俺が彼女を嫁にするまで【駆け落ち前夜を発見編②】
『うん、ばっちりだよ。明日にでも出れるぐらい』
『そうか。決行日は二週間後だが、それぐらいの準備が出来てるのはいい事だな!』
『これから屋敷を出て町で暮らしていくんだもん、仕事の事も考えてるよ。神殿の工事現場とかで働いてみたいな』
『何でだ?』
『私、体力あるから!』
『あっはっは、やっぱりお前は面白いな!』
俺は二人の会話をただ妙にクリアな思考で聞く事しか出来なかった。
『ありがとう、ナイトくん。私をこの屋敷から連れ出してくれて』
『いいんだよ別に。オレはお前と一緒に生きてみたいんだから!』
『……私も、ナイトくん達と生きられたらすごく幸せだと思う、私の身に余るぐらい』
……この二人は恋人というだけでなく、駆け落ちの算段を立てていたのか?
俺はもうこれ以上この話を聞いていたくなくて、二人に気づかれないように踵をかえした。
俺はなるべく気配を消して、ホーランド家から出て、ホーランド家の玄関の前にとまらせていた馬車へ乗り込んだ。
『タナト様、クラリス様に本を渡せましたか?』
『今はその話をするな』
自分でも驚く程冷たい声がでた。
御者は特に動揺する事なく、『失礼しました』と返した。そういう所をありがたく感じる。
『ハーベスト家に戻る形でよいですか?』
『そうしてくれないか』
それ以降、俺も御者も無言になった。
俺はあまりの衝撃とショックで脱け殻のようになっていた。
……姫様が、二週間後、恐らくあの男と駆け落ちする。
それは俺にとって、心臓が潰されるぐらいの苦痛を与えられたような気分にさせられるものだった。
それが決行されたら、恐らく姫様と二度と会う事はかなわなず、姫様が俺の人生から永遠にいなくなるという事になる。
それは俺の人生から色彩が失われる事を意味していた。
きっと、俺の中の姫様への憎悪の気持ちは、他の誰に向ける好意や愛よりも俺の中では重いものなのだ。今更姫様なしでは俺は生きられない。
『いなく、ならないで。俺の前からいなくならないでください、姫様』
俺の目から涙がこぼれ、必死になって拭いた。
憎くて、妬ましくて、他の誰よりも何よりも焦がれている姫様。
どうか俺の手の届かない所に行かないでくれないか。
……いや、違うだろう。
こんな風にメソメソしていても、 姫様に行かないでくれと願っても、意味なんてない。
そんな事より、考えろ。姫様に駆け落ちなんてさせない方法を。
屋敷の方に派遣している姫様見守り隊に頼んで妨害させる? いや、確実性に欠けるし、上手くいったとしても、もしこのような事態がまた起こった時に対応できない可能性がある。それに、姫様に男が出来ていたのに、報告が上がってきていなかった時点で姫様見守り隊に裏切り者がいた可能性も考えられるだろうしな。
そうだ、どうせ考えるなら、金輪際こんな事にならないようにする方法でないと駄目だ。
あの男を消す事も考えたが、それだとバレた時に姫様の心に永遠にあいつが残り続ける可能性がある。生者は死人には勝てないという言葉があるぐらいだ。
姫様が他の誰かに心を奪われ続けるだなんて、そんなの許容できない……いや、もうすでに姫様の心はあの男のものであるが、これ以上それを加速させたくない。
じゃあどうすればいい?
『いいですか、これはあなたが姫様を手に入れるチャンスなんですよ』
ふと、ドナルドの言葉が頭をよぎった。
反乱をおこし、そのどさくさにまぎれて姫様を自分の妻にする。
それがドナルドの提案だったが、今はそれが名案に思えて仕方がなかった。
そうだ、そうしてホーランド家を制圧して、クラリス様の身柄をハーベスト家でおさえれば、駆け落ちなんておこさせないで済む。
それに姫様を俺の妻にすれば、姫様は心は知らないが、少なくとも形式的には他の男のものにならないだろう。
『すまない、行き先をドナルドの屋敷に変えてくれないかな』
『かしこまりました』
『ごめんね、ちょっと野暮用が出来て』
俺はもうさっきのメソメソとした気持ちではなく、絶対に姫様を逃がさないという気持ちになっていた。
その後、俺はドナルドの屋敷に押しかけると、ドナルドの作戦に乗る事を了承した。
そして『は!? そんなに急にかよ!?』と叫ぶドナルドを無視し、作戦の決行日を一週間後に定めた。
俺たちは急ピッチで準備を進め、無事一週間後にホーランド家を制圧する事に成功したのだった。
そして俺はその際に姫様を保護し、自分の妻にした。
いくら姫様が嫌だと思っても、その事を後悔するつもりはない。だが、俺を拒絶するかのように何度も逃げる姫様に何も思わない訳ではなかった。
俺と結婚した事が嫌で嫌で仕方なくて逃げているのだろうが、早く俺の妻である事を受け入れてしまえばいいのに。そうして、あの男の事も早く忘れてしまえばいいのに。
だが、姫様は俺の思う通りに動くような女の子ではない事を俺は薄々分かっていた。昔からずっとずっと。
でもそれがどうした。俺が彼女の夫である事には変わりがないし、俺は彼女が諦めるまで、この不毛な鬼ごっこを続けるつもりだった。
「……逃がしませんからね、姫様」
俺は壊れたガラスを見つめながら、呟く。
「……タナト」
姫様の声で俺は過去の回想へと飛んでいた意識が現実に引き戻される。
姫様は俺の事をじっと見つめていた。
「姫様、どうかなさいました?」
「タナトが虚空を眺めてずっと考え事をしてるから、どうしたのかなって気になって」
「姫様によって負わされた心労がひどく、物思いにふけっていました」
「タナト……ごめん」
俺から逃げる事に特に罪悪感を見せない姫様だが、珍しく俺に素直に謝罪した。
「でも、私はここから逃げるのをやめないよ。私には、それしか出来ないから」
そういって姫様は悲しげに瞼を閉じた。
「そうですか。なら、俺に出来る事は一つだけだ」
俺に出来る事。それは姫様が諦めるまで姫様を連れ戻し続けるだけだ。
「もう夜遅いです……そろそろ寝ましょうか、姫様。使用人に湯浴みの支度をさせますので」
俺は姫様と毎日夫婦の義務として俺の部屋にて一緒の寝台で寝ており、姫様と同じタイミングで床につく事が多かった。
俺の言葉を聞き、姫様は何故か何ともいえないような顔をしていた。
「どうなさいました?」
「こうして私が逃げた直後なのに、普通に日常に戻る感じになるぐらい、私が逃げるのがいつもの事になってるんだなって今実感したんだよ」
姫 様はそういってため息をつく。
「ふふっ、確かにそうですね。面白い。それぐらいあなたのしている事が大した事がないという事です」
「そうだね、私がしている事なんて、別に大した事がない事だよ」
姫様があっさりそう言った事が何だか意外で、俺は目を瞠った。
「……でも、私にとってはすごく大きな事だから」
俺にとっても姫様が逃げる事は大きな事だ。
姫様が逃げる度に、姫様を捕まえられなかったらどうしようかと、もう二度と姫様と会えない事もあり得るかもしれないと、仕事も手につかなくなる。
だが、それを姫様に気取られるのは屈辱だ。
俺は姫様からわざと意識を遠ざけ、彼女の呟きは聞かなかった事にした。
「それにいいの、これぐらいに認識されてる方が、この後の本命の計画も上手くいくから」
だから、姫様の本当なら絶対に聞き逃してはいけなかった呟きも、俺は聞き取る事が出来なかった。
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感想は都市伝説だと思っているので、頂けたら神と読者様に感謝します。
次のお話は明日の14時に予約投稿いたしましたので、よろしくお願いいたします。