見守っていてね。
「……すごい、声援……」
マイク越しに声を張り上げる司会と、それに負けないぐらいウオオォォッと喉を振り絞って叫ぶ観客たち。彼らの血が沸き立つほどの興奮が、好きなものへと全力で注がれる愛が、裏側にいてもビリビリと伝わってくる。
勇者として戦った時とはまた別種の感覚に圧倒され、俺は緊張から両腕をさすった。びっしりと鳥肌が立っている。でも口元には自然と笑みが浮かんでいて、なんだか気持ちが落ち着かなかった。
これからセーアとして舞台に立つ時、俺を包んでくれるのはきっとたくさんの『好き』っていう感情だ。
そんなキラキラしたものを浴びてしまったら、俺はウェスティンに戻れなくなってしまうかもしれない。いずれは逆転して、セーアが〝本当の自分〟になる日がくるのかも…………なんて。
あり得ない未来だと思いながらも、少しだけ望んでしまった。
五年後も変わらず、セーアとしてモデルの仕事を続けていけたら。
チェルとフィノと、ずっと三人でピィニアとして活動していきたい。シェリナとも良い関係になれそうだし、目標にできる人も見つけた。スタッフさんたちもマネージャーもみんな優しいし、ファンの子たちと触れ合うのも楽しい。
なにより俺たちは、これから大きなステージに立つんだ。ここからピィニアは羽ばたいていく。なのに俺だけが途中離脱だなんて、やっぱりちょっと寂しいから。
スカートの裾をぎゅっと握る。
自然と内股気味になり、下に履いたボリュームのある白いパニエがふるりと揺れた。白いタイツは相変わらず女でいるのを意識させてきて、『このまま戻らなかったらどうしよう』というとめどない不安感と、相反する想いが心の内でぶつかり合う。
「はっ、ハァ、は……はぁ……」
「少し呼吸が荒いですけれど、大丈夫ですの? セーアちゃん」
「……ん。ちょっと、緊張してるみたい」
迷いと場の雰囲気とが鼓動を乱し、過剰に息を弾ませてくる。
急激な心拍数の上昇や発汗、五感が過敏になる感覚は、父さんだけに話したあの地獄の三日間をなんとなく想起させた。
『ギャハハッ! コイツ、酔っ払った犬みたいになってるよ。だっらしねー!』
『フラッフラで目の焦点合ってねーじゃん。ほら、見えてまちゅかー? 今日も大好きなママが来てくれてまちゅよー?』
這っていた床から抱え上げられ、窓の外に門番と話す母さんの姿が見えた。
遠くても何を言っているのかは分かった。息子を解放してくれって、何度もそう訴えに来てるんだ。俺が勝手に言い出したことなのに。
……相変わらずだなぁ、母さん。
なんで俺が身代わりになったのか、その理由ちゃんと分かってるのか? 頼むからすぐに離れてくれ、こんな奴らと関わろうとするな。
今のご時世、こういう下衆野郎がうじゃうじゃいるんだから。母さんみたいな優しい人、すぐに壊され――……。
『いっそあの人妻も攫うか? そもそもあっちが目的だったんだし』
『おっまえ人の心ねーなぁ! まあ俺も気になってたんだけど。顔可愛いし見た目若いし、けっこうな逸材だよな』
スリーサイズいくつぐらいだろうな?
胸はそんなにデカくないけど、尻が……。そんな会話が嘲笑とともに取り囲んでグルグルと廻って、吐き気がしてきた。お前ら、母さんをそんな目で見るんじゃねぇ。ブッ飛ばすぞ。
『や、め……』
『なんだ、靴でも舐めてくれんのか? マザコン君よぉ』
『少しは母ちゃんの代わりになってくれねぇと、こっちも諦めた甲斐がねーからよ。分かってんだろうな? あ?』
脅されて無理やり飲まされた薬は、俺の思考力と平衡感覚を奪い去っていった。とにかく全身が熱くてたまらなくて、もどかしさに呂律が回らない声をひたすら上げ続けていたのを覚えている。
俺が前世で恋愛どころか自慰すらもマトモにできなくなったのは、健康不良やストレスのせいもあるが、ほとんどはこれが原因だ。
ずっと封印していた記憶だったが、ゾンビだらけの地球を復興するという父さんのために、俺はひた隠しにしてきた自身の経験を赤裸々に語った。
辛そうな顔をさせてしまうのは嫌だったが、俺みたいな思いをする人を少しでも減らして欲しかったから。
『当時の俺は、母さんを守るので精いっぱいだったけどさ。父さんだったら、ああいう場所に乗り込んでいって潰せるでしょ?』
『ああ、もちろんだ。木っ端みじんにしてやる』
『本当にその通りになってそうで怖いな……』
躊躇がない返しに笑って、俺は父さんのたくましい背中を叩いた。
『頼んだぞ、うちのヒーロー!』
『〝うちの〟って付けると、ちょっと小規模感がないか?』
『じゃあなんて言えばいいんだよ。スーパーヒーローオザキ?』
『ダサいな』
真顔で言った父さんの反応が面白くて、思い出すとつい吹き出しそうになってしまう。
おかげで少し落ち着いてきて、ついでに改めて自覚した。やっぱり俺は、大きくなったら父さんみたいになりたい。
――でも今は、セーアとしても成長したいから。
「今日はめいっぱい頑張るから。遠くからでも見守っていてくれよな、父さん」
いまもイオニアさんや、神託者たちとともに戦っているであろう姿を思い浮かべる。
さすがにステージは観に来れないだろうけど……また家に帰ってきたら、今日のことを色々教えてあげよう。パルナさんにジュネさん、それからシェリナとも知り合いになれたんだって。
「セーアちゃん、手袋っ!」
「え?」
俺の様子を窺っていたチェルが、いきなり顔色を変えてこちらを指さしてきた。その手には、端にフリルが付いた短めの白い手袋がはめられている。
「……あ」
フィノも同じものを身につけていて、俺だけが素手のままだ。
しまった。こっそりトイレに入って、手を洗おうとしてそのまま置き忘れてしまったんだ。貸し切り状態で男子トイレに入れる機会なんて滅多にないのに。どうしよう。
「どこで忘れたか、思い出せる?」
「わたくしたちも探しますわ!」
協力しようとしてくれてる二人には悪いけど、思い当たる場所は確実にあそこだ。
パッと見で女子の持ち物だと判断しづらいのが幸いだが、落とし物として届けられてしまっては最悪な事態になりかねない。よりにもよって男子トイレの手洗い場に置かれていたなんて、どう説明すりゃいいんだ。
……女子トイレが混んでいたから、とか?
それで誰もいなかった男子トイレを使っ……いや、こんなフリフリ衣装を着といてイメージ的にどうなんだそれは。
「ピュティシュ・アルマは先にわたくしたちのライブをやって、それから衣装替えしてランウェイになるから……出番まであと二十分ぐらいしかありませんわ!」
「衣装的に一人だけ手袋ないのは、ちょっと違和感あるかも。急いで探そう」
「う、うん」
どうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしよう。
探しに行くふりをしてトイレに戻るか? でもそこで誰かに鉢合わせたら何て言えば……。
「セーアちゃん!!」
混乱のあまり気が遠くなりかけた時、近くの通路からマネージャーが駆け寄ってきた。片方の手には、男子トイレの手洗い場に置き忘れていた手袋が握られている。
「これっ、お忘れですよ!」
「ど、どうしてマネージャーがこれを?」
アーシュアさんは顔を近づけると、こっそりと耳打ちしてきた。
「着替えの際に、忘れ物をしていたらいけないと思いまして。あなたが出たあと、軽く確認を…………ってだから、変態を見る目をしないで下さいって!」
「いやあ、だって。ねぇ?」
俺の脳裏に、そもそも忘れ物をするぐらいバタバタとしてしまった原因となる出来事が思い浮かぶ。
『成哉さん、これ。今後に向けて作らせた衣装用の下着ですので、今回から試してみてください』
トイレに入るタイミングを窺っていたように、マネージャーは紙袋を隠しながら渡してきた。いけない売人さながらの動きだった。中に入っているのは下着だが。
袋から取り出してみると、それは白地のいわゆるビキニブリーフというやつだった。女性用の下着と似た形をしているが、ちゃんとした男性用だ。
一見してそうと分からないようにするためか、正面には小さな赤いリボンが、尾てい骨にあたる部分には小さな苺の刺しゅうが付けられていた。
『え……これ、ずっと持ってたんですか? 胸元に抱えて?』
思わず数歩下がった俺を見て、マネージャーは眼鏡がずり落ちそうなほどの勢いでブンブンと両手を交差させた。
『引かないで下さい! 私だって好きで持ってたわけじゃありませんよ。あくまでマネージャーとして、あなたの補佐をするためにです。成哉さん、トランクス派でしょう?』
『…………ええ。まあ』
『だから蔑んだ目で見ないで下さいって! 他の男性スタッフから伺っていたんです。トランクスだと衣装によっては合わなかったり、どうしても着心地が悪くなってしまうと。成哉さん自身が気持ち良く着られるために、これを作らせたんです』
気を取り直すようにゴホンと咳ばらいをして、アーシュアさんは再び目を合わせてくる。
『嫌々やっている面もあるんでしょうが、少なくとも我々はあなたが不快な思いをしないよう、笑顔で仕事ができるように、全力でサポートをしたいと考えています。これはその気持ちの一部として、受け取って頂けたらと』
どこか違和感がある部分があったりしたら、遠慮なくお伝え下さい。作り直しますので。
……と、そんな快いやり取りがあったものの。
スースーしていたのがピチピチになって、よけいに気になるようになってしまったのが何というか……うん。まあ、そのうち慣れるだろう。
「ありがとうございます、マネージャー。おかげで助かりました」
「いえいえ。お役に立てて良かったです」
人の良い笑顔を見せ、片手を振るアーシュアさん。
見た目はお堅いビジネスマンっぽいが、どうしてか彼には寄りかかりたくなってしまう魅力がある。なんとなくイジりがいもあるし、成哉としてもセーアとしても、彼とは今後もうまくやっていけそうだ。
「見つかって良かったですわね、セーアちゃん!」
ホッとした表情を浮かべ、ふたりは身にまとっている衣装を見下ろす。
俺は赤いイチゴ、チェルは紫のブドウ、フィノは青いブルーベリー。
ベリー系フルーツの小さな柄が散りばめられた白い生地をベースに、袖はふんわりとしたパフスリーブ、胸元にはそれぞれの淡いカラーが映える大きなリボン。背中も同じ色使いの細いリボンで編み上げになっていて、後ろから見ても可愛いように計算されている。
ギンガムチェックのスカートも各自の色で統一されていて、踊る時にふわっと広がるよう白いパニエが下に履かれている。他に違う点といえば俺がタイツなのに対し、チェルがニーソックス、フィノがひざ下のハイソックスなぐらいだ。
ていうか、なんで男の俺がタイツなんだよ。
下着の調子を見るためにだろうけど、なにもステージ当日を選ばなくても……。
――きゃあああああああああああああぁぁぁッ!!!!
悶々としていると、急に観客席のほうから女性たちの悲鳴が聞こえた。
反射的に顔を上げて武器を探すが、チェルとフィノは動揺もせずそちらを見ている。




