みんなにご挨拶しよう
なんで急に女のままでいるのが怖くなったんだろう。
すぐに戻れないかもしれない、という不確定さにやっと危機感を抱くようになったのか、それとも、男のままでも対処できなかった相手が人殺しの組織に所属していたと分かってしまったからなのか。
単に周りが他人事だからかもしれないが……そんな状況でも当たり前に陽は落ちて昇り、明日が『今日』になる。
――ライブ当日。
俺たちは三人の女性モデルさんと、それからマネージャーとともに、用意された馬車に乗って会場へと向かっていた。
イベント名は『ブランド・コレクション・ショー』。
さすがに首都で開催されるほどの規模感ではないが、それなりに大きなイベントなだけあって他のブランドからも多くのモデルさんがやって来るらしい。
プログラム上ではピィニアのライブがメインに組まれているものの、実際は各ブランドの商品をお披露目するファッションショーみたいなものだ。
「今はずいぶんと流行っていて当たり前になっていますけれど、モデルのアイドル的な振る舞いや、店内でのパフォーマンスなんかはセーアちゃんが発祥なんですの。ですから他は、大体が人気にあやかった後追いですわ。カリスマとして胸を張って下さいませ、セーアちゃん!」
「う、うん。ありがと」
昨日から少し元気のない俺を心配してか、馬車の中でチェルが得意の知識を披露してくれた。たぶん、緊張しているように見えたんだろう。
今回のイベントで分かったのだが、どうやらセーアの影響は他のブランドにまで及んでいたらしい。
前までは成人を起用するのが当たり前だったのが、今じゃ女学生のモデルや、若い男性モデルで結成されたグループなんてのもあるそうだ。
昔の俺だったら、後者に所属したいと思っていたに違いない。結局のところ、背丈と年齢的に無理そうだが。
「ピィニア様、到着されましたー!」
「お部屋はこちらです。出番が来る前にはお呼びいたしますので」
到着した俺たちは、現地のスタッフに案内されて専用の控え室に通された。
廊下側では、雇ったボディーガードが二人ばかり待機している。隣室にもマネージャーや店のスタッフたちが集まっているので、侵入しようとする輩がいてもすぐに気付けるというわけだ。
「ずいぶんと物々しいですわね」
ちらりと閉じられた扉のほうへ視線を移し、チェルは落ち着かなげに顔の前で手をパタパタと扇ぐ。
「セーアちゃんが襲われたのもありますから、無理もないですけれど。ちょっと息苦しいですわ」
「出番が来るまで、かなり時間もあるし。練習以外にすることないね」
フィノの言うとおり、俺たちのライブはかなり終盤のほう。軽く三時間はある。
準備にも時間が掛かるが、それでも暇を持て余しそうだ。
「……ね。ちょっとステージの裏方、覗いてみませんこと?」
時計を見たチェルが、イタズラっぽく囁いてくる。
「練習するには少し気が早いですし。緊張をほぐすためにも、挨拶のつもりでちょっとだけ」
「いいね。どんな人が来てるのか、キョーミある」
フィノが座っていた椅子からぴょんと立ち、ワクワクした様子でこちらを見つめてきた。
「セーアちゃんも行くよね?」
「んー……。セーアはいいや」
「「ええっ!!?」」
ふたりの声が被ると同時、座っている状態で左右から挟まれてしまった。
「なんで?」
「まさか、具合でも悪いんですの……?」
「いや、調子は悪くないんだけど。大勢のなかにいると、なんか酔っちゃいそうというか……だから、ふたりで見てきていいよ。マネージャーには伝えておくから」
まったくのウソ、というわけでもなかった。
人酔いするような繊細さは持ち合わせていないが、混雑する場所を無意識に避けるようになっているのは確かだ。
チェルとフィノにも護衛を付けて貰っているし、俺がちょこまかと動かない限りはふたりに危険が及ぶ可能性は低いだろう。
「ほら、イオニアさんも前に言ってたでしょ。『他の業界人と会話して、知識や交流を広げていくのも成長していくための手段だ』って。挨拶は大事だよ」
さすがに俺の都合でふたりの行動を制限するわけにもいかない。
そう思い促すと、フィノが諦めた様子で立ち上がる。
「……わかった。じゃあ、帰ってきたらどんな人がいたか、いっぱい教えてあげるね」
それでもチェルは渋っていたが、袖を引かれると残念そうな顔で、ドレスのポケットから三粒の飴玉を取り出した。
包み紙には赤い苺に紫のブドウ、青っぽい色をしたブルーベリーが描かれている。今日着る俺たちの衣装に使われている、それぞれをイメージしたフルーツ。
「甘いものでも食べて、元気出して下さいませね。セーアちゃん」
それを手のひらにぎゅっと包み込ませて、チェルはフィノのあとを追って控え室から出ようとした。その背中にとっさに声を掛ける。
「ぜ、絶対に護衛の人から離れるなよっ!」
ポカンとした表情でこちらを見たふたりは、たがいに顔を見合わせてクスリと笑った。
「なんだか今の、ウェスティンくんみたいでしたわ」
「うん。すごく似てた」
「セーアちゃん、男の子の真似も出来るんですのね。いずれモデルやアイドルに限らず、他のお仕事も回ってくるかもしれませんわ」
そうしたら、きっと――……。
なにかを言いかけた言葉は、閉じられた扉の奥へと消えてしまった。
部屋にひとり残された俺は、手持ち無沙汰に三つの飴玉を手の中でコロコロと転がす。わざわざ衣装モチーフの味を選んで持ってくるだなんて、ロマンチストで気配り屋なチェルらしい。
「……思わずだけど、ウェスティンの言葉が出てしまった……」
誰ともなしに呟く。
さっきまでちゃんと出来てたのに。なんで慌てて声を掛ける段階になって、今の自分がセーアだっていう当たり前の設定が頭から抜け落ちちゃったんだよ。もう一年以上やってるんだぞ、慣れてるはずだろ。
「やっぱ調子、悪いのかなぁ」
飴玉をポケットに仕舞って椅子にもたれ掛かってみたが、首が痛くなるだけでまったく休まる気がしなかった。横になれる場所がない。日本の畳が恋しい。
仕方なく二つの椅子を横並びにして寝られるようにしていると、控室のドアがコンコンと叩かれた。
「失礼しまーす。挨拶に来ましたー!」
「えっ!?」
なになに何だ、と焦っているうちに扉が開かれ、十五・六歳ぐらいの女の子が姿を現した。
種族は獣人、それもイヌだ。ウェーブがかった長い金髪から伏せた耳がひょこりと覗いている。
彼女はピンクゴールドの鎧が白いフリフリ衣装と合体したような、冒険者兼アイドルといった感じの衣装を身につけていた。チュチュスカートの穴から通された金色の尻尾がこれ以上ないほどに振られている。
「はじめまして、『アズリア・アズ』のパルナと申しまーす! わああああ、本物のセーアちゃんだあああああッ!! 可愛いいいいい!!」
「ぶっ!」
鎧をガチャガチャいわせながら駆け寄ってきたかと思うと、そのまま熱烈なハグをされた。金属部分が食いこんで痛い。
「わたし、セーアちゃん単体で活動していた頃からのファンなんです! ピィニアになってからも、もーホント可愛さマシマシでっ! あっ、これ差し入れの焼き菓子です。セーアちゃん甘いものが好きって聞いたから!」
「あ、ありがとうございます……」
人の多い場所に興奮して尻尾を振っているのかと思っていたら、俺に会えるのが嬉しかったからなのか。
なんというか、獣人は感情の表現がストレート過ぎて逆にこっちが恥ずかしくなる。
「失礼します」
またコンコンとノック音がし、開かれたままの扉から今度は若い男の子が覗いた。
二十代いかないぐらいか、いかにもアイドル然とした整った顔立ちをしている。学園一モテる男とかがいたら、きっとこんな奴なんだろう。
整髪料で軽く浮かせた茶髪をいじりながら、彼は俺に向けて軽く頭を下げた。
「どうも、『シルクドリップキス』所属のジュネです。今日のイベントにピィニアさんが来てるって聞いてたから、挨拶に……。あれ、他のお二人は?」
「ステージの裏方を覗きに行ってます。しばらくは戻ってこないかも……」
「そうですか。じゃあ、彼女たちにもよろしくお伝え下さい。差し入れここに置いておきますね。お邪魔しました」
テーブルの上に高そうな菓子箱を置き、ついでにパルナさんにも同じ物を渡してから、彼はまた丁寧に頭を下げて帰っていった。
見た目は今どきの若者といった風情だったけど、教養のある良い子だ。きっとこの仕事でなくてもモテるだろう。
「えっと……。これ『楽屋挨拶』ってやつですか?」
「うん」
俺の問いに、パルナさんは少し苦笑いしながら頷く。
「わたしたちモデルって、前は店の中とかでしか活動できなかったでしょ? 他のブランドの人と顔を合わせる機会なんてまったく無くて。それがここ最近で、こんな大型イベントまで開催されるようになって……だからどうしていいのか、みんな分からなくって。他の業界を参考に、見よう見まねで」
そう言いながらふと真剣な表情になった彼女は、俺に視線を合わせた。
「モデルの人気や需要が高まったのは、セーアちゃんのおかげだから。これから感謝を伝えに、色んな人が挨拶に来ると思いますよ。……ほら」
言う間にコンコンと扉が鳴り、今度は同い年ぐらいの子が部屋に入ってきた。「またね」と手を振るパルナさんと入れ替わりにして、その人物は俺の目の前へと立つ。
肩までの黒髪を片側だけ結んだ、パンク・ロックな出で立ちの女の子。
ビビッドピンクと黒という、全体的に派手な配色。ジャージを模した上着の袖が長めで指の先しか出ていないのに、下は擦り切れたホットパンツという上下で露出が違いすぎる格好をしていた。いちおう横じまのハイソックスを履いているが、それだけに太ももが主張している。
わざわざ入室してきたのに、一向に口を開こうとしない。緊張しているんだろうか?
ならばと先の二人にならい、こちらから挨拶をしてみることにした。
「どうも、はじめまして。『ピュティシュ・アルマ』のセーアです、本日はよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げ、これで相手も気楽になるだろうと思い顔を上げてみる。と、そのあいだに悪魔でも憑依したのか、なんとさっきまで真顔だったのが腹立たしいゲス笑いへと変わっていた。
「なぁんだ。あの‶スーパー美少女モデル〟のセーアが来てるっていうから、覗きに来てみたら。こんなもんか」
「…………へ」
「『ショーゴ・エーサト』のロザリーヌ様が激推ししてるっていうから、楽しみにしてたのに。こんなのただフリフリした服着てるだけの、媚びっ媚びのメスガキじゃない!」
メ ・ ス ・ ガ ・ キ ・ だぁ?
「どーせ『セーア、重たいもの持てないんですぅ』とか言って、周りに媚び売ってブリブリして構って貰ってるんでしょ? 一人称も作り物っぽいし。ぺったんこのメスガキのくせに、いっちょまえに調子に乗ってんじゃないわよ」
「…………ぺっ…………」
「なによ。傷付いたの? 無理もないわね。だってアタシ、あんたと二つぐらいしか歳違わないもん。発育の良さが歴然っていうか、もうまな板? まな板でも突っ込んでるのそれ?」
つかつかと歩いてきたかと思うと、いきなりこちらの胸を指し示してくる。
確かに向こうのほうが少しだけ身長が高いし、胸の部分にもわずかながら膨らみがある。けれどそれはただ成長期が来たからであって、優位なのは当たり前だ。
あとどう育とうが、俺の恋人には及ばない。お前はエチェットには勝てない。
大きさと感触を思い出しながらイライラを鎮めようとしていると、相手はなおも挑発してきた。
「水着の写真も見たけど、やっぱ育つ見込みが無さそうっていうか。そういうの分かっちゃうのよねえ、アタシ。ごめんね、現実教えちゃって?」
口元に手を当て、プププとあざ笑っている少女。
言われているあいだずっと黙りこくっている俺だったが、内心ではハラワタが煮えくり返っていた。
育つ…………わきゃ、ねぇだろおおおおおおおおッ!!!
ぺったんこで上等だ、こちとらオスだこの野郎ッ!! いまは無いけど!! オスの部分ないけど、メスガキ扱いすんじゃねえメスガキがあああああッ!!!
「あーあ、ライバル認定してて損したわ! この程度ならアタシが天下取れるわね。あーホント損した」
甲高い声でわめき散らしながら、彼女はいきなり椅子を引っ張り出したかと思うとおもむろに足を組んで座った。おそらくスタッフから渡されたであろう差し入れの包装紙を勝手にバリバリと破き、クッキーを食べ始めている。
「セーア。お茶」
むしゃむしゃと咀嚼しながら、彼女は堂々と飲み物を要求してきた。
俺はお茶でもねぇしお前の給仕係でもねええええええええッ!!!
……と言い返してやりたい気持ちをグッとこらえ、ちょっと困った感じを装いながらセーアらしい口調を心掛ける。
「えっとぉ。ごめんね、セーア勉強不足で。一緒にお茶するあいだに、おなまえ訊かせて貰ってもいいかな?」
よしよし、俺はプロだからな。目の前のクソガ……じゃなくて、さっきの先輩たちをお手本にしないと。
「は? なにあんた、アタシのこと知らないの? 勉強不足にも程があるんだけど?」
「ほ、ホントにごめんね。あんまりお店の外のこと、知らなくて……」
「ああハイハイ、そういう『設定』だったわね。箱入り娘のお人形、だっけ? そういうとこも含めて媚びっ媚びね」
お茶を淹れる合間、無意識に長めの布を探していた。
こいつに猿ぐつわをして黙らせてやりたい。今すぐに。




