父の願い・後編
「どこよォッ!! どこに隠したの、吐きなさいってばああぁぁっ!!」
わめき散らしているのは黒いタイトなドレスを着た女性だ。この近辺の店に勤務しているのか、やたらと煽情的な恰好をしている。そして彼女に組み敷かれているのは、薄いベージュのワンピースを着た子供。
「せっ……!」
細い喉は女性の両手によって締め上げられていた。
胴体は押し潰さんばかりに馬乗りになっていて、両脇で小さな足が無意味にバタついている。手もなんとか解放しようと爪を立てていたが、目に見えて力を無くしかけていた。
「か、ハッ……!!」
せばまった気道から息を吐き、彼女――『彼』は、苦しげに表情を歪ませる。
空気を求めるように首が傾けられた時、その視線がふと周囲に散らばっている物へと移った。通りには可愛らしいドレスや髪飾り、うさぎのぬいぐるみ、壊れた旅行カバンなどがあちこちに散乱している。
間近にあるラッピングされた袋に気づいた彼は、口の動きだけで何かを言いかけ、代わりに目の端からポロリと雫をこぼした。
その涙が地面へと滴り落ちるよりも早く、彼の耳に三つの足音が聞こえてくる。
「「セーアちゃんっ!!」」
「セーアッ!!」
名前を呼んだ直後、フィノは大きく息を吸い込んだ。
歌による無力化だと察した雄大は、広げた手のひらを前方へとかざす。瞬時に不可視のフィールドがセーアだけを覆う形で展開していく。
「チェルちゃん、耳をっ!」
「ええ、分かっていますわ!」
雄大の指示に、チェルは急いで自身の両耳を塞いだ。直後、せまく薄暗い通りに幼い歌声が響き渡る。
「くっ……!」
雄大の精神力をもってしても、片耳だけを塞いだ状態でわずかに眩暈を感じるほどだった。女はたまらずセーアの首から手を離すと、他の面々と同じく歌が聴こえないよう耳に当てようとする。
しかし、フィノはそれを許さない。
「ぐぅっ、う……?!」
どんどんと声量を増していく歌声をまともに聴いてしまった女は、そのまま頭を抱え込むと崩れ落ちるようにして地面へと倒れ込んだ。
「――ハッ、はぁ……はっ……!」
解放されてようやく息が吸えるようになったセーアは、なんとか自力で体を起こそうとした。けれども先ほどまでろくに呼吸ができなかった身だ、屈んで苦しげにせき込み始める。
「げほっ、ケホッ! げほっ!」
「セーアちゃんッ!!」
すかさず助けに入ったチェルが、背中を擦るかたわらに酸素を取り込もうと必死な体をぎゅっと抱き締めた。
ひゅうひゅうと鳴る喉から、ちぇる、と微かに名を呼ぶ声が聞こえる。応えるように顔を寄せて、彼女は震えた声でこれまでの経緯をセーアに説明しはじめた。
「おっ、お店の前で待ってたら、セーアちゃんの叫び声が聞こえて……。フィノと一緒に捜していましたの。そしたらセーアちゃん、こわい人に首、しめられ……ひっ、う、うぅぅ……!」
泣きながら抱きついているチェルと、困惑顔のセーア。そして普段は気が弱いながらも、いざという時には頼りになるフィノ。
三人のやり取りを眺めながら、雄大は自分でも気づかないうちに微笑みを浮かべていた。
小さな女の子だからと侮っていたが、まったくもって勘違いだったみたいだ。少なくとも、我が家の危なっかしい勇者様を安心して預けられる程度には力量がある。
「…………さて。問題は、だ」
小声で呟き、雄大は三人から離れた場所へと引きずってきた女を見下ろす。
スカート部分で多少隠れてはいるが、太ももにある入れ墨――『反魂の導き』に所属している人物で間違いないだろう。
「これまでに対峙してきた奴らは、加減を間違えてほとんど証言できない状態にしてしまったからな。気絶した状態で捕獲できたのは幸いだ」
セーアたちに聞こえない声量でボソリとこぼし、女の身体をひっくり返す。太ももの入れ墨以外、特にこれといった証拠は無さそうだ。
この女が組織にどの程度噛んでいるかは分からないが、連合へと持っていって、色々と取り調べて貰ったほうが良いだろう。
「とぅ……パパも、なんでここに……」
「勘だ」
考えの最中に尋ねられ、思わず反射的に返してしまった。若干呆れの視線が向けられたので、「というのは嘘で」と誤魔化す。
「お前の態度がおかしかったから気になってしまってな。泣いてやしないかと、あとで様子を見に来たんだ。もう集合場所にいると思ったんだが姿が見えないし、彼女たちに声を掛けたんだが、その時にお前の叫び声が聞こえて。一緒に捜していた、というわけだ」
協力してくれたチェルたちに目を向け、再び視線を戻す。するとセーアの頬がわずかに赤らみ、口元が尖りはじめた。この反応はなんだ、拗ねているのか?
思い当たる節がない雄大は、再び内心で困惑していた。けれど抱き合ったままのチェルと何やらボソボソ話しているので、特にこれといったアフターケアはしなくて済みそうだ。
「……セーア」
「なっ、なななな何ッ!!?」
「私はこの女を、アーセナル・クルセイダーズに引き渡してくるから。今度こそ気をつけて、お泊り会楽しんでくるんだぞ」
「う、うん。わかった」
頷きとともに、小さな笑顔が返ってくる。
「チェルちゃん、フィノちゃん。危なっかしいやつだが、どうかセーアをよろしく頼む」
「「はいっ!」」
先ほどの頼もしさとは真逆の、子供らしい元気な返事。
それに安心して、雄大は抱えていた女の身体を肩へと担ぎ上げる。全身が弛緩しきっているのもあって、ひどく重たい。
「よっ、と」
ずり落ちそうになるのを何とか担ぎ直し、別れる間際に横目で遠ざかっていく姿を見送る。
ふたりの友人に挟まれて笑顔でお喋りをしているセーアは、先ほどの出来事がまるでウソだったかのように明るい表情をしていた。けれど白く細い首にはほんの少しだけ指の痕があって、薄いハイソックスも膝部分から裂けるようにして破けている。
そこから覗く赤色が痛々しくて、雄大はさっと目を逸らした。
場所も相まって、以前成哉が言っていた内容を思い出してしまう。
『母さんと旅をしていた頃にさ。通路をわざと封鎖して、通行料をせしめてくるような奴らと出くわしちゃったことがあったんだ。大抵は食糧とか嗜好品とか、何かしらを渡せば通して貰えるんだけど。そいつら厄介で、母さんに目を付けてきやがったんだ。通してやる代わりに、その女を一晩置いてけって』
聞いた瞬間、壁を殴ってやりたい気持ちになった。
なんで私は傍にいてやれなかったんだ。成哉と美雫を守ってやれるのは、父親である私だけだったのに。
『相手は何十人といるから、やり合うには不利でさ。俺、頭真っ白になっちゃって。気付けば土下座して頼み込んでたんだ。力仕事だろうが殺しだろうが何でもやるから、俺を三日間好きに使っていいから、母さんだけでも通してやってくれって』
……馬鹿だよな。
どんな目に遭うのかなんて、分かりきってたのに。
そう空虚に笑う顔を見ていられなくて、雄大は必死に息子を掻き抱いた。案の定嫌がられたが、けっきょく諦めて腕のなかで大人しくしていた彼の、少しだけ眠たげにしている表情が愛おしくて。
この子がいま心のままに恋愛できていて、
毎日エチェットと一緒にいて、彼女を想いながら未来を育んでいけたらそれでいいと思った。
温かい食事をお腹いっぱいに食べて、
家族や友人とともに、大好きな甘い物を食べながら笑顔で語らって。
ボロではない、誰もが羨むような煌びやかな服を着て。
みんなに愛情を注がれて、育っていけるのなら。
いくら傷付こうとも、私は――――……。
「さようなら。御崎雄大」
気付けば垂れ下がっていたはずの手が、背中へと添えられていた。
振り向くよりも早く、なにか熱く柔らかいものが身体の奥底へと押し込まれる。
………………ああ。
無理にでも事を片付けて、ステージを見に行ってやろうと思っていたのに。
せっかくチケットも買ったのに。
ユエリスを膝に乗せて、傍らで尻尾を振っているロズを撫でながら。横に座るエチェットと一緒に、スポットライトに照られされて踊るあの子を応援してやりたかった。
「くっ……そ、がああぁぁぁッッ!!」
押し殺した叫びとともに、隠し持っていたナイフを握り込む。
突き立てようと構えた瞬間、女の不気味な笑顔が視界に入ってきた。笑みというにはあまりにも歪んでいた。瞳孔が開いた目には人間味がなく、歯が剥き出しになった口元は、みつけた獲物に今まさに噛み付かんとする獣のようだ。
一瞬でも感じた狂気にぞくりと身が震えたが、成哉の首を絞めた女であるのを思い出し、意識を切り替える。
二児の父親ではなく、冷酷無慈悲だった頃の自分へと。
「お前らの企みなど私がすべて叩き潰すッ! 不平等だ何だと、死にかけの体で祈ったこともないくせに! 泥水を啜りながら生き、腐肉の山をかき分け、こうべを垂れて涙しながら願いを口にした経験があるのかお前らにっ!?」
あの子にはあるんだ、何年もの癒えない傷が。
それを衣装で隠すことで、いっときでも忘れさせてやれるならそれでいい。戦いのない時間を、もう一人の自分を笑顔で楽しませてやれるんだったらそれで――――……。
「……………………ぁ」
カラン、と音がした。
下に目をやると、いつの間にか手からナイフがこぼれ落ちていた。握り直そうとするが、うまく力が入らない。意識がぼんやりとし、視界が端から黒く塗りつぶされていく。
『神の守護を得る権利を我々の手に。束縛からの解放と、魂の自由を』
耳の奥から声がする。
聞きたくなくて塞ごうとするが、手が動かない。気付けば体は地面に倒れ込んでいて、指先すらピクリともしなかった。
半開きになった口からも、言葉を紡げない。
モヤがかった頭のなかで最後に思い浮かんだのは、ともに寄り添ってくれたククリアの存在だった。
『雄大、僕は君が大好きだ。何度生まれ変わっても、君のこと見守り続けるよ。たとえまた忘れてしまっても、僕は君をずっと、ずぅっと愛してる』
そう言って笑っていた頃には、きっとこうして家族になるだなんて思ってもいなかったんだろう。
本当ならステージを見に行かせてやりたかったが、どうやらそれも無理そうだ。きっと意地悪な姉らしく、うちわを振ってここぞとばかりに成哉をイジっていただろうに。
……なあ、ククリア?
今の彼女には届かないと分かっていながらも、雄大は力を振り絞って呼びかける。
私がいなくなったあと、泣いているあの子をどうか慰めてやってくれないか。
きっと仕事が出来なくなるほど、落ち込んでしまうと思うから。
ああ、でも―――――あの子にはもう、支えてくれる人が大勢いるんだったな。
泣きながら助けに来てくれるような、優しい友達もできたんだ。
たとえ私がいなくなっても、
私が、私でなくなっても。
あの子はもう、ひとりじゃない。




