ふしぎな歌声
「ほらほらセーアちゃん、あーんっ!」
言葉とともに、ベーコン巻きが刺さったフォークがこちらへと突き出される。
口に含むと、キラキラとした瞳が覗き込んできた。いかにも「美味しいでしょう?」と言いたげな輝きに、モグモグしつつ頷きを返す。
「んん。おいしい」
「でしょう!? あとでスタッフさんに店名訊いておかないとですわね!」
嬉しそうにはしゃぎながら、手にある弁当へと視線を移すチェル。
これだけ喜んで貰えるなら、毎度買ってくる苦労も報われるというものだろう。
昼休み。俺とチェルは広場のベンチに座り、スタッフから受け取った弁当を広げていた。
午後からは、昨日に引き続き外での撮影となる。チェルの加入によりゴシック系の商品を増やしていく事になったみたいで、店に置くパンフレットの写真を新しく撮るそうだ。
いつもはシンとしていた休憩時間も、隣にチェルが座っているというだけで随分と賑やかだ。美味しいものをシェアし合うのが彼女のルールらしく、瞳を輝かせてはこちらに伺いを立ててくる。
人によっては距離の詰め方に忌避感を覚えるかもしれないが、彼女に興味を抱きだした俺にとって、分かりやすく好意を向けてくれるのはそんなに嫌なことじゃなかった。
最初こそ引け腰でいたが、慣れてしまえばこの明るさも逆に心地良い。
「セーアちゃんて、本当に美味しそうに食べますわよね」
手もとにある穀物パンを食べていたところ、チェルがこちらを見ながらそんな言葉をかけてきた。
よく周りに言われるが、大抵は「食いしんぼう」だとか「意地汚い」とか、揶揄いの意味で使われがちだ。だからこんな風に幸せそうに微笑まれることなんて滅多になくて、俺は少しばかり困惑してしまった。
「チェル……ちゃんのほうが、そう見えると思うけど」
思ったことを口にすると、何故だか彼女はクスクスと笑いはじめる。
「あら、スタッフさんが言ってましたわよ。『セーアちゃんて、いつも食べる時に小動物みたくほっぺを膨らませてるから可愛い』って」
「はぁッ!?」
やたらとナッツ類の入ったお菓子が差し入れられるなと思っていたが……そういう意味だったのか。まったく、人をげっ歯類扱いして。
少し離れた場所で同じ弁当を囲んでいるスタッフを軽く睨みつける。チェルも微笑ましそうに目をやって、しかしすぐに違う場所へと顔を向けてしまった。
「……あら? この歌……」
耳に手を添え、なにかを聴き取ろうとしているみたいだ。けれど同じようにしてみても、俺にはスタッフたちの笑い声しか聞こえてこない。
「歌?」
「ステージのほうから聴こえますわ。……きれいな歌声」
そのまま導かれるようにして、チェルは食べかけの弁当を置いてふらふらとベンチから離れていってしまった。
「ちょ、ちょっと!」
呼びかけてみても、その足取りは止まらない。
やがて俺たちは、撮影場所の近くにあった広場へとやってきた。とはいえ名ばかりで、周辺に目立つスポットなんかもない、無駄に広いだけの空間だ。
その印象を払拭するために、今は中央にステージが組まれていた。
この町――ウッドリッジの発展のためにと、ここ最近建てられはじめた舞台。
より裏事情的なことを話せば、俺とチェルの仕事場である店が繁盛し、セーアというアイドルが生まれた経緯から「町おこしに使えるんじゃないか?」と考えた町長がコンサートを開けるようにと着工してくれたらしいのだが――……なかなかの規模感なのもあって、まだ骨組みしかない。
そんなステージとも呼べない場所の前に来たとき、ようやく俺の耳にも聴こえてくるものがあった。
「たとえ雨にかき消されて 足跡つかない日があっても
ぼくは歌うよ この身ふりしぼり 君に届けるよ……♪」
か細く、透き通った高い声だ。
いまにも消え入りそうなほど小さいけれど、芯はしっかりとしている。
「いつだって どこへだって きっと……♪」
「みつけたっ! あそこですわ!」
「ちょっ!?」
止める間もなく、アスレチックのごとく木で組まれたステージをよじ登っていくチェル。
スカートを履いていてもお構いなしな辺り、やはり子供らしい――なんて思っている場合じゃない、まだ仮組みの段階だから不安定なんだぞ。ミシとかバキとか、不穏な音が鳴ったらどうすんだ。謝るどころの騒ぎじゃない。
「チェル、危ないよ! 戻ろう!」
焦りのあまり呼び捨てになってしまったが、それすら気づかずにチェルは壇上へとあがっていく。
完成したらカーテンの陰に隠れてしまうであろう場所に、その女の子は立っていた。
年の頃は、俺たちと同じぐらいだろうか。
田舎から出たばかりといった雰囲気の、青色をした古風なエプロンドレス。太い眉。深緑色の髪は二本の三つ編みにされていて、前髪も自信無さげな目元を覆い隠すほどに長かった。
地味めな恰好にも関わらず、毛先は透き通った薄い色に変わり、耳はエルフっぽく尖ってギザギザとしている。
「魚人……ですわね。めったにお目に掛かれない人種だと聞いてましたが……初めて見ましたわ」
チェルの言うとおり、魚人というのは純血はもとより、ハーフも住む場所がかなり限られてくる。
血の濃さだとか個人の体質にもよるが、体の構造からして人間とは違ったり、海水を定期的に摂らないといけなかったりするからだ。
魚人は歌に似た独特の言語を使い、とても綺麗な歌声を持つのだという。この子は人間に近い見た目をしているし、普通に喋れているから、ハーフとかクオーターとかの混血だろう。
「こんな場で聴くには、惜しい歌声ですわね。もっとちゃんと、大勢の前で……」
俺も同じことを思ったが、たぶん本人はそういうのを嫌がる子なんだろう。仮設ステージの端っこに立つ、長い前髪を垂らした地味めな女の子。いかにも人前が苦手そうだ。
けれどもチェルは、構わずステージの反対側へ走っていこうとした。
「もし、そこの御方!」
「ひゃう!?」
ビクリと全身をすくませた少女は、焦った様子で俺たちを見る。
「ごっ、ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいっ!」
怒られると思ったのか、女の子はしきりに謝罪を並べながら壇上に繋がる階段を駆け下りていってしまった。
あっという間の出来事で、名前さえ訊けていない。チェルは掲げていた手を力なく下ろした。
「……怖がらせて、しまいましたですわ」
「いや、あれはしょうがないよ。だからその……えっと、気にしないで」
「セーアちゃんっ!」
軽い慰めの言葉に、彼女は感極まった様子で抱きついてくる。
「わたくし、あの子に謝りたいですわ。また会えるでしょうか?」
「うーん……」
あの周辺には、今のところ子供が喜びそうなスポットなどはない。
だからきっと、ステージが建てられると聞いてわざわざ足を運んだのだろう。だとすれば、もう一度訪れる可能性も無くはないが……。
俺の表情を読み取ったのか、少しだけ悲しそうな顔をするチェル。
「とっても素敵な歌声だったから、もっと近くで聴いてみたいですわ。できれば、あの子と一緒に……」
やっぱり同じことを考えていたんだな、なんて。
そう思いながら、俺はポケットから懐中時計を引き出した。蓋を開けると、休憩時間は残り十五分ほどしか無い。
「そろそろ戻ろう。お弁当食べちゃわないと」
「ええ。そうですわね」
俺の忠告に頷いたチェルは、降りたばかりのステージを見上げた。
今はただ木材を組んだだけの、裏側まではっきりと見通せてしまう舞台。ここに立つ時には、俺たちはソロではなく、グループとしてお客さんを迎えることになる。
「早くこの場所で、パフォーマンスができるようになるといいですわね」
まだ見ぬ未来に思いを馳せながら、チェルが呟く。
未完成のグループに、建設中のステージ。ふたつが完成する時、ピィニアは動きはじめる。
その時俺自身は、彼女たちとどういう接し方をしているのだろう。
妹分としてなのか、それとも――……。
脇に垂れた手に、さりげなく指が絡んできた。どこか縋るようにぎゅっと力が込められるそれに応えながら、俺もまた同じ場所を見つめる。
「うん。楽しみだね」
セーアとしての口調にもいまだに慣れないし、色々とたどたどしいけど。
チェルたちと一緒に、俺もまた成長していけたら――なんて。
そんな、勇者らしくないことを思った。