確信と苛立ち
【……うっふふふふふふ。あは、あっはははははははははは! ……嗚呼っ……、ああ、あああぁああぁぁ……! ……良いわぁ。ゾクゾクして堪らないわああああああぁぁぁ……!!】
周りの喧騒をよそに、女はひどく甲高い、耳ざわりな震え声を発していた。
それは例えるなら、劣情におぼれ狂い、堕落した人間があげた嬌声みたいだった。周囲の状況にもかまわずに好きに盛っているかのような――ただひたすらに快楽を求め続け、盲目的に〝自分さえ気持ち良ければそれでいい〟とでも思っているかのような。
あまりにも身勝手なそのさまは、まるで独りで善がっているかのようで。
浅ましく貪欲で、目も当てられないほど醜悪なものに感じられて。
堪えきれず、俺は反射的に耳を塞ごうとした。聞いていたら、どうにかなってしまいそうだったからだ。
が、いくら遮断したくてもそれができなかった。声は耳からではなく、強制的に脳内へと送られてくる。
聞きたくもない言葉がかってに入ってくるうえに、また心のうちを他人に覗かれているような状況も相まって、これ以上ないほどの不快感がジリジリと胸の奥まで焼いていく。
「セーアちゃん! セーアちゃんてば、ねぇっ!!」
「どうしちゃったんですの、なんで答えてくれませんのっ!?」
ねっとりとした笑い声に混じるようにして、ふたつの呼びかけが微かに聞こえてくる。
しかしそれもすぐに、「ハアァ…………ッ」という満足げな、生ぬるい吐息を肌に受けていると錯覚するぐらいの、鮮明な呼吸音にかき消されてしまった。
【――あぁ――……まったく。これだから、お宝探しってやめられないのよねぇ?】
ポツリと呟きをこぼし、女は恍惚とした様子でベラベラと喋り始める。
【まさか人間でありながら、その身に精霊だった頃の性質を残しているだなんて。大気に溶けだした魂がふたたび人間として戻ってきたっていうだけでも例外なのに……前世の記憶を保持しているうえ、肉体までもが禁忌を犯して作られた特別品。ほかに類を見ないほどに希少な素材じゃないの……っ!!】
「……そざい……?」
あれほど精霊の怒りを怖がっていたくせに、今はそれさえも魅力的に映るようになったらしい。ひたすらに息を荒げながら持論を展開している。
その興奮ぶりからは、よくある純粋な好意だとか、ファン的な思考からはかけ離れた、どこかおぞましさを覚えるほどの熱量が感じられた。
しかし熱量があるだなんていっても、こちらの安否を気にかけてくれるようなお客さんとは違って、こいつは俺が怒っていようが悲しんでいようが、たとえ身に危険が迫って怖がっていたんだとしても、はなからどうだっていいのだろう。
「なんだよ、『素材』って……? どうしてそんな、簡単に人をモノ扱いできるんだよ……? ……俺が目当てだったんなら、他人に危害が及ぶような真似をする必要なんて、そもそもなかったじゃんか……」
あまりにも常軌を逸した発言の数々に、内心のイラ立ちがいっそう募っていく。
この日のために入念に準備を重ねてきたのは、なにも俺たちに限った話じゃない。観る側だって――……お客さんだって一緒だったんだ。
あらかじめ予定を空けておいたり、仕事の調整をしたり。チケットやグッズに使うためのお金を捻出したり。
必死にお小遣いを貯めたりなんかして、人によっては何か月も前から楽しみにしてくれたりもしただろう。
それぞれが今日を心待ちにして、思い思いに計画を立てていたんだ。
『――じゃあーんっ! 見てみて、セーアちゃん!!』
ガラス越しに手作りのグッズを掲げ、嬉しそうに報告をしてくれていたお客さんたちの笑顔がよぎる。
『ほらみて、三人のぬいぐるみを作ってるんだよ! こっちがセーアちゃんで、チェルちゃんに、フィノちゃん! 衣装まで手作りなの。すごいでしょっ? この子たちもね、ライブに連れていってあげる予定なんだ。それまでには仕上げるからさ、セーアちゃんたちも練習、頑張ってね!』
『うんっ、ありがとう! みんなの思い出になるように、いーーーーっぱい、頑張るね!』
その返事に嬉しそうに笑い、三つのぬいぐるみをぎゅっと胸に抱く女の子。
わざわざ材料から買い集め、夜な夜な時間をさいて作ってきたという手製のぬいぐるみだ。綿以上のものがたっぷりと詰め込まれたそれは、あの子にとってはどんなグッズにだって代えがたい。
このゴタゴタの中で、紛失してしまっていないだろうか。
ふいに心配になって客席のほうへと目をやるよりも先に、頭に浮かんだお客さんたちの笑顔が、家の玄関で見た父さんのものと重なる。
『どうしたんだ、旅行カバンなんて持って。これから仕事か?』
疲労が隠しきれない笑顔に、何日も放置されてだらしなく生えた無精ひげ。
濃い隈がめだつ目元。よれたシワだらけの衣服という、いつか見たのとまったく同じ風体。
あれは確実にムリをしている時のよくない傾向だ。あれだけ体に鞭を打っていたのはきっと、このイベントに間に合うように、家族そろって見に来られるよう、なんとか片付けようとしていたんだろう。
「みんな、ずっと……ずっとずっと、この日を心待ちにしてきたんだぞ……。お客さんも、ほかのモデルさんたちだって同じだ。チェルもフィノも、俺も…………父さん、だって…………ッ!」
声にだして怒鳴ってしまいそうな衝動をなんとか押し留める俺をよそ目に、女は至極どうでも良さそうに返す。
【知らないわよぉ、そんなの。あたしはターゲットさえ手に入れられればそれで良いんだもの、他なんてどうでもいい。ぜえぇぇーんぶオマケ。他人なんてね、しょせんコレクションを得るための手段に過ぎないの。この男だってそう。あなたを攫うのに使えそうだったから、奪ったっていうだけ】
「……なっ……!?」
【本当にそれだけよ? ……でもね。上からの指示で、この男を計画に組み込まないといけなくなって。まったく嫌よねぇ、いつまでこの身体に入ってなきゃいけないのかしら? 図体がデカいし筋肉質で、ちっともあたしの趣味じゃないんだけど】
言いながらぶつぶつと不満そうにしているあたり、あおるための口上とかじゃなく、根っからの本心なのは明らかだった。
おもむろにあごを擦った女は、指先に引っかかったヒゲを嫌そうに摘まむ。
【それにヒゲだって生えてるし、こんなに野蛮なものまで……。何のために美貌を保ってきたと思ってるのよ? おじさんなんかになっちゃったら、まったく意味がないじゃない! 可愛い女の子にふさわしくあるために、日々頑張っているのに】
汚らわしそうに己の下半身を見ているが、本来の持ち主である父さんの一途さを知る俺にとって、その見くだした発言と、今までの態度は地雷でしかなかった。
【……ね。あなたもそう思うでしょう?】
フードの奥から下卑た笑いがのぞく。
【だってセーアちゃんの持ち主がこんなおじさんじゃあ、せっかくの世界観が台無しになっちゃうもの。セーアちゃんは人形師のお姉さんと末ながぁぁく幸せになるの、設定はちゃんと守らないと。……そうでしょう? そうして愛されながら丁寧に、丁寧に手入れをされつづけて、その美しさを保ったまま、永遠を生きる少女人形のままで、見る者を楽しませてくれるのよ。……そのためにあなたは、見た目にかぎらず肉体まで、女の子にして貰ったんでしょう?】
父さんの能力が使えるからだろう、肉体の変化にまで気づいているらしい。
こちらの事情を知ったうえで、なおも自分本位に話している。しかも『持ち主』だなんて……どこまで人をモノ扱いすれば気が済むんだよ。
他人の両眼を介した視線はあいかわらずこちらを舐め回すようで、よりいっそうの嫌悪が搔き立てられた。
「……たしかに今は、女の体になってるけど」
肯定の言葉とは裏腹に、ずいぶんと低い声が出た。それほど気持ちが荒ぶっているのかと、自分のことながらどこか、他人事のように思う。
おそらく思念ではなく直接のどを通して喋っていたなら、ずいぶんと低く抑揚のない、露骨に感情が表れたトゲトゲしいものになっていただろう。
「男でいることを放棄したつもりはないし、それから俺は、人形師のモデルになった女性のことを心から愛している。だから、いくらあんたがなり代わろうとしたところで、なれないしまったく意味がない。あんたはセーアにとっての『大切』にはけっしてなれない。……永遠に」
言い切って、それから俺は湧き上がる感情のまま、
「おまえさ、堅気じゃないだろ。……裏社会の人間だよな?」
これまでの情報から得た確信をぶつけた。
「じゃないと犯罪組織の実行役なんてとうてい務まるわけがないし、こんな重要な役目にだって置かれない。組織が掲げる思想に感化された人間じゃなく……本当は、才能を買われて雇われた側なんだろ?」
俺の質問に対し、女は黙ったまま答えようとしなかった。
がしかし、この場合においての沈黙はほとんどが「正解」を意味するだろう。
「――ずっと違和感があったんだよな。どうしてこんな一介のファンが、永遠の美しさだとか、老いからの脱却にこうもこだわるのか。違法であるはずの創作魔法に手を出してまで、相手を欲しいと思ってしまうものなのか」
それはこの女がセーアのファンだったからこそ、そこに固執するようになったのではなく。
元々がそういった側の人間で、ターゲットとなる要素をセーアが持っていた。単純に俺は、この裏社会に潜んでいたヤバい女のレーダーに引っ掛かってしまい、こいつが持つ悪趣味な収集欲を刺激してしまったのだ。
「これでもいちおうは神託者連合の一員だからな。勉強をかねて、先輩たちから教わる機会がいーっぱいあるんだよ。自慢したがりな英雄たちの逸話から、それこそ裏社会の実状に至るまで。ほんっとうに色々とな? ……その中でも特に、印象深いエピソードがあってさ。多くの先輩たちが世界中を駆けずり回ったすえに、よーうやく禁止にまで漕ぎ付けたっていう……」
そこで勿体つけて言葉を止めてやると、女はさも意味ありげに「フフッ」と笑いをこぼしてみせた。
――今でこそ禁止され、厳重に取り締まれているのだが。
以前までのこの世界では、路上での人身売買が普通におこなわれていたという。
多くの獣人たちが労働力や愛玩用として安価で売り飛ばされ、見栄えの良い魚人やはぐれエルフ、人語を解さない妖精なんかは美術品と同様の扱いでオークションに出品された。
そんなやり取りがあんまりにも横行していたもんだから、いよいよ神託者たちは一斉摘発へと乗り出した。
前世でいじめや家庭内の問題、社会的な排斥などを苦にしていた人たちばかりだったから、悪事がまかり通っている現状が本っ当に許せなかったのだろう。
彼らの地道かつ懸命な努力によって、奴隷制度、ならびに人身売買はまたたく間に廃止の流れになった。
各国のあらゆる場所から奴隷の販売所は消え、オークションに出品される物もこと細かに調べられるようになった。
――しかし、そう簡単に悪事がゼロになるわけもない。
奴隷商人は法の抜け目を探してあらゆる方法をとった。それが、『生きた人間を〝物〟に見立てて販売する』行為だ。
『そりゃあもう酷えモンだったんだぜ?』
自分の代ではすでに奴隷が売られるなんてことは一般的ではなかったと言っていたイオニアさんもまた、諸先輩方と同じように、水面下での戦いに参戦していたそうだ。
『〝人がひとり入れそうな大きさの美術品と、やたらと値段が張る家具はまず疑え〟っていうのが当時の常識でよ。想像できるか? なかに隠し収納があって、そこに人が押し込まれてるタンスなんてよ。ンなもんがフッツーに流通してやがったんだよ、むかしの……とくに腐った貴族連中のあいだではな。オレが見たやつのなかじゃぁ、複数の人間が組み合わさってできた石像なんてのも……』
『……も、いいです。……それ以上は……』
制止をかけた俺を見てすぐに、イオニアさんは「すまねえ。トラウマだったか」と察してくれた。
『……ともかくだな。魔法で石化したりだとか、無機物と合体させることで家具に偽造して販売したりだとか、そんなのが当たり前に蔓延ってやがったんだよ。だから、一部の魔法は資格制になった。けどいくら捕まえて規制したところで、やつら性懲りもなく現れやがんだよ。いっこうに根絶のきざしが見えねえの。今でこそ公に『奴隷制度は廃止された』って言っちゃあいるけどよ。……それでもまだ、物みたいに売られる子はこの世界にだって大勢いる』
完璧なんてねぇんだよな、神の力をもってしてもさ。
そう荒々しく零す彼の横顔は、いつになく切なげだった。
――『神の力をもってしても難しい』。それは、これまで多くの神託者たちが根絶に乗り出そうとし、敵わなかったことを意味している。
つまり、俺だってまったく無関係っていうわけじゃないんだ。
分かりきっていたことだけれど、こうやっていざ仄暗い現実を目の当たりにすると、「平和っていったい何なんだろう?」って気になってくる。
「……さっきから綺麗だとか美しいだとか、うわっ面なことを平気でペラペラとのたまってるけどよ。……どのツラ下げて、魚人族の末裔であるフィノの前に立ってんだよ……?」
「……セーアちゃん……っ」
かたわらのフィノがすがり付いてくる。
衣装の裾を必死につかむ、幼い指の感触が。
視界に映るしゅんと垂れ下がったヒレ型の耳が、俺の怒りを助長する。




