俺は彼女を忘れる事など出来ないので③
「あなたはソノミの言っていた事を嘘だと指摘せず、ソノミが言っていた味通りの感想を述べ、食べていらっしゃった」
「あぁ。新人の料理人と聞いたから、なれてなくて失敗したのかなと思ったんだよ。クッキーが塩味だなんて指摘したら、何らかの罰を受ける事になるのが、可哀想だと思ったんだ」
「違うでしょう、あなたはそんな嘘をついて使用人を庇うような方ではなく、きちんと駄目なものは駄目だというお方だ。あなたがああいったのは……ただ単に味が分からなかっただけでしょう?」
「……」
「あなたは姫様がいなくなってから、味覚に異常をきたしている。何を食べても、飲んでも、味がしないのではないですか?」
「ふーん、面白い事を言うね。まるで姫様が好きな小説に出てきそうな話だ」
「茶化さないでください!」
正しくいえば、姫様がいなくなってからではない。姫様がいなくなってしばらくたってから、だ。寝れなくなった事より後から始まったが、いつ頃ぐらいからこうだったのかはあまり覚えていない。
ある日突然、食事を口にしたら、何も味がしなくなっていた事は覚えている。
その時は少しのショックを覚えたが、「まぁいいか」と思った。
その頃にはもう俺にとって食事など、ただの生きていくために必要だからしているだけにすぎないものになっていた。味なんて感じようが、感じまいが、別に変わりないと思った。
以前の俺はソノミの言う通り、確かに甘いものが好きだった。他にも色々と好きな食べ物はあった。昔は味の薄いあまり美味しくない病院食を食べる事が多かった反動で、俺は食べる事にこだわりがあるタイプだったと思う。
それがいつからかこうなってしまったのだ。姫様がいなくなってから、どんどんこの世の全てがどうでもよくなっていっていた。姫様への思いがどんどんと大きくなっていき、彼女を求める気持ちが制御できない程になっていくのと反比例し、世界の何もかもが色褪せて見え、姫様に関する事以外では感情が動かなくなっていた。
今の俺にとって、姫様を取り戻したい、それだけが生きる糧だった。
この一年で姫様の存在が忌々しい事に、俺の中で大きすぎるものだったのだと深く深く実感した。
「……タナト様、私はここを辞めなければいけなくなる事を覚悟であなたに進言しました。ですから、あなたにも真剣に私の意見を受け止めて頂きたい」
「私は君の意見を真摯に聞いているつもりだよ? ただ、私は別に君が心配するような事にはなってないし、私としては君の意見はとてもではないけど聞けないものというだけだ」
……マトマがもしここを辞め、俺の管理下から外れる事になったら、その時は君は「何故か」不審死をとげる事になるとは言わなかった。
マトマは姫様の内情について知りすぎており、それに加えて俺が姫様を探し続けるのを、相当好ましく思ってないように感じる。
そんな状態のマトマを外に放り出すのは、何をしでかされるかわからない。ひょっとしたら、マトマの行動次第では、姫様を連れ戻そうとする事に悪影響が及ぶ可能性すらある。そうなったらそうなったで手は考えるが、不穏分子には消えてもらうに限る。
マトマとは付き合いが長いので、出来たらそんな事したくないんだけどなぁと、内心やれやれと肩をすくめた。
「タナト様、何故あなたはそこまでクラリス様に……」
「ところで、砂糖入りの紅茶とにんじん味のクッキーなんていう面白い事を考えて、私を試したのはソノミの発案かな?」
どうせお互い平行線な相手と話などする気にならず、俺はマトマの話をさえぎった。
「……全て私が指示した事。責めるならソノミの事ではなく、私だけにしてください」「そういう訳にはいかないな。処罰を加えるなら、マトマとソノミ、2人にだ」
「お願いします、ソノミにだけは慈悲を」
「心配しなくてもソノミにも君にもそんなに酷い罰はあたえないよ。これぐらいの戯れは大目に見よう……このような私を試す真似、二度目は保証しないけどね?」
「ありがとうございます、タナト様」
「あぁあと、これ以上この話を続けるのも、許容できないな。そうするなら、ソノミの方にも君の方にも、もう少し痛い目にあってもらわなくてはいけなくなる」
俺は微笑を浮かべながら言った。
こういえば、ソノミを庇いたいのであろうマトマはこの話をやめるだろう。
「……いえ、それは出来ません」
俺は意外に思い、思わず目をみはる。
「ソノミは私の考えに巻き込んだだけですが、あれはあれでタナト様の為なら覚悟は出来ています。私は残酷なようですが、ソノミの事より、タナト様のお心を変える事の方を優先させます。あなたの事が心配なんです、従者としても、長年あなたを見守ってきた者としても」
「……ふーん、君がそういう道を選ぶだなんて、意外だなぁ」
思わず素直な感想が口から漏れる。
「それだけ今のあなたは危うすぎるんです」
その言葉の響きはあまりにも切実だった。
もしそれが真実だったとしても、俺にしてみれば「それがどうした」としか思えなかったが。
と、コンコンと部屋の扉を叩く音が再びした。
「タナト様、ドナルド様からお手紙です」
「分かった、もらおう。部屋に入っておいで」
「かしこまりました」
メイドのフィルが部屋に入ってくる。
俺はフィルから手紙を受け取り、封を切った。
便箋を開く。そこには時候の挨拶も何もない、シンプルな文面が広がっていた。
「……は?」
俺は内容を見て、目を見開いた。
『クラリス様は療養しているのではなく、お前の屋敷から逃げ出したんだな。僕はその証拠を掴んだ。その事について話したいから、うちの屋敷に来い』
どういう経路でそんな証拠を掴んだんだ。頭痛の種が増えてしまった。
俺は思わず舌打ちをしたくなる衝動を抑えながら、フィルへ指示を出す。
「フィル、至急で進めなければいけない書類作業が終わり次第、ドナルドの屋敷へ向かう。馬車の準備を」
「かしこまりました」
「ごめんね、マトマ。君と話してる場合じゃなくなった」
「かしこまりました。残念ですが、今日の所はここで話は終わりにします」
「作業に集中したいから、2人とも出ていってもらっていいかな? 1人にしてもらえる?」
「はっ」
「かしこまりました」
2人は部屋を出ていく。
「……はぁ」
2人がいなくなったので、人目を気にせず、思う存分ため息をつく。
俺はドナルドからの手紙を手に取ると、ビリビリと破り、紙切れを床に撒き散らせた。
こんな事をしても、気は晴れない。
「面倒な事になったな」
ドナルドはどうするつもりだ? この事を世間に公表するつもりなら……説得も阻止もしきれない場合、最悪あいつの事は消さなくてはいけない。
流石に幼馴染みをそんな目にあわせるのは、後味が悪いが、仕方ない。それが姫様を取り戻す事の邪魔になるのであれば、俺は何だってする。
そう、何だって。
……姫様がいなくなる前だったら、こんなに簡単に、俺なりに大事にしている相手であるドナルドを消すだなんて発想にはならなかったのではないかと、俺は薄々気づいていた。さっきのマトマに対してもそうだ。
俺は姫様を失った事で、どんどん人間としておかしくなってきているというマトマの話は、確かに図星をついているのかもしれない。
でもそれでも、姫様を忘れるなんて出来ない。
誰よりも苛立ちが煽られ、誰よりも厭わしく、誰よりも憎くて憎くて仕方ない、姫様の事を。
「姫様、早く俺の元に戻ってきてください」
俺が取り返しがつかない程に壊れてしまう前に。
もう遅い、という誰かの声が聞こえた気がしたが、聞かなかったフリをした。
次話の更新は5月30日の20時となります。よろしくお願いいたします。
余談なのですが、このお話のタイトルを作者は「仕没」と略しております。
暗唱するのが困難な、長ったらしいタイトルなので、正式名称では中々呼んだ事がないかもしれません。