エゴと友愛と駆け引きと①
ドナルドは自分の部屋に案内し、自ら俺と自分の分の紅茶を淹れ、テーブルに置くと、口を開いた。
「とある筋から聞いたんだが、お前はクラリス様の事を憎んでると思ってるんだってな」
ドナルドの「クラリス様をどう思っているか」という質問に対して、「姫様? 彼女は元主君の家のお嬢様で政略結婚で結ばれた妻、それ以上でもそれ以下でもないよ」と伝えるつもりだった俺は固まった。
とある筋ってどんな筋だ? ……姫様への憎悪なんて、俺は自分の父親にしか話した事がないのに。
しかもそれを話したのは、父が病にふせている時だ。あの頃の父親がドナルドと接触したとは思えないし、そもそもドナルドは今まで俺が姫様の事を好きだと思っていたようだった。
そんなドナルドが急にこう言い出すなんて、何があった?
俺はここはきちんと聞き出しておいた方がいい予感がしていた。
「ふーん、面白い事を言うね。君は今まで俺が姫様を好きだと言い切っていたのに。誰にそんなでたらめを吹き込まれた?」
「それは……言えない。でも信頼できる情報だ」
「俺は姫様を憎んでなどいないよ、まぁ特別好きでもないけどね。でも彼女を妻として大切にしていきたいから、そんな噂が流れたら困るんだ。話の元は潰しておきたい。そういう事を言った人間を酷い目にあわせたりなんてしないから、どうか聞かせてもらえないか?」
「……僕はお前の考えている事なんて分かってるんだよ。絶対言ったらその人を消すだろ、お前はクラリス様の事になると見境がないからな」
「そんな事ないよ?」
「見え見えの嘘をつくな。お前がクラリス様を傷つけた奴らをどんな目にあわせてきたかは有名な話なんだよ!」
俺は否定も肯定もせず、薄く笑った。
姫様は人畜無害に生きているだけなのに、多くの人間に踏みつけられる存在だった。
姫様を苛めていいのは俺だけなので、そういう奴らの事は丁重にもう二度とそんな事が出来ないようにしてやっていた。
『何で私がこんな目に! あんな卑しい女、皆に嫌われてるのに! 私が正しいのに!』
自分は間違ってないと主張し、逆上してきた女もいたな。
姫様の事を集団で苛めていたので、逆に彼女を苛めの標的になるよう仕向けた。最終的に自尊心もなにもかもが砕けていた姿は見ていて愉快だった。
『二度とあの女を傷つけないと誓うから! 許せ、許してくれぇ!』
惨めに命乞いをしてきた奴もいた。
こいつは姫様に何度も直接罵詈雑言を浴びせ、最終的には足に怪我をさせ、池に突き落としていた。
姫様が足が動かせず溺れ、「やだ、死にたくない!」と苦しそうに叫ぶ中、こいつは取り巻きと一緒にその様をゲラゲラ笑っていた。
俺が何とか間に合い、助け出せたからよかったものの、一歩間違えば姫様の命に関わる話だった。
姫様は気丈にしていたが、心身共に深くダメージを負っていた。
とてもじゃないが、こいつの事だけは許せない。身分は公爵家と俺より格上だが、どんな手を使ってでも、地獄を味あわせてやると心に誓った。
だから、こいつは社会的地位も、家庭環境も、念入りに全てを壊し、絶望を味あわせた。その上で丸太をくくりつけた状態で池に突き落とした。そして助けてほしければ命乞いしろとしろと迫り、散々無様な事を言わせた上で、助けず見殺しにした。
悪運だけは強いようで、救助が入り一命を取り留めたが、あのまま死んでくれればよかったのにと今でも思っている。
だが、こいつの件が見せしめになったのか、姫様に手を出す馬鹿は減った。それだけは良かった事と言えるだろう。
そういえば、姫様がより俺に壁を作るようになったのは、こいつを池に突き落とした日からだったなと思う……以前は気にも止めていたかったが、今思うと本当に偶然なのだろうか?
今考える事ではないので、これ以上は考えないが、何だか嫌な予感はした。
しかし、ドナルドは俺が見境がないというが、基本的に俺は姫様がやられた事を少々陰湿にしてやり返しているだけだ。
そんなの因果応報なだけだ。この世に神などおらず、天罰などないのだから俺がやるしかないのだ……まぁ、もし神なんてものがいたとしても、そんなものに任せる気は起こらないが。
姫様を傷つけた人間に罰を与えるのは俺でありたかった。
もし俺がしている事が悪い事なんだとしたら、最初からあいつら自身が姫様に嫌がらせをしなければよかった話だ。
姫様は俺の手の内にいる少女だ。誰にも手出しさせない。
「……はぁ、意固地だな。俺がいくら違うと否定しても、君は認めないんだろうね」
「意固地なのはお前の方だろ。僕にぐらい、本音で話してくれてもいいのに」
ドナルドはため息をついた後、間をおかずに言った。
「僕はお前が本当にクラリス様を憎んでるなら、お前とクラリス様は一緒にいるべきじゃないと思ってる」
「……」
「憎んでいる相手と生きるだなんて、クラリス様が、何よりお前が不幸になるだろ。そんなの僕は認められない、お前には僕は幸せになってほしいんだ」
「そんなの、君のエゴだろう」
俺は別に幸せになりたいだなんて、一言も言ってない。
姫様と一緒にいる事で、どれだけ不幸になってもいい。俺は何を放棄してでも、姫様を自分の側に縛りつけておきたかった。
「あぁ、そうだよ。僕のエゴだ。でも、幼馴染みの幸せを祈って何が悪いんだよ」
「……それが、俺の迷惑になっていなければね」
「僕は別にお前に恨まれたっていいんだ、お前が幸せになれるなら……いいか、タナト。僕はこれからクラリス様がハーベスト家から出奔してる事を公表する」
「は?」
そういうドナルドの瞳は本気の色に満ちていた。
「実はもう、その公表の準備は終わってるんだ。後は僕が一言合図するだけで、全て終わる。お前がもう何をしても無駄だ」
「そう。君のその決意は何をしてももう変わらない?」
「そうだ。僕は自分がどうなっても構わない」
「ふぅん、本当に? どんな処分を受ける覚悟も出来てる?」
「あぁ。お前のするどんな報復も覚悟してる。だから、僕を止めたくばお前は……」
「じゃあ速やかに死ね」
俺は懐からするりと銃を取り出すと、躊躇いなくドナルドの額に押しつけた。
少し間が空いてしまいました。待っていただいていた方がいらっしゃったとしたら、申し訳ないやら嬉しいやらです。本日からのエピソードは基本的に毎日更新となる予定です。