届け、魂の奥底まで
「あの方、笑ってますわ」
おなじく目の当たりにしたのだろう、チェルがこわごわと身を寄せてくる。
さっき父さん――あいつを指して「魂が歪んでいる」と言っていたから、内に潜んでいる奴の邪悪さなんかを感じ取ったに違いない。何か思い至ったのか、そこで彼女はパッと怯えた表情でこちらを見た。
「まさか、この地震の原因って……!」
「うん。あいつだ」
くだんの人物に視線を投じつつ、俺は頷きを返した。
「あいつさえ倒せば、イベントをぶじに最後までやり遂げることができる」
「倒せば、って……」
俺の言葉を聞いたチェルが、引き止めるように衣装の裾を掴んできた。
「ほっ、本気で戦おうっていうんじゃありませんわよね? わたくし、あの方とセーアちゃんがマトモにやり合えるだなんて思えませんわ! だって魂自体がすっごく嫌な雰囲気をまとっていて、禍々しくて……!」
「わたしも。もうセーアちゃんが苦しんだり、傷付いてるところなんて見たくない」
今度は左側のフィノが心配そうに見つめてくる。
いくらこれまでの場当たり的な行動が上手くいっていても、彼女たちは俺が首を絞められているところを目撃してしまっているんだ。あんなものを見てしまったのでは、さすがにこんな会場全体を巻き込むような相手と「戦う」だなんて言ったところで、とてもじゃないが恐ろしくて賛成はできないだろう。ただ無駄に命を張っているだけの、無謀な賭けにしか思えないはずだ。
「……ありがとう。心配、してくれて」
なるべくいつも通りの笑顔を浮かべてみせながら、俺はふたりの肩や衣装に付いている紙吹雪を優しく払い落とした。
「でもだいじょうぶ、戦わないよ。セーアはあくまでモデルの女の子なんだから。ステージの上でなんて戦えない」
そう自分にも言い聞かせるように呟いてから、持ち手に赤いリボンが巻かれた可愛らしいマイクを見つめる。
もうこれまでみたいに剣を持ち、身ひとつで戦うような真似はできないんだ。怪我なんて言語道断、服だって汚せない。観衆の目もあるから、正体がバレるような行動もなるべく慎まないといけない。
ほんっとうにこの仕事、色々と制約だらけだし、ひとつ問題を片付けてもまた降ってくるしで、どれだけ経験を積もうがまったく慣れた気がしない。
天賜の力も使えないような現在の俺では、果たして人の悪意に対抗できるのかも怪しい。
…………だけど。
「だからこそ、やりがいがあるってもんだろ?」
「えっ??」
独り言が耳に届いてしまったのか、チェルが不思議そうに訊き返してきた。「ううん。なんでもない」と答え、さっきの言葉の続きを思い出す。
「でも戦わないぶん、賭けるものも違ってくるかな」
「賭けるもの、ですの?」
「うん。運営さんもマネージャーたちも、それぞれに賭けてくれているから。こっちもそれなりの物を差し出さないと、つり合いが取れないでしょ?」
「セーアちゃん、たまに言ってることわかんない……」
フィノの返しに笑って、俺はそっと唇に人差し指を当ててみせた。
「精霊のひとりごとだよ。気にしないで」
精霊というよりも、もはや思いっきり大人の事情だけどな。
……さてと。会話を区切り、再び黒ローブの男へと意識を戻す。
賭ける度胸も付いたことだし、そろそろトークを続けないと。上に向いていた観客の目も、少しずつステージに戻ってきている。いくら即席のパフォーマンスとはいえ、空白の時間を作ってしまうのは良くない。
「あのさ。ふたりとも」
同じことを考えていたらしく、客席を眺めながら難しい顔をしていたチェルたちが救いを求めるようにこちらを見た。
「戦わない代わりに、これから自由に喋らせて貰ってもいいかな?」
「えっ? いい……ですけれども」
「なにを話すの?」
「パパのこと」
「「えっ?」」
疑問符を浮かべるふたりを横目に、俺と黒ローブの男は互いに向き合う。
まさかシェリナを捕まえるために他の人員を割き、父さんだけを残すだなんて思わなかった。ずいぶんと非効率的に思えるけど、そうした理由は能力などではなく、御崎雄大という人間が持つ名声が本来の目的だったからだろう。
この計画を遂行するためには、父さんひとりがいれば充分に済むのだ。
混乱を助長することで場を乱し、そこにウソを吹聴する。『この地震は神託者のせい』、『原因は彼らにある』――等々。世界を救った男であり、勇者ウェスティンの父親が言うことだ。自分たちが何かを訴えるよりも、遥かにその信憑性は増すだろう。
たとえそれが、本人自身の言葉でなくともだ。
けれどアイツらは、周りが熟知している父さんの欠点を何にも知らない。だからあんなにも余裕ブッこいていられるんだ。
「……いいか? 〝ハンガン〟だか〝ハンゴン〟だか知らねーけどな。うちの御崎雄大を、いいかげん舐め腐ってんじゃねぇぞ?」
御崎雄大っていう男はなぁ。女神界隈にもひろーく知れ渡っているレベルの、救いようもない超・絶、子煩悩なんだよ。
たとえじぶんの子供が違う世界、違う親元に生まれ変わろうとも、『今度こそ幸せにしてみせる』って思いだけで何年も奔走していたぐらいの。
父さんの弱点が家族ならば、原動力となるのもまた家族だ。
普段はこんなふうに優しくなんてしたりしない俺だけども、今日はセーアだから特別に。出血大サービスってことで。
「みんなぁーっ!! 虹へのお願い、ちゃんとできたー!?」
できたー! という声がちらほらと聞こえた。魔法はちょっと失敗ぎみだったけれど、反応は上々なようだ。
「セーアもね! ファンのみんなと、チェルとフィノと、人形師のお姉さんと、それからパパのこともお願いしたの! みんな、セーアにパパがいるって知ってた?」
「「しってるー!」」
子供たちは競い合うようにして手を挙げているが、一部の大人なんかは顔を見合わせていた。
絵本にもなっている公式設定だけど、基本が子供向けだから知らない人がいるのも当然だ。
「しってるよー! セーアちゃんのパパ、すっごくやさしい人なんでしょー?」
「おにんぎょうのセーアちゃんを、じぶんの子供にしてくれたんだよね! 絵本にかいてあったもん!」
ありがたいことに、何人かの子供が反応してくれた。かなり要約されているけど、これ以上なく簡潔で分かりやすい説明だ。おかげで手間が省けたので、「うん、そうなんだ!」と乗っかる形で頷く。
「セーアのパパね、今この会場にいるの!」
「「えっ……!?」」
いきなりのカミングアウトに、チェルとフィノがそれを言うなんてという顔で固まっていた。
父親がいるというのは、あくまでも設定上での話だ。その容姿も、本来ならば存在感さえも匂わせてはいけない。何故なら俺たちは、『生きた人形』というキャラクターをまとっているからだ。
それぞれの出生ごとに設定が違ったりはするものの、基本的に俺たちは『心を持った人形』だ。でも本当はただの人間だなんて、小さな子供でもない限り誰しもが分かっている。
分かっていて、それでも夢を壊さないために野暮なことを言ったりはしない。だからこちらもなるべく客の目に触れないよう、色々なものを隠す。それが暗黙のルール……だったのだが。
俺のモデル生命と、父さんのすべて。
どちらを差し出すかなんて、そんなの分かり切っている。
「頑張るセーアを応援したいからって、わざわざここに来てくれてるんだ。だから無事に帰ますようにって、神様にお願いしたの。みんなもちゃんとお願いしたかな? 傍にいてくれる人のこと」
俺の言葉に、客たちは互いを見合った。
チェルとフィノも言いたいことを察してくれたらしく、横でジッと聴き入ってくれている。
「セーアはね。ずぅっとひとりぼっちで暗い世界にいたから、誰かが近くにいてくれるっていうだけで心強いの。……だけどね。反対に喪っちゃうと思うと、とぉっても怖い。それが大好きなパパだったら、なおさら」
うつむきかけた顔を上げ、両腕を前へと広げる。
もう恥なんてとっくに捨てていた。本心で喋らなければ、相手の心など揺り動かせない。だったら俺は、もういちど子供の自分にゆだねよう。
本当はどうして欲しいのか、ちゃんと口にしないと伝わらないから。
「……ねえ、パパ。セーアを置いて行かないで? 帰ったら抱きしめて、おつかれさまって言ってよ。いつもみたいに頭を撫でて、頑張ったなって褒めて。……前みたいに大人しく甘えられないけど、セーアまだ、パパと一緒にいたいよ」
言葉を重ねるたびに、揺れが大きくなったり、小さくなったりと微細な変動を繰り返していた。
狙ったとおりだ。精神世界への直接的な介入は不可能だけれど、声なら届けられる――そんなことを過去に旅のなかで経験していた。それを覚えていたからこそ、親バカな父さんだったら眠っていようが届くんじゃないかと踏んだのだ。
「パパ、言ってたよね? 友達と一緒だったら、仕事も楽しくやれていそうだなって。今日のイベントでね、セーアまたひとり友達が増えたんだよ。その子も紹介したいから、今度またお泊り会したいな。つぎは客間じゃないと狭いかな? ……ね、パパ。帰ったら相談させて?」
ローブの男は屈んだ姿勢で、何かをこらえるよう必死に頭を抱えていた。
本当にちょっとずつだけれど、父さんの守護精霊が力を取り戻しかけている。あと少しだ――確信を得た俺は、トドメとばかりに客席へと声を投げかけた。
「みんなも帰ったらしたいことって、あるかな? お願いしてみて。当たり前のことでもいいの、本当はすっごく大切な時間だったって気付く時が来るから。たとえば……そう。三年前、魔王が誕生した時みたいに」
幼い子供は理解できずにポカンとしていたが、十代以降の若者や、大人なんかは具体的なワードに顔を強張らせた。
勇者ウェスティンの近親者なんじゃないかと疑われているセーアにとって、この話題を出すのはちょっとリスキーだったりする。けれど今は、父さんの精神が目覚めかけている時だ。手段を選んでなんていられない。
「あの日空が暗雲に覆われ、植物は枯れ果て、動物もモンスターも怯え鳴いていたように」
小さな山奥の町にゾンビが生まれ、どんどんと攻めやられていき、やがて人々が住む場所を失っていったように。
「当たり前だと思われていた日常が、フッと目の前から消えてしまうことだってあるんだよ。そこに大人も子供も関係ない。世界はあっという間に変わってしまう」
――崩れてしまう。
弱者は強者によって淘汰され、命をしぼり取られ、退屈しのぎのオモチャにされて。無価値な肉壁として、安価な材料として死んでいく。
理不尽なほどに分かりやすい世界だった。まっとうな生き方をしようとする奴こそ真っ先に死んでいく。あとに残るのは適応力のある人間か、どこまでもずる賢く、のさばれる奴のみだ。
「……だから。隣にいてくれる誰かに、大切な人に。ちゃんと気持ちを伝えて、一日一日を大切にしないとね。後悔なんてしないよう、言いたい時に言うんだよ。どこにでもある平凡な日常ほど、あっけなく無くなっちゃうんだから」
なあ? 父さん。
心の内で呼びかけながら、俺は黒フードの男を見た。
「ねえ、みんな。もう一度、声に出してお願いしてみて。そうすると風の精霊が、消えかけた虹に想いを運んでくれるからね。……いくよ? せぇーのっ!!」
振り上げた人差し指に合わせ、それぞれの想いが口に出される。
多くは重なり合い、雑踏の会話みたく聴き取り辛いものになっていた。けれどたったひとつ、たったひとつだけ、はっきりと耳に届いた。
――成哉のステージを、見届けたい。
風の精霊が繋いでくれた、客席と舞台との距離。
そのあいだに、糸のようなか細い繋がりが確かに存在していた。目には見えないけれど、感じる。……そこにいると。
「まだまだぁ! もっともっと、おおきな声をふり絞って! せぇーのっ!」
――うちに帰って、話を聞いてやりたい!
「あともーちょっとだけ、いけるかな? せぇぇーーのおぉっ!!」
掛け声に合わせ、風の精霊の力をわずかな繋がりへと注ぎ込んでいく。
今度は失敗したりしないよう、細心の注意を払って。想いと想いをより合わせ、手繰り寄せていく。奥側にいる父さんの眠った精神を、引っ張り出して――……。
【――ウフフッ。セーアちゃん、みィつけたぁ♡】
「……………………ッ!!」
声が聞こえた瞬間、ゾワッと全身に怖気が走った。
忘れるわけもない。コイツ、俺の首を絞めやがった奴だ。フィノの歌で気絶して、そのまま運ばれたと思っていたけれど……まさかそのあいだに、父さんを乗っ取ったっていうのか? いったいどうやって?
【どうって、肉体に魂を移してやったのよ。ウフフッ、おかげであなたの情報もぜーんぶ手に入っちゃった。本当は男の子だったのねぇ? どうりで言葉遣いが乱暴なわけだわ】
「おまえ…………っ!」
【男の子なのにお化粧をして、フリフリのドレスを着て、女の子みたいな仕草をして。それで〝美少女モデル〟なーんて言って、みんなにウソをついてるのね? いけない子だわぁ】
ウソじゃない、なんて言い返せなかった。
セーアはまさに、偽りで塗り固められた存在だからだ。
【でもあたし、あなたのこともっと気に入っちゃったわ。母親を目の前で喪い、親友をゾンビに喰われ、大勢の男に薬漬けにされたとしても。それほどまでに透明感を失わずに、真っすぐに綺麗でいられるんだもの。……そうよね、どうせ口もきけなくなるんだし。言葉遣いなんて、もう……永遠に、関係なくなるわよねぇ?】
フードの奥にのぞく口元がニイィッと吊り上がり、狂気的な笑みに変わる。
その口は幾度となく俺を鼓舞し、軽口を言い合い、俺のお小言に対してぶっきらぼうな返答をし、心配する言葉を掛けてくれた優しい父さんのものだ。
そしてその肉体に仕舞われていた記憶もまた、二人きりになったタイミングで父さんだけに話した内容だった。
『…………話してくれて、ありがとう。成哉』
そう言って父さんは、深く息をついている俺に淹れたてのハーブティーをすすめてくれた。
寝つきを良くする効果があるそうで、エチェットが好んでいるためにいつもキッチンに常備されている。あんまり父さん自身が飲んでいるイメージはないんだけど……おそらく寝つきが悪く、こうして深夜帯にも関わらず起き出してきてしまった俺のために淹れてくれたんだろう。
それから、思い出したくもない過去をなんとか話し、伝えられたことに対する労いの意味も込めているのかもしれない。
『ん。いただきます』
ありがたく受け取り、湯気の立つ表面に息を吹きかける。
チビチビと飲み始めたのを横目でみてから、父さんは壁の時計に目を移した。午前一時、いつもならばとっくに寝ている時間帯だ。ほかの家族も完全に寝静まっていて、魔法石の明かりだけに照らされたリビングは、どこか神秘的でもあって物悲しい。
そろそろ会話も終わる頃かと、のこり半分ほどになったカップの中身を一気に飲み干そうとした時だった。
『おまえの想い、絶対にムダにはしないからな』
そんな呟きがきこえ、カップを傾けようとした手が止まった。目線をあげて見えたのは、こちらへと向けられる真剣なまなざし。
『自分と同じ境遇の者を減らして欲しいからと、おまえはそうやって苦い過去をたびたび話してくれる。その気持ちは私を通じ、いまや色んな人にまで影響を与えているんだ。……たとえ間接的にでも、おまえはちゃんと誰かを助けられている。あちらの世界は私が必ず復興させてみせるから、お前はこっちで、存分に平穏を楽しめばいい。これまでにしたかったことを、思うままにやってくれ。……それが、私の願いだ』
そう言って父さんは、控えめに笑った。
目を背けたくなるような暗い過去さえも、温かく包み込んでくれるような。
不器用だけど優しい、俺の大好きな笑顔を。
「……かえせよ」
返せ。父さんが望んでいた日常を。
お前らのくだらない事情なんかに巻き込むんじゃねえ。
「かえせ…………っ!」
びゅうびゅうと唸る風は、いつしか周囲にとどまらず会場中を吹き抜けていた。ステージが振動するぐらいの激しい突風。怒りに同調した風の精霊が、暴れているんだ。
分かっていても、上手く抑えることが出来なかった。身体が変わっているせいもあるけれど、何よりも、こみ上げる怒りをぶつけたい衝動が湧き上がっていて。
「――うわっ!? なんだこの風!!」
突如として巻き上がった風に、観客たちは互いに飛ばされないよう庇い合うのに必死だった。子供を守ろうと体を張る人ばかりのなかで、荷物にあったうちわや横断幕など、軽いものが次々と吹き飛んでいく。
それもまた小さな凶器となって、人々へと襲い掛かっていた。
「「セーアちゃんッ!!」」
助けるのを装って駆けつけたチェルたちが、揃って両脇から抱きついてくる。
「これセーアちゃんがやってるの? だとしたらやめて、あぶないよ!」
「想いを運ぶ風なんじゃありませんの!? 皆さんのお願い、このままじゃ叶わなくなっちゃいますわよっ!!」
頭に血が昇ってしまっていて、ふたりの呼び掛けさえもろくに届かない。
ただ女の不愉快な笑い声だけが、耳の奥でこだましていた。




