チェル襲来
「……っはーー! 疲れたぁ!」
午前の仕事も終わって早々に、こり固まった顔面をほぐしながら専用の休憩室へと引き返す。
部屋に足を踏み入れると、先ほどまでメモしかなかった机には、スタッフが用意してくれていた昼食が置かれていた。近所にあるパン屋の紙袋と、白磁に金色のツタが控えめに描かれた、シンプルなティーセット一式。男性にも好まれているデザインで、俺用に出してくれている茶器だ。こうして休憩時間には自分に戻れるようにという、事情を知っているスタッフなりのささやかな配慮だろう。
しかしいつも香気とともに味わっていた温かな気持ちは、今は沈んだ心に浮力を与えてはくれなかった。
「午後からは写真撮影かぁ……。しかも外でって……外で……はああああぁぁぁ……」
誰の目もないのをいい事に、先ほど伝えられたばかりの情報を反芻しながら俺は額を机に打ち付けた。
朝に引き締めた気持ちは、いまや見る影もない。ちらりと壁のほうを窺うと、鏡面にはセーアではなく、あからさまに嫌そうな顔をした自分が映っていた。
――世間から見たセーアの印象は、清楚で可憐。そして神秘的……らしい。
見た目の白さがそう思わせるんだろうが、どことなく妖精や、精霊といった類の存在に感じられるんだそうだ。俺自身の事情もあるし、その辺りは頷ける部分ではあるんだけども――だからって可愛い系統のロリータ服に限らずに、そういったものに寄せた衣装や、大人めいたものなんかまで着させられるのは……いくら求められているからって、納得がいかない。
挙げ句に外でカメラを向けられて、ポーズをしているさまをジロジロと大勢に眺められるだなんて。どんな羞恥プレイだよ。公開処刑じゃないかそんなの。
「あああああー……あああああああ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
ゴンゴンゴンゴンゴンゴン。
しきりに頭突きを繰り返してみても、当然ながら状況が変わるわけもない。刻一刻と時間は過ぎ、昼食を取る暇がなくなっていくだけだ。
それでも暗くなる気持ちを切り替えたくて、俺は奇行を続けていた。
「イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ」
「――セーアちゃあああああああああぁぁんっ!」
「イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだあああああああぁぁぁアァぅッッ?!」
急に襲撃を受け、体が椅子ごと吹っ飛んだ。
正確には横に倒れただけだが、思いもよらぬタイミングで投げ出されたので脳が錯覚を起こしていた。
「なっ、なななな何ッ!?」
――賊か!?
思わず腰にある剣を取ろうとしたが、そういえば今は勇者ではなくモデルだったと気付く。無意味にグーパーを繰り返している手のひらを引っ込め、咳ばらいをしながら前を見ると。そこには――……、
「ほん、ものですわあぁぁっ…………!」
大きな紫色の猫目をキラキラと輝かせ。両手を組み、こちらに憧れと取れる眼差しを向けてくる同い年ぐらいの女の子がいた。
どことなく黒猫やヴァンパイアを思わせる少女だ。その理由は尖った耳と、口元からのぞく可愛らしい八重歯だろう。印象に合わせてか、艶やかな黒髪は一部だけツインテールにし、残りは背中に垂らした髪型――ハーフツインテ―ル、ツーサイドアップともいうらしい――になっていて、恰好は黒をメインにしたロリータ服。白で纏められがちな俺とは対照的だ。
彼女は四足歩行で近付いてきたかと思うと、ガバリと抱きついてきた。
「生セーアちゃああああぁんっ!!」
「なまッ?!!」
「こんっな間近でご尊顔を拝めるなんて! ……ああっ、触れる! まごうことなき生ですわ!」
彼女は俺の顔をベタベタと触りながら、興奮気味に真正面から見据えてくる。
その表情はうっとりとしていて、なにやら彼女の中では運命的な出逢いらしかった。思わず「誰かとお間違えではないですか」と言いかけたが、名前を呼んでいるし、これだけ近くにいて間違えるわけもないだろう。
「あ、あのぉ……?」
「いずれは敬称を抜いてお呼びする関係になったりして……ああっ、でもそんな、わたくし……!」
頬を染め、恥じらいのポーズを見せる黒ロリ少女。
どことなく既視感のあるシチュエーションに、俺はこっそりと苦笑いを浮かべた。エチェットと出会った時も、確かこんな感じだったっけ。
おそらく今は冒険者としての仕事をこなしている最中であろう、婚約者の顔が思い出される。
あの出会いが、のちに冒険の一歩を踏み出すきっかけを与えてくれたのだが――……この出会いは果たして、何を運んできてくれるのやら。
「おーい、チェルー? どこいったー?」
「あれ、イオニアさん?」
覚えのある声が廊下から聞こえてきて、俺は扉の隙間から顔を覗かせた。
「その子なら多分ここですよ! 襲撃を受けてぶっ飛ばさ……、ど、どーんってなって、セーアびっくりしちゃった」
思わずいつもの口調で喋ってしまったが、幸いながら女の子、チェルは恍惚としていてそれどころではない様子だった。胸を撫で下ろしつつ、説明を求めてイオニアさんを見る。
部屋へと入ってきた彼は、困ったように肩をすくめた。
「悪いな。今日顔合わせだって伝えたら、先走っちまってよ」
「顔合わせ?」
「スケジュールのメモに書いといただろ? 休憩のあとに話があるって。この子を紹介したくてな」
「イオニアさんの字だったんですか、あれ……」
口に出したものの、何が書いてあるのか分からなかったとは言えなかった。
「紹介って?」
彼はチェルの肩を押して俺の方へと向き直らせながら、にっかりと笑った。
「チェルシエール・ノイ・エイデンベルク、お前に憧れてモデルになった子だ。おんなじ年だし、せっかくなら組ませてみてもいいんじゃないかって話が上がってな。バランスを考えたらもう一人欲しいところなんだが……ひとまずここに、モデル兼アイドルグループ『ピィニア』、誕生だ」
「…………は…………?」
アイ、ドル…………
「――――グループうううううぅッ!!?」
「よろしくお願いしますわ、セーアちゃんっ♪」
魔王を倒し、勇者としての冒険を終えたあとに待っていた新たなる舞台。
そこで出会った仲間・チェルは……小さな八重歯を覗かせた可愛らしい笑みを浮かべながら、スカートの両端を持って丁寧なお辞儀をしたのだった。