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れせぷしょん  作者: りくつきあまね
エリス=ベェルフェール
25/39

――― 5月10日 過ぎ行く日常・端 ―――

 湯気発つ鍋から油揚げをすくい取り、流しに置いてあったザルへ移す僕。

「………………」

 僕は油揚げを移し終えて鍋のお湯を水と入れ替え、その鍋をまた火にかける。

「えっと、小松菜は……」

 冷蔵庫の下段部、野菜室を開けて、目的のものを探す。

 今は晩ご飯の準備の真っ最中。僕は制服から普段着のパーカーとズボンに着替えて、その上には青のエプロンと、台所スタイルにチェンジ。

「えっと小松菜は…………あった!!」

 発見の喜びと一緒に二束の小松菜を取り出て、野菜室のドアを閉める。

 そのまま流しに立ち、水洗いの為に小松菜を取り出す。

「…………………」

 水洗いを終えた小松菜をまな板に横置きにし、

「……………………」

小松菜をザクザクッ!! と軽快な音を刻みながら一口サイズに切り分けていく。

「………………………………」

「…………っ」

 小松菜を切り終えたところで、僕は背中に感じる視線に手が止まって。

「え、えっと…………な、何かな?」

 テーブルに肘を突いて、射殺すように僕を見つめるエリスへ振り返った。

「別段、意図はない。ただ貴様が私の視界に入っているだけだ」

「そ、そう……」

 素っ気ないエリスの答えに僕は口元を引き攣らせながら笑って、壁掛け時計で時間を確認しながら切った小松菜を手近にあったボウルに入れた。


 ――――――今の時間は午後六時十五分。


「……………………」

 また、背中に感じるエリスの視線に心の中でため息を付いた。

 セフィリアとお祖母ちゃん、はやく戻ってこないかなぁ…………。

 気まずい空気に、僕は今家にいない二人の姿を縋るように思い浮かべて。

 時間は一時間と少し前――――――午後五時。

 僕が食材のぎっしり入った買い物袋と鞄を両手に、家に戻ってきた時の事を思い出した。


   §§§§§§§§§§§§


「あれ?」

 僕が玄関のドアノブを回そうとして、

「鍵掛かってる……お祖母ちゃん、どっか出掛けたのか」

動かないドアノブから手を放して、家の鍵を鞄から取り出そうとして鞄を買い物袋と一緒に持って。

「鍵鍵っと…………あった」

 鞄を開いて、小物入れのチャックをから取り出した少し変色した鍵。

 所々色が変わった鍵を鍵穴に差し込んで、解錠。その後は鍵を鞄にしまって家の中へ。

 靴を脱いで、綺麗に端へ寄せて。

「さて、先に冷蔵庫に生物とか入れないと」

 部屋に戻る前に買ってきた一週間分の食料を冷蔵庫に入れようとリビングへ、すると。

「ん?」

 テーブルの真ん中には二つに折りたたまれた白い紙が置いてあって、

「書き置きか」

鞄と買い物袋をテーブルに置いて、折りたたまれていた書き置きを手にとって開いてみた。

「えっと…………」

 僕は紙に見慣れた綺麗な字を左眼で追って、

「……………………」

書かれていた内容に体中の血の気が引く音が聞こえた気がした。

 僕は脳内で囀る血が引く音を聞きながら、もう一度書いてあった文を読み直してみる。

 左眼で一文字一文字丁寧に頭の中で並べて、出来上がったのは―――――――――。



 おっす!! オラ、萩月ら―――――――――グシャッ!!



 ふざけた文面に思わずグシャッ!! って書き置きをクシャクシャに握りつぶした僕。

 お祖母ちゃんの悪ふざけ全開で書かれた文は心の中にしまっておくとして、僕は落ち込みそうになるのを堪えながら顔を押さえた。

 頭の中でお祖母ちゃんが書き残した文を整理仕直して、その内容にもう一度ため息をついた。

 書き置きの内容としてはお祖母ちゃんがセフィリアと一緒に出掛けたみたい。行き先とかは書いてないみたいで、帰ってくるのは早くて今日の晩ご飯前。遅ければ何日か家を空けるって書いてあった。

「早いのと遅いので差がありすぎなんだけど…………」

 僕は書き置きに文句を付きながら三度目のため息を付いた。

「晩ご飯前に帰ってきてくれなかったらエリスと二人っきり…………って事だよね?」

 僕は誰にってわけじゃなく、自分で状況を確認する為に呟いて。

「二人っきり…………っ」

 その言葉に僕の心臓がドクンッ!! って跳ねて、

「エリスと…………二人っきり」

体の奥から少しずつ沸き上がってくる緊張感に。


「………………お祖母ちゃん達、早く帰ってこないかな」


 泣きそうなのを我慢して呟いた。

 

   §§§§§§§§§§§§


 そこまで思い出して、

「………………」

「………………っ」

背中に感じるエリスの視線に、逃げた過去から引き戻される僕。

 その視線はまるでご飯を作ってる僕を品定めしているような気がして…………姑が嫁の不手際をチェックしているような、そんな妙なイメージが頭の中に浮かんだ。

 普通、女の子と一つ屋根の下っていうシチュエーションは男としてドキドキするイベントなんだろうけど…………エリスと二人だけって正直、胃がキリキリ痛む。

 勿論、僕がエリスのことを嫌ってるわけじゃなくて僕個人としてはセフィリアの妹でもあるし、町の為に来てくれたエリスには感謝してる。そう言った理由抜きでも仲良くしたいなぁって思ってはいるんだけど………………。

「………………」

「………………」

 いくら僕が仲良くしたいって思っても、相手がソレを望んでいない上に毛嫌いされてる状態じゃ仲良くなるのなんて難しいとかって話じゃない。そもそも僕とエリスだけで話をした記憶も無ければ、セフィリアやお祖母ちゃんが間に入っても話として成り立ってないし。

「……………………」

「……………………」

 それから僕はエリスの視線に耐えながら、お湯が沸くまでの間にもう一品準備をしようと思って、小松菜とは別のボウルに入れてあった鶏肉にフォークで穴を開け、塩とこしょうをまぶす。

 それからだし粉を溶いて作っただし汁を入れて、鶏肉を揉み込もうとして。

「おい」

 すぐ後ろからエリスの鋭い声が聞こえて、

「っ!?」

僕は驚いて体をビクッ!! って震わせて、慌てて振り返った。

 すると、いつの間にかエリスが後ろで仁王立ちをして僕を見下ろしていた。

 僕はエリスの姿に驚きにズドンッ!! と飛び出しそうになる心臓を抑えるように胸を押さえて。

「な、なに……かな?」

 驚きに裏返りそうになる声で、エリスに声を掛けた。

 エリスは僕の問い掛けにどこかぎこちない口調で答えて、

「その、なんだ…………何か手伝う事はないか?」

「えっ?」

僕の驚いた顔に照れているように顔を逸らすエリス。

「手伝うって…………」

「調理の事だ。今、貴様は夕食の準備をしているのだろう」

「まぁ、そうだけど…………」

 エリスの意外過ぎる提案に驚きが抜けていない僕は呆気にとられながらエリスを眺めて、黒一色の制服姿にそう言えばと思い出した。

「仕事で町中飛び回って疲れたでしょ? ご飯の支度はいつもしてるから一人でも大丈夫。だから、エリスはゆ……っ!?」

 僕はゆっくりしてて、って言いそうになったところでエリスの名前を呼んでしまった事に気がついて、慌てて両手で口を押さえつけた。

「………………」

「っ……………」

 エリスの顔色を伺うと僕の予想通り。エリスは思いっきり嫌そうな顔つきで僕を見下ろしていて。

「ご」

「町の巡回と魔力調整程度で疲れなど無い」

 謝ろうとする僕の言葉を遮るように、エリスの不満と呆れが混ざった声が耳にチクチク刺さる。

「貴様やそれ以外の人間程度の枠で考えるな。貴様等人間とは鍛え方が違うのだからな、余計な気遣いは必要ない」

 言葉を切るようにフンッ!! って鼻を鳴らして、僕を睨み直すエリス。

「そ、そう…………」

 僕はこれ以上エリスを刺激しないようにぎこちなくも笑顔でお礼を言って、

「エプロンはどこだ?」

素っ気なく言葉を返して、エプロンを探すエリス。

 台所を見渡すエリスに、

「エプロンはここだよ」

僕は食器が入った棚の中段部。三つある引き出しの内、一番左の引き出しを開いた。

「エプロンの柄は何でも良い?」

「あぁ」

「じゃあ、女の子だし……」

 僕は何枚かあるエプロンの柄を探りながら、

「これなんてどうかな?」

個人的には一番気に入ってるエプロンをエリスに差し出した。

「これは」

「可愛いでしょ?」

 僕がエリスに差し出したのは黄色地の真っ白い子犬がたくさんプリントされたエプロン。

 ちなみにプリントされてる子犬はグレートピレーニーズって超大型犬の一種。真っ白でふわふわな毛並みが一番の特徴で、子犬もふわふわ、大人になってもふわふわ。いつか一人暮らししたら飼いたいなぁって思ってる今日この頃な犬。

 エリスは僕が差し出したエプロンに表情が緩んで、

「僕のお気に入り。サイズは心配しないで大丈夫。僕が着ると結構大きいサイズだから、多分ピッタリだと思う」

「わ、わかった」

僕を気にしてか、すぐ表情を引き締めてエリスがエプロンを受け取った。

 エリスは気分を落ち着けようとしたのか、小さく息を付いてからエプロンを首に掛けて腰紐をキュッと後ろで結んだ。

「今日のメニューはなんだ? 今あるものを見る限り、肉がメインのようだが」

「今日のメニューは鶏の照り焼きがメインで他には小松菜と油揚げの煮びたし、カボチャの煮物にきのこの炊き込みご飯。それに豆腐と葱のお味噌汁を作ろうと思ってるんだ」

「四品か」

「うん、あとはデザートに買ってきたアイスかな」

「ふむ…………」

 和食中心のメニューに、女の子には別腹のアイス。僕の考えてた献立を頭の中で想像しているのか、エリスは食べてもいないのに厳しく吟味するように黙り込んで。

「ど、どうかな?」

 さっきとは違う緊張感に喉が引き攣りそうになって、

「問題ない、あとは姉様達が帰ってくる前に作り終えられればいいが」

「えっといつも晩ご飯は七時半頃だから……あと一時間と十分。ちょっとギリギリかな」

エリスの言葉にホッと息を付くように返事を返す僕。

「ならば早速取りかかるとしよう。それで? 私は何から手をつけたらいいのだ?」

 エリスは僕の隣に立って、

「じゃあ、お味噌汁お願いしようかな?」

僕はお味噌汁ようの鍋を台所の舌の引き出しから取り出して、

「お湯を沸かす間に豆腐と葱を切って貰って良い? どっちも冷蔵庫に入ってるから、僕はその間に鶏の照り焼きと小松菜と油揚げの煮出しを先に作っちゃうね」

「了解した」

鍋をエリスに手渡して、それを合図に僕とエリスはそれぞれの行動を開始。

 僕は途中だった鶏肉の下準備を再開して、エリスは鍋をさっと水洗いして水を溜める。

「エリス、も……」

「…………………」

「家でご飯とか作ったり、手伝いとかするの?」

 エリスの顔色を伺いながら名前を呼んで、ちょっとむっとした表情になったけど何も言わずに僕を見下ろしたからそのまま話を繋げて。

「あぁ、幼い頃から母様に『料理は女の嗜み』と言われていたからな。ある程度の物は作れる」

「へぇ、そうなんだ」

 微笑ましい話題に僕は小さく笑って、

「調理もそうだが、家事全般母様から教わったな。いつか自立する時に必要になるだろうと、少しずつ積み重ねるようにな」

「いいね、そういうの。お母さんから教わりながらご飯とか作るの楽しそうだね」

エリスの話にその光景を想像して。

「ん? 貴様とて母親から調理の術を学んだので……っ!?」

 エリスが不思議そうに首を傾げかけて、自分の言葉に何を思いだしたように慌てて口を閉じた。

「ど、どうしたの?」

 僕は視界の端で気まずげに眉間に皺を寄せるエリスに顔を向けて、

「おや、その…………すまない、少しばかり配慮が足りなかった」

「は、配慮って?」

申し訳なさそうに顔を俯けるエリスの言葉の意味がわからなくて、思わず首を傾げた。

「その、姉様や蘭様から話は聞いていたのだが……失念していた」

「お祖母ちゃん達から聞いたって……何を?」

「貴様の…………母親の事だ」

「あぁ、母さんの事か」

 エリスにそこまで言われてやっと気が付いた僕。

 エリスは僕の言葉に後悔みたいな重苦しい表情を浮かべて、

「その、気分を害する事を口にした……すま」

「良いよ別に。十年も前の話だしね」

「だが」

もう一度謝ろうとしたエリスの言葉を遮って、僕はできるだけ明るい笑顔で言った。

「辛気くさい話はおしまい!! はやくご飯の準備をしないとお祖母ちゃん達が帰ってくるよ」

「あ、あぁ…………」

 エリスはどこか納得できていないような様子だったけど、それでも僕を気遣ってくれたみたいで小さく言葉を返してくれた。

 僕は鶏肉を揉み終えて、一旦手洗い。エリスは水を溜めた鍋を火に掛けて、冷蔵庫へ向かうエリス。

「…………」

 僕は冷蔵庫を開くエリスに気付かれないように横目で眺めて、やっぱり姉妹だな、って小さく笑った。

 少し…………かな? 喋り方は厳しいけど、優しいところはセフィリアと同じだなって思った。

 セフィリアと二人で商店街に行った時も、こんな感じで。神様っていうのは残酷な存在なんだって思ってた僕には凄い衝撃的だった。別に意識したわけじゃなかったけど、母さんの話題を出してしまった時のエリスの表情は……まるで自分の事みたいに悲しい顔をしてて、僕の事を気遣ってくれてた。

 根はすごく優しい子なんだな、って僕の中のトゲトゲしかったエリスのイメージが崩れて。

「あ、そういえば」

 そんな事を考えていたら、ある事に気がついて。

「ん? なんだ?」

 蔵庫を閉じて、豆腐と葱を手に戻ってきたエリスが僕を見下ろして。

「ありがとね、ご飯の準備手伝ってくれて」

 晩ご飯の支度を手伝ってくれているエリスに言ってなかった。

「いつも一人で準備してるんだけど、エリスが手伝ってくれるてるから助かるよ」

 僕は鶏肉の入ったボウル片手にエリスを見上げて、

「礼はいい」

僕の言葉にエリスは小さく笑っていた。

 僕はそんなエリスの綻んだ笑顔に「これならすぐに仲良くなれそうな気がする」って思って。

「ただジッと貴様の後ろ姿を見ていても無駄な時間を過ごすだけだったからな。それに」

 さっきまで浮かべていた笑顔が幻みたいだったように、不満げな表情が浮かんで。

「何より、貴様が作った物をただ出されて食べるだけだと」

 僕の中で芽生え始めていた淡い友情への道しるべが。

「貴様に養われているようで不愉快だったからな」

 容赦なく拒絶という名の重撃が振り下ろされて、



「………………そ、そう」



僕の心で無惨に砕け散った気がした。




   §§§§§§§§§§§§




 ――――――午後八時十分。

 日はとっくに落ちて、空は黒一色に。窓の外に見えるのはたくさんの星と三日月。

 下校時間をとっくに過ぎた教室には生徒の姿は無し。廊下の蛍光灯が明るく照らしていても不気味に見えるのは学校ならではの風景かもしれない。

「あぁ、もうっ!! 八時過ぎちゃったじゃないですか!!」

 そんな不気味さを吹き飛ばすように叫んで、私は重たい冊子の束を抱えながら廊下を歩いていた。

「ごめんねぇ、香夜ちゃん。明日の保護者会で使う資料だったかどうしても準備しないといけなくて」

 そんな私の隣で、私と同じく重い冊子との束を持った。二〇代半ばの女性が申し訳なさそうに苦笑いを浮かべていた。

「明日使う資料なら前もって準備しておいてくださいよぉ」

「ははっ、申し訳ない。部活動の事で頭がいっぱいですっかり忘れてたの」

 名前は浪岡佐枝なみおかさえ、愛称はさえちゃん先生やさーちゃん。華の二十五歳の独身で、私の一年の頃からのクラス担任で教科は数学担当。それ以外にも生徒指導部の顧問だったりもする。

 ほんのりクセのある長い茶髪の髪を襟の辺りでゴムでまとめていて、目はいつ開いているのかわからない暗いに細い。ただ、そのおかげなのか優しい顔つきは男女問わず好印象。

 授業は的確かつわかりやすい数学の話が六割、生徒とのコミニュケーション目的の面白トークが四割。その比率が功をそうしたかはわからないけど、少なくとも二年の間では支持率はかなり高い。

 まぁ、それ以外にも優等生だろうが問題児であろうが分け隔てなく面倒見たり、おっとりした見た目とは裏腹に空手五段、合気道七段。そしてその実力を携えて空手部の顧問もする熱血肉体派なギャップが面白いって人気を一役買っていたりするんだけど…………。

「まぁ、三年生には最後の大会ですから熱が入るのもわかりますけど…………何か忘れてる度に付き合わせられる私の立場も考えてくださいよ」

「ほんとにごめんね、どうも一つの事に集中しちゃうと他の事が疎かになっちゃって」

 教師活動や部活動ではちゃんと教師らしい姿を見せてるんだけど……さーちゃんが言ったみたいに一つの事に集中すると他の仕事がすっぽ抜けたりする事があって、その度に学級委員長の私にヘルプ要請をしに来たりするところがある。

「いやぁ、でも香夜ちゃんのおかげで何とか明日の保護者会は乗り切れそう」

「手伝ったんですからそうなって貰わないと困るんですけど……」

「はは、ごもっともです」

「まぁ、いつもの事だから良いですけど」

 私が呆れと手伝い疲れでため息を付いて、

「すっかり遅くなっちゃったし、帰りは車で送るわね。それとお礼に帰りに夕食奢ってあげる」

「ラッキッー!! さっすがさーちゃん、話がわかってる!!」

さーちゃんのお礼に手の平返しで喜ぶ私。

 我ながら現金だなぁと思ったけど、まぁこれも正当な報酬という事でありがたく頂きます。

「あっ、でもお家でお母さんがご飯とか準備してくれてるでしょ? 」

 さーちゃんは自分の提案に問題を見つけたように眉を寄せて、

「あぁ、それは大丈夫です。さーちゃんからヘルプ来た時、遅くなると思ってご飯は買い食いするからって母に電話しましたから」

私はさーちゃんへ得意げに笑って見せて。

「はは、さすがは学級委員長。そこまで想定済みですか」

 私の行動力に苦笑いで細い目をへの字にする。

「当然ですよ、一年の頃から何十回と付き合わされてますからね」

「あはは、長いことお世話になってます」

「いえいえ、こちらこそお世話させていただいてます」

 私とさーちゃんはじゃれ合うように掛け合いをして、

「あとはこの資料を生徒指導室に持っていくだけですよね?」

手に持っている重たい資料の冊子に視線を向けて。

「えぇ、そうよ。それが終わったら当直の先生に声を掛けて帰るだけだから」

 お疲れ様、ってさーちゃんが優しく笑って答えてくれた。

「あっ、そう言えば生徒指導室って言えばさ」

 さーちゃんが何かを思い出したように話を切り出して、

「ウチの学校の七不思議、雑誌に載ってたみたいね」

「そういえば、そんな話聞きましたね」

聞き覚えのある話に私も相槌を打った。

「確か、都市伝説特集の雑誌で」

「そうそう、それで二階西校舎の大鏡って生活指導室前の鏡の事で」

「知ってますよ。真夜中の午前四時四十四分に鏡の前に立つと鏡の世界に閉じこめられるって話ですよね」

 私は雑誌を呼んだ友達から聞いた話を思い出しながらさーちゃんの話に付き合って、

「あれ? 私が聞いたのは午後の四時四十四分に鏡の前に立つと……って聞いたけど?」

「え? でもあれって……『闇が支配する四時四十四分』っていう話でしたよね? 午後だとまだ明るいから夜中なんじゃないですか?」

「あぁ、言われてみればそうね。午後だとまだ夕方で明るいし」

互いの話のズレを修正しながら歩いていると。

「あ、噂をすれば影ね」

「そうですね」

 話題に出た生徒指導室とその正面に向き合うように飾られた大鏡。

「でも、こういう怪談話ってなんでできるものなのかしらね?」

「なんでって言われても…………私だって知りたいくらいですよ」

 私とさーちゃんは鏡に映る自分達の姿に苦笑いしながら眺めて、

「さて、怖い怖い怪談話はここまでにして中に入りましょう」

「そうですね、あまりダラダラしてると当直の先生も心配しますし」

最後の一仕事を終わらせようと振り返りかけて。

 

 パッ!! と廊下の蛍光灯……ううん、学校全体が暗闇に染まった。


「なっ、なに!?」

「て、停電!?」

 真っ暗になった廊下で、私とさーちゃんの慌てた声が響いて。


 パッ!! と、私達の声に慌てて廊下の蛍光灯が光を灯した。


 ほんの一瞬の停電に、私とさーちゃんはホッと息をついて。

「も、もう……いきなり暗くなるからビックリしたじゃない」

「わ、私も……でも、すぐについてよかったですね」

 停電の驚きを引き摺ったまま、今度こそ生徒指導室へ振り返って。振り返り際に見えた、生徒指導室の壁掛け時計の時針が指す時間に、ある事に気が付いて。

 その気が付いた事に、一瞬背筋に冷たいものが奔った。

「香夜ちゃん。その冊子の束、ここの長テーブルに置いてくれれば良いから」

「あ、はい」

 でも、私はさーちゃんの声にハッとなって。慌てて生徒指導室の中に入って、指示された長テーブルに重い冊子の束を置いた。

「よし、これで完了です!!」

「はぁーっ、疲れた」

 私はさーちゃんの言葉にドッと疲労が襲ってきて、

「さぁ、職員室に行って当直の先生の所に報告に行きましょう。香夜ちゃん、荷物は教室?」

「はい、ちょっと取りに戻りますね」

「あぁ、私も一緒に行くわ。学校っていっても最近は夜は物騒だし、万が一何かあったら大変だから」

「ありがとうございます」

さーちゃんの先生らしい言葉に、もう一踏ん張りと二人で生徒指導室を出た。

 そしてもう一度大鏡に映った自分とさーちゃんの姿に、停電直後に見た大鏡の情景が浮かんで……また、背中に冷たいものが奔った気がした。

「香夜ちゃん? どうしたの、鏡なんか見て」

「い、いえ……そのちょっと気になったて言うか、気付いた事があって」

 さーちゃんが鏡を見てる私へ不思議そうに首を傾げて、

「気付いた事?」

「まぁ、大したことじゃないんですけど…………その、さっき停電して、すぐに灯りがついたじゃないですか」

私は小さい声で答えて。

「その時の時間って……八時十六分だったんですけど」

「へぇ、そうだったんだ。でも時間なんて良く見てるわね、指導室の時計?」

「え……えぇ、まぁ」

 少しずつ言葉に力が入らなくなって……。

「もう少しで二十分になるわね」

 さーちゃんは指導室の窓越しに指導室の壁掛け時計を見ながら言って、

「でも、それが気が付いた事?」

「いえ、その……私、その時間だって大鏡を見て気が付いたんですけど……」

私はまるで誰かに糸で吊り上げられるように、ゆっくり大鏡を指差して。

「その時間って……鏡に映ると」

「映ると?」

 さーちゃんは私の言いたい事がわからないって顔で私の指先、大鏡に映る時計に視線を合わせて。




「八時十六分って………………四時四十四分になる、みたいですね」






 私は自分の言葉を自分で聞いた瞬間、体中に冷たい何かが這い回った。

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