとお願いしますね」
凜は私とあかりに小さく会釈して、屋上を後にした。
「………………」
「………………」
私とあかりは凜が屋上を出てからもしばらく無言で閉じた出入口のドアを見詰めて、
「………………」
「…………ごめん」
あかりが普段、あまり聞かない低くて重い声で呟いた。
「ど、どうしたの? いきなり謝ったりなんかして」
「ちょっと……じゃないか、すんごい余計な事しちゃったなと思ってさ」
あかりは後悔と罪悪感に沈んだ表情で私を見て、
「夏子に嫌な思いさせちゃった」
「嫌な思いって…………あぁ」
私はあかりの言葉にほんの少し考えて、あかりが何を言っているのか気がついた。
「いいよ、別に。私と凜はいつもあんな感じだから」
ほんの一、二分前のやりとりを思い出しながら、申し訳なさに眉間に皺を寄せているあかりに苦笑いで言った。
「いつもあんな感じって…………」
「凜はね、いつも誰かの事を最優先に考えてて自分の事は後回しなの」
私は握っていた箸を置いて、青空を見上げた。
「後回しっていうのはちょっと違うかも。さっきみたいに恋愛の話とかが一番わかりやすいんだけど、凜は自分には当てはまらないって思ってる……っていうのが近い表現かな」
「自分は……当てはまらない?」
あかりは私の言葉に首を傾げて、
「そっ、凜は私達とは違う所で日常を見てるから」
「違うところでって……?」
余計に意味がわからないって感じにあかりの表情が曇った。
私は青空からあかりへ顔の向きを直して、あかりと……凜を知っていたあかりと話した事をもう一度言った。
「私もちゃんとわかってるわけじゃないんだけどね……私達って『今』を見てると思うの」
今、自分が生きてる時間。家族、友達、学校、何でも良い。
「楽しい事や辛い事、幸せな事が目の前にあればそれにしか意識が向いていなくて、自分の世界しか見てないって言うのかな」
「自分の世界、か」
あかりは私の言葉を噛みしめるみたいに頷いて、
「でも凜はね、『今』も見てるんだけど…………凜が見ている『今』には自分が入ってないんだと思うの」
漠然としか感じられない感覚を上手く言葉にできないもどかしさに、心がざわざわする。
「さっきみたいに『自分には勿体ない』とか自分には必要ないとか……自分から楽しい事とか嬉しい事を避けて、辛い事とか悲しい事ばかりを見ようとしてる。自分以外の誰かが悲しい想いをしないように、辛い想いをしないように、って……」
「他人の『今』を見てるってこと?」
あかりは私のもどかしさを共感してくれてるように、私の言い回しに合わせてくれた。
「それもちょっと違うと思うな」
「違う、か…………」
「もし、私の見方が当たってるなら……凜が見てる『今』って他の『何か』、その延長線上でしかない、って言えばいいのかな?」
自分で思って口に出した言葉に、何を言いたいのか、何を言ってるのかわからなくなってきて。
「『何か』の延長線か…………なんか難しすぎて頭痛くなってきた」
あかりもうんうん唸って、今にも頭から煙が出そうな感じだった。
「まぁ、今回の萩月君調査はここで終了かな。あまり一気に深く掘り下げると人生についての哲学に目覚めちゃいそうだし」
「あははっ、哲学って大げさよ」
ガラにもない事をいうあかりに自然と笑みがこぼれて、
「さて、次回の萩月君調査はいつ頃にしようかなぁ?」
「ちょっ!? 次回って、またするつもりなの!?」
ぽろっと不意打ちのようなあかりの一言に下がっていた心の温度が一気に上がった。
「当然、勿論、確定なんですよね、これが」
「これが、じゃなくて!!」
お昼休みがスタートしてからまだ三十分も経たない内に私の心を苛んでいた緊張と、五分にも満たない時間での圧倒的な恥ずかしさ。
そして凜の可愛くて仕方がない笑顔があの言葉と一緒にフラッシュバックして。
―――――夏先輩が奥さんだったら間違いなく幸せだと思いますよ。
その瞬間。心の温度計が壊れる音がして、また体中が茹でられてるみたいに熱くなる
「さてさて、次はどんなシチュで二人を弄りながら萩月君を調査しようかな?」
お茶目さをアピールしているつもりなのか「テヘッ!!」って舌を出してわざとらしい笑顔で場を流そうとするあかり。
私はそんなあかりの両肩を掴んで、涙目で叫んだ。
「お願いだからもうやめてーーーーーーーーーーっ!!」