ステージ☆スタート!
事件でも起きたのかと一瞬身構えてしまったが、どうやらそういうのでは無いらしい。
「これ、なんの悲鳴?」
「時間的にみて、『シルクドリップキス』の人気メンバーがランウェイに登場したんだと思いますわ。女性ファンが多いだけあって、さすが熱気も凄いですわね」
落ち着き払った様子でチェルが呟く。平静を保っているものの、表情からはわずかながら及び腰になっているのが見て取れた。
確かにこれだけのエネルギーに当てられてしまっては、意識しないようにしていた緊張だって無意識に思い出してしまうというものだろう。
俺もまた手袋の件で忘れていた気持ちが呼び起こされてしまい、別のことを考えようと思考をめぐらす。
「シルクド、リップキス……」
ジュネさんが所属しているブランドだ。
モデルからして十代後半から二十代ぐらいの男性が購買層のはずだが、聞こえてくるのは女性のものばかり。
「チェル。たしか前に、若い男性モデルで結成されたグループもあるって言ってたよね? それがもしかして、『シルクドリップキス』の……」
「そう! 人気メンバーのシルス・ジュネ・ナファルの三人で作られたグループ、『トライデント』ですわ!」
「あっ!」
聞き覚えのある名前に、俺は手を掲げながら身を乗り出した。
「ジュネさんだったら、チェルとフィノが出かけてる時に会いに来てくれたよ。『よろしくお伝え下さい』って言ってた!」
「えっ!?」
「セーアちゃん、お会いしたんですの!?」
俺以上にぐわっと前のめりになる二人。子供とはいえ、やっぱり女の子だ。男性アイドルみたいな存在には心惹かれるんだろうか?
「う、うん。差し入れを受け取って、ちょこっとお話した程度だけどね。最初に来てくれた『アズリア・アズ』のパルナさんのほうが、よっぽどスキンシップ激しかったっていうか……」
「パッ、パルちゃんも来てたんですの!?」
「くっ、捜しても見つからなかったのに……!」
よっぽど会いたかったのか、悔しそうに歯噛みしている。どうやら男性に興味があるとかではなく、単にミーハーなだけだったみたいだ。
良かった……。安堵からため息を漏らした時、ふと疑問が浮かんだ。
――良かったって、俺はいったい何に安心してるんだ?
チェルとフィノにだって、男の子を意識する時ぐらいはあるだろ。
幼稚園ぐらいの年齢で『〇〇くんが好き』とか言い出すマセた子がいたりするんだぞ? 大人びた考え方をしている二人だったら、余計にそういう話題に興味を持っていてもおかしくない。実際、俺とエチェットの関係に食い付いていたし……。
「ねえねえ。『とらいでんと』って、どーゆー意味?」
変なことを考えている俺の横では、フィノの素朴な疑問にチェルが答えていた。
「海の神が持っている武器だとかで、三つ又の槍を指しているんだそうですわよ。リーダーのナファルが魚人族の血を引いているから、そこから取ったみたいですわね」
「わたしとおんなじっ!?」
思わぬ情報だったのか、フィノが声を上げながらひと跳ねした。一緒に先端が淡いグリーンになっているヒレの形をした耳も、控えめにピコピコっと動く。
滅多に見れない、感情が昂っている時に出る彼女の癖だ。同じ魚人族の末裔が業界にいると知って、嬉しくなったんだろう。
「フィノはハーフだから髪とか目、声や肌にも特徴が出ていますけれど、彼は声だけみたいですわね。シルスは元々水魔法の使い手で、ジュネは漁師の家系だからっていう理由で選ばれたらしいですわ。グループ自体のイメージも『海』や『水』といったものに寄せていて……」
「――えっ!? フィノ、肌にも出てたっけ!?」
今度は俺が驚く番だった。
ピィニアとして活動を始めてからというもの、彼女のことは間近で何度も見てきたつもりだ。けれど、魚人の特徴である鱗やヒレを目にした覚えはない。
「セーアちゃん、三人でお風呂に入った時もずっと恥ずかしそうに下を向いてましたものね。引き止めようとしても、パッと出ちゃいましたし」
「だからいつも着替えが別なんだね」
この恥ずかしがり屋さん、といった感じに微笑ましげに俺を見ている二人だが、それはククリアであって俺ではない。しかしあいつが人間に対してまだ不慣れなおかげで、齟齬が出ないのはありがたいことだ。
「んっとね。服に隠れちゃうんだけど、ココとね、ココと、あとココに鱗があるの。ママみたく足にも欲しかったけど、わたしはこういうとこにしか生えないみたい」
衣装に隠れた部分を一ヶ所ずつ指さしているフィノ。けれどほぼ胴体だったため、聞いちゃいけないと思い顔だけに意識を向けていた。
こういった秘密を聞いていいのは女友達か、いずれ出来るであろう彼女の恋人だけだ。
「セーアちゃんは全然見る余裕なさそうでしたけど、とーっても綺麗だったんですわよ。フィノの鱗!」
その女友達であるチェルが、目にした時のことを興奮ぎみに語りだす。
「ふだんは透き通った緑色なのに、水に濡れるとキラキラキラーッてあわい虹色に輝くんですの。一枚一枚が薄く加工された宝石みたいで、本っ当に美しくって!」
「あ、ありがと……」
「……羨ましい。わたくしも、そんな特徴を引き継ぎたかったですわ」
頬を染めてもじもじしているフィノとは反対に、チェルは不満そうに自身の尖った耳をつまんでいた。
「エルフの血が流れているといっても、わたくしは耳と感覚ぐらいにしか面影がありませんし。お兄様は先祖返りですべてを受け継いでいるのに……」
どこか寂しげな姿を見ていられなくなってきた俺は、今まで閉じていた口をゆっくりと開いた。
「セーアは好きだけどな。チェルのツヤツヤな黒髪とか、紫の目とか。伏せぎみの尖った耳も、ちっちゃな八重歯もすごく似合ってて、全体的にネコっぽくて可愛いし。なのにお嬢さま口調なところにギャップがあって、魅力的に感じるんだよね」
「えっ? えと」
「フィノは物静かで凛としてて、『海底に住んでる人魚のお姫さま』ってイメージだけどさ。チェルは逆に、人懐っこくて元気いっぱいな黒猫みたいで。見てて元気を貰えるし、そういうところがみんなにも人気なんじゃないかな?」
「あぅ、うぅぅ……」
変な声が聞こえてくるので視線を向けてみると、なんと今にも蒸気が立ち昇りそうなほどチェルの顔面は真っ赤になっていた。
「チェル!? 顔……」
「せ、セーアちゃんだって! 妖精みたいに儚げで透明感があって綺麗なのに、凛々しくてたくましいところもあって優しくて! そうやって迷いなく他人を励ませるところが大好きですわよぉっ!」
「なんか怒ってない!?」
「お、怒ってませんけど! だって……!」
チェルは耳の先っちょまで赤くしながら、ギンガムチェックのスカートをいじりつつ答える。
「お兄様にも以前、同じことを言われて。すごく、嬉しかったから……それを憧れのセーアちゃんにも言って貰えるなんて、思ってなくて……」
「チェル、お兄さんのこと好きなんだ?」
何気ない問いかけだったのだが、『ひゃわぁぁぁっ!』という奇声を発しながら彼女は傍らに立っていたフィノにしがみ付いた。どうやら相当に図星らしい。
「す、好きですわよ? もちろん」
フィノに抱きついた姿勢のまま、肩口に顔をうずめてボソボソと話し始める。
「とても責任感があって立派なお方ですもの。若くして両親の遺した会社を受け継いでいて、色々と大変なはずなのに、年の離れたわたくしをいつも気にかけてくれていて。……両親にとってもそうでしたけれど、妹のわたくしにとっても、お兄様は誇りなんですのよ」
そこまで言って、チェルはきゃあと恥ずかしそうに身もだえした。
普段の大人びた言動は、亡くした両親の代わりに育ててくれている兄を、少しでも楽させてあげたかったからなのかもしれない。
「チェル、ママとパパいないの?」
「……ええ。金品目当てで屋敷に忍び込んだ強盗に、命を奪われたそうで」
「覚えて、ないの?」
フィノの子供らしい問いかけに、小さな頷きが返される。
「全部あとから聞いた話ですわ。わたくしはお兄様と一緒にベッドの下に隠れていて、厨房にいたじいやとばあやも無事だったみたいですけれど。他はひどい有り様で……」
重々しくうなだれたチェルは、いきなりパンッと両頬を叩いた。
勢いよく顔を上げ、前を見据える。その両眼には、いつもの彼女らしさがあった。
「だからわたくし、自分に出来ることでこれまでの恩返しをするんですの。大好きなお兄様と、じいやとばあやのために。今日のステージで、いっぱい、いーーーーっぱい、輝いてみせるんですのよっ!」
元気に満ちあふれた笑顔に、俺とフィノの口元も自然とほころぶ。
「うん。チェルならできる」
「だってずっと頑張ってきたの、セーアたち知ってるから。きっとお兄さんたちにも褒めて貰えるよ」
「ええ!」
フィノから離れたチェルは優雅にスカートの裾を持ち上げ、ピンと伸ばした右手の人差し指を可愛らしく頬に当ててみせる。
「わたくしはエイデンベルク家の娘、チェルシエール・ノイ・エイデンベルクですもの。お兄様の妹として、恥じないお仕事をしてみせますわっ!」
それは彼女と出会った日、写真撮影の際にチェルが最初にしてみせたポーズだった。
やけにこなれているな、関連業界にいたんだろうか――なんて思っていたが、とんでもない。おそらく何度も何度も、鏡の前で練習を重ねてきたのだろう。
少女らしくモデルという仕事を夢見ながらも、兄の役に立ちたいという一心で。
「ピィニアさん、今ステージ転換に入ってますので! そろそろご準備をお願いします!」
「あ、はいっ!」
現地スタッフの指示に答えたのは、ステージ袖で俺たちと舞台上とを見守っていたマネージャーだった。彼は三本のマイクを受け取ると、胸元に抱えてもう片方の手でポケットを探りだす。
「セーアちゃん、チェルさん、フィノさん。……これを、マイクに」
引っ張り出されたのは、赤と紫、それから青色のリボンだった。異なる素材のレースやフリル、ステッチで細かなデザインがほどこされている。フェルト製のぷっくりとしたバッジには、可愛らしい字体でそれぞれの名前が刺しゅうされていた。
「イオニアさんから、あなたたち宛てに送られてきたプレゼントです。『お前たちならやれる』って、添えてあったカードに書かれていましたよ。あ、バッジは衣装の胸元に付けてくれとのことです」
「イオニアさんが……」
ほんと、どこまでも面倒見の良い人だ。リボンひとつにこれほど繊細な仕事をして、遠くからでも俺たちのことを気にかけてくれて。
あれだけボロボロだった父さんと同じぐらい、不眠不休で戦っているはずなのに……。
「セーアちゃん。こっち向いて下さい」
店内スタッフの女性に呼ばれて振り返ると、ウサギ型のバッジを胸元に付けてくれた。他のスタッフさんも俺の手にあるリボンを、見栄えが良いようマイクの持ち手に巻いていく。
「可愛い! さすがイオニア様ですわ」
「だね」
チェルとフィノもまた、同じように付けて貰っていた。作業が終わり、俺たちの手にリボンで飾られたマイクが手渡される。
「今日はこれまでの集大成です。私も、他のスタッフたちも三人のことを見守っていますから。最後まで全力を出し切りましょうね」
「「はいっ!!」」
マネージャーに答えながら、俺はマイクの持ち手をぎゅっと握った。
改めて衣装の胸元にあるリボンを直し、軽い動きでスカートの揺れを確認する。ついでにさりげなくポケットに手を突っ込むと、丸みを帯びた物が指先に触れて少しばかり安心した。
チェルから貰った飴玉だ。お守り代わりにと忍ばせてみたけど、こういった物があるだけでも、ずいぶんと緊張がほぐれてくるものだ。
――そういえばステージ転換が入っていると言ってたけど、今どの程度まで進んでいるんだろう?
カーテンの裾からそっと覗いてみる。
小休憩をはさんでいる合間に、舞台上では片付けが行われていた。『シルクドリップキス』の人気グループ・トライデントの登場に際し使われたのか、床には白と銀色の紙吹雪があちこちに積もっている。それを複数人のスタッフが手にある箒でしきりに掃いていた。大袋三つ分は軽くある。
「……あっ! じいや、ばあや!」
俺にくっ付く形で観客席を眺めていたチェルが、急に声をあげた。人が多すぎて誰だか判別できないが、彼女の目にははっきりと見えているらしい。
「来てくれたんだね」
「ええっ! もしかしたら遅くなるかもしれないと言っていましたけど、間に合って良かったですわ!」
「パパ、ママッ!」
チェルと会話をしていた時、同じように客席を見渡していたフィノがパッと顔を輝かせた。
父親は分からなかったが、ここからでも彼女の母親がどこにいるのかはよく分かった。ヒレの形をした耳に、フィノよりも少し青みがかった緑色の髪。首から背中にかけて生えた透明な背びれ。
人間と同じ四肢こそ持っているものの、マーメイドドレスのスリットから覗く生足には、陽を受けて輝く青色の鱗がある。
「……綺麗……」
生きた芸術品を思わせる姿に、呆気に取られた俺はそう呟いた。
種族自体の数が少ないのは、海の傍でないと生きられないという理由の他に、欲にくらんだ連中が美術的な価値を見出してしまった過去があったからなのかもしれない。
「ええ、本当。とても美人なお母様ですわね」
少し遠い目をしていたチェルだったが、その視線が奥側へと向いた瞬間、彼女は言葉を詰まらせて口元を覆った。
「きて、くれ…………」
チェルは喘ぐように息継ぎをし、俺にすがり付く。
「お仕事、すごく忙しいって……。来れないかもしれないって、言ってたのに……お兄様、来てくれ……っ!」
心からの感情を吐き出すチェルは、泣き笑いの表情をしていた。
俺が頭を撫でている横で、フィノもまた彼女の背中を擦る。
「良かったね。来てくれて」
「ええっ、ええ……! わたくし、死ぬ気で頑張りますわ!」
「倒れたらお兄さん悲しんじゃうよ?」
「し、死なない程度に頑張りますわ!」
ふたりのやり取りに笑いながら、俺も観客席に見知った姿を探す。
さっき最前列にエチェットとユエリス、それからロズがいたんだが……会場はペットの持ち込みが禁止なせいか、スタッフさんに連れられて早々にどこかへと行ってしまった。ロズの扱いをめぐってひと悶着あったりしなければいいのだが。
「……父さん……は、さすがに来てないか」
もしかしたらエチェットたちと一緒に来ているんじゃ――なんて期待して、理解していながらも落胆してしまった。
イオニアさんすら来れないんだ。神託者たちが頼りにしている父さんだったら、なおさら此処に居るわけがない。分かっていたはずだ。
でもほんのちょこっとだけ、夢を見てしまった。
父さんのことだから勝手にチケットを買って、無理にでも来てくれるんじゃないかなって……。
「……………………あれ?」
ため息混じりにもう一度視線をめぐらせた俺は、奥側の席に妙に気になるものを見つけた。
フードを被って誤魔化しているが、白に近い金の髪に、薄い青緑色の瞳。明らかに児童と分かる低身長。
気だるげに周囲を見渡していた顔が、ふとこちらを向いた。いかにも『バレた』といった感じに、気まずそうに小さく手が掲げられる。
「あいつ、ウソついてまで来て……っ!」
「皆さんお待たせしましたーっ! ウッドリッジを始めとして、いまやアーセナルにまで人気を轟かせているウワサの三人娘! ショーウィンドウで出会える可愛いお人形、ピィニアさんのご登場でーす!!」
うおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉッ!!!!!
俺の動揺を掻き消さんばかりに響く歓声は、晴れ渡った天の向こうにまで届きそうなほど大きかった。